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第1章 Opening Window…
(2) 「キャストにご興味は?」
しおりを挟む午前の授業も終わり、昼休みを迎えた。
6月の最初の1日の天候は快晴。
暑さと涼しさが混じった空気が、夏を迎えつつある中庭の木々を微かに揺らしている。さくらは窓際の自分の席から、そのさらさらとした音を聞きながら返却された中間テストを確認していた。
現代社会。
98点だった。
それをみつけた通りすがりの2人のクラスメイトが、さくらに声をかけた。
「ちらっと見えたんだけど、点数いいよね」
「えーまじで? むずかったじゃん? 何点?」
「えと……98点……」
「ふつーにすごくね!?井川さん頭いいんだね」
「やっぱお嬢様だし、育ちが違うよね」
「井川さん、お嬢様なの?」
「しらないの? 井川さん、お母さんがお医者さんなんだよね?」
クラスメイトに教えたことのない事実を指摘されて、変な声が出た。
「ふぇ!? えと……うん、そう、だよ……」
「やっぱ親が頭いいと、子供の頭もよくなるもんだねぇ うちのは二人とも高卒だし」
どうこたえるべきなんだろう?
「え…と、勉強して、なんとか追いついてる感じだから、頭いいわけじゃないと、思うよ?」
「えー、そんな勉強してる風にみえないけどねー」
「またまたぁ、謙遜なんてしなくていいんだよぉ?」
こういう時どうしていいのか。さくらは少し困って、薄い微笑みを浮かべた。その視線の先、教室の入り口から別のクラスの女子が顔をだす。顔は何度か見たことがあるけれど、名前は知らない。
クラスメイトが「美咲」とつぶやいたのを、さくらは聞き逃した。
「ねー、学食いこー、ゆっぴんがさー、席とっとくてさー」
「わかったー。井川さんもいかない?」
「……わたし、今日はお弁当だし……やることあるから……ごめんね」
「お母さん、お弁当も作ってくれるんだ」
「え、これ、自分で……いつも……」
「井川さん、なんかいろいろすごいね」
「そ、かな……?」
3人が教室を去った後。教室は少しだけ静かになった。
さくらは弁当ポーチを開けると、おにぎりを取り出す。
「今日は、手抜き、だし……」
ふと考える。クラスメイトの一言。
――勉強してる風に見えない?
「勉強、してるの、ホント、なんだけどな……」
正午過ぎの少し強くなった日差しが、窓の向こうで風に枝を揺らしている校庭の木々の緑を一層鮮やかにした。刺すような緑の光を頬杖を突きながら見ていたさくらは、視線を戻しテスト用紙をもう一度見た。
「点数……褒めてくれる、けど……」
どうしてだろう。うれしくない。
目を閉じて一瞬おいて考え直し、ふりかけで味付けした「手抜き弁当」のおにぎりを手に取る。
「贅沢……だよね? がんばっても、ダメな人とかいるし……」
小学校も中学校も、そして今も、点数や成績というわかりやすい結果を出せば大人たちはいつも褒めてくれていた。
それは、そうではないことよりも、きっといいことに違いない。
でも、正直にいえば、定期テストや模試でいい点を取ったことより、ひとこと「がんばってたね」と言ってくれた方が心に響いた気がすると、さくらは思う。
自分でも、ひどく子供じみた発想だと思わなくはないのだけれど、それがさくらの素直な心情だった。だけど、それを口にすることは、それこそ「子供のすること」のような気もするのだ。
そういう感情が、学校で友達を作ることとか、部活や委員会活動を頑張るとか、そういうことにパワーを注ぐ意欲を奪っている。その自覚はあるのだけれど、では何か新しいことにチャレンジしてみようとか、その気にはなんだかならないさくらだった。
停滞の気分、とでもいうのか。
あるいは、悲劇のヒロインでもきどっているのか。
そんなやや自虐を込めた認識が、胸になにか苦い煙をくすぶらせているように自分でも思う。決して良いことではない、というのはわかる。
変えなきゃいけないな、と思う。
そう考えると、朝見たあのキャスト募集はいいチャンスかもしれない。
もちろん、TVに出たりするようなのは無理でも、普通に掃除とか、レストランのウエイトレスとか、そういうのならできそう。
その姿を想像しようとしたが、「人の前で愛想よく笑う」という状況を自分では全く想像できなかった。すこし生ぬるくなったペットボトルのお茶と2つ目のおにぎりが、さくらの思考を別のものに向かわせていった。気が付けば、昼休みはあと残り20分しかなかった。
**
昼休みに途切れた思考は、帰り際に朝見たモニターの前で再接続された。映像は別のものになっていて、職種についていろいろな説明が流れていた。モニターのそばに張り出されたポスターには求人の条件が書かれている。
いずれも18歳以上(高校生不可)ばかりで、唯一大丈夫そうなのは「ゲストコントロール」のみ。高校生以上の条件のものはこれだけだった。
「ショーのとか以外だと、これしか……なんか、極端」
「興味がおありですか?」
きれいな大人の女性の声が響いた。
振り向くと明るい色の髪をまとめ、青いブレザーと黒のタイトミニというスタイル抜群の女性が立っていた。腕章に誘導係と表記されていて、にっこりほほ笑む姿はそのまま就活用のパンフレットに載せてよさそうなレベルで、大きめの胸の左にあるネームタグにはKUBOTAと書かれていた。
さくらは「久保田」と勝手に漢字に脳内で再変換した。
「え……気になっただけ、かも、です」
「では、今日、駅の近くのホールで説明会を行っています。いかがですか?」
「でも、面接とか、準備してないし……」
「説明だけ聞いて、後日面接することもできますよ。こういう説明会つきの募集をするのはしばらく予定していないので、興味をお持ちならお話だけでも」
あ、そうだ、といって胸に抱えていたパンフレットの束から1枚取り出す。
「これ、よかったらどうぞ」
"さあ、魔法をはじめよう"と書かれた表紙のパンフレットを受け取ると、さくらは頭を下げる。
笑顔で手を振る久保田に送り出され、改札口に向かって歩いていた。
列車の時間を確認し、自動改札の前でいったん立ち止まる。
ここまではいつもの流れだった。だが、今日はなんだかこのまま帰るのは心に何かがつっかえたような、そんな感じがしそうなのだ。
バイトもしたことないし、部活もしてないし……
そう考えると投入口に定期を入れるのをやめ、回れ右して駅に隣接する市の拠点センターへと向かって歩き始めた。
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