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第1章

それは咄嗟の行動でした

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佑那がフィラルド王国に来て1ヶ月経っていた。
フェリクスにフィラルド語を、時折ウィルにカナン大陸や魔物について教わりながら一日の大半を図書館で過ごす、平穏な日々が続いていた。

「フェリクスは教え方上手だね。おかげで子供向けの本なら辞書なしでもなんとか読めるようになったよ」
休憩時間にお茶を飲みながら、そう伝えるとフェリクスは顔を真っ赤にして否定した。

「いえ、違います。それはユナ様が聡明でいらっしゃるからです。それに教え方が上手だとしたら、ウィル様のおかげです。俺に読み書きを教えてくれたのはウィル様ですから」
そんなフェリクスの言葉に苦笑して、ウィルは穏やかに告げる。

「そんな風に言ってもらえるほど、教えてないだろう。せっかくユナが褒めてくれたのだから、素直に礼を言えばいい」
「もちろんウィルにも感謝しているよ。二人ともありがとう」

いまだに佑那の立場は曖昧なものだったが、救世主であれば国王に次ぐ地位なのだからと敬称は不要だとウィルから言われて折衷案として互いに名を呼び捨てにすることで落ち着いたのだ。勉強を通じて話すようになれば、ウィルは責任感が強く実直な性格だが、考え方は柔軟で面倒見が良かった。忙しいのに時間を作って勉強を教えてくれるし、1日1回一緒に食卓を囲むのも佑那の立場上、知り合いを増やすことが難しい故の配慮だろう。

そんな風に気を配ってくれることを最初のうちは心苦しく思っていたが、他愛のない話をしながら一緒に食事をすることで身体も心も満たされることに気づいた。それ以来ウィルの気遣いに感謝することにして、その時間を今ではとても楽しみにしている。

「昨日は子供向けの救世主伝承読み終えたのだけど、他の書物も内容はほとんど同じなんだよね?」
「ええ、もちろん古文書のほうが多少難解な表現やその他の事項も表記されていますが、要点は変わりません。もう少しユナの読解力が上達したら、原書をお見せします」

ウィルにも丁寧な口調を止めてもらうよう頼んだが、賓客という立場を周囲にアピールすることで周囲への牽制になり、癖のようなものだと言われれば強く言えない。

「どうやって国を救ったか分かれば、今後の方向性も分かるんだけど…。こういうのって口伝えで受け継がれていたりしないの?たとえば前任の筆頭魔導士の方からとか」

フィラルド王国における魔術師の地位は高い。魔術を駆使し、王族を守る役目もあるが、城の内政にも深くかかわっているため、文献の整理や記録なども任せられている。以前読んだ本の中で、昔の王族が機密度の高い情報を後継者に口伝で継承するという場面があったことから連想したことだった。
佑那の言葉にフェリクスが気まずそうな表情を見せ、失言に気づいた。

「あ、ごめんなさい。何も考えずに聞いてしまったけど、話しちゃいけないこともあるよね」
「いえ、大丈夫です。先代の筆頭魔術師は私の師でもあるのですよ。私はもともとフィラルド北部の山間部に近い農村の出身なのですが、たまたま師匠が訪れた際に素質を見込まれて弟子にしてもらいました。私が王都に来たのはそれからです」

懐かしむようにウィルは目を細めて話し始めた。

「師匠はかなり変わった性格でしたが、私とは相性が良かったのでしょう。修行自体は厳しかったものの実の子供のように可愛がってもらいました。ですが私がようやく一人前として認められるようになったころ、ーー魔物に襲われてこの世を去りました」

どうりでフェリクスが困ったような顔をするわけだ。不躾な質問をしてしまった佑那は自分の発言を悔やみながら謝罪した。

「……ごめんなさい。軽い気持ちで辛いことを聞いて」
「いえ、昔のことですから。でも師匠が生きていたらユナを見て驚いたでしょうね。まだ幼い頃に救世主伝承の話をしたら、『国の危機を救うのは我ら魔術師の役目で救世主などに頼らん』などと息巻いていましたから」

冗談交じりに告げるウィルの言葉で空気が和む。ほっとして紅茶を飲むと、ウィルはクッキーが盛られた小皿を佑那のほうに押し出した。

「私の分も良かったらどうぞ。ユナは好きでしょう?」
「もう、あれは忘れてよ!気が緩んでいたし、今まで食べたクッキーの中で一番美味しくてびっくりしたんだもん」

むっとした表情を見せると、フェリクスは楽しそうに声を上げて笑った。どこか無防備で飾り気のない笑みに目が引き付けられて、心がじわりと温かくなる。

(こういう瞬間が好きだな。平和でとても居心地がいい)

窓の外には青空が広がっていて、羽ばたく鳥の影が遠くに見える。穏やかな時間がいつまでも続いて欲しいと佑那は心から願った。


「ユナ、この本は子供から大人まで楽しめる内容だからよかったら読んでみて」
午後はグレイスから招待を受けて部屋で一緒にお茶をいただいている。彼女は素直で明るい性格で一緒にいて楽しい。

幼い頃に母親である王妃を病気で亡くしているため、一人娘のグレイスは国王からはもちろん周囲の人間にも大切に育てられ、今では近隣諸国でも評判の姫君だそうだ。最初は佑那を救世主として丁重に扱っていたものの、だんだん佑那自身を見てくれるようになり口調も気さくなものへと変わっていった。
何の役に立てていないのに居座っていることを申し訳なく思う一方で、気兼ねなく話ができる相手がいることはとてもありがたい。

フェリクスが言った通り救世主伝承は有名らしく、佑那の姿を見た人々は期待に満ちた表情を浮かべる。中には祈りを捧げる人もいた。ウィルは何も言わないけれど、魔物の被害は相変わらずなのだろう。もしこのまま魔物の被害が大きくなったらと思うと胸が重くなる。佑那が何の力を持っていないことは一部の関係者以外知らないことだ。これだけ期待されているのに、それに応えられなかったときの落胆や怒りは計り知れない。

(そういえば昔の祈祷師は雨ごいに失敗すると生贄にされたんだっけ…)

嫌な想像が頭をよぎるが、あり得ない話ではないかもしれない。もちろんグレイスやウィルがそんなことをするような人間ではないと分かっているが民衆心理はまた別の問題だ。
国の危機を回避する仕事なんて、ハードル高すぎる。

「ユナ?」
思わずため息をついてしまった佑那をグレイスが心配そうに見ていたため、慌てて笑顔で誤魔化す。

「すみません、ちょっと別のことを考えていました」
「ユナ、ごめんなさいね。いきなり救世主扱いされたあげく、助けて欲しいなんて言われたら迷惑だと思われても仕方ないわ」
グレイスは愁いを帯びた表情で佑那に詫びた。

「ユナが救世主かどうか分からないけど、私はあなたがここに来たことは運命だとも思っているわ。でもだからと言って決してあなたに無理な行為を強いるつもりはないの。だからあまり思い詰めないでね」

自分の気持ちを慮ってくれているグレイスの言葉に涙が出そうになった。温かい気持ちに満たされて、佑那は改めてこの国のためにできることを探そうと決心した。



真夜中、佑那は目を覚ました。寝つきは良いほうで普段夜中に目を覚ますことはあまりないのだが、なんとも言えない奇妙な感覚があった。

「何だろう、この感じ。不安な気持ちが一番近い気がするけど……」

どうにも落ち着かずに起き上がると、外でかすかな物音が聞こえた。夜着の上に薄手の上着をはおり、佑那はそっと部屋のドアを開ける。物音はどうやら上の階、王族の居住スペースからだ。一瞬迷ったが、胸騒ぎを感じて音の聞こえた方向に向かう。最悪迷ったと言えば、佑那の立場ならそうマズいことにならないはずだ。

階段を駆け上がり、グレイスの部屋の前で足を止める。ノックをしようと手を動かしかけたと同時に部屋のドアが開く。
思わず悲鳴を上げそうになったが、扉に手をかけているのはグレイスだ。

「ユナ?」
「グレイス様、夜分にすみません。その、大丈夫ですか?」
「私は無事よ。……でも何だかお城の様子がおかしいわ」

グレイスは微力ながら魔力を持っており、訓練した魔術師のような魔術は使えないが、彼女の予感は良く当たるという。
(やっぱり何かよくないことが起きているのかな……)

その時、国王の私室から何か重いものが倒れるような鈍い音がした。

「お父様!?」
グレイスが部屋の方へ勢いよく駆けだしたため慌てて後を追う。もし何か起こっているのなら危険だし、近づけてはいけない。制止の声をかけるが、聞こえていないのかグレイスの足は止まらない。何とか追いついたが、グレイスが扉を開くほうが早かった。

室内に足を踏み入れた途端、佑那は声を失い立ちすくんでしまった。血の匂いと暴力の気配が色濃く漂っている。倒れて動かない数名の兵士、国王を背後に庇うように立ちはだかるウィル、そして窓を背にして佇む黒い影。月明りがまぶしく、その顔は見えない。

「姫……魔物が…」
入り口近くに倒れていた兵士が声を振り絞り注意を促すが、それは逆効果だった。

「……姫?」
黒い影が反応し、国王が悲痛な叫び声を上げる。

「グレイス、逃げなさい!」

(守らなきゃ!)
咄嗟に頭に浮かんだのはそれだけだった。グレイスの腕を引き、場所を入れ替えると同時に頭上が翳った。顔を上げれば、暗がりに浮かぶアメジストの瞳が目の前にあり息を呑む。先ほどの黒い影だと頭の片隅で理解するが、突然のことに視線を逸らせずにいると、腕を掴まれ引き寄せられる。

「やめろ! その方を放せ!」
焦ったようなウィルの声。それは今までに聞いたことがないほど、切迫した響きを帯びていた。

(……私、このまま死ぬのかな)

ぼんやりと最悪の事態がよぎるが、恐怖で固まった身体は言うことをきかない。男が何かをつぶやく声が聞こえたかと思うと急に視界がゆがんだ。その不快感には佑那は思わずぎゅっと目を閉じれば周囲から音が消えた。
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