強請り屋 悪魔の羽根顛末

柚緒駆

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幕間劇 その一

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 これは昔々の、けれどそれほど昔ではない時代の話。

 昭和も四十年代に入り、外では大学紛争の嵐が吹き荒れている。だが名画座の闇の中には静謐があった。もちろん声はある。音楽もある。しかしそれらに満ちた空間は静寂以上に静かだった。

 ゲバ棒を振り回す馬鹿のおかげで大学が休講となったとき、芦則佐太郎が真っ直ぐ向かったのが、この映画館だった。いま上映されているのは『ガス燈』。二十年ほど前のハリウッド映画で――戦時中だ。そりゃあ日本も負ける訳だ――主演のイングリッド・バーグマンは、この作品でアカデミー賞を取っている。

 彼女の美しい横顔には、どことなくチャコ、肥田久子の面影があるように思えた。それはもしかしたら、自分の秘めた思いがそう見せているのかもしれない。芦則は脳裏に浮かんだその考えを打ち消した。それはない。いや、なくはないのかも知れないが、少なくともチャコから見た自分は、そんな存在ではないはずだ。考えるだけ馬鹿らしいというものである。

 芦則は頭を振って映画に集中した。センチメンタリズムに浸りたくて、何度もこの作品を観ている訳ではない。ここには自分の知りたいことがある。ただそれは、どちらかといえば心理学の世界の話で、いま学んでいる精神医学とは少し違う分野だと言えるのだが。

 正直なところ、芦則は心理学者になりたかった。だが親は精神科医となることを期待して大学に送ってくれたのだ。そのために学費も払ってくれている。期待を裏切る訳には行かないし、そもそも心理学者で飯を食える自信もない。でもせめて学生の間くらい、心理学をかじってもいいのではないか。それが最終的に無駄で無意味な知識となるにせよ、いまの自分には必要な物であると思えてならなかった。

 しかしそれにしても、スクリーンに大写しになるイングリッド・バーグマンは途方もなく美しい。それがたまらなく悲しい。芦則はいつの間にか涙を流していた。
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