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第1章
魔王に誘拐されました
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「――姫」
低く囁くような声が聞こえて目を開けると、紫の瞳が無表情に佑那を見下ろしている。
(怖っ!っていうか顔、近くない?!)
内心絶叫しながら一歩後ろに下がろうとするが、びくともしない。背中から伝わる微かな温もりと掴まれたままの右腕を見て、抱き寄せられた状態になっていることにようやく気づく。
(え、何でこんなことになっているの? いや、それよりもここどこよ?!)
頬に当たる風は冷たく、視線を動かすといつの間にか小さな四阿のような場所にいた。高い場所にあるらしく、眼下には木々が生い茂っており遠くに山々がそびえたっている。反対側に顔を向ければ、石畳の先には重厚な建物が見える。
(ヨーロッパのお城みたい。……だとすればここは中庭のような場所になるのかな?)
「ひゃぁ⁉」
きょろきょろと周囲を見渡していたところ、急に体を持ち上げられて佑那の口から情けない声が漏れる。
「お、下ろしてください!」
「何故?」
勇気を振り絞って伝えたのに、間髪入れずに問われて言葉に詰まった。
(何故って……私がおかしいの?……でも、いやいやいや、知らない人に、というか知り合いであってもこんなお姫様抱っことか恥ずかしくて無理だから!)
男は押し黙ってしまった佑那を気にする様子もなく歩き始める。
「……あの、自分で歩けますから」
「靴がなかろう」
そう返されて足先を見ると確かに靴が片方ない。どこかで脱げてしまったようだ。
「でも……重いですし」
「構わん」
無表情かつ淡々とした口調で佑那の言い分をものともせず、回廊を進んでいく。落ち着かないことこの上ないが、どうやら素足で歩かなくていいように配慮してくれているらしい。
(だとすれば悪い人ではないのかもしれない?)
そんな考えが頭をよぎるが、血の匂いと床に倒れた兵士たちの姿を思い出して甘い期待を振り払う。
あれは本当にあった出来事だし、国王の私室に侵入していた男なのだ。それに一番気に掛かるのが魔物だと言った兵士の言葉。
そっと様子を窺えば、端正な顔立ちに見入ってしまいそうだ。だがその表情には温度が感じられず、冷淡に見せている。
彼の言動がちぐはぐなこともまた状況が見えない原因の一つだ。何を考えているのか分からないが、このまま黙って運ばれるというのも居心地が悪い。そう思った佑那は迷った末にお礼を伝えることにした。靴がないまま歩かせることも出来るのに、わざわざ抱きかかえてくれているのだからと——。
「あの……ありがとうございます」
「……」
規則的に響いていた靴音が止まった。男は表情を変えないまま無言で佑那を見下ろしている。
(え、何で?怖いんですけど?!お礼を言ってはいけない文化とかあったりする?!)
何やら圧がすごくて佑那は内心パニックに陥った。怖いのに目を逸らせず、それがまた恐怖に拍車をかける。どうしていいか分からず泣き出しそうになっていると、回廊の奥から男性の声が聞こえてきた。
「お帰りなさいませ、陛下」
男の視線が外れて金縛りが解ける。佑那が声のした方向に顔を向けると、銀色の髪をした男性が恭しく礼をしているところだった。
(んんっ?陛下ってことは王様だよね。魔物の王様——ってことはもしかして)
「……魔王?」
考えていたことがぽろりとこぼれ出てしまい、慌てて両手で口を押えるが時すでに遅し。
「そうだ」
はっきりとした肯定が返ってきて、佑那は血の気が引くのが分かった。どうして魔王が自分を攫ったのか分からないが、最悪な結果しか思い浮かばない。
「珍しいものをお持ち帰りになられましたね。こちらでお預かりいたしましょうか?」
「アーベル、邪魔だ。下がれ」
銀髪の男性の言葉に短く告げると、魔王は再び歩き出しそのまま扉の奥へと向かった。
モノトーンで統一された室内は落ち着いた雰囲気というよりも、広さに反して物が少ないため空虚な印象を受ける。ダイニングテーブルやソファーなどが置かれた部屋を横切り、さらに扉を開くとそこは寝室だった。
広いベッドの縁に降ろされると、片方だけになった靴を脱がされた。抵抗すればどんな目に遭うか分からないとじっとしているが、嫌な想像がちらついて身を固くする。だが魔王はそのまま別の扉を開けると、何も言わずに部屋から出て行った。
しばらくそこから目を離せなかったが、戻ってくる様子がないと分かって佑那は深い溜息を吐いて力を抜いた。
(よ、よかった!どうなることかと思ったよ。というか、そういう目的だったら私じゃなくて絶対サーシャ様を選ぶよね)
自分の容姿にコンプレックスはないが、女性としての華やかな魅力がないこと感謝する日が来るとは思わなかった。
「……でもじゃあ何のために連れてこられたんだろう?」
魔王が国王の私室に侵入したのは、何かしらの目的があったからだろう。問題は目的が達成されたかどうかだが、その可能性は低いと佑那は想っている。わざわざ自分を連れて帰ったのは人質として利用するためではないだろうか。
(でも、それを考えるとやっぱりグレイス様のほうが人質としての価値は高いのに……あ、でもそういえば!)
転移直後に魔王は佑那のことを姫と呼んだのだ。だとすれば魔王はグレイスと間違えて佑那を攫ったのかもしれない。服装だけ見れば、佑那のために用意された衣類もかなり質が良い物を揃えていたし、夜なので二人とも簡易なナイトドレスと上着のみだったから判断が付きづらかっただろう。
(私のほうが後から入ってきたし、ウィルもその方という言い方をしたから勘違いした可能性はある)
確定ではないものの、攫われた理由の見当がついたことで少しだけ気分が落ち着いた。人質ならばすぐに殺されることはないだろう。
室内の様子をうかがうと、広いベッドの他にはサイドテーブルぐらいしかない殺風景な部屋だ。室内の装飾に関しては、フィラルドで佑那に準備された部屋のほうが幾分か華美であるように思うが、ベッドのシーツは手触りが良く上質な素材を使っていることが分かる。
(こんな部屋に閉じ込められたんだから、扱いはそこまで酷くないはず……)
期待しすぎてはいけないが、落ち込んでばかりいても辛くなるだけだ。
(みんな、無事だったかな……)
暗くてよく見えなかったが、あの時ウィルも無傷ではなかったはずだ。こちらに向かって伸ばされた指先は赤く染まっていた。その記憶と連動して血の匂いまで蘇り、近くにあった枕を手繰り寄せて顔を埋める。
(大丈夫、ウィルは筆頭魔術師だもん。それにグレイス様を守れて良かった)
あの時咄嗟に身体が動いて良かったと思う。一宿一飯どころか1ヶ月もお世話になったのだから、少しは役に立たなければ身の置き場がない。
救世主になれなくても、グレイスの身代わりになれたことは自分にしては上出来だろう。
「でも、ちょっと疲れちゃったな」
まだ夜明けには早く、どんな目に遭うか怯えていたこともあり、身体が休息を欲している。とはいえ攫われたばかりで警戒しなければならないことも分かっているのだ。
(ちょっとだけ、横になろう)
枕を抱きしめたまま、ベッドの隅で丸くなるとたちまち睡魔が押し寄せてきて、佑那は意識を手放した。
低く囁くような声が聞こえて目を開けると、紫の瞳が無表情に佑那を見下ろしている。
(怖っ!っていうか顔、近くない?!)
内心絶叫しながら一歩後ろに下がろうとするが、びくともしない。背中から伝わる微かな温もりと掴まれたままの右腕を見て、抱き寄せられた状態になっていることにようやく気づく。
(え、何でこんなことになっているの? いや、それよりもここどこよ?!)
頬に当たる風は冷たく、視線を動かすといつの間にか小さな四阿のような場所にいた。高い場所にあるらしく、眼下には木々が生い茂っており遠くに山々がそびえたっている。反対側に顔を向ければ、石畳の先には重厚な建物が見える。
(ヨーロッパのお城みたい。……だとすればここは中庭のような場所になるのかな?)
「ひゃぁ⁉」
きょろきょろと周囲を見渡していたところ、急に体を持ち上げられて佑那の口から情けない声が漏れる。
「お、下ろしてください!」
「何故?」
勇気を振り絞って伝えたのに、間髪入れずに問われて言葉に詰まった。
(何故って……私がおかしいの?……でも、いやいやいや、知らない人に、というか知り合いであってもこんなお姫様抱っことか恥ずかしくて無理だから!)
男は押し黙ってしまった佑那を気にする様子もなく歩き始める。
「……あの、自分で歩けますから」
「靴がなかろう」
そう返されて足先を見ると確かに靴が片方ない。どこかで脱げてしまったようだ。
「でも……重いですし」
「構わん」
無表情かつ淡々とした口調で佑那の言い分をものともせず、回廊を進んでいく。落ち着かないことこの上ないが、どうやら素足で歩かなくていいように配慮してくれているらしい。
(だとすれば悪い人ではないのかもしれない?)
そんな考えが頭をよぎるが、血の匂いと床に倒れた兵士たちの姿を思い出して甘い期待を振り払う。
あれは本当にあった出来事だし、国王の私室に侵入していた男なのだ。それに一番気に掛かるのが魔物だと言った兵士の言葉。
そっと様子を窺えば、端正な顔立ちに見入ってしまいそうだ。だがその表情には温度が感じられず、冷淡に見せている。
彼の言動がちぐはぐなこともまた状況が見えない原因の一つだ。何を考えているのか分からないが、このまま黙って運ばれるというのも居心地が悪い。そう思った佑那は迷った末にお礼を伝えることにした。靴がないまま歩かせることも出来るのに、わざわざ抱きかかえてくれているのだからと——。
「あの……ありがとうございます」
「……」
規則的に響いていた靴音が止まった。男は表情を変えないまま無言で佑那を見下ろしている。
(え、何で?怖いんですけど?!お礼を言ってはいけない文化とかあったりする?!)
何やら圧がすごくて佑那は内心パニックに陥った。怖いのに目を逸らせず、それがまた恐怖に拍車をかける。どうしていいか分からず泣き出しそうになっていると、回廊の奥から男性の声が聞こえてきた。
「お帰りなさいませ、陛下」
男の視線が外れて金縛りが解ける。佑那が声のした方向に顔を向けると、銀色の髪をした男性が恭しく礼をしているところだった。
(んんっ?陛下ってことは王様だよね。魔物の王様——ってことはもしかして)
「……魔王?」
考えていたことがぽろりとこぼれ出てしまい、慌てて両手で口を押えるが時すでに遅し。
「そうだ」
はっきりとした肯定が返ってきて、佑那は血の気が引くのが分かった。どうして魔王が自分を攫ったのか分からないが、最悪な結果しか思い浮かばない。
「珍しいものをお持ち帰りになられましたね。こちらでお預かりいたしましょうか?」
「アーベル、邪魔だ。下がれ」
銀髪の男性の言葉に短く告げると、魔王は再び歩き出しそのまま扉の奥へと向かった。
モノトーンで統一された室内は落ち着いた雰囲気というよりも、広さに反して物が少ないため空虚な印象を受ける。ダイニングテーブルやソファーなどが置かれた部屋を横切り、さらに扉を開くとそこは寝室だった。
広いベッドの縁に降ろされると、片方だけになった靴を脱がされた。抵抗すればどんな目に遭うか分からないとじっとしているが、嫌な想像がちらついて身を固くする。だが魔王はそのまま別の扉を開けると、何も言わずに部屋から出て行った。
しばらくそこから目を離せなかったが、戻ってくる様子がないと分かって佑那は深い溜息を吐いて力を抜いた。
(よ、よかった!どうなることかと思ったよ。というか、そういう目的だったら私じゃなくて絶対サーシャ様を選ぶよね)
自分の容姿にコンプレックスはないが、女性としての華やかな魅力がないこと感謝する日が来るとは思わなかった。
「……でもじゃあ何のために連れてこられたんだろう?」
魔王が国王の私室に侵入したのは、何かしらの目的があったからだろう。問題は目的が達成されたかどうかだが、その可能性は低いと佑那は想っている。わざわざ自分を連れて帰ったのは人質として利用するためではないだろうか。
(でも、それを考えるとやっぱりグレイス様のほうが人質としての価値は高いのに……あ、でもそういえば!)
転移直後に魔王は佑那のことを姫と呼んだのだ。だとすれば魔王はグレイスと間違えて佑那を攫ったのかもしれない。服装だけ見れば、佑那のために用意された衣類もかなり質が良い物を揃えていたし、夜なので二人とも簡易なナイトドレスと上着のみだったから判断が付きづらかっただろう。
(私のほうが後から入ってきたし、ウィルもその方という言い方をしたから勘違いした可能性はある)
確定ではないものの、攫われた理由の見当がついたことで少しだけ気分が落ち着いた。人質ならばすぐに殺されることはないだろう。
室内の様子をうかがうと、広いベッドの他にはサイドテーブルぐらいしかない殺風景な部屋だ。室内の装飾に関しては、フィラルドで佑那に準備された部屋のほうが幾分か華美であるように思うが、ベッドのシーツは手触りが良く上質な素材を使っていることが分かる。
(こんな部屋に閉じ込められたんだから、扱いはそこまで酷くないはず……)
期待しすぎてはいけないが、落ち込んでばかりいても辛くなるだけだ。
(みんな、無事だったかな……)
暗くてよく見えなかったが、あの時ウィルも無傷ではなかったはずだ。こちらに向かって伸ばされた指先は赤く染まっていた。その記憶と連動して血の匂いまで蘇り、近くにあった枕を手繰り寄せて顔を埋める。
(大丈夫、ウィルは筆頭魔術師だもん。それにグレイス様を守れて良かった)
あの時咄嗟に身体が動いて良かったと思う。一宿一飯どころか1ヶ月もお世話になったのだから、少しは役に立たなければ身の置き場がない。
救世主になれなくても、グレイスの身代わりになれたことは自分にしては上出来だろう。
「でも、ちょっと疲れちゃったな」
まだ夜明けには早く、どんな目に遭うか怯えていたこともあり、身体が休息を欲している。とはいえ攫われたばかりで警戒しなければならないことも分かっているのだ。
(ちょっとだけ、横になろう)
枕を抱きしめたまま、ベッドの隅で丸くなるとたちまち睡魔が押し寄せてきて、佑那は意識を手放した。
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