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 足湯にゆったりと浸かり、贅沢な時間を満喫した理仁と琴葉はその場を後にすると予約している宿へと車を走らせた。

 もう少し車を走らせた所にある老舗の旅館である。
 全室部屋に露天風呂が付いており、露天風呂に入りながら眼下に広がる素晴らしい景色を楽しむ事が出来る場所だ。
 これが紅葉が綺麗な秋頃の時期であればきっともっと楽しめただろう、と理仁は考えてしまう。夏場の今は、東京よりは確かに幾許か涼しいがそれでも真夏の八月は流石に暑い。

「あ、あれかな……」

 助手席に座っている琴葉がぽつり、と呟いたのが聞こえる。
 視線の先には今日理仁達が泊まる宿が見えてきて、視界に入ると何処か気分が高揚してくる。

「──あれですね」

 琴葉の言葉に理仁が返事をして、宿の駐車場に車を止めるとトランクから荷物を取り出す。
 荷物を持って宿へと入り、フロントで受付をすると鍵を渡される。

「じゃあ荷物置きに行きましょうか」
「そうですね! 荷物を置いたら館内にあるお土産屋さんとか見に行きませんか?」
「あ、それいいですね。小腹も空いたし何か腹に入れる物も買いましょうか」

 夕飯の時間までまだ少し時間がある。
 先程の足湯の場所でドリンク以外も頼む事が出来たので何か頼んでおけば良かった、と理仁が後悔していると隣を歩く琴葉がエレベーターのボタンを押して到着を待つ。

「折角旅行に来たのでコンビニで買うのはちょっとな、と思っちゃいますよね」
「そうそう、そうなんですよ。折角だし土地の物食べたいですよね」

 エレベーターが来るまでの間、理仁と琴葉二人で談笑しているとエレベーターが到着する。
 開くドアの前を開けて待っていると、ゆっくりと開くドアの向こうに誰かが乗っている姿が見える。
 他の宿泊客が外出でもするんだろう。

 理仁と琴葉が避けて待っていると、開ききったエレベーターのドアから年配の女性が降りて来た。



「──え、」

 年配の女性はエレベーターから降りると、そのまま理仁の琴葉の横を通り過ぎて歩いて行く。
 その年配の女性が降りて来た時、理仁は何の気なしにその女性にちらり、と視線を向けた。
 そうしたら、その女性も理仁に視線を向けたのだろう。ぱちり、と視線が合ってしまい理仁はその女性の顔を見た瞬間に「見覚えがある」と感じた。

 まるで理仁がそう考えるのを分かっていたかのようにその女性は理仁と視線を合わせたまま口元をにんまりと笑みの形に変えた。



 ──お兄さん、階段には気を付けてねえ

 理仁の頭に、何故かその年配の女性の声が蘇る。
 年配の女性と会った事など無い筈なのに何故か理仁は頭の中に蘇ったその声が擦れ違ったその年配の女性の声だ、と「分かった」

「──……っ」

 その瞬間、理仁は頭の中に様々な映像が流れ始め顔を顰めた。

「大隈さん?」

 理仁がエレベーターに乗り込まない事に疑問を持ったのだろう。
 琴葉が不思議そうに理仁に話し掛ける。

 だが、理仁は琴葉に言葉を返す余裕など無く、次々と流れ込む映像にその場に膝を着いてしまった。

「えっ、大隈さん、大丈夫ですか……っ!」

 琴葉の言葉を何処か遠くに聞きながら、理仁は琴葉との出会った時の事や、会社で仕事をしている時、会社の社員旅行で箱根旅行にやって来た事などを思い出す。

 そうして。

 琴葉が、マンションの階段で男性と言い争っている映像が頭の中に浮かび、階段から落ちる自分を思い出したのだった。
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