オンステージ! ~アンサンブル・カーテンコール!~

岩谷ゆず

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第3章 それぞれのはじまり

(6) はじめてのトレーニング!

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 午前中のウォークスルーがキャストとしての夢を見る時間だとすれば、午後は現実に引き戻される時間といえるだろう。

 パークのウォークスルーが終わり、従業員食堂で食事を終えたアウローラユニットのメンバーは、ロッカールームでトレーニングウェアに着替え、エンターテイメント棟のトレーニングルームに集合してた。

 トレーニングルームは一般的なダンススタジオや劇団のそれとほとんど変わらず、パークらしい演出のようなものは一切置かれていない。誰が書いたのか「なせばなる」と筆で大きく書かれた紙が壁にデデンと貼られている。

 並んでストレッチするみんなの前に、いずみと同じレベルでスタイルがいい20代後半くらいの女性トレーナーが立っていた。
 トレーニングウェアのジャージの前を開け、大きな肉球がプリントされたTシャツ越しに美咲がいうところの「でっかい」胸を惜しげもなく披露していた。
 ショートボブのヘアにやや釣り目ぎみの目というトレーナーの顔は、性格的にもなんだか厳しそうだぁとみんなに印象付けた。

 ストレッチが終わり並んでいるみんなにトレーナーはにっこりとほほ笑みを浮かべながら、今後の事を説明し始めた。

 「基礎体力をつけないとね。すくなくとも2日に一回、3kmのランニングはノルマだから」

 と言われ、
 
 「えーっ!」
 
 とみんな驚きと悲鳴の混ざった声を上げた。
 
 「文句言わない。これでも激甘なノルマなんだからね。パフォーマンスユニットの子で主役やるような子は6km毎日とか普通よ?」

 田澤やつばさ、それに美咲はそんなに嫌がっていないようだったが、さくらと舞は顔を見合わせていたし、藤森は「どうしよう……」と顔を青くして広森になだめられていた。

 「別に3kmずっと走ってなくてもいいのよ。歩いて走ってを繰り返して合計で3kmあればいいんだから。6kmでも同じよ」

 トレーナーはそう宣告し、続けて舞が青くなるようなことを言い出した。

 「まあ、いきなり全力で走れなんて言わないわよ。サービス道路にランニングコースがあるから、今日はそこで体を慣らしましょう」

 舞が「体育の授業みたい」とつぶやくと、トレーナーはにっこり微笑みながら腰に手を当てて答えた。

 「大丈夫。わたし、体育の教員免許持ってるから。さあ、ゆっくりでいいから!」
 「ひぃ!」

 舞の悲鳴が小さく室内に響いた。



 バックステージの外周道路上には、キャストとスタジオのスタッフの運動不足を解消するために、サービス道路上に片道1500mのランニングコースが設置されている。スタート地点は健康管理センターの扉の前で、センターの中にはほかにトレーニングジムがあり、雇用形態に関係なく従業員であればだれでも利用できるようになっている。折り返し地点はパークを半周してフロンティア・オブ・プログレスの先にある。エントランス裏のブレイクエリアの前で、そこにミミの「折り返し!」標識が置いてある。

 エンターテイメント棟前の駐車場で準備運動を終えたメンバーは、「じゃあ、スタート!」というトレーナーの号令で走り出した。
 最初は遠慮がちに1団となって走っていたが、つばさが前に出始めると、こまちが後を追ってスピードを上げ、つられて田澤がスピードをさらに上げ始めた。

 「おいおい、そんなに最初からペース上げるとバテるぞー」

 田澤が2人を追いかけ始め、その次をいずみはややハイペースで走り、美咲とさくらがいずみを追いかける。
 広森も速く走れそうだったが、舞と藤森のスピードが遅いのが気になるのか、一緒にいきましょう? と声をかけてゆっくりと走って行った。

 トレーナーはその様子を見て、手元のボードに挟み込んだ紙に何かを書き込んでいた。
 
 700mほど行ったとき、田澤が少しペースを落としたつばさを追い抜く。
 さらに、こまちが「ぴゃー」と追い抜いていった。

 やる気が出たのか、つばさもスピードを上げ追撃に入った。

 折り返し地点で、田澤が標識に手をかけてくるりと旋回しているとこまちとつばさがすぐそばまで来ていた。今度は田澤が気合を入れなおし、フォームを変えてスピードを上げて走り出した。まだ折り返し手前にいるいずみが、猛烈なスピードですれ違う3人に視線を向けて「なんであんなに速いのよ?」とつぶやいていた。振り返ると、美咲がややバテ始めていて、さくらも汗が滝のように流れていた。遠くの方では藤森と舞が広森に励まされながら走っていて、その脇をやはり猛スピードですれ違う3人にびっくりしていた。

 ビルの前で待っていたトレーナーの前に田澤が到着し、続いてこまち、僅差でつばさが続いた。こまちとつばさがやや乱れた呼吸を整えていた。

 「はやい! 」

 とこまちが田澤に指をさし、つばさも

 「なんでそんなに速いんだよ」

 とぜいぜい言いながら不平を垂れていた。田澤が汗を拭いていると、いずみが到着し、そのすぐ後に美咲とさくらが到着した。いずみはあまり息も乱れておらず、汗をかいているけれど走り慣れている感じだった。

 「みんな、無理に速いペースで走らなくてもいいのに」

 とタオルで汗を拭きながら美咲とさくらの様子を見ていた。

 「なんか、前に、ついていったら、いつのまにか……」

 さくらも息が上がっていたらしく、流れる汗を必死に拭っていた。
 美咲も息は上がっているが、さくらほどにはきつくはないようだった。

 「部活やってなかったからなぁ。久しぶりに走ったら、やっぱ息上がるなぁ」

 最後に広森が先導して、舞と藤森がゴールした。2人はどう見ても満身創痍で、四つん這いで息を整える舞と座りこんだ藤森に、広森が心配そうに声をかけていた。トレーナーが手を叩いて注目を促した。

 「は~い、お疲れ様。どれくらいのペースが自分に合いそうかわかったかな? まあ、なんどか走っていればそのうち体で覚えるから」

 そして、全員が息を整えたことを確認して声をかけた。

 「じゃあ、みんなシャワー浴びておいで。30分後にトレーニングルームに集合ね」

 は~い、というみんなの返事が駐車場に響いた。

 
 
          **



 エンターテイメント棟にあるシャワールームで汗を流した後、みんなはトレーニングルームの近くにあるブレイクエリアで休憩に入った。シャワーから上がった舞はIDカードの電子マネー機能を使い、自販機でスポーツ飲料の"リフレッシュドリンク"を買っていた。

 カップの取り出し口から紙コップを取り出すと、それを一気に飲み干した。
 その様子をいずみが眺めていた。いずみは普通のジュースを買って壁に背を預けて立っていたところだった。走った後、何となく座る気になれなかったのだ。 
 「思った以上に大変かも」
 と舞は漏らしていた。

 その顔は午前に見せた明るい顔とは違っていた。部屋が一瞬静まり、自動販売機の機械が「ぶおん」と音を立てた。その静寂を破って、美咲とさくらがシャワーから帰ってきて、美咲の話声で途端に騒がしくなった。いずみが涼しい顔でジュースを飲んでいるのを美咲が見つけた。

 「いずみさん、なんか慣れてる感があるね」
 「まあ、そりゃ、モデルやってたしねぇ」
 「やっぱり、自主トレとかしてるの?」
 「モデルが体型崩したら仕事に響くっしょ?」
 「そっかー 大変なんだねー」
 「なに他人事みたいにいってんのよ? 美咲たちもこれから同じなんだからね」

  美咲はさくらと顔を見合わせた。

 「なんで?」
 「これから私たちはステージ立って人の前に出るのよ? 雑誌とかテレビとかだって出るかもしれないのに」
 「おお! そうか! そうだった! 私たちもそういうのするんだった!」

 美咲がなんか逆にはしゃいでいるので、いずみは苦笑するしかなかった。
 はしゃぐ美咲と、それを隣で笑顔でなだめるさくらの向こう側に、椅子に座りながら紙コップを見つめている舞が見えた。いずみは何か舞に話そうと顔を向けた。だが、その時、広森が

 「そろそろトレーニングルームにおいでってトレーナーさんが」

 と声をかけてきたので、舞の肩に手をおいて「いこ?」と声をかけるだけで終わった。 



 シャワーを浴びてさっぱりしたみんなは、トレーニングルームに集まり、必要な資料の配布を受けていた。そこに、ノックの音が聞こえ、ガラス戸からSVがトレーニングルームに入ってきた。

 「明日以降から本格的にダンスや演技のトレーニングが始まります。必要なものをリストアップしておきましたから、来週の日曜日までには揃えておいてね」

 そういいながら、みんなにプリントを配ってゆく。プリントにはトレーニングに必要なものがリストアップされていた。
 読み込んでいた美咲が
 
 「ダンススニーカー?」

 と首をかしげている。さくらも疑問に思ったようで、自分の足を見ながら

 「入社した時に、もらったこの靴じゃ、だめなのかな?」

 いずみと広森以外は、会社から入社時に支給されたお揃いのスニーカーを履いていた。さくらもランニングの時は私物のスニーカーを履いていたが、ダンススニーカーは私物で持ってはいなかった。トレーナーが疑問に答えてた。

 「それは強制じゃないけど、安いやつでいいから自分にあったダンススニーカーを買った方がいいわよ」
 「ダンススニーカーってなんですか?」
 「ダンスの専用スニーカーがあるのよ。ランニング用のスニーカーとかは正直言っておすすめできなわ」

 なんでも靴の底(ソール)の部分が違うし、何より構造的にランニング用などのスポーツ用途のものは前に進むことが前提で、ダンスのような左右に足首を動かすものに向いていないという。そのために、わざわざ会社が採用時にトレーニング用のスニーカーを支給したのだ。

 さくらはダンススニーカーというものの存在をはじめて知った。
 SVはみんなの足元を確認しながら、説明を続けた。

 「べつに動きやすければ無理に買わなくても今履いてるスニーカーでもいいわよ? 買うにしてもテニス用とかバスケ用とか。ランニングとかジョギング用はダメだけど」

 会社の売店でも一応トレーニング用のスニーカーは売っているが、
 
 「あんまり、長持ちしないのよね……それにはっきり言ってダサいし」
 
 とのことだった。

 ステージに立つ時は靴も専用のものが最初から用意されているからいいのだが、練習用のものはやはり怪我の防止や動きやすさを重視して自分に合ったものを買った方が安心なのだそうだ。

 美咲が「ダンススニーカーとか、見たことないなぁ」とさくらと一緒に考えこんでいると、いずみが「いや、私が履いてるのがそれだし」と自分のスニーカーを指差した。

 「これがダンスシューズ。普通のスニーカーとはちょっと違うっしょ?」
 「そうだったのかぁ。てっきり、いずみさんの趣味なのかと思ってた」
 「どういうことよ?」
 「いやあ、いずみさん、個性的だから」

 「フォローになってないわよ」

 そのやり取りを一切無視して、さくらはしゃがみこんでいずみのスニーカーを見ていた。さくらが指をさして「靴の底、ちがうね」と指摘した。
 美咲まで座り込んでシューズを観察する。
 いずみが少し背伸びして、つま先立ちしてみせた。

 「どうよ? これで違いがわかるでしょ?」 

 美咲が感心していた。

 「いずみさん、脚きれいだねー。せくしー!」
 「……それはありがとう。でも今はスニーカーを見て」
 「そうか、ランニングのとかと違って靴の底が自由に動くんだ」
 「まあ、そういう事。それと、左右に足首が動いても守ってくれるのよ」

 美咲とさくらが立ち上がった。
 どうやら美咲は気に入ったみたいで、「私もほしいなぁ」といずみにうらやましそうに話していた。


 「これ、どこで買うの? ダンス屋さん?」
 「ダンス屋さん? そういうのはないなぁ……私は通販だし……うーん」

 いずみが指を顎に当てて考えていると、広森が助け船を出した。

 「ダンススニーカーは県内ではあまり扱ってないから、買うならちょっと頑張って牛島までいかないと」

 と教えてくれた。美咲は広森から場所を聞いてメモっていた。
 パンパンと手をたたく音が聞こえ、トレーナーが

 「は~い、じゃあ、最後に声だしストレッチやって終わるわよ」

 と声をかけた。時計は17時を過ぎたころで、もうすぐ退勤の時間だった。



 廊下に出たSVは、ガラス越しにトレーニングの様子を見ていた城野に声をかけた。城野はバインダーに挟んだ紙に何かを書き込みながら思案しているところだった。SVは城野が気が付かないので、肩に手を置き、人差指を突き出した。
 ゆっくり振りかえり、頬に指が刺さった城野がじとーっとした目を向けた。

 「古いですよ、それ」
 「気が付かないんだもん」
 「まったく、人が真剣に考えているときに」
 「で、どうよ?」
 「うーん……見た限り、すでに自然にわかれちゃってる感じがしますよね。動かしちゃってもいいものかどうか……」
 「私もそれは感じたわ。自然に組むってことはそれだけ相性がいいってことじゃないかしら?」
 「じゃあ、大学生だけで組ませるのはなしにしますか?」
 「私はその方がいいかもって思い始めてるわよ」

 トレーニングルームではトレーナーにお腹と背中に手を当てられて、舞が必死に声を出していた。 
 

          **


 18時を過ぎ、みんながタイムレコーダーで例の儀式を済ませて、ロッカールームに着替えに入っていった。藤森が筋肉痛なのかギクシャク歩いていて、つばさが

 「ロボットみたいになってるけど、大丈夫か?」
 
 と声をかけていた。こまちが自分のロッカーからパワーキャンディーを取り出し、
 
 「回復! 無課金!」

 と藤森に渡した。

 藤森はお礼を言って飴を受け取った。つばさが「うちにも頂戴!」と催促すると、「課金!」とこまちがやり返していた。
 
 えー、ログインボーナスで1個くれよーとつばさがいうと、「ギフト!」と1つ取り出してつばさに渡した。藤森はふたりがそろって飴を口の中で転がす様子をみて

 「あんなに速く走ってたのに、よく元気ですねぇ」

 とうらやましそうにしていた。やり取りを聞いていた田澤が藤森の頭に手をそっと置いた。

 「あれは多分生まれつきなんだよ。ランニングは競争じゃないんだから無理しなくていいんだよ?」

 藤森は3人が気にしてくれていたのがうれしかったのか、田澤に

 「はい!」

 と明るい笑顔を向けた。
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