暴君マフィアの愛玩人形

浅海 景

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初めての旅行

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「旅行にでも行くか。朔空、北と南ならどっちがいい?」

最近では朔空の扱いに慣れてきたのか、零は何かを決めさせるときは二択か三択の選択肢を与えて訊ねるようになった。拓斗兄さんや唯美さんも朔空を優先しようと何かにつけて選ばせようとしてくれたものだ。
尤も行くか行かないかの二択ではなく、どこに行くかを訊ねるのは零らしい。

「じゃあ…南?」

ざっくりとした選択肢のため、どちらを選んでも問題ないのだろうと思えた。

「そうか」

それで会話は終わったから、もっと先のことだと思っていたのに……。

まさかその翌日に出発することになるとは思わなかった。人生初の飛行機はプライベートジェットと呼ばれるものだったが、普通の飛行機に乗ったこともないのでよく分からないが快適だったと思う。
高度を上げている間は胃が落ち着かず、目を閉じているうちに眠ってしまい、着陸の衝撃で目が覚めたからだ。

到着後もむわっとした熱気を感じたのも一瞬で、適温に保たれた車内に乗り込む。いつもと違う風景を眺めていると、肩を引き寄せられる。
何だろうと零を見つめれば、小さく溜息を吐かれて膝の間に座らされた。普段も背後から抱き着かれる形で座る体勢が多いが、もしかしていつの間にか定位置になっていたのだろうか。

そんなことを思いながらも窓の外に広がる海の色を見ていた。透明な水が淡いターコイズブルーから徐々にコバルトブルーへと変わっていく。
空も海もたくさんの青が鮮やかで、零のマンションで最初に出されたコーヒーカップを思い出す。夜になればきっと似た青が夜空に浮かぶことだろう。

「昼飯を食ったら水族館に連れて行ってやるから、いい子にしてろよ?」

思わず振り返ると、零が目を細めて柔らかい笑みを浮かべていた。

綺麗……。

琥珀色の宝石よりも複雑な色味を帯びたその瞳に、手を伸ばしたくなるような感覚を覚えたことに驚いて目を逸らす。
魅入られるというのはこういうことなのだろうと実感しながら、じわじわと押し寄せてくる感情を吞み込んだ。
以前朔空が気に入っていたから連れていこうと考えてくれたのだろう。

すごく……大事にされてる感じがする。

空や海がとても綺麗で、零の雰囲気が柔らかくて優しくて、更には水族館への期待も相まって、胸がぎゅっとなる。

嬉しくてそわそわして苦しいような不思議な気持ちを抱えたまま、到着したのは海辺のハンバーガーショップだった。
貸切なのか他に客の姿はなく、すぐに大きなサイズのハンバーガーやポテトにタコスまでテーブルの上に並ぶ。

「こっちのほうが食べやすいだろう」

タコスを差し出されて食べるとジューシーな野菜とごろっとしたお肉、甘辛いソースがおいしい。ぽろぽろとこぼしてしまいそうな具材だが、零の食べさせ方が上手いのか綺麗に朔空のお腹に収まった。
一緒に頼んでくれたマンゴージュースも濃厚でおいしい。その合間に零はハンバーガーにかぶりついている。

「ん、こっちも食べるか?」

かなりの厚さなのに口の端を汚さずぱくぱくと食べ進めていく様子に感心していると、視線に気づいた零がハンバーガーを口元に寄せた。
そういうわけではなかったが、せっかくなので一口かじる。お肉感が強くて美味しいけどたくさんは食べられない味だ。
零もそれを理解しているのか、代わりにポテトを食べさせてくれた。

ほくほくのポテトも温かいうちがおいしいのに、朔空に食べさせるのに忙しくて口にする余裕がないのかもしれない。
そう考えて代わりにポテトを摘まんで零の口元に運ぶと、困惑したような眼差しを向けられてしまった。
余計なことだったかなと手を引きかけると、零が指ごと食べてしまいそうな勢いでぱくりと口に入れた。

「ん、うまいな」

そう言って微笑んだ零は何だかとても嬉しそうで、やってみて良かったなと思っていると、一転して零の表情が険しくなった。

「三上」

雨の中で零が発した言葉と同じ温度の低さであったことに気づいたと同時に扉が乱暴に開いた。

「ふふ、やっぱり零だったのね。会いたかったわ」

暑い中きっちりとスーツを着たサングラスの男たちの背後から、優雅な笑みを浮かべた女が現れた。
涼やかな目元と力強い瞳、すっと通った鼻梁や艶やかな唇の紅色が目を惹く美女だ。
腰まで伸びた緩やかなダークブラウンの髪をなびかせながら、こちらに近づこうとした女の進路を三上さんが塞ぐ。

「どきなさい」
「どうかお引き取りください。社長は面会を望んでおられません」

女が柳眉を逆立てるのと同時に背後にいた男たちの雰囲気が険悪になる。
張り詰めた空気の中で零は大丈夫だというように朔空の肩を軽く撫でた。薄く笑っているものの苛立ちが見て取れる。

「お前に用はないわ。ねえ零、子供のお守りは部下に任せて、私と一緒に情熱的な時間を過ごしましょう?退屈なんて感じさせない刺激的な夜を約束してあげる」

艶やかな声音と大胆に開いた胸元、スリットから覗くすらりとした脚が煽情的で、同性であっても目のやり場に困ってしまいそうだが、零は一顧だにしない。

「三上、さっさと捨ててこい。耳障りだ」
「これ以上社長の機嫌を損ねないうちにご退出されるのが賢明かと。お分かりいただけなければきちんと教えて差し上げますが、いかがいたしますか?」

ことさらに丁寧な口調なのに、三上さんの声が色を変えた。ほとんど変わっていないのに、脅しと暴力的な気配を含んだ不穏さに、朔空は小さく息を呑んだ。

「朔空、すぐに終わらせるから気にするな」

耳元で囁く零の声は穏やかで優しい。だけどその仕草が女の癇に障ったのか、甲高い声が響いた。

「零……そんなつれないところもあなたの魅力だけど、あまり構ってくれないと私も寂しくてお父様に甘えてしまうかもしれないわ」

優位性を感じさせる口調に、女の父親は零にとって重要な取引相手だったりするのだろうかと考えた。自分がいるせいで零の不利益になるのは嫌だなと思って、僅かに身体を引いた途端に、零が朔空を引き寄せ膝の上に乗せる。

「んぅ……」

唇の感触とともに舌が入ってきた。零の両手が朔空の耳を塞いでいて、舌の動きや唾液を呑み込む音が淫らに響く。人前であることよりもそちらに気を取られて、身体があっという間に熱を帯びる。

ようやく唇が離れた頃には、女たちだけでなく三上さんの姿も消えていた。
わざわざキスをして耳を塞いだのは朔空に見聞きさせたくないものがあったのだろう。

「お前はすぐどこかに行こうとするな……。懐いているようで隙あらば俺から離れようとする」

平坦な声にぎくりとした。また気づかないうちに零の機嫌を損ねてしまったのだろうかと思うと、胸の辺りがざわざわする。
せっかく零が旅行に連れてきてくれたのに、朔空のせいで台無しだ。

「……ごめんなさい」
「犯したくなるから謝るな。なあ、どうしたら俺の物になる?」

仄暗い瞳がじっとりとした熱を含んで見下ろしている。どこか辛そうな表情に謝りたいのに、謝ることもできない。

「零の、物だよ。だから……零がしたいようにして」

少しだけ怖いけど、零が辛そうなのは嫌だ。舌打ちとともに乱暴に抱えあげられて車に乗せられる。
大事にされてるなんて勘違いするから、普段と違う環境で浮足立ってしまったから、零を不快にさせたことにも気づかず怒らせてしまったのだろう。

無言の車内で自分の行いを振り返りながら、朔空は心の中で謝罪を繰り返していた。
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