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一章

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「な……っ、なん……っ」

 状況が理解出来ていないのだろう。
 リズリットはあわあわと慌てながらそろり、と自分の顔から手を退かし、キョロキョロと周りを見回す。

 そして、自分が馬車の座席に横になっている事に気が付き体を起き上がらせようとした所で、リズリットの側に居たハウィンツが素早くリズリットの背を支えて起き上がるのを手伝った。

「──すみません、私……絵画スクールで……」
「気にするな、リズリット。それより体調は? 気持ち悪いとか、気分が悪いとかは特に無いか?」
「え、ええ……。大丈夫です、お兄様」

 ハウィンツの心配そうな声にリズリットが返事をする。

「リズリット嬢が無事で良かった……」

 ぽつり、と零されたディオンの言葉にリズリットは慌ててディオンの方へと視線を向けるとぺこり、と頭を下げる。

「も、申し訳ございませんディオン卿……! 折角お忙しい中わざわざ足を運んで下さったのに、こんな事になってしまって……」
「俺の事は気にしないでいい。ハウィンツの言う通り、体調に変化はないか? 我慢せずに言ってくれ」
「だ、大丈夫です……!」

 先程までは気を失っていた事に驚き、状況を把握する事に必死だった為、ハウィンツとディオンの近さはそこまで気にならなかったが、兄であるハウィンツは兎も角、ディオンが近距離に居て、心配そうにリズリットに視線を送り続けている事にリズリットは今更ながら恥ずかしくなってしまいそっと不自然にならないようにディオンから視線を外した。

「リズリット。丁度邸に到着するから、もう少し横になっていなさい」
「ありがとうございます、お兄様。──ディオン卿も、ありがとうございます」

 ハウィンツは優しく瞳を細めてリズリットの頭を撫でるとやっと座席へと戻り、腰を下ろす。
 リズリットはハウィンツと同じく馬車の床に膝を付いていたディオンにもへにゃり、と柔らかい笑顔を浮かべるとお礼を告げた。

 ディオンは目尻を薄らと赤く染めながらハウィンツと同じく微笑みを浮かべてリズリットの頭をそっと優しく撫でてから座席へと戻った。






 程なくして馬車が邸の正門に到着し、ハウィンツは先に馬車から降りるとリズリットに手を貸そうとした所でまだ馬車内に残っていたディオンがひょこり、と馬車の扉から顔を出して唇を開いた。

「──ハウィンツ。リズリット嬢は俺が抱えて連れて行くからハウィンツは先に邸に戻った方がいいんじゃないか?」
「は?」
「え、?」

 ディオンの言葉に、外に居たハウィンツの声と、馬車内に残っていたリズリットの声が重なる。

「いやいやいや。それは申し訳ないし、リズリットは俺が手を貸すから大丈夫だ」
「だが、医者の手配や、邸の使用人にリズリット嬢の体調を告げたりしなくてはだろう? それにマーブヒル伯爵にも報告した方が良い。邸の玄関までは俺がリズリット嬢を連れて行くから気にするな」
「いや、そう言って貰えるのは有難いが──」
「それに、俺は鍛えているから大丈夫だが、騎士では無いお前が人一人抱き上げて歩くのは大変だと思うが……?」
「──ぐっ」

 ディオンから至極真っ当な意見を言われて、ハウィンツは思わず言葉に詰まってしまう。
 確かに、リズリットに起きた事柄を自分の父親であるマーブヒル伯爵に報告しなくてはいけないし、医者の手配や使用人達への周知も必要だ。

 ハウィンツは諦めたように溜息を吐き出すと、自分の後頭部をがりがり、と乱雑にかいてディオンにキッと鋭い視線を向けて唇を開いた。

「リズリットをしっかり、安全に邸の玄関まで連れて来てくれよ……!」
「勿論だ」

 ハウィンツの言葉に即答したディオンに、「ああもう!」とハウィンツは言葉を零しながら早足で邸の方へと向かって行ってしまう。

「え……っ、あっ」

 リズリットは、馬車の座席に上半身を起こした状態のまま、頬を赤く染めてハウィンツとディオンへと視線を行ったり来たりとさせてしまう。

 自分を運ぶ、と言っていただろうか、とリズリットは先程のディオンの言葉を頭の中で思い出してしまい益々頬を染めてしまう。

「ディ、ディオン卿……! 大丈夫です、目が覚めて時間も経っておりますし、自分の足で歩けます……!」
「……いや、もし途中でリズリット嬢が転倒してしまったり、気分が悪くなって倒れてしまっては大変だ。俺に触れられるのは嫌かもしれないが……少しの距離だから耐えてくれないか……?」

 悲しそうに眉を下げて微笑むディオンに、リズリットはそんな表情をさせてしまってはいけない、と混乱する頭で考えるとぶんぶんと首を横に振る。

「と、とんでもございません……っ! その、ディオン卿に手助けして頂けるのはとても、その……っ、嬉しいです……」
「──そうか! それならば良かった……。それでは失礼するぞ……?」

 リズリットは、恥ずかしさの余り真っ赤になった自分の顔を再び隠すように両手で覆う。

 ディオンが自分が座っていた座席から立ち上がる気配がして、馬車の御者に何やら指示をしている声が聞こえる。

 そして、リズリットの直ぐ側でディオンの気配がして、次の瞬間ふわり、と自分の体が抱き上げられた。

「馬車の扉は両方開けて貰ったが、狭いから体を寄せて貰ってもいいだろうか?」
「は、はい……っ!」

 リズリットはディオンの声に直ぐさま返事を返すと、ディオンの首に自分の腕を回して体を寄せる。
 リズリットが行動した瞬間、びくっ、とディオンの体が一瞬強ばったように感じたが、リズリットはそれ所ではなくて瞳をぎゅうっと瞑って恥ずかしさに耐える。

 ディオンは、先日ハウィンツを運んだ時のように銀狼の精霊にリズリットを運ばせる事も考えたがその考えを一瞬で頭の外に弾き出すとリズリットを抱く腕に力を込めて引き寄せ、ゆっくりと邸の玄関へと向かって歩き始めた。
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