タイムウォッチャーが異世界転移したら大予言者になってしまうようだ

柚緒駆

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63話 基礎を叩き込む

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「戦争とは手段であり、国家の平和と安全を守るための必要悪として、実行すべきときには断固として実行せねばならない。この点において保守革新の両派に意見の相違はほぼないものと思う」

 壇上の保守穏健派の重鎮にして帝国貴族院最長老議員であるフラスト侯爵サナルト・サンプトンは、若く好戦的な急進改革派ですらたじろがんばかりの言葉を、強い口調でまくしたてる。

「ならば諸君に問う。全戦力の過半を海外植民地に展開する現在、ここで隣国シャナンとの間に戦端を開くことが我らの愛するギルミアスの平和と安全に資するであろうかと。否! そんなことは断じて否である!」

 サンプトンはその風に手折られそうな年老いた右手を、自ら砕くかの如き勢いで演台に叩きつけた。

「戦争には機がありことわりがあるのだ! 戦争とは勝つために行うものであり、そのために時を選び大義名分を得ねばならない! 一部の大貴族に利益をもたらすだけの、敗北を前提とした戦争など言語道断! それはもはや戦争とすら呼べぬ愚行! 国家のために貴族がいるのであり、貴族のために国家があるのではない! 我がサンプトン家はシャナン王国との恒久平和条約を支持すると共に、それがたとえ内戦に至る道であろうと開戦に断固反対し、実力の行使もいとわぬことをここに明言する!」

 サリーナリー帝が貴族院議会に提出した『シャナン王国との恒久平和条約案』に対する各派閥の代表質疑において、サナルト・サンプトンは他派を圧倒する存在感を見せた。

 先般のルベンヘッテとレンバルトの銃撃戦、その後に起こった皇帝の車列に対する襲撃未遂とそれを排したサンプトン家銃兵隊の活躍は、議員全員が知っている。サンプトンは、いや保守穏健派はレンバルト家と協調し、皇帝を護ってルベンヘッテ一派と対峙するとの宣言であると誰もが捉えた。

 議会は荒れた。ルベンヘッテ一派と保守穏健派が互いを非難し合ったのはもちろん、数的には大多数を占める日和見派、つまり議題に上っている恒久平和条約に賛成とも反対とも判断しかねていた中小諸派が、内戦勃発の瀬戸際にある現状をようやく理解したのだ。

 兵力を比較すればルベンヘッテ一派が圧倒しているのは常識だ。しかしレンバルトとサンプトンが新式銃を大量に導入しているのは知られている。そして実際に発生した小競り合いでは両家とも圧勝したという。小さな諸派としては、果たしてどちらの味方をすべきか迷うところだろう。

 面白くなってきた。

「何かいいことあったのか? ボイディアの大将」

 議会を後にして屋敷に向かう馬車の中、レンズが私の顔をのぞき込む。どうやら無意識に笑っていたらしい。

「いいこととは言い難いな。どちらかと言えば厄介で面倒くさい事態だ。先がまったく読めなくなった」

「ルベンヘッテの方、急ぐかい」

 レンズはルベンヘッテの首を取りたがっている。やれと言えばその場で剣を抜いて走り出すかも知れない。

「私は別に急がないが、余計な茶々が入る可能性がある。それは考慮した方がいい」

「あのルン・ジラルドだな」

「私の手足をもぎ取るつもりなのだろう。ならば単純にルベンヘッテを殺してくれれば話は早いのだが、その辺りどう動くか予想がつかない。どうしたものかね」

 これは素直な本音だ。ルン・ジラルドの一つ一つの行動はそう突飛なものではないものの、方向性に幅があり過ぎる。まあ、その広い幅の理由には研究所の、すなわちガレウォン博士の判断があるのだろうが。まったく悪知恵の回る狂人は始末に悪い。

「気のせいかねえ」

 レンズはつぶやいた。

「大将は思い通りに行かないときの方が楽しそうに見えるんだが」

「人間は知的な遊戯に興味を引かれるものさ。相手側が必死に足掻いているときには特にね」

 私は思考や行動に感情を乗せていないつもりなのだが、生来の嗜虐性は隠せていないのかも知れない。

 確かに、ハンデラ・ルベンヘッテとアイメン・ザイメン、サリーナリー帝とロンダリア王、そしてルン・ジラルドとタクミ・カワヤ。いくつもの盤面を同時に指すのは疲れると思いながらも、楽しんでいる自分がいる。ことに相手が血を吐く思いで必死に形勢逆転を目論むような局面では。

 さて、いまこの状況で相手方に効果的な一撃を与えるには、いったいどこにどんな手を指すべきか。まずは……ここかな。


◇ ◇ ◇


 家政婦長のジオネッタさんが手に持つ羽帚はねぼうきは、ムチのようにしなりました。

「ここ! ここ! ここにもほこりが残っています。掃除をやり直してください」

「は、ハイ! すみません!」

 慌ててハタキと雑巾を手に、私は廊下を駆けずり回ります。

 私の背中に響くジオネッタさんの容赦ない言葉。

「あなたは基本中の基本ができていません。いいですかステラ、掃除は観察力と記憶力です。この広いお屋敷を毎日毎日、端から端まで綺麗に磨き上げるなど、人間の力では到底不可能。ではいかにして清潔を保つのか。それは埃や汚れの発生する場所を記憶し、その順序や早さを観察するところから始めなくてはなりません」

 振り返って返事をしたくなるのですが、掃除の手を休めればまた怒られてしまいます。私はとにかく目の前の手すりをピカピカにすることを意識しました。

 ジオネッタさんは淡々と言葉を続けます。

「屋敷の中の汚れる場所と汚れる周期が頭に入れば、自動的に仕事の段取りが決まります。毎日磨かねばならない場所と、週に一回磨けば済む場所を見分けられれば、それだけでも仕事の効率が上がるのです。あなたはこの事実を自ら体験するだけではなく、他人にも教えなければなりません。それがカワヤ子爵家の家政婦長となるあなたの責務です」

 はわわー、はわわー、何だかもう頭がいっぱいいっぱいでクラクラします。家政婦長なんて、ジオネッタさんみたいな仕事なんて私にできるとは到底思えないのですが。

 私がそんな泣き言を口に出しそうになったときです。

「やあジオネッタさん。ステラも頑張ってるね」

 タルドマンさんを後ろに引き連れた先生が話しかけてきてくれました。

 ジオネッタさんは先生に頭を下げます。

「これはカワヤ子爵様、おはようございます」

「ワイム騎士団長を探してるんですが、ジオネッタさん知りませんか」

 するとジオネッタさんは少し意外そうな顔を見せてこう答えました。

「馬房の方ではないでしょうか。武具の手入れをしていると思いますが」

「なるほど。そっちは見てませんでした、ありがとう助かりました。じゃ、ステラのこともよろしくお願いします」

「承知いたしました」

 それだけの会話を済ませると、先生たちは歩き去ってしまいます。ええぇ。私にも何か言ってくれてもいいと思うんですけど。

「手を止めない! まだ埃は残ってるでしょう!」

 ムチのように私の心を打つジオネッタさんの言葉。

「ハイ! いますぐ!」

 ああもう、腕が百本くらいあったらいいのに!


◇ ◇ ◇


 屋敷の裏手にある馬房には馬車用の馬が三頭繋がれている。その脇に掘られた溝の横で、公爵ハースガルド家のたった一人の騎士であり団長であるワイム殿は、剣を砥石でいでいた。

「おはようございます、ワイム騎士団長」

 声をかけたタクミ殿、いや、タクミ閣下を横目でちらりと見やると、ワイム殿は手を止めてゆっくり立ち上がり、いかにも儀礼的に頭を下げた。あまり歓迎されているようには見えないのだが、タクミ閣下は相変わらず何一つ気にする様子もなく話しかける。

「いまいいですかね、ちょっとお願いがあるんですけど。時間的にはすぐ済みます」

「……何でございましょう」

 体に筋肉は程よくついているものの、小柄なタクミ閣下よりまだ小柄な革鎧姿の老人は、不審げな顔を隠しもしない。

 しかしタクミ閣下は気後れする様子も見せず、こんなことを言い出したのだ。

「このタルドマンに稽古をつけてやって欲しいんですけど」

 えっ? 思わず声が出そうになった。私に何の断りも相談もなく、いきなり?

 ワイム殿もさすがに困惑した様子。

「恐れながら申し上げる。ワシのごとき者に何故」

「タルドマンは騎士団長の経験がないんですよ。だから騎士団長って仕事がどんなものなのか、実際に体に教え込んでいただけないかと」

「いや、だから何故ワシに」

「タルドマンも馬鹿ではないので、一度手合わせしてもらえば、ある程度理解できると思うんです。お願いできませんかね」

 ワイム殿の質問にまるで答える様子も見せず、タクミ閣下は笑顔で頼み込む。これは何を言っても無駄だな、とワイム殿も判断したようだ。いかにも面倒くさいと言わんばかりの顔で私に向き直り、身構えもせずに言う。

「ワシを押し倒してみなさい」

 タクミ閣下に目をやれば、ニヤニヤと面白そうに私を眺めている。何か、凄くイロイロなことが頭をよぎるのだが、結局この人の思う通りにするしかないのだろう。ええい、仕方ない。

「ではワイム殿、失礼いたします」

 私はワイム殿に慎重に歩み寄り、その胸を押した、はずなのだが。

 次の瞬間、私の体は地面に這いつくばり、右腕を後ろにねじ上げられて押さえつけられていた。

 いったい何が起こったのかわからない。まるで動きが見えなかった。いま間違いなく言えるのは一つだけ、私とワイム殿との間には絶望的なまでの実力差があることだ。

 腕をねじ上げられ胸が床に押さえつけられているために息ができない。意識が遠のきかけたそのとき、不意に体が軽くなった。ワイム殿は何事もなかったかのような顔で私を見下ろし立っている。

 まだクラクラしている頭の中に、タクミ閣下の声が聞こえた。

「どうですかね、タルドマンは」

 どうですか? どうもこうもありはしない。

「どうもこうもございませんな。動きに無駄が多すぎて、これではまるで役に立ちはしませぬ」

 ワイム殿の言う通り。私は騎士団長どころか護衛としてもまったく役立たずだ。

 しかしタクミ閣下は続けてこうたずねる。

「いまのタルドマンが役立たずだとして、三年後のタルドマンはどうでしょうか」

 やめてください、閣下。もうダメです。私はもう。

 どこかで油断していたのだ。子爵家の騎士団長という肩書が手に入ったら少しは見栄えも良くなるだろうと。あの方の近くに立てるのではないかと。何が剣に人生を賭けてきただ。情けない、まったくもって不甲斐ない。

 肺に空気が不足しているのか、それともあまりの羞恥が故か、遠のいて行く意識の中で、しかしワイム騎士団長はこう答えた。

「まあ、いまよりはマシでしょうな」

「だってさ、タルドマン」

 そのタクミ閣下の言葉に私はどう返事をしたのだろう。記憶にない。
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