亡者とリンクする

カトリ

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二日目(2)

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8.
 金本部長は、約束通り私に連絡してきた。
 午後七時ぐらいだった。
──金本だ。お前んとこの下宿の近くに「鳥屋」って居酒屋があるから、そこに来てくれ。
 私は下宿先のおばさんにその場所を聞いてから、白山ブックを抱えて出かけた。
 辺りはすっかり薄暗く、私は目を細めて外灯を見た。
 坂を下る。
 この道は、白山さんに繋がってる。
 そんな気がした。
「自死という生き方って本、知ってるかい?」
 私がオレンジジュースを一瓶開けた時だった。
 突然、伊藤先輩が言った。
 居酒屋では、金本部長と伊藤先輩が待っていた。
「自死?」
「哲学者がね、考えに考え抜いて、自ら死を選択する事を書いた本」
「お前」
 既にビールを三本開けていた部長は、伊藤先輩を睨んだ。
「まだ、そんな事言ってんのかよ」
「だって、そうでも思わなきゃ……白山の死は説明できない」
 文野さんはどう思う?
 突然、振られて、戸惑った。
「えっと……ちょっと、近い様な、気がします」
「止めろ止めろ! 自殺した奴の理由なんて考えんじゃねぇよ。考えても……考えても、埒があかないんだからよ」
 私たちは、押し黙ってしまった。
 確かに。
 自殺の原因なんて、考え出すときりがない。

 だけど、と、思う。
 私は、白山ブックを、静かに開いた。
「……もう少し、なんだけどな」
 あの続きが書けそうなのに。
「行き詰まってるの?」
「こいつ、白山の事ばっか考えて、台本については一切考えようとしてないんだ」
「そういば、台本返しに来たって、理沙が言ってたな。どうして?」
「今までと、お話の雰囲気が違うと思ったからです」
 伊藤先輩は驚いた顔をした。金本部長は「けっ」と悪態をつきながらまたビールを注いだ。
「今までは、幸せなお話ばかりだった気がして……ほら、この、白山ブックの最後の方のページ──」
 悲惨なスクラップばかりを集めたページを開いて、白山ブックを伊藤先輩に渡した。
 伊藤先輩は、眼鏡の奥の細い目を歪めた。
「そうか」
 そう、呟いただけだった。
「亡霊だ」
「え?」
 金本部長が急に呟いた。
「亡霊だよ、亡霊。俺たちゃあいつの亡霊に取り憑かれちまってんだ」
 だから、もう芝居はできない。
 そんな弱音を、部長の口から初めて聞いた。
 あの黒板に書いた宣言は、もしかしたら空元気だったのかもしれない。
 伊藤先輩は、うっすらと笑みながら、返した。
「もしかしたら、亡霊からの挑戦状かもしれないね」
「伊藤」
「何だよ?」
「お前、あいつの葬式ではみっともねぇぐらい泣いてたくせに、今になって随分と冷静だな」
「その葬式でちっとも泣かなかった君と理沙が、今になって一番混乱してるよね」
 部長は、ゆっくりと煙草に火を点けた。
 伊藤先輩は、柔らかく続ける。
「俺だって、未だにあいつがいなくなった喪失感は消えてない。でも、立ち止まってちゃいけないんだ。混乱したままじゃ、いけないだろう? なんにも知らない新入生に、全てをたくすのは、おそらく間違ってる」
「白山ブック渡したくせに」
「……ごめん。俺も、これを直視するの、恐かったから──」
 影だ。
 と、思った。
 この白山ブックは、この、スクラップばかりのスケッチブックは、彼の生きた光を写した影なのだ。
 だから、みんな、これを見るのを怖がるのだ。
 彼が感じていた全てを、葛藤を、見るのが、怖いのだ。
「文野さん」
「え。はい」
「ごめんね」
 伊藤先輩はそう言いながら、苦しそうな表情で……ページを一つ一つ、めくっていく。
「……そういえばあいつ、最近ニュースを食い入る様に見ていたっけ」
 ページはめくられていく。
 悲惨な記事ばかりを集めたページばかりが、めくられていく。
「あれ?」
「あ、それは……」
 開かないページが、あった。
 それは私も気付いていた事だったけれど……そのページばかりは、さすがに無理に開くのが怖かった。
「なんだよ」
「開かない」
「貸せっ」
 金本部長は無理矢理に白山ブックをひったくると、バリバリと音を立てながら、ページを開いた。

 みんな息を呑んだ。

──Don't forget!!

 真っ赤な血で、それは書かれていた。
 その血の下には、沢山の、沢山の……人が死んでしまった新聞の切り抜き。
 金本部長は小さな悲鳴を上げると、白山ブックを落とした。
「白山……」
 伊藤先輩も、それ以上言葉が続かない様だった。
 全てが、私の中で急にスパークした。
「ごめんなさい! 帰ります!」
 私は白山ブックを持ち出すと、居酒屋を飛び出した。
 早く自分の部屋に戻りたかった。
 今なら、台本の続きが書けそうだったから。
 けれど……外灯の下で、立ちすくんでいる人を見つける。
 黒髪の、美人な先輩。
 おそらく、伊藤先輩が言っていた──理沙先輩。
 声をかけようか迷っていると、気付いた。
 理沙先輩は、泣いていた。
 あの時、稽古場で泣いていた時みたいに、静かに、ぽたぽた涙を落としながら、泣いていた。
「白山ブックをみんなで見ようって、伊藤から連絡があったの」
 その声は、震えていて。
「それでも私、怖かった」
 居酒屋に、どうしても入る事ができなかった……──
「先輩……」
「知ってたわよ。あいつ、ここ三ヶ月ぐらい、ずっと変だった。悲惨なニュースや事件ばかりに関心を持って……心が病んでるんじゃないかと思って、何度も病院に行く様に言ってたのに──!」
「違います!」
 私は、ハッキリと言っていた。
 自分でもビックリするぐらい、大きな声だった。
「白山さんは、病んでませんでした。ずっと考えてたんです」

 世界中のあらゆる所で、血を流して死んでいった人たちの、痛みを──

 理沙先輩は、泣き崩れてしまった。


 自販機で買ったコーンスープを、理沙先輩に差し出す。
 四月の始めの夜は、まだまだ風は冷たくて、まだまだあったかいコーンスープだって売っている。
 私たちは、外灯と自販機の灯りにぼんやりと隠れて、うずくまっていた。
「……逃げてたのね。私たち。白山の『死』から」
 沢山言い訳を作って、沢山愚痴をこぼして、彼の死から逃げていた。
向き合おうとしなかった──
 理沙先輩は、ぽつりぽつりと話す。
「残された者の痛みなんて、あいつに伝わってんのかな?」
「……白山さん、死ぬつもり、なかったんだと思います」
「え?」
「私、初日に伊藤先輩に『実験のつもりだったんじゃ』って言われて……それがずっと気になってて」
 白山ブックを、開こうとしたけれど……理沙先輩にはあまりに刺激が強すぎると思い直して、抱きしめた。
「逆、だったんだと思います」
「逆?」
「死んでしまった人の痛み、残された人の痛み、それを知りたくて……手首を──」

 脳裏に浮かぶ、光景。
 手首を切り、その流れる血を、ただただ眺め、ひたすら考えていた白山さんの姿。

「きっと、それを考えている間に出血多量になって……」
 理沙先輩は、急に弾ける様に笑い出した。
「何よそれっ! バカじゃないの?! 死んじゃったらなんにもならないじゃない。気が付いたら死んでました? ホント、冗談も程々に……っ」
 頬に伝う、涙。
「あいつ……自分の血を見ながら、どんな事考えてたんだろうね?」
 理沙先輩は、バッグから何かを取り出した。
 煙草かと思っていたら、携帯だった。
「これ、趣味悪いでしょ?」
 見せてくれたのは──
「心臓?」
「そう。心臓のストラップ。人体の不思議展のお土産にって、くれたの。私は気持ち悪がって行かなかったんだけど……」
 心臓……。
 血を、循環させる、人間の大事な内臓。
「でもさぁ、好きな奴がくれたものだったら……やっぱり嬉しくて──携帯に、つけた」
「白山さんて、常に『人間』という生き物に興味があった人なんですね」
「……そうかもね。最初はね、笑顔ってすごいよな──なんて、延々と語られた事もあったわよ。笑う事は医学的にも良い事とされてるとかなんとか」
 外灯が、ジジッと音を立てて、一瞬消えた。
「だから、あいつの書く話はとっても面白かった。常に笑顔が絶えないものだった」
 それが、突然、彼の考える軸のテーマが真逆に変わる。
「あの書きかけの台本……」
「あ。あの、私、まだ──」
 でも、これからなら、書ける。
「あいつ、きっとわざと書きかけで終わらせたのよ。あの話を、以前と変わらない明るい話にするのか、それとも、あいつが落とした、暗い影を引きずる話にするのか」
 そうか。
 白山さんは、きっと、それをみんなに提案しようと思っていたのだ。
 そして、実験を試みたのだ。
「でもあいつ、きっと、心のどこかでは……死にたいって、思ってたのかもしれない」

 白山駅。
 そこで降りる少年と、それを追いかけて降りる少女。
 白山駅と、その隣にある白金駅は、おそらく別世界。

「先輩」
「なぁに?」
「私、暗い話にはしません」
「……ええ」
「でも、明るい話にも、多分……できないと思うけど──」
「ここまで真剣になってくれる、後輩ができて、良かった」
 理沙先輩は、涙をうっすら滲ませながら……初めて、微笑んだ。

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