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第二章 天正十一年十二月二十日
五 貝塚本願寺
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紀州街道は、貝塚寺内町の北側出入り口である上方口から寺内町の中を通り、南側の紀州口に至る。上方口には門番がいたが、孫一郎にはあまり緊張感は感じられなかった。街道と重なる大通りを進み、左側に折れる三つ目の角を曲がると、そこが貝塚寺内町の中心、貝塚本願寺である。
山門の前に、参道を箒で掃除している男が一人立っていた。年の頃なら四十あたりか。すらりとした長身で、月代は剃らないものの髷は結い、腰に刀を差してはいないが武家を思わせる物腰である。だが話しかけやすさというものからは、極めてほど遠い。誰も山門から入れないために、嫌がらせとして立っているのではないかと疑ってしまうほど、声をかけにくい相手だった。
孫一郎たち三人が山門の前に立って、もうだいぶ経っている。なのにこの男は話しかけてくる様子もなく、まるで知らぬ顔をしているのだ。これでは埒が明かない。孫一郎は自分から声をかける事にした。
「あ、あの」
男が掃除の手を止めて孫一郎の顔を見た。だがそれだけだ。
「あの、ここは本願寺さまでしょうか」
「左様ですが」
やっと口を開いた。だが、それ以上男は口を開かない。それどころか視線を外してまた箒で掃き始めてしまった。孫一郎が再び声をかける。
「えっと、あの、本願寺さまにお願いがあって参ったのですが」
ここで男は、やれやれといった風にため息を一つ吐くと、眉間にしわを寄せ、ちょっと面倒臭そうに孫一郎にたずねた。
「何用でしょうか」
「あ、はい。まずは我が主君よりの、この書状を顕如さまにお渡し願いたいのですが」
孫一郎は肩に担いだ荷物の中から書状を取りだし、男に渡した。男は受け取ると、しばし書状を眺めてから孫一郎にたずねた。
「顕如さまにお会いになりたいと」
「いえいえいえ、とんでもない!」
慌てて孫一郎は両手を振った。
「この書状は主君よりのご挨拶ですので、これさえお渡し頂ければ、それがしはそれで」
「そうですか。それは助かりました」
その言葉に孫一郎は首をひねる。
「あ、あのう、助かるというのは」
「私は顕如さまに客人を取り次げる立場ではありませんので、無理を言われたらどうしようかと思っていたのですが、いやあ助かりました」
「あの、顕如さまのお世話をされている方ではないのですか」
「誰がそんな事を言いましたか」
確かに、誰もそんな事は一言も言っていない。
「ああ……そうなんですね」
「他には用はないのですね。それでは」
その口調は明らかに会話を断ち切る気満々であった。
「いや、ちょっと待ってください! あと一つ。誰か、この娘を見知ってそうな方に心当たりはございませんか。おそらく近在の村か町の娘だと思うのですが」
口の利けぬ少女は目をそらし、うつむいている。男は露骨に面倒臭そうな顔をした。
「それはまた難しい注文ですね」
「そ、そんなに難しいでしょうか」
孫一郎の言葉に対して、男は言い切った。
「私はこう見えて人付き合いが大っ嫌いなもので、知り合いと呼べる者がまるで居りません」
「……へ?」
「ですからそれは、他の顔の広い方にでも当たってもらうしかありませんね」
いや、それならつまり。
「えーっと、ならばどなたなら顔が広いのでしょうか」
その問いに対する答えは簡潔であった。
「知り合いが居ないのに、わかる訳ないでしょう」
孫一郎は頭を抱えた。そこに。
「海塚殿。客人がお見えですかな」
山門の奥から現れたのは、身の丈六尺はあろうかと思われる巨漢。禿頭に袈裟を身につけていなければ、相撲取りか何かと思ったろう。
海塚と呼ばれた男は、ポンと手を打った。
「あ、居ましたね、顔の広い人が」
「はて、顔がどうかしましたか」
巨漢の僧は白く長い眉毛を揺らして、にんまりと笑顔を作った。
山門の前に、参道を箒で掃除している男が一人立っていた。年の頃なら四十あたりか。すらりとした長身で、月代は剃らないものの髷は結い、腰に刀を差してはいないが武家を思わせる物腰である。だが話しかけやすさというものからは、極めてほど遠い。誰も山門から入れないために、嫌がらせとして立っているのではないかと疑ってしまうほど、声をかけにくい相手だった。
孫一郎たち三人が山門の前に立って、もうだいぶ経っている。なのにこの男は話しかけてくる様子もなく、まるで知らぬ顔をしているのだ。これでは埒が明かない。孫一郎は自分から声をかける事にした。
「あ、あの」
男が掃除の手を止めて孫一郎の顔を見た。だがそれだけだ。
「あの、ここは本願寺さまでしょうか」
「左様ですが」
やっと口を開いた。だが、それ以上男は口を開かない。それどころか視線を外してまた箒で掃き始めてしまった。孫一郎が再び声をかける。
「えっと、あの、本願寺さまにお願いがあって参ったのですが」
ここで男は、やれやれといった風にため息を一つ吐くと、眉間にしわを寄せ、ちょっと面倒臭そうに孫一郎にたずねた。
「何用でしょうか」
「あ、はい。まずは我が主君よりの、この書状を顕如さまにお渡し願いたいのですが」
孫一郎は肩に担いだ荷物の中から書状を取りだし、男に渡した。男は受け取ると、しばし書状を眺めてから孫一郎にたずねた。
「顕如さまにお会いになりたいと」
「いえいえいえ、とんでもない!」
慌てて孫一郎は両手を振った。
「この書状は主君よりのご挨拶ですので、これさえお渡し頂ければ、それがしはそれで」
「そうですか。それは助かりました」
その言葉に孫一郎は首をひねる。
「あ、あのう、助かるというのは」
「私は顕如さまに客人を取り次げる立場ではありませんので、無理を言われたらどうしようかと思っていたのですが、いやあ助かりました」
「あの、顕如さまのお世話をされている方ではないのですか」
「誰がそんな事を言いましたか」
確かに、誰もそんな事は一言も言っていない。
「ああ……そうなんですね」
「他には用はないのですね。それでは」
その口調は明らかに会話を断ち切る気満々であった。
「いや、ちょっと待ってください! あと一つ。誰か、この娘を見知ってそうな方に心当たりはございませんか。おそらく近在の村か町の娘だと思うのですが」
口の利けぬ少女は目をそらし、うつむいている。男は露骨に面倒臭そうな顔をした。
「それはまた難しい注文ですね」
「そ、そんなに難しいでしょうか」
孫一郎の言葉に対して、男は言い切った。
「私はこう見えて人付き合いが大っ嫌いなもので、知り合いと呼べる者がまるで居りません」
「……へ?」
「ですからそれは、他の顔の広い方にでも当たってもらうしかありませんね」
いや、それならつまり。
「えーっと、ならばどなたなら顔が広いのでしょうか」
その問いに対する答えは簡潔であった。
「知り合いが居ないのに、わかる訳ないでしょう」
孫一郎は頭を抱えた。そこに。
「海塚殿。客人がお見えですかな」
山門の奥から現れたのは、身の丈六尺はあろうかと思われる巨漢。禿頭に袈裟を身につけていなければ、相撲取りか何かと思ったろう。
海塚と呼ばれた男は、ポンと手を打った。
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「はて、顔がどうかしましたか」
巨漢の僧は白く長い眉毛を揺らして、にんまりと笑顔を作った。
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