第三騎士団の文官さん

海水

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ロレッタの望み

第八話 手の届かない無表情の男

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 あれからロレッタが夜会に行くときには必ず付き添いがついた。ハンナであったり兄のザカライアであったり、ひと時もロレッタから目を離さなかった。当然クルツには会えていない。

「ツマラナイ」

 ロレッタは傍に控えるハンナにぶーたれた。淑女のやる事ではないがやり場のない怒りがそうさせるのだ。子供っぽいわけでは無い、多分。
 夜会もあと少しで終わりという頃だ。ロレッタも人陰に隠れ、誘ってくる男性から逃げていた。疲れていたのもある。
 癒しを求めクルツに会いたいとは思っても、どうにもならなかった。そんな時、周りの会話が耳に入り込んできた。

「城を追い出されたアイツ、どうなったか知ってるか?」
「いなくなった奴なんかどうでも良いじゃないか」
「そうですわ。ロレッタさんをかどわかしていた奴なんて、死んでしまえば良いんだわ!」

 若い男女の会話にロレッタは色めきだった。悪口ではあるがクルツに関する事だったからだ。ロレッタは人陰に隠れたまま聞き耳を立てた。

「それが傑作でさ、次の任地に向かう途中で夜盗に襲われて死んだらしい。はは、ザマアないな」
「あは、天罰ね!」
「まったくだ!」

 会話を聞いてしまったロレッタの心臓ショックで止まりそうだった。
 城を追い出された? 死んだ? 死んだって、何? 誰? クルツさん?
 頭に入って来た単語がぐるぐると回り続け理解を阻んでいた。だが無情にも頭が理解し始めた。彼等の話を整理して考えれば、クルツがどこかの地に転任することになり、その途中で賊に襲われ殺されたと理解できる。
 ちょっと待って! 何で? どうして? 何で死んだの?
 知りたくもない、信じたくもない内容にロレッタの頭の中は真っ白になる。ロレッタの体がグラッと傾いた。そして、眼の前を闇が覆った。




 その日からロレッタの瞳からは光が失われてしまった。
 夜会で倒れ、その日は目が覚める事は無かった。翌朝目を覚ますが、ベッドでそのことを思いだし涙にくれた。出される食事には目もくれず、ひたすら涙を流していた。
 何故死んだのか。何故彼が城を出なくてはいけなかったのか。どうして自分が望むものは、遠ざかって行くのか。手が届かないのか。
 泣きながら考え、その原因が自分にあると気が付き、ロレッタは深く沈んだ。
 
「あたしが、行ったからだあぁぁ!」

 ロレッタは枕に顔をあて、悔恨の念にかられていた。ベッドから起き上がれないロレッタの世話をするハンナもかける言葉が見つからないようで、ぎゅっと手を握るだけで下を向いていた。
 一週間もすると涙も枯れ果てたのか、ロレッタの頬を濡らす事は無かった。だが漠然と焦点の合わない目で、どこか遠くを見ていた。言葉もなく、ただ見ていた。

「少しは食べませんと。体が持ちません」

 ハンナが食事を持ってくるが、少し食べては吐きもどしてしまっていた。満足に食べる事のできないロレッタは、みるみる体重を減らしていく。当然夜会などは出られず、外出もできない有様だった。
 ロレッタは心配して訪問してくる若い男性にも会わず、ずっと部屋に籠りっぱなしの日々を送っていた。医者が診察するが、食欲不振に対してはなんの薬も効かなかった。

「……死ねば、会えるのかな。あたし、謝らないと」

 窓のから空を眺め、力なく呟くロレッタにハンナは「そんな事をおっしゃらないでください」としか声を掛けられなかった。ハンナが励ましの言葉をかけてもロレッタは「そうね」としか言わなかった。
 手の施しようもなく、時間だけが過ぎていった。




 とある日、屋敷ではザカライアとネイサンがロレッタについての話をしていた。ロレッタは食事をとらない事で衰弱して、立つこともままならなくなっていたのだ。流石にこのままでは不味いという事になった。

「失敗だったな」

 ネイサンがザカライアに呟くと、そのザカライアは大きなため息をついた。

「ロレッタの想いがあそこまでとは思いませんでした。完全に読み違えてしまいました」

 ザカライアは苦虫をつぶしたような顔をしている。ロレッタからクルツを離せばその内忘れるだろうと簡単に考えていたのだ。だが結果は逆効果でしかなかった上に、取り返しのつかない状況まで悪化してしまったのだ。

「一旦ロレッタを領地に戻して療養する他あるまい。もうこれしかロレッタを救う方法は無いぞ。それで?」
「異論は、ありません」

 ザカライアは肩を落とし、俯いたまま返事をした。クルツの記憶が残る王都にいるよりはましだった。

「治る確証はないがな……」

 ネイサンは腕を組み目を瞑った。
 それからほどなくして、お付のハンナを連れ、ロレッタは領地へと帰って行ったのだ。




 リッチモンド領はアーガス王国の西南に位置し、海に面している領地でもある。比較的温暖で、季節を問わず花が綺麗に咲き誇る土地でもある。土地も豊かで農作物の生産も盛んな土地だ。
 春だった季節も夏になり、暑くなり始めた頃、ロレッタは帰ってきた。歩く事はできず、移動は車いすに乗らなければ外出できない体になっていた。
 夏の花で周囲を囲まれたリッチモンド家の屋敷の中、そんなロレッタに寄り添う初老の女性がいる。ロレッタの母、ミッシェルだ。白髪交じりの黒い髪を一つに纏め胸元に流し、皺が目立つが若い時はロレッタ同様美人だったと思わせる顔つきだ。

「すっかり痩せちゃったわね」

 公爵夫人らしからぬ口調でロレッタに話しかけてくる。ロレッタの性格はこの夫人の性格を強く引き継いでいるらしい。
 ミッシェルはそっとロレッタの手に触ってくる。痩せ細り、骨の形が良く分るほどだ。肌も弾力があり艶々していたはずが、今ではカサカサでおばあさんの肌になってしまっている。可愛らしかった顔も頬はこけ、目の周りも窪んでしまっていた。栗鼠の様だった髪も、すっかりしぼんでしまっている。体が一回り小さくなってしまった印象だ。

「食事がのどを通らなくて……」

 車いすに座ったロレッタはか細い声で答える。大きな声を出せる程体力が無いのだ。

ここ領地なら煩く喚く男共はいないから、安心しなさい」

 ミッシェルは微笑みながらロレッタの頭を優しく撫でる。屋敷にいるのはロレッタとミッシェル以外は使用人だ。しかも家令と庭師以外は女性だけだった。

「でも……」

 ロレッタは言いあぐねた。食べ物がのどを通らないのはそんな事が原因ではないのだ。そしてそれを言ったところで解決にはならない。それが分かっているロレッタの目から一粒の涙が零れ落ちる。

「あらあら。知ってるわよ。好意を寄せていた男性が原因なんでしょ」

 ミッシェルが頭を撫でていた手でロレッタを抱き寄せてきた。図星を突かれたロレッタは驚いたが、小さく頷いた。クルツを思い出すだけで嗚咽が漏れる。枯れ果てていたと思っていた涙もぽろぽと落ちてくるのだ。涙の向こうには無表情なクルツがロレッタを見てきていた。

「あたしが悪いの。ごめんなさいって謝りたいの。でも、もう謝れないの……」

 ロレッタは涙ながらにミッシェルにすがり付く。ロレッタは許しを請いたかった。叶わぬと分っていても。

「それだけその男性が好きだったの?」

 ミッシェルに抱かれながら、ロレッタは何度も頷く。ミッシェルは「そっか。そこまでか」と微笑んだ。

「そうね、ロレッタを治せるお医者さんを、一人だけ知ってるわよ。今から会ってみる?」

 母の言葉にロレッタは顔を上げた。




 ロレッタとミッシェルを乗せた馬車は、色とりどりの花が咲き乱れる畑の真ん中の道をゆっくりと走っている。花の栽培はリッチモンド家の産業の1つだ。温暖な気候で多種多様な植物の栽培が可能だからだ。
 ロレッタは転んでもいいような、比較的厚手のワンピースに着替えている。季節は夏に差し掛かっているが、ロレッタの体は痩せ細っており、厚手の服が丁度いいと言うのもあった。
 
「綺麗……」

 馬車の背もたれに寄りかかり、ロレッタは窓をから外を見ていた。海の様に風に波打つ花たちを見ていると、頭の中が洗い流されているような感覚になる。大きな向日葵が揺れるさまは、ロレッタに挨拶をしているようだった。

「花を愛でるには良い時期よね」

 ロレッタの隣に座るミッシェルも、窓の外に広がる花の競演を楽しんでいた。海を渡る風は、少しひんやりとして、ロレッタには寒いくらいだった。

「お母様。お医者様って」

 ロレッタは視線は外に向けたままミッシェルに尋ねる。自分を治すことができると母は断言した。何故そんな事が言えるのか。ロレッタ自身、もう先は無いと思っているからだ。
 自分の体は自分が一番分る。このままいけばベッドで寝たきりになるのは見えている。寝たきりになればその先はすぐだろう。死んだらクルツに会えると思えば、死は怖くはなかった。

「んー、そろそろかしらね」

 馬車は花畑の端にある一軒の屋敷の前に停まった。リッチモンド家の屋敷からはゆっくり走った馬車で二十分という所で、リッチモンド領の中心都市の外れに位置していた。
 大きくもないが小さくもない。二階建てで古い屋敷に見えるが外観は綺麗だ。直したのかもしれない。ここに医者がいるのだろうか。ロレッタはそんな事を思った。
 御者が降りてきてドアを開けると同時に、屋敷の中から一人の男性が小走りで駆けてきた。ロレッタは駆け寄る彼を見て、目を見開いた。

「さ、降りるわよ」

 ミッシェルに支えられ、よろよろと立ち上がり扉の前に立ったロレッタの目の前には、会いたかった彼の驚く姿があった。いつものきつそうで無表情な顔ではなく、ロレッタを見て驚いて口を開け放っている、ちょっと間抜けな顔だった。
 早く降りて飛びつきたかったが足が言う事を聞いてくれない。もどかしさが爆発しそうだった。ガクガクと震える足をどうにか動かそうとした時に、彼が手を差し出してきた。震える手で彼の手を掴む。日に焼けたのか、ちょっと黒くなった彼の顔がにっこりと微笑んだ。眼鏡の奥の青い瞳は緩い弧を描き、ロレッタを迎えてくれている。
 ロレッタは迷わず彼に軽くなってしまった体重を預ける。ぐいと腕が引かれ、そのまま彼が抱きとめてくれた。ロレッタが崩れ落ちない様、彼はしっかりと抱きしめてくれる。硬い胸に顔をうずめると日向の匂いが鼻をくすぐる。ロレッタはなけなしの力で彼を抱きしめた。

「ごめんなさい……迷惑かけてごめんなさい……でも、会いたかったの……会いたかったの!」

 言いたかった言葉よりも、涙と想いが零れ落ちていった。そんなロレッタを慮ったのか、彼はロレッタの頭に頬を摺り寄せ「大丈夫です。怒ってなんかいませんよ」と優しい声で慰めてくる。その事が余計にロレッタの涙の源になってしまう。

「うわぁぁ」

 ロレッタは言葉にならない叫びをあげ、泣き崩れた。
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