素直になれない皇女の初恋は実らない

高瀬船

文字の大きさ
45 / 54

45

しおりを挟む

シェリナリアは馬車の扉を閉めた後、カイルの向かいの座席に腰を下ろすと横たわるカイルの顔をじっと見詰める。

矢尻に塗布された麻痺毒は、矢尻の面積も狭く麻痺毒の量も少なかったのだろう。
若干顔色が悪い程度で済んでいるカイルに、シェリナリアはほっと安心から息を吐き出すと、カイルの前髪をそっと自分の指先で避けてやる。

すると、自分に触れる指先に反応したのか、瞼を閉じていたカイルがふ、と瞼を開いた。

医師から渡された解毒薬には、眠りを誘う作用もある、と聞いていた為シェリナリアはカイルは寝てしまっている物と考えていた。
だが、シェリナリアの指先がカイル自身の髪の毛を払った感触にパチリ、と瞳を開いた所を見るとカイルは寝ていなかったようだ。

シェリナリアはじっとカイルに見詰められ、今し方自分が取った行動を思い出し、僅かに頬を染めた。
意識が無い人間に不躾に触れるなど、あってはならない事だ。

カイルが不快感に表情を歪めていたらどうしよう、と焦りながらシェリナリアはカイルに向かって唇を開く。

「ご、ごめんなさいカイル……。前髪が邪魔になるかと思って勝手に触れてしまったわ。もう触らないから安心して寝てちょうだい」

シェリナリアの心の中は盛大に慌てふためいていたが、その様子を必死に隠して微笑みを浮かべながらカイルにそう伝える。
シェリナリアの言葉を横たわりながら聞いていたカイルは、先程自分の前髪に触れたシェリナリアの指先を視線で追うと、ゆったりと自分の腕を持ち上げた。

「──カイル?何か欲しい物があれば用意するわよ?」
「いえ、……。皇女様の指先が……冷たくて、気持ち良かったので……」
「……っ、!」

瞳を細めて微笑むカイルに、シェリナリアは息を呑むと躊躇いがちに自分の腕を持ち上げてカイルに近付ける。

「そ、そう……?熱でも出てしまっているのかしらね?私の手が役に立つなら……何処にあててればいいかしら?」

務めて冷静に、護衛の主として不自然にならないようにゆったりと心が凪いでいるような表情を作り出し、シェリナリアはカイルに向かってそう口にする。
すると、カイルは麻痺毒が回っていると言うには些かしっかりと、力強くシェリナリアの手のひらを自分の手のひらで掴むとじっとシェリナリアを見詰める。

「──頬、に……」
「頬ね……?分かったわ」

バクバクと心臓が変な音を立てて暴れ回っているが、シェリナリアはその動揺をおくびにも出さないでそのまま自分の手のひらをぺたり、とカイルの頬に当てる。

シェリナリアの手のひらが冷たくて気持ちいいのだろうか。
カイルは猫のように瞳を細めると、口元が笑みの形を作る。

「冷たくて、気持ちいいです。ありがとうございます、シェリナリア様……」
「ええ、良かったわ。──え、?」

安心したように瞳を閉じたカイルに、シェリナリアはうんうんと頷き、返事をしてからカイルの言葉に違和感を感じて小さく声を出してしまう。

シェリナリアの声に、カイルは反応する事は無く、今度こそ眠ってしまったのか。
シェリナリアがぽかん、と自分の口を薄く開け呆気に取られたような表情でカイルを見詰める。

(今、カイルは私の名を……?)

幼少時は、シェリナリアのお転婆な行動に焦って名前を呼んで静止する事もあった。
それがいつからか一切名前を呼ばれる事が無くなって、カイルからはいつも皇族として、皇女と呼ばれていた。

シアナなんかは、未だに二人きりの時等は名前を呼んでくれる事はあるが、いつからかカイルからは一切自分の名前を呼ばれなくなってしまい、シェリナリアはその事に気付いた時は静かに泣いてしまった事もある。
カイルからしっかりとした線引きをされたような気がして、皇族としての自分にしか価値が無いのだ、と思っていたのに。

それなのに、今カイルはシェリナリアの名を呼んでくれたのだ。
薬で意識が朦朧としていたからかもしれないが、確かにシェリナリアの名前を呼んだ。

(──もう、名前何て忘れてしまったのかも、と思っていたのに……)

皇族の名前を忘れる等、カイルのような真面目な者がする事は無いと分かってはいたが、シェリナリアはカイルの徹底した皇族と護衛、と言う関係性に何度も心を打ちのめされていた。

(カイルに、私の名前なんて二度と呼ばれないかと思っていたのに……)

シェリナリアは自分の口元がむずむずしてくるのを隠すように、カイルから顔を逸らす。

カイルが目を覚まして、喜んでいる自分を見られてしまうのは避けたい。

名前一つで喜んで、情けない表情を晒していると知られれば、カイルをがっかりさせてしまう、とシェリナリアは考え、必死に表情を元に戻そうとカイルから顔を逸らしていた。

だから、シェリナリアにも気付かなかった。

カイルの髪の毛から薄らと覗く両耳が、赤く染まっている事に。
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

悪役令嬢として断罪? 残念、全員が私を庇うので処刑されませんでした

ゆっこ
恋愛
 豪奢な大広間の中心で、私はただひとり立たされていた。  玉座の上には婚約者である王太子・レオンハルト殿下。その隣には、涙を浮かべながら震えている聖女――いえ、平民出身の婚約者候補、ミリア嬢。  そして取り巻くように並ぶ廷臣や貴族たちの視線は、一斉に私へと向けられていた。  そう、これは断罪劇。 「アリシア・フォン・ヴァレンシュタイン! お前は聖女ミリアを虐げ、幾度も侮辱し、王宮の秩序を乱した。その罪により、婚約破棄を宣告し、さらには……」  殿下が声を張り上げた。 「――処刑とする!」  広間がざわめいた。  けれど私は、ただ静かに微笑んだ。 (あぁ……やっぱり、来たわね。この展開)

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

【完結】悪役令嬢だったみたいなので婚約から回避してみた

22時完結
恋愛
春風に彩られた王国で、名門貴族ロゼリア家の娘ナタリアは、ある日見た悪夢によって人生が一変する。夢の中、彼女は「悪役令嬢」として婚約を破棄され、王国から追放される未来を目撃する。それを避けるため、彼女は最愛の王太子アレクサンダーから距離を置き、自らを守ろうとするが、彼の深い愛と執着が彼女の運命を変えていく。

彼は亡国の令嬢を愛せない

黒猫子猫
恋愛
セシリアの祖国が滅んだ。もはや妻としておく価値もないと、夫から離縁を言い渡されたセシリアは、五年ぶりに祖国の地を踏もうとしている。その先に待つのは、敵国による処刑だ。夫に愛されることも、子を産むことも、祖国で生きることもできなかったセシリアの願いはたった一つ。長年傍に仕えてくれていた人々を守る事だ。その願いは、一人の男の手によって叶えられた。 ただ、男が見返りに求めてきたものは、セシリアの想像をはるかに超えるものだった。 ※同一世界観の関連作がありますが、これのみで読めます。本シリーズ初の長編作品です。 ※ヒーローはスパダリ時々ポンコツです。口も悪いです。 ※新作です。アルファポリス様が先行します。

初恋にケリをつけたい

志熊みゅう
恋愛
「初恋にケリをつけたかっただけなんだ」  そう言って、夫・クライブは、初恋だという未亡人と不倫した。そして彼女はクライブの子を身ごもったという。私グレースとクライブの結婚は確かに政略結婚だった。そこに燃えるような恋や愛はなくとも、20年の信頼と情はあると信じていた。だがそれは一瞬で崩れ去った。 「分かりました。私たち離婚しましょう、クライブ」  初恋とケリをつけたい男女の話。 ☆小説家になろうの日間異世界(恋愛)ランキング (すべて)で1位獲得しました。(2025/9/18) ☆小説家になろうの日間総合ランキング (すべて)で1位獲得しました。(2025/9/18) ☆小説家になろうの週間総合ランキング (すべて)で1位獲得しました。(2025/9/22)

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

奪った代償は大きい

みりぐらむ
恋愛
サーシャは、生まれつき魔力を吸収する能力が低かった。 そんなサーシャに王宮魔法使いの婚約者ができて……? 小説家になろうに投稿していたものです

冷徹公爵の誤解された花嫁

柴田はつみ
恋愛
片思いしていた冷徹公爵から求婚された令嬢。幸せの絶頂にあった彼女を打ち砕いたのは、舞踏会で耳にした「地味女…」という言葉だった。望まれぬ花嫁としての結婚に、彼女は一年だけ妻を務めた後、離縁する決意を固める。 冷たくも美しい公爵。誤解とすれ違いを繰り返す日々の中、令嬢は揺れる心を抑え込もうとするが――。 一年後、彼女が選ぶのは別れか、それとも永遠の契約か。

処理中です...