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第3章
新たなルール
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「テオ、何があったか全部教えて」
「お伝えしています。いつも通り貴女がなさっているように処刑を執行しただけです」
何度問い質してもテオはエレナの質問に答えてくれない。テオを信頼しているが、額面通りに受け取れないのはあの男がまともな人間でないことを知っているからだ。
代理など認めず休戦を破棄すればかなりの嫌がらせになる。ただいつも通りの処刑などカールにとっては何の面白みもないだろう。
だがテオの口は固かった。その頑なさが余計にエレナを落ち着かなくさせるが、こうなったテオはありのままの事実をエレナに伝えることはない。
何故テオがそこまで口を噤んだか、その理由は翌日に判明した。
カールの侍従であるフェイが直々にやってきて、お茶会に参加するよう伝えられた。
断りたいのはやまやまだが拒否権がないのはいつものこと。昨日はエレナ自身が刑を執行できなかったため、ペナルティが発生するのかもしれない。
憂鬱な気分を抱えつつ、解毒剤を事前に飲み込んでエレナは素早く準備を整える。
案内されたのはいつもの庭園ではなく、とある一室だった。
「エレナ姫、もう体調は大丈夫かな?」
「お気遣いありがとうございます」
ゆったりとした広さの室内は優美な装飾であるものの、窓以外の部分は書棚で埋められていて小さな書庫といった様子だ。だがそこにしつらえられた家具はどれも一級の品で、現在エレナが腰を下ろしているソファーも本来は座り心地がよいはずだ。
(距離がいつも以上に近い……)
フェイがお茶の支度をしているが、他に妃の姿は見つからずカールと二人きりでソファーに横並びで座っている。この状態が危険だと分かるのに回避する術がない。
おもむろにカールの冷たい指に顎を摑まれ、顔を上げさせられた。声を上げなかった自分を褒めてやりたい。氷のような瞳はいつもより冷ややかで観察するかのように細められている。
「まだ本調子ではないようだね。愚か者にはもう少し罰を与えてやるべきだったかな」
感情の昂りが感じられない静かな声なのに、背筋に冷たいものが走る。
「エレナ姫、口を開けて」
先ほどまでの気配が嘘のように、カールはチョコレートを手にしてにこやかな笑みを浮かべている。
口にしたチョコレートは甘く、毒が入っているように感じられなかった。とはいえエレナが気づかないだけという可能性もあるため、油断はできない。
カールは手についたチョコレートを舐めとって、楽しそうにエレナを見ている。
「もう他の人間に余計なことはさせないから、安心して食べていいよ。ああ、処刑ももういいかな。エレナ姫の肌に傷痕が残るのは面白くない」
髪を撫でられる不快感に堪えている中でのカールの発言に、作っていた笑顔が凍り付いた。
「……陛下、私の願いを叶えてくださるのではなかったのですか?」
戦争を停めさせるための代替案がなくなれば再び戦争を起こすのではないか。思わず両手に力が入り手の平に爪が食い込むが、痛みに集中することで冷静を保てる気がした。
「昨日のように君の騎士を代理に立てればいい。わりと好評だったようだし」
(好評ってどういう意味……)
そんなエレナの疑問を読みとったかのようにカールは続ける。
「君に蛇の毒を盛った疑いのある侍女たちを素手で処刑してもらった。武器がないと即死は難しいのだけど、その分観客は喜んでいたよ」
即死が難しいという事はその分苦痛が長引いたということだ。テオが頑なに詳細を話すことを拒んだ理由が分かった。
自分を殺しかけた相手を庇うつもりはないが、彼女たちとて命令に従わなければ命が危ない立場だ。非力な女性を素手で殺める非道な行為はどれだけテオの心を傷付けただろう。
「酷いですわ、陛下。愚か者の処刑は私にお任せくださったはずですのに、私よりテオのほうが優れているとおっしゃるのですか?」
拗ねたような口調で告げれば、カールの瞳に面白がるような色がよぎる。
「血に染まる君も美しいのだけど、こうやって愛でるのも悪くない」
腰を摑まれ引き寄せられる。反応を窺うカールをよそにエレナは顔を近づけ、耳元で囁いた。
「それなら遊戯をいたしましょう」
にこやかに微笑むエレナに少女のようなあどけなさはなく、蠱惑的な表情を浮かべていた。
新しい遊戯の内容を伝えてからテオはずっと怒っていた。怒りをぶつけられるわけでもなく、ただ無言でエレナに訴えている。
「テオ、お願いだからもう許して」
「何のことでしょう。許しを請うほど俺に何かしたのですか?」
そう言いながらもテオはエレナと目を合わせようとしない。返事をしてくれるだけましなのかもしれないが、滅多にエレナに対して怒ることのないテオが一度腹を立てれば収まるのに時間がかかる。
「勝手に決めてごめんなさい。でも――」
「貴女まで遊戯に参加する必要はなかったはずです。軽挙妄動を慎むようあれだけ申し上げましたのに、俺の言葉は覚える価値もありませんか?」
テオが自分を守ろうとしてくれていることは分かっている。けれど自分だってテオを守りたいし、もともとエレナが負うべき義務をテオに肩代わりさせるのは嫌だ。
「俺の代わりはいても貴女の代わりはいないのです」
テオはあくまでも正論で攻めてくる。個人的な感情を優先させることは王族として失格だと言外に告げられてエレナは何も言えなくなった。
「……ですが、決まってしまったものは仕方ありません。できるだけ俺に守らせてくださいね」
黙り込んだエレナを見てテオの声音が若干柔らかくなった。以前なら頭を撫でてくれていたが、もう二度とテオがエレナに触れることはない。頭では理解していたのに思いのほかその事実に心がきしんだ。
翌週エレナとテオは闘技場にいた。エレナがカールに提示した新たなルールはテオとエレナの共闘およびルールの変更だった。
エレナとテオが処刑を行い、その数を競うことで賭けの対象とするよう持ちかけたのだ。
最初の頃はエレナと罪人どちらが勝つかという単純なものだったが、罪人が勝つということは無罪放免に繋がるのだからあらかじめエレナが勝てる相手だけ選んでいるのではないか、そう疑う者が増えていった。
そうなれば賭けとして成立しない。それを見越したエレナの提案にカールは少し考える素振りを見せたが、最終的には許可した。
歓声に包まれて競技場に立ち、観客を見渡せば徐々に人数が増えているような気がした。
それほど面白い見世物なのだろうか。これが統治する者の影響力によるものならばと考えると思わず身震いするほど恐ろしい。
「エレナ姫」
エレナの様子に気づいたテオが気遣うように名前を呼ぶ。誰よりも大切で信頼できる相手が傍にいるなら、何でもできそうな気がしてくる。
「テオ、負けないよ?」
どれだけ血に染まったとしても彼が隣にいてくれるのなら、きっと大丈夫だ。
「ねえフェイ、僕は意外と独占欲が強いみたいだ」
(どちらかと言えば貴方が他人に執着するほうが意外でしたよ)
独り言のような主の声にフェイは心の中だけで返した。流石に不敬だと自覚していたので、代わりに別の言葉を口にする。
「あのテオとかいう騎士ですか?」
カールはつまらなそうな表情で紅茶を口にする。
「姫があんなに無防備な顔を見せるなんて妬けちゃうよね」
軽い口調なのに目が笑っていない。
自分が毒入りの茶菓子を与えることは楽しんでいたのに、王妃が手を出した途端にエレナへの対応を変えた。
お気に入りの玩具が他人に壊されかけたことで自覚したのだろう。カールの見た目に惑わされることなく、的確にその内面を見抜く人間は少ない。
そして自分の要求を通しつつ、カールを楽しませる人間は極めて稀だ。
「殺しますか?」
フェイは期待に満ちた表情でカールを見つめるが、笑いながら却下されてしまった。
「駄目だよ、あれはエレナ姫のお気に入りなんだ。ただ殺してしまうことなんて出来ない」
思案気な表情のカールだが、人の命を奪うことよりもエレナがどう思うかということに重点を置いている。
その様子にフェイは少し安堵した。主に大切な存在が出来たとしてもその残虐性に変化がないように思えたからだ。
嗜虐心の強いフェイがカールに仕える理由はそこにあった。
「邪魔者を排除しながら姫の心を僕に向けさせるには、どうしたらいいんだろうね」
そう言って遠くを見つめながらも、カールの頭の中には既に幾つかの方法が浮かんでいるだろう。
主の邪魔にならないようフェイは静かに膝をついてカールの命令を待つことにした。
「お伝えしています。いつも通り貴女がなさっているように処刑を執行しただけです」
何度問い質してもテオはエレナの質問に答えてくれない。テオを信頼しているが、額面通りに受け取れないのはあの男がまともな人間でないことを知っているからだ。
代理など認めず休戦を破棄すればかなりの嫌がらせになる。ただいつも通りの処刑などカールにとっては何の面白みもないだろう。
だがテオの口は固かった。その頑なさが余計にエレナを落ち着かなくさせるが、こうなったテオはありのままの事実をエレナに伝えることはない。
何故テオがそこまで口を噤んだか、その理由は翌日に判明した。
カールの侍従であるフェイが直々にやってきて、お茶会に参加するよう伝えられた。
断りたいのはやまやまだが拒否権がないのはいつものこと。昨日はエレナ自身が刑を執行できなかったため、ペナルティが発生するのかもしれない。
憂鬱な気分を抱えつつ、解毒剤を事前に飲み込んでエレナは素早く準備を整える。
案内されたのはいつもの庭園ではなく、とある一室だった。
「エレナ姫、もう体調は大丈夫かな?」
「お気遣いありがとうございます」
ゆったりとした広さの室内は優美な装飾であるものの、窓以外の部分は書棚で埋められていて小さな書庫といった様子だ。だがそこにしつらえられた家具はどれも一級の品で、現在エレナが腰を下ろしているソファーも本来は座り心地がよいはずだ。
(距離がいつも以上に近い……)
フェイがお茶の支度をしているが、他に妃の姿は見つからずカールと二人きりでソファーに横並びで座っている。この状態が危険だと分かるのに回避する術がない。
おもむろにカールの冷たい指に顎を摑まれ、顔を上げさせられた。声を上げなかった自分を褒めてやりたい。氷のような瞳はいつもより冷ややかで観察するかのように細められている。
「まだ本調子ではないようだね。愚か者にはもう少し罰を与えてやるべきだったかな」
感情の昂りが感じられない静かな声なのに、背筋に冷たいものが走る。
「エレナ姫、口を開けて」
先ほどまでの気配が嘘のように、カールはチョコレートを手にしてにこやかな笑みを浮かべている。
口にしたチョコレートは甘く、毒が入っているように感じられなかった。とはいえエレナが気づかないだけという可能性もあるため、油断はできない。
カールは手についたチョコレートを舐めとって、楽しそうにエレナを見ている。
「もう他の人間に余計なことはさせないから、安心して食べていいよ。ああ、処刑ももういいかな。エレナ姫の肌に傷痕が残るのは面白くない」
髪を撫でられる不快感に堪えている中でのカールの発言に、作っていた笑顔が凍り付いた。
「……陛下、私の願いを叶えてくださるのではなかったのですか?」
戦争を停めさせるための代替案がなくなれば再び戦争を起こすのではないか。思わず両手に力が入り手の平に爪が食い込むが、痛みに集中することで冷静を保てる気がした。
「昨日のように君の騎士を代理に立てればいい。わりと好評だったようだし」
(好評ってどういう意味……)
そんなエレナの疑問を読みとったかのようにカールは続ける。
「君に蛇の毒を盛った疑いのある侍女たちを素手で処刑してもらった。武器がないと即死は難しいのだけど、その分観客は喜んでいたよ」
即死が難しいという事はその分苦痛が長引いたということだ。テオが頑なに詳細を話すことを拒んだ理由が分かった。
自分を殺しかけた相手を庇うつもりはないが、彼女たちとて命令に従わなければ命が危ない立場だ。非力な女性を素手で殺める非道な行為はどれだけテオの心を傷付けただろう。
「酷いですわ、陛下。愚か者の処刑は私にお任せくださったはずですのに、私よりテオのほうが優れているとおっしゃるのですか?」
拗ねたような口調で告げれば、カールの瞳に面白がるような色がよぎる。
「血に染まる君も美しいのだけど、こうやって愛でるのも悪くない」
腰を摑まれ引き寄せられる。反応を窺うカールをよそにエレナは顔を近づけ、耳元で囁いた。
「それなら遊戯をいたしましょう」
にこやかに微笑むエレナに少女のようなあどけなさはなく、蠱惑的な表情を浮かべていた。
新しい遊戯の内容を伝えてからテオはずっと怒っていた。怒りをぶつけられるわけでもなく、ただ無言でエレナに訴えている。
「テオ、お願いだからもう許して」
「何のことでしょう。許しを請うほど俺に何かしたのですか?」
そう言いながらもテオはエレナと目を合わせようとしない。返事をしてくれるだけましなのかもしれないが、滅多にエレナに対して怒ることのないテオが一度腹を立てれば収まるのに時間がかかる。
「勝手に決めてごめんなさい。でも――」
「貴女まで遊戯に参加する必要はなかったはずです。軽挙妄動を慎むようあれだけ申し上げましたのに、俺の言葉は覚える価値もありませんか?」
テオが自分を守ろうとしてくれていることは分かっている。けれど自分だってテオを守りたいし、もともとエレナが負うべき義務をテオに肩代わりさせるのは嫌だ。
「俺の代わりはいても貴女の代わりはいないのです」
テオはあくまでも正論で攻めてくる。個人的な感情を優先させることは王族として失格だと言外に告げられてエレナは何も言えなくなった。
「……ですが、決まってしまったものは仕方ありません。できるだけ俺に守らせてくださいね」
黙り込んだエレナを見てテオの声音が若干柔らかくなった。以前なら頭を撫でてくれていたが、もう二度とテオがエレナに触れることはない。頭では理解していたのに思いのほかその事実に心がきしんだ。
翌週エレナとテオは闘技場にいた。エレナがカールに提示した新たなルールはテオとエレナの共闘およびルールの変更だった。
エレナとテオが処刑を行い、その数を競うことで賭けの対象とするよう持ちかけたのだ。
最初の頃はエレナと罪人どちらが勝つかという単純なものだったが、罪人が勝つということは無罪放免に繋がるのだからあらかじめエレナが勝てる相手だけ選んでいるのではないか、そう疑う者が増えていった。
そうなれば賭けとして成立しない。それを見越したエレナの提案にカールは少し考える素振りを見せたが、最終的には許可した。
歓声に包まれて競技場に立ち、観客を見渡せば徐々に人数が増えているような気がした。
それほど面白い見世物なのだろうか。これが統治する者の影響力によるものならばと考えると思わず身震いするほど恐ろしい。
「エレナ姫」
エレナの様子に気づいたテオが気遣うように名前を呼ぶ。誰よりも大切で信頼できる相手が傍にいるなら、何でもできそうな気がしてくる。
「テオ、負けないよ?」
どれだけ血に染まったとしても彼が隣にいてくれるのなら、きっと大丈夫だ。
「ねえフェイ、僕は意外と独占欲が強いみたいだ」
(どちらかと言えば貴方が他人に執着するほうが意外でしたよ)
独り言のような主の声にフェイは心の中だけで返した。流石に不敬だと自覚していたので、代わりに別の言葉を口にする。
「あのテオとかいう騎士ですか?」
カールはつまらなそうな表情で紅茶を口にする。
「姫があんなに無防備な顔を見せるなんて妬けちゃうよね」
軽い口調なのに目が笑っていない。
自分が毒入りの茶菓子を与えることは楽しんでいたのに、王妃が手を出した途端にエレナへの対応を変えた。
お気に入りの玩具が他人に壊されかけたことで自覚したのだろう。カールの見た目に惑わされることなく、的確にその内面を見抜く人間は少ない。
そして自分の要求を通しつつ、カールを楽しませる人間は極めて稀だ。
「殺しますか?」
フェイは期待に満ちた表情でカールを見つめるが、笑いながら却下されてしまった。
「駄目だよ、あれはエレナ姫のお気に入りなんだ。ただ殺してしまうことなんて出来ない」
思案気な表情のカールだが、人の命を奪うことよりもエレナがどう思うかということに重点を置いている。
その様子にフェイは少し安堵した。主に大切な存在が出来たとしてもその残虐性に変化がないように思えたからだ。
嗜虐心の強いフェイがカールに仕える理由はそこにあった。
「邪魔者を排除しながら姫の心を僕に向けさせるには、どうしたらいいんだろうね」
そう言って遠くを見つめながらも、カールの頭の中には既に幾つかの方法が浮かんでいるだろう。
主の邪魔にならないようフェイは静かに膝をついてカールの命令を待つことにした。
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