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49話 シャナンの皇太子

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 シャナン王国のロンダリア王が襲撃され負傷したという話は帝国にも、さらにはうちの耳にまでも届いてる。前にルベロスとかいう殺し屋が占い師を襲って失敗したときには笑ってたボイディアの大将も、今回はさすがに不機嫌だ。

 何せアイメン・ザイメンに借りを作ってまで送り込んだ暗殺者のガライの行方がわからない。ガライには元締めも連絡が取れないようだからロンダリア王の負傷の程度も不明、もしかしたら暗殺に成功してるのに領主のグリムナント辺りが情報を操作している可能性だってある。

 ガライがルベロスのように捕まったり、もしくは殺された可能性については、元締めが強く否定してる。それはあり得ない話だと。でもそれなら何で連絡が取れないのか。大将が苛立つのも無理はない。

 すべてはあのルン・ジラルドとかいう女がきっかけらしい。何でそうなるのか理屈はわからないけど、あの女が敵に回ると大将の頭の中にある予言が効力を失うとか。実際、今回のことも大将の想定では暗殺が成功するはずだったのに、結果が変わってしまったようだ。

 ただ、大将にとって悪いことばかり起きてる訳じゃない。国王が負傷したのなら当分リアマールから動けないと判断したんだろう、アイメン・ザイメンを中心とした貴族連中が王宮政府に新しい王を擁立すべく動き出したと王国側から報告が上がってる。

 これでアイメン・ザイメンが摂政とかになれば、王国の実権はアイツが握ることになるし、戦争もすぐ起こるはずだ。

 一方の帝国内でもハンデラ・ルベンヘッテが中心になって「開戦の詔書しょうしょ」を書き上げたらしい。これに皇帝が署名すればいつでも王国に対して宣戦布告ができる。王国の動きが遅い場合、帝国側から戦争を始められるよう準備が着々と進んでいる訳だ。

 戦争が開始されるのは決定事項、もう避けようはないだろう。そして戦争に勝つのは……帝国だ。

 いや、正確にはボイディアの大将だ。

 アイメン・ザイメンもハンデラ・ルベンヘッテも、この戦争で帝国政府を倒し、弱小貴族を一掃し、皇帝を廃嫡させるつもりでいる。でもその目論見は失敗する。廃嫡に追い込まれるのは王国の方であり、帝国の聖女皇帝はボイディアの大将を後継者に指名するからだ。そして大将は王国領と帝国領の二つを合わせた統一帝国の初代皇帝の座に就く。

 大陸の列強は統一国家の誕生に驚くことだろう。驚け、いまのうち存分に驚いておくがいい。いずれ近い将来、大陸全土が席巻されるのは火を見るよりも明らか。そのときになって慌てて新帝国に恭順の意を示しても、時すでに遅しなのだ。

 もしこのまま事態が上手く運べば、ロンダリア王の生死に関わらず戦争は起こり、皇帝の座がボイディアの大将の手に転がり込むことで平和が戻る、なんて展開になるかも知れない。王の命なんぞ、元々その程度の価値しかないんだ。大騒ぎするほどのことはないと思うんだけどな。

 そんなことを考えながら、うちは郵便物を抱えて執事室から歩いていた。ほっとけば執事か下女が大将の部屋まで持ってくるけど、いまはすることもないし、大将に取って来いと言われる前に動いた方が仕事できるっぽくてイイじゃん。

 執事室のある離れと母屋の間には壁のない渡り廊下があって、外の風が入って来る。一抱えもある手紙やらの郵便物を持って渡り廊下を歩いていると、何かが足に当たった。目を向ければ、犬だ。金色の毛をした小型の犬。馬車にでも轢かれたんだろうか、傷だらけで苦しそうな息。どこから入ってきたんだろう。

 近くには厩舎きゅうしゃもあるし、声をかければ下男に聞こえるはずだ。処分を命じても良かったのだけど、何となくそれはやめておいた。暇だったこともあるのかも知れない。うちは犬の体を右足の甲に乗せ、ひょいっと持ち上げて右手でつかむ。

 とりあえず汚いから、風呂くらいには入れてやろう。ま、それで死んでもそんときはそんときだ。裏庭の隅っこに墓くらい作ってやるさ。うちの部屋で世話すりゃいいし、別に大将の許可を得なきゃならんことでもないだろう。

「この大剣士レンズ様に拾ってもらったんだ、感謝しろよワンコロ」

 犬から返事がある訳じゃないけど、何だろう、ちょっと楽しい。変なの。


 ◇ ◇ ◇


 ロンダリア王負傷の情報は翌朝までに届いたが、続報がない。グリムナントめ、情報を秘匿して王宮政府に圧力をかけるつもりなのだろうが、そうは行かん。暗殺者がザイメンの紋章の入ったお仕着せを着ていたという話はいまのところ聞こえてきてはいないが、おそらくボイディアの手の者の仕業だろう。我らに貸しでも作ったつもりか。

 帝国のハンデラ・ルベンヘッテが動きを活発化している情報はつかんでいる。こちらも急がねばな。

「閣下、間もなくでございます」

 馬車の向かいに座る衛士が告げた。私は「うむ」とうなずく。

 窓の外に見えてきたのはシホン公爵の屋敷。いや、いまは王位継承権一位のサノン皇太子と呼ぶべきだろう。ロンダリア王は王都より遠く離れたリアマールで負傷し身動きが取れない。なればまつりごととどこおることは避けられぬ以上、国家のため民のため、我ら「心ある貴族」が行動を起こす必要がある。

 すなわちロンダリアから王位を剝奪はくだつし、サノン皇太子に戴冠させるのだ。

 無論、言うまでもないがサノン皇太子はまだ六歳、国家の運営などできようはずがない。そこで不肖ふしょうこのアイメン・ザイメンが摂政として新国王を補佐しつかまつる。

 幸運と言っていいのだろうが、戴冠式に必要な儀典用の王冠と宝剣と黄金の盾は王宮に残っており、儀式を行う上で支障はまったくない。議会については根回しの段階ではまだ半数に届くかどうかだが、現実に事が動けばなし崩し的に賛成に回る者が出てくるのは間違いなかろう。機は我にあり。

 玄関前で停止した馬車から降りると、乳母と手をつなぎながらその陰に隠れるように怯えた目でこちらを見つめるサノン皇太子、そして執事と騎士団長が並んで待っていた。おそらくこの屋敷の中で権勢をふるっているであろう乳母は、ひるむ様子もなく私の言葉を待っている。

 私は片膝をついて臣下の礼を取った。

「いままさに危急存亡のときであるがため、無作法ながら口頭にて皇太子殿下に要請申し上げる。シャナン王国を救わんと欲する民草の声に応じ、我らが新たなる王としてご即位いただけましょうや」

 乳母は自分の後ろに隠れる皇太子に満面の笑みを向ける。

「さあ、殿下。何とお答えになるのですか」

 私が到着するまでに何度も練習したのだろう、皇太子はおどおどした口調で使い慣れない言葉をたどたどしく発した。

「わ、我、玉座に、君臨、す」

「おお、いまここにサノン二世王誕生せり!」

 我ながら少々芝居がかった言い回しだったが、宣言としてはこんなもので良かろう。後は貴族議会さえ抑え込めば、新国王は正式に即位する。ロンダリアなどもう不要だ、リアマールで好きに朽ち果てるがいい。

 いまだ当惑しているサノン新国王を余所に、乳母や執事たちは歓喜の涙を浮かべている。せいぜい喜んでもらおう。数日後にはサノン王から切り離されるのだがな。
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