婚約破棄された令嬢は平凡な青年に拾われて、今さら後悔した公爵様に知らん顔されても困ります

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第3話 追放と嘲笑、そして偶然の出会い

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侯爵家を追われた翌日、セシリアは久しぶりに王都の北区の外れまで足を運んでいた。そこは、貴族が滅多に足を踏み入れない場所だった。小さな商店や露店、道端のパンくずをついばむ鳥たち。喧騒と匂い、そして汗に混じった生活の熱気が充満していた。

昨日働き始めたリアムの店――「ブレッドハート」はその街に溶け込むように立っている。木造の小さな店だが、焼きたてのパンの香りが町に広がり、客が絶えない。  
彼が焼くのはどれも素朴なパンだったが、形も香りも温かさに満ちていて、噂を聞きつけた人々が列を作っていた。

「いらっしゃい。今日は朝一でハーブパンが焼けましたよ!」

リアムはいつものように明るい声で店の戸を開ける。  
セシリアは、昨日から店を手伝うことになっていた。まだ慣れないながらも、客の案内や会計を担当している。

「これを……ください。こっちの甘いパンも。」  
「あ、はい。ありがとうございます。袋にお入れしますね。」

ぎこちない手つきでパンを包むセシリアを、常連の老婦人が興味深げに眺めていた。

「あら、かわいらしい店員さんね。リアム坊やのお嫁さんかい?」  
「ち、違います! 私はその、手伝いをしているだけで……!」  
赤くなって慌てるセシリアを見て、リアムが吹き出した。  
「ふふ、残念ですけど、俺なんかじゃ釣り合いませんよ。」  
「なによ、それ!」  
頬をふくらませるセシリアに、店の空気が和らいだ。いつの間にか、笑い声が自然に出るようになっていた。

昼下がり、客の波が落ち着いたころ、リアムはセシリアに言った。  
「午後は休んでいいですよ。朝から動きっぱなしでしたからね。」  
「でも、まだやることが……」  
「無理は禁物です。昼寝も仕事のうちです。」  
「そんな理屈、聞いたことありません!」  
リアムは肩をすくめた。  
「パンは焦ったら焦げるんです。人間も同じですよ。」

その言葉に、セシリアは小さく笑った。焦らずに生きる――それは貴族社会では最も難しいことだった。いつも他人の目を気にして、完璧でいなければならなかった。だが、この店では違う。少し不格好でも、焦げた部分があっても、それを誰も責めなかった。

彼女は裏口のベンチに腰を下ろし、遠くの空を見上げた。  
灰色の雲の切れ間から差す光が、少しずつ街を照らしている。  
パンの香りと日差しのぬくもりに包まれ、ようやく心が休まっていくのを感じた。

***

午後遅く、店を片付ける準備をしていたそのときだった。  
「おい、リアム!」  
勢いよく扉を開けて入ってきたのは、強面の男だった。髭面に薄汚れたコート、そして大きな革袋を肩に担いでいる。  
「またおまえか、ブレッドハートの店主さんよ。今月の納税、まだだな?」  

リアムの笑顔が消えた。その男は街の自治組合を名乗る、実質的な“取り立て屋”だ。  
「金なら昨日支払いました。領収もあります。」  
リアムが書類を取り出すが、男はにやりと笑った。  
「確かに受け取ってる。でも追加が出たんだよ。王都の新しい通達だ。知らなかったか?」  
「そんな話、聞いてません。」  
リアムが眉をひそめた瞬間、男の視線がセシリアに向いた。  

「ほう……なんだ、この女。見覚えがあるぞ。」  
セシリアの顔が凍る。  
「お前、アルベリーヌ侯爵家の令嬢じゃねえか。婚約破棄されたって噂の……」  
悪意のある笑みが浮かぶ。店の前に数人の通行人が立ち止まってざわめき始めた。  

「まさか落ちぶれてパン屋の手伝いか?はは、いい身分だな!」  
その言葉に、リアムの拳が小さく震えた。  
「出ていけ。」  
低く、冷たい声だった。普段穏やかなリアムからは想像できないほどの怒気。  
「なにぃ?」男が一歩前に出る。  
「うちの客でもないあなたを、ここに置いておく理由はありません。出て行ってください。」  

「随分と口が利けるようになったじゃねえか、パン焼き風情が!」  
男がリアムの胸ぐらを掴もうとした瞬間、リアムは静かに手首を払いのけた。その動きはあまりに自然で、逆に男の体勢が崩れる。  
「次に店を荒らしたら、あなたが困ることになりますよ。」  
その瞳に宿る怒気に気圧されたのか、男は舌打ちして出ていった。  

セシリアは呆然と立ち尽くしていた。リアムの表情が、さきほどまでの柔らかいものとはまるで違った。  
「大丈夫ですか?」彼が振り向く。  
「え、ええ……。リアムさん……、今の……」  
「昔、少しだけ、荒っぽい仕事をしてたことがあるんです。」  
「荒っぽい仕事……?」  
「まあ、今はただのパン屋ですよ。」そう言って笑うリアムの目には、一瞬遠い影があった。  

***

その夜、店に戻ったあと、セシリアは食器を片づけながらぽつりと呟いた。  
「私のせいで、変な噂が立つかもしれません……」  
「気にしなくていいです。」  
「でも、侯爵家の名前なんて、もう地に落ちています。あなたまで巻き込むのは……」  
リアムはふと手を止めて、彼女に向き直った。  

「セシリアさん。過去は変えられません。でも、未来は今ここで選べます。」  
「未来を……選ぶ……」  
「貴族でも平民でも関係ない。誰だって今日をどう生きるかは自分で決められる。そう思いませんか?」  
リアムの言葉が、心の奥に静かに届く。  
「私も……そうなりたいです。あなたのように。」  
「大丈夫。少しずつ慣れます。パンも人生も、焦ったら焦げますから。」  
軽口のように言いながらも、その瞳は真剣だった。  

セシリアは小さくうなずいた。  
これまで彼女は「与えられる」だけの人生を歩んできた。  
だが今、初めて「選ぶ」側に立っている。  
そのことが、胸の奥を熱くした。  

窓の外には、もう雨は降っていなかった。  
夜空に星が瞬き、風が小麦の香りを運んでくる。  

そしてその香りの中で、セシリアは確信した。  
――自分はもう、あの日の令嬢ではない。  
新しい人生が、今、ここで始まったのだ。  

(続く)
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