強請り屋 悪魔の羽根顛末

柚緒駆

文字の大きさ
1 / 19

五味民雄

しおりを挟む
 チャレンジ二日目。

 六時十六分にセットした、スマホのアラームで目覚める。七時になれば母さんが起こしに来る。それまでの間、キャプテンに指定された動画を見なければならない。たぶん映画なのだろうとは思うけれど、人が殺されてバラバラにされる映像。グロい。気持ち悪い。こういうのはあんまり好きじゃない。でも見ないと。

 左の腕がちょっと痛い。Tシャツをめくって見たら、赤く腫れ上がっている。昨日コンパスの針で彫った616の文字。でもキャプテンは褒めてくれた。

「クズ同然の醜いおまえに残った最後の勇気だ」

 別に勇気なんて必要なかったと思う。でももしかしたら、私にも勇気があるのかな。これくらいのちょっとした勇気で見られるのかな。

 いつか、悪魔が。

 ◆ ◆ ◆


 その男は髪を綺麗に七三に分け、紺色のスーツに黒い革靴、黒いカバンで、警察官というよりは安物の銀行員に見えた。

「県警財務課の清水と申します。鹿沼敏一さんのお母様でいらっしゃいますね」

 玄関先に立つ鹿沼トシ江は、沈痛な面持ちでその白髪頭を深く下げた。

「どうも、息子がご迷惑をおかけして」
「いえいえ、私は仕事ですので」

 トシ江は顔を上げると、その若い警察官の顔をのぞき込むように見た。

「あの、息子はいま」
「はい、敏一さんは現在取調中です。まあ逃亡のおそれもないようですので、じきに釈放されると思いますよ」

「あの、それで息子が轢いてしまった方は」
「私は直接の担当ではないので詳しいことはわかりませんが、いま病院にいるそうです。全治三ヶ月くらいだそうで」

 敏一はトシ江が三十五を過ぎて初めて授かった一人息子であった。夫と死別した後、親一人子一人で、三十余年一心同体で暮らして来た大事な息子なのだ。その息子の不始末は、母親の自分が片を付けなければならない。そう固く信じていた。だから息子から電話がかかって来たとき、その話の内容を疑う気持ちなどまるでなかった。

「あの、被害者の方に謝罪にうかがいたいのですが、病院を教えて頂けませんか」
「そうですね、手続きが終了しましたら、また警察の方から連絡が行くと思いますので」

 清水と名乗った警察官は、作り笑いを顔に貼り付け、大きくうなずいた。その笑っていない冷たい目はトシ江の両手に握られた封筒を見つめている。トシ江は少し躊躇しながら、その封筒を差し出した。

「ではあの、これ、三百万円入っています」
「はい、うかがっております」

「あの、本当にこのお金で」
「ええ、先方は規定の示談金さえお支払い頂けるなら、息子さんを訴えることはしないと約束されています。これで敏一さんには前科がつかないはずです」

 それを聞いてトシ江の目には涙が浮かんだ。そして再び頭を下げながら、封筒を清水に手渡した。

「どうか、息子をよろしくお願い致します」
「はい、確かにお預かり致しました。領収証をお渡ししておきます。県警の連絡先もこちらに書いてございますので、何かありましたら」

 そして清水はカバンに分厚い封筒を入れると、そそくさと背を向け歩いて行く。少し離れた路肩に停められた白いセダンにその背中が乗り込むまで、トシ江は見送り続けた。


 清水の運転するセダンは路地から国道に出るとすぐに右折し、角のコンビニの駐車場に入った。そしてスマホを取り出す。

「もしもし、オレ。受け取り完了。三百。それじゃ」

 短い通話を終えると、清水は再び車を出そうとした。そのとき。ルームミラーに映る後部座席に突然人影が現われた。隠れていたのか、慌てて振り向こうとした清水の首が、後ろから鷲づかみにされた。

「騒ぐんじゃねえよ、お巡りさん」

 低い声がつぶやいた。

「あんた県警の財務課の人なんだろ。さっき婆さんと喋ってるの聞いてたよ。心配すんなって。俺だって警官に手出すほど馬鹿じゃねえよ。まあ、アンタが本物の警官ならの話だけどな」

 清水は身体の動きを止め、ルームミラーを凝視した。年の頃は三十そこそこか。ボサボサの髪に無精髭を生やし、ヨレヨレのグレーのスーツに黒いネクタイを締めた男が一人。

「……おまえ、何だ。何のつもりだ」

 ようやく声を絞り出した清水に、男はミラーの中でニヤニヤ笑った。

「金だよ。金を出しな」
「金?」

「だから心配すんなって。有り金全部渡せって訳じゃない。一割だ。三十万よこせ」
「何ふざけて」

 首を絞める男の手に力が入った。男は清水の耳元でささやく。

「ふざけちゃいねえよ。嫌ならこのまま警察呼ぶだけだ。どっちがいい。パクられて金も手に入らずに、仲間の報復にビクビクすんのと、三十万払ってここから逃げるのと。どうせおまえの取り分、二割くらいはあるんだろ。だったらここで一割払っても、まだ残るじゃねえか。悪い事は言わねえよ。三十万払って仲間のところに戻りな。今後のためにもな」


 男が後部座席から降りると、清水の白いセダンは急発進し、狭い路地の奥に向かって走って行った。この先には県道がある。そっちに抜ける算段なのだろう。

「毎度あり」

 男は胸のポケットを叩きながら、笑顔で見送った。


 今日はラッキーだった。たまには銀行ものぞいてみるもんだ。まさかあんなネタが落ちてやがるとはな。

「近々土地の取引があるのよ」

 そう言いながら婆さんが窓口で金を下ろしていた。三百万円。別に不自然なところがあった訳じゃない。その程度の金額の土地取引も実際にあるだろうし、不動産はいまだに現金が幅を利かせる業界だ。当面入り用な金額が三百万でも、別段何の不思議もない。

 だがもし、あのセリフが誰かの指示だとしたら。そう思って俺は婆さんの後をつけてみた。そして家を見張っていたら、三十分と経たない間にあのニセ警官が来やがったって訳だ。

 何が財務課だよ。県警にそんな部署があるか。それに前科がつくとかつかないとか、いつから警察は裁判所になった。設定がボロボロじゃねえか。ま、俺としてはそういう間抜けな連中が増えてくれた方が有り難いのだが。

 しかし一日で、いや、ものの一時間で三十万か。働かないで手に入る金は旨味が違うな。今日はツイてる。もしかしたらラッキーカラーがグレーで、ラッキーアイテムが白いセダンで、ラッキーナンバーが三百だったりしたのかも知れない。今なら万馬券を買っても当たるんじゃねえか。目指せ貯蓄生活! 目指せ上流階級!

 ……なんてな。ちっとハシャギ過ぎだな。俺はガキとオカルトが大嫌いだ。ラッキー○○なんてものが本当にあるとは思っちゃいない。もし仮にそんなものがあるのなら、そいつはきっと裏側の見えないところに、タチの悪い不幸をくっつけてるに違いない。世の中なんて、どうせそんなもんだ。

 てな事を考えながら事務所に向かって歩いていると、路肩に停まった赤い軽自動車から女が下りてきて、笑顔で俺に手を振った。


「五味さーん。ちーっす」

 そう手を振る黒いスーツ姿の女は、身長が百七十五センチほどあるだろうか。俺よりも三センチほどデカい。靴は革のベタ靴である。長い手足も、短く切った赤っぽい髪も、通った鼻筋の周りのソバカスも、色素の薄い大きな瞳も、日本人的な雰囲気からはかけ離れている。これだけの容姿があれば、雑誌記者などやらなくても食って行けたはずだ。どこぞの歌劇団にでも入れば良かったろうに、と俺はいつも思う。

「なんだよササクマ」
「自分笹桑っすよ。いい加減名前覚えてくんないすか」

「冗談だ」
「そりゃまたわかりにくい冗談っすねえ」

「どうでもいいだろ。で、人の事務所の前で何か用か」

 俺は胸ポケットからタバコを取り出し、口にくわえた。

「ここ路上喫煙禁止エリアじゃなかったっすか」
「うるせえよ。用がないんなら帰れ」

 と言いながらライターを探していると、笹桑ゆかりがポケットからライターを取り出してタバコに火をつけた。にらんでやったが、笹桑は人懐っこい笑顔を返す。

「情報買ってくんないすか。今月イロイロと厳しくて」
「……内容によるな」

 俺は一口、煙を吸い込んだ。


 ◇ ◇ ◇

 五味さんはネットやります? まあやりますよね、いまどきネットやらないで探偵なんてできっこないんすから。いや、そのネットでいま問題になってるサイトがあるんすよ。どんなサイトだと思います? ああ、ハイハイもったいぶるのはやめます。一言で言っちゃうと『自殺サイト』なんす。

 まあ自殺サイトって言っても、サイトに「自殺はいいことだ!」とか書いてる訳じゃないんすよ。いや、それどころかほとんど何も書いてない。自分も実際見てみたんすけど、これといって何の説明もないんすよ。ただトップページに「死について語り合いましょう」的なメッセージが書いてあって、あとはメアドの登録欄があるだけで。メアドっすよ、いまどき。差別化なんすかね。

 そんで、自分なりにイロイロ調べてみたんすけど、どうやらここにメアド登録すると『キャプテン』てヤツからメールが来るみたいなんす。そのメールに『チャレンジ』っていう指示が書いてあって、それを毎日クリアするのが、仕事っていうかメンバーの義務みたいなんすよ。そうやってチャレンジをクリアし続けると……。

 これ、五味さんに言うのはアレかも知れないっすけど、見えるらしいんすよ。え、何がって? えーっと、その、何て言うか、悪魔が。

 いやいやいや、最後まで聞いてくださいよ。そんな顔しないで。別に自分が悪魔見た訳でも見たい訳でもないんすから。ただそういう噂がネットで一人歩きしてて、怖い物見たさって言うんすかね、若い子が結構たくさん登録してるって話なんすよ。

 でもそれで終わるんなら、単なる都市伝説と変わらないっすよね。どうせ名簿業者か何かがメアドを収拾するためにサイト作って噂を流して、それに引っかかったガキんちょがたくさんいた、ってだけの話かも知れないじゃないすか。

 ところがっすよ。先月の事っすけど、その、高校生が自殺したんすよ。マンションの屋上から飛び降りて。で、その子のSNSには最後の書き込みがあって、それが「悪魔を見た。さようなら」って一言だったんす。これがその自殺サイトの影響なんじゃないかって、いま話題になってるんすけど、いやいやいや、ちょっと待ってください。本題はこっからなんすから。

 その自殺した高校生の学校ってのが私立なんすけど、そこの理事長ってのが、実はあの、『ヤミシン』なんすよ。あれ、ヤミシン覚えてないっすか。去年すごい話題になりましたよね。『闇のシンデレラ』っすよ。ほら、大金持ちと結婚したら家族全員死んじゃって、財産独り占めしちゃったっていう。そうそう、製薬会社の未公開株買って疑惑になった、あのヤミシンが理事長なんすよ。これ何かあると思いません?

 え、怪しいなら何でうちで追わないかって? いやあ、この学校、顧問弁護士が出版関係に強い人らしくって、うちは腰が重いんすよ。新聞社系は動いてるって話もあるんすけどねえ。

 ◇ ◇ ◇


 話を聞き終わった俺は、しばらくタバコを鼻の先で動かした。頭をひねるときのいつもの癖だ。そして再び笹桑を横目でにらんだ。

「で、いくら欲しい」

 笹桑の笑顔がはじける。

「五万!」

 ぶん殴ってやろうかと思ったが、やめた。

「高すぎんだよ、三万にしとけ」
「ええーっ、自分イロイロ裏取るために頑張ったんすけど」

「新聞社系が動いてるネタなんだろ」
「まあ業界内では有名っすけど」

「だったら妥当だ馬鹿野郎。三万でも御の字だろうが。文句があるなら帰れ。二度と来るな」

 車から離れようとする俺の腕を、笹桑は引き留めた。

「あーん、もう! わかりました! わかりましたって!」
「最初からそう言え」

 俺は胸のポケットから万札を三枚抜き出すと、笹桑の目の前に突き出した。もちろん、元手はさっきオレオレ詐欺の受け子から奪った三十万だ。笹桑は残念そうな顔でそれを受け取ると、一つため息をついた。

「はあ、社会に出たばっかりの女の子が、こんなオジサンにオモチャにされて」
「誤解を招くようなこと言ってんじゃねえ。それよりも」

 俺は尻のポケットから取り出したヨレヨレの手帳にボールペンを構える。笹桑は面白そうにそれを見つめた。

「うわ、アナログっすね」
「ほっとけ。それより学校の名前教えろ」

「海蜃学園高等学校、あの海蜃館大学の系列校っす。それより自殺サイトの方はいいんすか」

 手帳を尻ポケットに戻したとき、俺はいわゆる苦虫を噛み潰したような顔だったろう。

「ガキとオカルトは大嫌いなんだよ」

 しかし笹桑は、俺の言葉に何かを思い出したようにたずねた。

「あ、でも五味さん、いまガキ飼ってるんすよね。歳とって丸くなったんじゃないかってみんな噂してますよ」
「あれはガキじゃねえ」

 俺はタバコの吸い殻を指で弾いた。火のついたままのそれが、笹桑の軽自動車の中に飛び込んで行く。

「ああーっ! 何するんすかーっ!」

 慌てて車のドアを開ける笹桑に背を向けた俺は、誰に聞かせるでもなく一言こうつぶやいた。

「ただの道具だ」
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

その人事には理由がある

凪子
ミステリー
門倉(かどくら)千春(ちはる)は、この春大学を卒業したばかりの社会人一年生。新卒で入社した会社はインテリアを専門に扱う商社で、研修を終えて配属されたのは人事課だった。 そこには社長の私生児、日野(ひの)多々良(たたら)が所属していた。 社長の息子という気楽な立場のせいか、仕事をさぼりがちな多々良のお守りにうんざりする千春。 そんなある日、人事課長の朝木静から特命が与えられる。 その任務とは、『先輩女性社員にセクハラを受けたという男性社員に関する事実調査』で……!? しっかり女子×お気楽男子の織りなす、人事系ミステリー!

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

【純愛百合】檸檬色に染まる泉【純愛GL】

里見 亮和
キャラ文芸
”世界で一番美しいと思ってしまった憧れの女性” 女子高生の私が、生まれてはじめて我を忘れて好きになったひと。 雑誌で見つけた、たった一枚の写真しか手掛かりがないその女性が…… 手なんか届くはずがなかった憧れの女性が…… いま……私の目の前にいる。 奇跡みたいな出会いは、優しいだけじゃ終わらない。 近づくほど切なくて、触れるほど苦しくて、それでも離れられない。 憧れの先にある“本当の答え”に辿り着くまでの、静かな純愛GL。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...