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偽善

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その日食堂に行くと、いつもの席にはジョルジュとアレクしかいない。

「レイチェル様、どうなさったのかしら?」
ぽつりと呟くとリリーが目配せを送ってきた。新学期が始まってからは色々と忙しく、ここ数日は一人でお昼を済ませていたが、どうやら何かあったようだ。

詳細は後で尋ねることにして席に着く。ジョルジュもいつもより口数が少なく、ぎこちない空気が流れている。
早めに昼食を終えて教室に戻るとベスが口火を切った。

「私たちも詳しくは知らないのですが……」
そう前置きして話した内容を要約すると、レイチェルとジョルジュが喧嘩をしたらしい。もっとも喧嘩というよりは一方的で、ジョルジュがレイチェルにきつく当たってしまったそうなのだ。
結果、レイチェルは気を遣って傍に寄ろうとしないらしい。

「私の兄も王城勤めで騎士の方に聞いたお話ですが、訓練で苛立ったジョルジュ様が差し入れを払いのけたとか…」
「まあ、それは酷いですわ!」
ミレーヌが憤慨したように言った。

(あー、何となく分かってしまったかも……)
ミレーヌの言葉に同調しながらも、サーシャには思い当たる節があった。
婚約者に格好悪いところを見られてやるせない思いをぶつけてしまったのだろう。

もちろん悪いのはジョルジュでレイチェルに非は一切ないのだが、そういうお年頃である。そこそこ腕に自信があったのに、実力を思い知らされて傷ついているところに優しくされて自尊心がさらに傷ついたといったところだろうか。
レイチェルに悪気があったわけではないが、タイミングが悪すぎた。ジョルジュとしても自分に非があるのは分かっているが素直に謝罪できないまま今に至るという訳だ。

(ジョルジュ様には下手に近づきたくないし、レイチェル様とお話したほうがいいかもしれないわね)
レイチェルがジョルジュに好意を抱いていることは間違いないのだから、できれば婚約者同士円満な関係を築いてほしい。


放課後、サーシャはレイチェルのクラスに向かった。幸いジョルジュの姿はなく、帰り支度をしていたレイチェルに声を掛ける。

「あ、サーシャ様…」
どこかよそよそしいレイチェルの態度にサーシャは戸惑った。夏休み前までは普通に会話を交わしていたのに、まるで初めて会ったところに戻ったかのように目を合わせてくれない。

「少しお話ができればと思ったのですが、お時間いただけないでしょうか?」
胸に落ちた寂しさを押し隠すように平然とした口調で告げると、ぎこちない表情のままレイチェルは頷いた。

そうして向かったのは以前レイチェルと二人で話をした図書館だ。本が好きなレイチェルのお気に入りの場所で気分が落ち着くのだと話していたことを覚えていた。
「レイチェル様とお昼をご一緒できないのは寂しいですわ」
「……私なんていなくても変わらないです」

「そんなことありません。レイチェル様のお話や考え方にはいつも感銘を受けておりますの」
レイチェルは大人しいが頭の回転が速く、サーシャたちが知らないことも教えてくれるほど博識だ。本来長所であるべき部分だが、レイチェルは何故かそれを引け目に感じているように思う。ジョルジュを立てようとして顔色を窺っていることが逆にジョルジュを苛立たせる一因だとサーシャは推測している。
固い表情のまま無言のレイチェルに困惑しながらも、サーシャは言葉を重ねた。

「ジョルジュ様と仲違いをしたと伺いました。余計なことかもしれませんが、レイチェル様は我慢をし過ぎているように思うのです。もう少し思ったことを伝えても良いのではないですか?」
「そんなこと、できません」
レイチェルの表情は硬く弱々しい口調で返された。
「頭が良くても私はちゃんと出来ない。ただ知識があるだけで大切な人の役に立つこともないし、そんなの何の意味もありません」

「いいえ、レイチェル様の才能は素晴らしいものです。もっと自信を持って――」
「サーシャ様には簡単なことでも私には出来ないんです!――私はサーシャ様じゃないもの!」
突然こらえきれなくなったかのようにレイチェルが叫んだ。

「っ、本当は分かってるんです。ジョルジュ様が好きなのは私みたいな人間じゃなくて、サーシャ様みたいに堂々と意見を言える方だって。あの方に相応しくないのは分かっているけれど、それでも私は……」
涙を浮かべながらいつになく雄弁にレイチェルは心情を吐露する。

「もう関わらないでください。貴女といるのがつらいのです」
レイチェルがいなくなってもサーシャはその場から動くことができなかった。衝撃のあまり停止していた思考が戻ってくると、激しい後悔が押し寄せてくる。

(私はレイチェル様のことを応援するつもりが追い詰めていた……。そもそもジョルジュ様のバッドエンドルートを避けるために、私はレイチェル様を利用していたのかもしれない)
自分の行動は身勝手で傲慢なことだったのだろうか。親切めかしてやっていたことが利己的で偽善行為でしかなかった、そう思うと足元がぐらつくような心許なさを覚えた。
そんな中、今一番聞きたくない声が背後から聞こえた。

「サーシャ嬢、さっきレイチェルを見かけた。あいつと何かあったのか?」
「……いいえ」
動揺を抑え短い言葉で返すが、ジョルジュはどこか悟ったような表情で続ける。

「俺、あいつにひどいことを言った。だからレイチェルが何を言ったとしてもそれは……俺のせいだ」
「酷いことを言ったという自覚があるのなら、レイチェル様に謝罪してはいかがでしょうか?きっと分かってくれますわ」
ジョルジュはひどく苦しそうな表情でレイチェルを見つめる。

「そう、だな。でも気づいてしまったから、俺はもう自分の気持ちを偽ることができない」
その言葉に心臓が嫌な音を立てた。その瞳にこもった熱の意味を、これから告げられる内容を知ってしまったらもう元には戻れない。

「サーシャ嬢、俺は——」
「失礼する」
その涼やかな声にサーシャは戸惑いよりも安堵を覚えた。

「言い争うような声が聞こえたようだが、何か問題が?」
「会長……。いえ、ただ話をしていただけです」

「そうか。だが彼女の顔色が良くないようだ。医務室に案内しよう」
この場に留まれば先ほどの話の続きを聞いてしまうことになる。サーシャは無言で頷いてユーゴの言葉に従った。
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