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しおりを挟むシェリナリアは馬車の扉を閉めた後、カイルの向かいの座席に腰を下ろすと横たわるカイルの顔をじっと見詰める。
矢尻に塗布された麻痺毒は、矢尻の面積も狭く麻痺毒の量も少なかったのだろう。
若干顔色が悪い程度で済んでいるカイルに、シェリナリアはほっと安心から息を吐き出すと、カイルの前髪をそっと自分の指先で避けてやる。
すると、自分に触れる指先に反応したのか、瞼を閉じていたカイルがふ、と瞼を開いた。
医師から渡された解毒薬には、眠りを誘う作用もある、と聞いていた為シェリナリアはカイルは寝てしまっている物と考えていた。
だが、シェリナリアの指先がカイル自身の髪の毛を払った感触にパチリ、と瞳を開いた所を見るとカイルは寝ていなかったようだ。
シェリナリアはじっとカイルに見詰められ、今し方自分が取った行動を思い出し、僅かに頬を染めた。
意識が無い人間に不躾に触れるなど、あってはならない事だ。
カイルが不快感に表情を歪めていたらどうしよう、と焦りながらシェリナリアはカイルに向かって唇を開く。
「ご、ごめんなさいカイル……。前髪が邪魔になるかと思って勝手に触れてしまったわ。もう触らないから安心して寝てちょうだい」
シェリナリアの心の中は盛大に慌てふためいていたが、その様子を必死に隠して微笑みを浮かべながらカイルにそう伝える。
シェリナリアの言葉を横たわりながら聞いていたカイルは、先程自分の前髪に触れたシェリナリアの指先を視線で追うと、ゆったりと自分の腕を持ち上げた。
「──カイル?何か欲しい物があれば用意するわよ?」
「いえ、……。皇女様の指先が……冷たくて、気持ち良かったので……」
「……っ、!」
瞳を細めて微笑むカイルに、シェリナリアは息を呑むと躊躇いがちに自分の腕を持ち上げてカイルに近付ける。
「そ、そう……?熱でも出てしまっているのかしらね?私の手が役に立つなら……何処にあててればいいかしら?」
務めて冷静に、護衛の主として不自然にならないようにゆったりと心が凪いでいるような表情を作り出し、シェリナリアはカイルに向かってそう口にする。
すると、カイルは麻痺毒が回っていると言うには些かしっかりと、力強くシェリナリアの手のひらを自分の手のひらで掴むとじっとシェリナリアを見詰める。
「──頬、に……」
「頬ね……?分かったわ」
バクバクと心臓が変な音を立てて暴れ回っているが、シェリナリアはその動揺をおくびにも出さないでそのまま自分の手のひらをぺたり、とカイルの頬に当てる。
シェリナリアの手のひらが冷たくて気持ちいいのだろうか。
カイルは猫のように瞳を細めると、口元が笑みの形を作る。
「冷たくて、気持ちいいです。ありがとうございます、シェリナリア様……」
「ええ、良かったわ。──え、?」
安心したように瞳を閉じたカイルに、シェリナリアはうんうんと頷き、返事をしてからカイルの言葉に違和感を感じて小さく声を出してしまう。
シェリナリアの声に、カイルは反応する事は無く、今度こそ眠ってしまったのか。
シェリナリアがぽかん、と自分の口を薄く開け呆気に取られたような表情でカイルを見詰める。
(今、カイルは私の名を……?)
幼少時は、シェリナリアのお転婆な行動に焦って名前を呼んで静止する事もあった。
それがいつからか一切名前を呼ばれる事が無くなって、カイルからはいつも皇族として、皇女と呼ばれていた。
シアナなんかは、未だに二人きりの時等は名前を呼んでくれる事はあるが、いつからかカイルからは一切自分の名前を呼ばれなくなってしまい、シェリナリアはその事に気付いた時は静かに泣いてしまった事もある。
カイルからしっかりとした線引きをされたような気がして、皇族としての自分にしか価値が無いのだ、と思っていたのに。
それなのに、今カイルはシェリナリアの名を呼んでくれたのだ。
薬で意識が朦朧としていたからかもしれないが、確かにシェリナリアの名前を呼んだ。
(──もう、名前何て忘れてしまったのかも、と思っていたのに……)
皇族の名前を忘れる等、カイルのような真面目な者がする事は無いと分かってはいたが、シェリナリアはカイルの徹底した皇族と護衛、と言う関係性に何度も心を打ちのめされていた。
(カイルに、私の名前なんて二度と呼ばれないかと思っていたのに……)
シェリナリアは自分の口元がむずむずしてくるのを隠すように、カイルから顔を逸らす。
カイルが目を覚まして、喜んでいる自分を見られてしまうのは避けたい。
名前一つで喜んで、情けない表情を晒していると知られれば、カイルをがっかりさせてしまう、とシェリナリアは考え、必死に表情を元に戻そうとカイルから顔を逸らしていた。
だから、シェリナリアにも気付かなかった。
カイルの髪の毛から薄らと覗く両耳が、赤く染まっている事に。
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