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59話 大転換点
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テーブルの向こう側、その痩せこけた顔に燃える二つの眼で、ボイディア・カンドラスは私を見つめている。
「ハンデラ卿」
まるで罰を与えるかの如く。
「カリアナ・レンバルトの動きが目立ちすぎているようですが」
「わかっている」
わかってはいるのだ。取れる手立ては取ってレンバルトに圧力はかけ続けているのだが、あの女め、頑として手を引こうとしない。ルベンヘッテが恐ろしくないのか、それとも気でも狂ったか。
「卿の対応が生ぬるいのでは」
こちらの心を読んだかのようにボイディアは言い放つ。窓の外、灰色の雲が垂れ込める空からは時折遠雷が響く。この首都ギルマに嵐が近づいているのかも知れない。
「私の対応が生ぬるいだと。これ以上何をしろと言うのだ。内戦を起こせとでも」
「その程度の覚悟がなければ、国など盗れませんよ」
「知った風な口を叩くな! シャナンとの戦争を前に内戦など馬鹿馬鹿しい」
もう少し利口な男だと思っていたのだがな、こんな簡単な理屈もわからんのか。その考えが伝わるであろうことを見越してにらみつけてみたのだが、今度はまるで気付かないかのようにボイディアは首をかしげた。
「最初から負けるための戦争でしょう。何の問題があるのです」
「こちらが内戦にかまけている間、アイメン・ザイメンが黙って見ていると思うのか。事前の約束事など反故にして、我らを潰しにかかるに決まっている」
「ええ、そうなるでしょうね。それが?」
「それが、だと!」
思わず立ち上がり、怒りに任せてテーブルの上の水差しを手に取った。この愚か者に投げつけてやりたかったのだが、私の手はそれ以上動かない。ボイディアの目が赤く輝いている。
「ハンデラ・ルベンヘッテ。あなたはいま何をすべきなのか」
「わ、私が何をすべきなの、か」
「カリアナ・レンバルトを封じ込めねばならない。大至急、全力で」
「カリアナを、封じ込める」
そうだ。ああそうだ、私は何をうっかりしていたのだろう。カリアナ・レンバルトを全力で封じ込める以外に、なすべきことなどあるはずがないではないか。あの女を叩いて、それで内戦になっても構わない。ボイディア卿の言う通り、言う通り、言う通り。
◇ ◇ ◇
銃兵隊のうち三十名が屋敷の各所に配置された。長い赤髪を揺らしながらルン・ジラルドは窓際をウロウロしている。その手には「予言」が書かれた紙を持って。
私はどうにも落ち着かない。
「本当に来るのでしょうか」
「ええ、タクミ・カワヤの予言が正しければ、ハンデラ・ルベンヘッテは今日、間もなく動くはずです」
手の中の紙を見つめながら、まるで祭を前にした子供のような顔で、ルン・ジラルドは微笑んでいる。
そこに扉がノックされ、騎士団長のザインクが急ぎ足で入ってきた。
「閣下、ルベンヘッテの軍が近付いています」
「規模は」
「歩兵がおよそ百名。銃は五十丁を下らないかと」
私はルン・ジラルドに視線で問う。それに彼女は笑みで応えた。
「三十人対百人ですか。余裕ですよ、カリアナ様」
「退けられる、ということですね」
「いいえ。殲滅できる、ということです」
そう言うとルン・ジラルドは窓の外に目を向けた。
「お、騎馬が一頭やって来ますね。ここまでは予言通り」
窓から外をのぞけば、確かに屋敷の門の前に騎馬兵が一人走り寄ってきている。
騎馬兵は荒々しく馬を止めると大声で口上を述べた。
「コルストック伯爵カリアナ・レンバルト閣下に、ヌミラ侯爵ハンデラ・ルベンヘッテよりの言葉をお伝え申す! 御貴殿の皇宮および議会における昨今の所業、看過し難し! 傾国の悪行を停止せざることなくば、ハンデラ・ルベンヘッテの名のもとに天誅を下すものなり! ただちにご返答をいただきたい! 返答なくば実力にて伯爵閣下にご同行願うこととなる! ただちに、いますぐだ!」
するとルン・ジラルドは窓を大きく開き、負けじと大きな声で勝手にこう答えた。
「コルストック伯爵カリアナ・レンバルト閣下に代わって返答する! 愚昧なハンデラ・ルベンヘッテに率いられた無能軍団を滅ぼしたければ、グダグダ言わずにとっととかかって来い! 五分もったら褒めてやる!」
騎馬は憤然と馬を回頭し、走り去った。ルン・ジラルドは私に向かってこう言う。
「兵の指揮はザインク騎士団長に任せて、カリアナ様はしばらくお屋敷の一番奥でご休憩ください。お茶を一杯飲み干すころには話は終わっていることでしょう」
◇ ◇ ◇
いずれシャナン王国との開戦が控えているというのに、帝国内の貴族同士で実力を行使しあうなど、内戦に導く愚策。それを理解できぬルベンヘッテではないと思っていたのだが、やや買いかぶり過ぎていたか。
レンバルト家の屋敷から少し離れた路上には土嚢が積まれて弾避けの壁を築いている。レンバルトに何人兵士が配置されているかは知らないが、多くて二、三十だろう。対するルベンヘッテ軍は百人に達する。いかに守備側が有利とは言え、苦しい人数差だ。
路上のベンチに座り状況を眺めている吾輩の耳元で、家政婦のミーナがささやいた。
「大旦那様、もう少し離れられてはいかがですか」
「構わぬよ、ミーナ。どのみち生き過ぎた老体だ、流れ弾に当たって死ぬのなら、その程度の人生であったということだろう」
五十人ほどいるルベンヘッテの銃兵には、余裕が感じられた。二十五人ほどで班を組み、二交代で連続攻撃を加えるつもりらしい。本格的な市街戦を挑むつもりのようだ。対する伯爵カリアナ・レンバルトの屋敷からは物音一つ聞こえてこない。まさか誰もいないはずもないのだが、余裕か、はたまた逃げる隙も無いと絶望しているのか。
ルベンヘッテ軍の指揮官が指揮用の杖を振り上げた。
「銃兵第一班、前へ! 構え!」
銃兵たちは土嚢の陰から姿を現し、レンバルト屋敷に正対する。
「撃て!」
雷もかくやという轟音が鳴り響き、銃弾は屋敷の壁に食い込み窓を割った。撃った銃兵はただちに土嚢の陰に身を隠し、次の玉を詰め始める。
レンバルト側からも散発的な銃声が聞こえた。音を確認する限り、それほど多くの銃がある訳でもないらしい。それが一通り止むと、ルベンヘッテ軍の銃兵の第二班が前に出る。いまレンバルト側は銃弾を込めているだろう、ならこちらは身を隠す必要もない。兵たちの口元に浮かぶ笑みはそう物語っていた。だが。
タタタタタタタッ!
ルベンヘッテの銃兵が構えるより早く、レンバルト屋敷側から一斉射撃が加えられた。そんな馬鹿な。立っていた銃兵は次々に敵弾の餌食となる。
「な、何をしている! 早く撃ち返せ! 早く!」
しかし嵐のように途切れない銃声の中で、ルベンヘッテの兵には反撃する暇も与えられない。時間にして十秒ほどはそれが続いたろうか。ルベンヘッテの兵には何時間にも感じられたかも知れない。ようやく銃声が止み、土嚢の陰からそっと顔だけ出した兵の頭を銃弾が撃ち抜いた。そしてまた続く銃弾の嵐。
生き残った兵たちはもはや恐慌状態、銃を捨て誰も彼も悲鳴を上げて逃げ出した。その中には現場指揮官も含まれている。後方にいた銃を持っていない歩兵もその騒ぎから逃れることはできず、ルベンヘッテの軍団は一瞬で崩壊した。
だがレンバルト屋敷の側からの攻撃は容赦ない。もう戦意を完全に失った兵たちの背中に、追い銭の如く銃弾を撃ち込んだのだ。それは一方的な虐殺と言うべき光景だった。
「大旦那様」
肩に手を置くミーナは、あまりの事態に震えている。吾輩とてこれはさすがに想定外だった。とは言え。
コルストック伯爵カリアナ・レンバルトの決意の固さと現実的な戦闘力の高さは疑いようもない。これでは今後ルベンヘッテ一派も迂闊に手は出せまい。ならばヤツらは議会工作でレンバルトを追い落とそうとするだろう。
なるほど、カリアナ・レンバルトが吾輩サナルト・サンプトンを始めとする保守穏健派に接近してきたのはこれを見越してのことか。何たる智謀、末恐ろしい限り。
しかしこれでハッキリした。我らの進むべき道が。これは大転換点なのだ。いまこそハンデラ・ルベンヘッテを打倒し、シャナンとの戦争を回避する。
「ハンデラ卿」
まるで罰を与えるかの如く。
「カリアナ・レンバルトの動きが目立ちすぎているようですが」
「わかっている」
わかってはいるのだ。取れる手立ては取ってレンバルトに圧力はかけ続けているのだが、あの女め、頑として手を引こうとしない。ルベンヘッテが恐ろしくないのか、それとも気でも狂ったか。
「卿の対応が生ぬるいのでは」
こちらの心を読んだかのようにボイディアは言い放つ。窓の外、灰色の雲が垂れ込める空からは時折遠雷が響く。この首都ギルマに嵐が近づいているのかも知れない。
「私の対応が生ぬるいだと。これ以上何をしろと言うのだ。内戦を起こせとでも」
「その程度の覚悟がなければ、国など盗れませんよ」
「知った風な口を叩くな! シャナンとの戦争を前に内戦など馬鹿馬鹿しい」
もう少し利口な男だと思っていたのだがな、こんな簡単な理屈もわからんのか。その考えが伝わるであろうことを見越してにらみつけてみたのだが、今度はまるで気付かないかのようにボイディアは首をかしげた。
「最初から負けるための戦争でしょう。何の問題があるのです」
「こちらが内戦にかまけている間、アイメン・ザイメンが黙って見ていると思うのか。事前の約束事など反故にして、我らを潰しにかかるに決まっている」
「ええ、そうなるでしょうね。それが?」
「それが、だと!」
思わず立ち上がり、怒りに任せてテーブルの上の水差しを手に取った。この愚か者に投げつけてやりたかったのだが、私の手はそれ以上動かない。ボイディアの目が赤く輝いている。
「ハンデラ・ルベンヘッテ。あなたはいま何をすべきなのか」
「わ、私が何をすべきなの、か」
「カリアナ・レンバルトを封じ込めねばならない。大至急、全力で」
「カリアナを、封じ込める」
そうだ。ああそうだ、私は何をうっかりしていたのだろう。カリアナ・レンバルトを全力で封じ込める以外に、なすべきことなどあるはずがないではないか。あの女を叩いて、それで内戦になっても構わない。ボイディア卿の言う通り、言う通り、言う通り。
◇ ◇ ◇
銃兵隊のうち三十名が屋敷の各所に配置された。長い赤髪を揺らしながらルン・ジラルドは窓際をウロウロしている。その手には「予言」が書かれた紙を持って。
私はどうにも落ち着かない。
「本当に来るのでしょうか」
「ええ、タクミ・カワヤの予言が正しければ、ハンデラ・ルベンヘッテは今日、間もなく動くはずです」
手の中の紙を見つめながら、まるで祭を前にした子供のような顔で、ルン・ジラルドは微笑んでいる。
そこに扉がノックされ、騎士団長のザインクが急ぎ足で入ってきた。
「閣下、ルベンヘッテの軍が近付いています」
「規模は」
「歩兵がおよそ百名。銃は五十丁を下らないかと」
私はルン・ジラルドに視線で問う。それに彼女は笑みで応えた。
「三十人対百人ですか。余裕ですよ、カリアナ様」
「退けられる、ということですね」
「いいえ。殲滅できる、ということです」
そう言うとルン・ジラルドは窓の外に目を向けた。
「お、騎馬が一頭やって来ますね。ここまでは予言通り」
窓から外をのぞけば、確かに屋敷の門の前に騎馬兵が一人走り寄ってきている。
騎馬兵は荒々しく馬を止めると大声で口上を述べた。
「コルストック伯爵カリアナ・レンバルト閣下に、ヌミラ侯爵ハンデラ・ルベンヘッテよりの言葉をお伝え申す! 御貴殿の皇宮および議会における昨今の所業、看過し難し! 傾国の悪行を停止せざることなくば、ハンデラ・ルベンヘッテの名のもとに天誅を下すものなり! ただちにご返答をいただきたい! 返答なくば実力にて伯爵閣下にご同行願うこととなる! ただちに、いますぐだ!」
するとルン・ジラルドは窓を大きく開き、負けじと大きな声で勝手にこう答えた。
「コルストック伯爵カリアナ・レンバルト閣下に代わって返答する! 愚昧なハンデラ・ルベンヘッテに率いられた無能軍団を滅ぼしたければ、グダグダ言わずにとっととかかって来い! 五分もったら褒めてやる!」
騎馬は憤然と馬を回頭し、走り去った。ルン・ジラルドは私に向かってこう言う。
「兵の指揮はザインク騎士団長に任せて、カリアナ様はしばらくお屋敷の一番奥でご休憩ください。お茶を一杯飲み干すころには話は終わっていることでしょう」
◇ ◇ ◇
いずれシャナン王国との開戦が控えているというのに、帝国内の貴族同士で実力を行使しあうなど、内戦に導く愚策。それを理解できぬルベンヘッテではないと思っていたのだが、やや買いかぶり過ぎていたか。
レンバルト家の屋敷から少し離れた路上には土嚢が積まれて弾避けの壁を築いている。レンバルトに何人兵士が配置されているかは知らないが、多くて二、三十だろう。対するルベンヘッテ軍は百人に達する。いかに守備側が有利とは言え、苦しい人数差だ。
路上のベンチに座り状況を眺めている吾輩の耳元で、家政婦のミーナがささやいた。
「大旦那様、もう少し離れられてはいかがですか」
「構わぬよ、ミーナ。どのみち生き過ぎた老体だ、流れ弾に当たって死ぬのなら、その程度の人生であったということだろう」
五十人ほどいるルベンヘッテの銃兵には、余裕が感じられた。二十五人ほどで班を組み、二交代で連続攻撃を加えるつもりらしい。本格的な市街戦を挑むつもりのようだ。対する伯爵カリアナ・レンバルトの屋敷からは物音一つ聞こえてこない。まさか誰もいないはずもないのだが、余裕か、はたまた逃げる隙も無いと絶望しているのか。
ルベンヘッテ軍の指揮官が指揮用の杖を振り上げた。
「銃兵第一班、前へ! 構え!」
銃兵たちは土嚢の陰から姿を現し、レンバルト屋敷に正対する。
「撃て!」
雷もかくやという轟音が鳴り響き、銃弾は屋敷の壁に食い込み窓を割った。撃った銃兵はただちに土嚢の陰に身を隠し、次の玉を詰め始める。
レンバルト側からも散発的な銃声が聞こえた。音を確認する限り、それほど多くの銃がある訳でもないらしい。それが一通り止むと、ルベンヘッテ軍の銃兵の第二班が前に出る。いまレンバルト側は銃弾を込めているだろう、ならこちらは身を隠す必要もない。兵たちの口元に浮かぶ笑みはそう物語っていた。だが。
タタタタタタタッ!
ルベンヘッテの銃兵が構えるより早く、レンバルト屋敷側から一斉射撃が加えられた。そんな馬鹿な。立っていた銃兵は次々に敵弾の餌食となる。
「な、何をしている! 早く撃ち返せ! 早く!」
しかし嵐のように途切れない銃声の中で、ルベンヘッテの兵には反撃する暇も与えられない。時間にして十秒ほどはそれが続いたろうか。ルベンヘッテの兵には何時間にも感じられたかも知れない。ようやく銃声が止み、土嚢の陰からそっと顔だけ出した兵の頭を銃弾が撃ち抜いた。そしてまた続く銃弾の嵐。
生き残った兵たちはもはや恐慌状態、銃を捨て誰も彼も悲鳴を上げて逃げ出した。その中には現場指揮官も含まれている。後方にいた銃を持っていない歩兵もその騒ぎから逃れることはできず、ルベンヘッテの軍団は一瞬で崩壊した。
だがレンバルト屋敷の側からの攻撃は容赦ない。もう戦意を完全に失った兵たちの背中に、追い銭の如く銃弾を撃ち込んだのだ。それは一方的な虐殺と言うべき光景だった。
「大旦那様」
肩に手を置くミーナは、あまりの事態に震えている。吾輩とてこれはさすがに想定外だった。とは言え。
コルストック伯爵カリアナ・レンバルトの決意の固さと現実的な戦闘力の高さは疑いようもない。これでは今後ルベンヘッテ一派も迂闊に手は出せまい。ならばヤツらは議会工作でレンバルトを追い落とそうとするだろう。
なるほど、カリアナ・レンバルトが吾輩サナルト・サンプトンを始めとする保守穏健派に接近してきたのはこれを見越してのことか。何たる智謀、末恐ろしい限り。
しかしこれでハッキリした。我らの進むべき道が。これは大転換点なのだ。いまこそハンデラ・ルベンヘッテを打倒し、シャナンとの戦争を回避する。
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