森羅万象の厚生記録

星川ほしみ

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神楽の情操教育計画

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 結界の外側に視線を外した神楽を見て咲良は呆れたように笑った。

「や~っと気づきましたか。神楽って意外に鈍感さんですよね」
「おまっ、いつから」
「さあ~。いつからでしょう」

 興味がない。と首を振る咲良に、今まで呆れた顔しかしなかった神楽が咲良を睨む。それでも咲良はその笑顔を崩そうとはしない。
 咲良はいつも他人に興味を示そうとしない。興味があるのは片割れの咲斗と神楽だけ。咲斗と神楽が世界のすべてで、それ以外はどうでもいいと見向きもしない。
 神楽が言うから、神楽がいいなら、神楽が望むなら。咲良が他人に対して動くとき、咲良は絶対にそういう。きっと、咲斗といた時もそうだったのだろう。

 咲良は自分の意志で他人を救うことをしない。神楽はそのことが悲しくて、危機感を持つ。このままではいけないと。

「全く、お前は! せめて俺に教えろこの馬鹿!」
「以外に鈍感さんですよね。神楽って」
「……行くぞ」
「はいはい。お供しますよ~」

 神楽は説教しかけるが、猶予がないことを思い出し咲良に声をかけて反応があったところへ走った。咲良はその辺の木で箒を作り飛行した。

 少しでも他人を助けることに興味を持ってほしい。そのために神楽は誰かを助けるために動くとき、必ず咲良と一緒に行くことにしていた。初めは神楽が助けるからという理由でもいい。咲良が自分から他人を助けるようになってくれれば……。
 そう思うが、すでに確立した価値観を変えるのは容易ではない。

 木々を割けて走り、何かに魔獣が群がっているのが見えると、神楽はすぐに魔獣を水に閉じ込め圧力を調整して圧死させた。

「間に合った!」

 襲われていたのは七、八歳くらいの小さな男の子のようで、魔獣に噛まれて喰われ、血だらけのボロボロでぐったりと動かない。

「これ、本当に間に合ってるんです?」
「ああ。息はある」

 生きているとは到底思えない姿に咲良が聞いてくるのに神楽は即答した。微かに息遣いが聞こえてくる。単純な五感は並の人間から外れている自覚はある。

「ア……ウゥ、ぐ……」
「あ、本当です」
「……咲良」

 少年がうめき声をあげたのに、神楽が眉をしかめて咲良を呼んだ。生命の危機に関わる怪我の治療を神楽は苦手としているためだ。

「はいはい。神楽の頼みならお安い御用ですよーっと」

 咲良の魔力が視認できるほどに濃くなる。薄桃色の魔力は、東洋に咲く桜の花びらの形を取りひらひらと消えていく。これが咲良の二つ名〝散桜ちざくら〟の由来だ。
 魔力光。魔法を使う際に発生する幻想の光。通常は粒の形になるが、その魔力の質に特徴がある場合、このように独自の形になることがある。使う魔法や魔力量によって見えたり見えなかったり、魔力光を専門に研究を行っている研究者がいるくらい奥が深い。

 咲良の魔力が少年を包み込み、出血を止め、傷を塞ぎ、失った肉を再生させる。
 苦悶の表情を浮かべていた少年の顔が徐々に和らいでいく。

 咲良の魔力光が形を作るのは、たいていは繊細な魔力コントロールを必要とする魔法を使う時だ。
 この治癒の魔法に使われている魔法式は強力で恐ろしく複雑で繊細な魔法だ。今の神楽では治癒の魔法を苦手としていることを差し引いても扱うことはできないだろう。しかし……。

「失った肉まで再生させるのか……」
「心配しなくても寿命は削っていませんよ。私、天才なので!」

 今の魔法技術では失った肉体の再生は不可能とされている。癒しの魔法は総じて時間の魔法と結びつく。肉体の時間を早め治癒を促す。それが癒しの魔法の神髄だ。疲労回復も肉体の時間を早め回復を促しているに過ぎない。
 数針縫う程度の怪我なら副作用はほとんどない。しかし、命に係わるほどの怪我の完治となるとそうはいかない。傷は治るが、その代償に寿命が削られる。
 原理を知っていれば当然だが、無知な人間は魔力や魔導士の実力が足りなかったと憤慨することもあるらしい。

 しかし今咲良は当たり前のように魔獣に食われた肉を再生させた。切断されていなかったとはいえ、寿命を削らず傷を癒したとなると、それは再生ではなく、細胞の再構築だ。
 控えめに言っても治癒の魔法の神髄を覆しかねない偉業なのだが、この魔法を含む独自の魔法を咲良は一つも魔法学会に提出していない。本人曰く、ヴィンズを国教とする国に貢献したくないですしー。ろくな使われ方がされないという負の信頼がカンストしてますから~。だそう。

「流石だな」
「えっへん。そうでしょうそうでしょう」

 胸を張る咲良を軽く流して、少年を抱きかかえる。苦痛から解放された寝顔は穏やかだ。血濡れてはいるが。
 ボロボロの服。やせ細った体。知らず少年を抱く腕に力が入る。

「軽いな」
「虐待されてたんでしょう。その子、闇属性じゃないですか」

 咲良が腕の中にいる少年の髪をつまみ、べったりとついている血を落とす。すると一目瞭然。宵闇色の髪が現れる。

 闇属性はヴィンズに見つかると粛清と称してひどい目にあわされるのが常だ。このロゼッタにも過激ぎみなヴィンズの協会がある。何があったのかは想像にたやすい。捨てられたにせよ、見つかったにせよ。
 こんな子供をこんな目に合わせるなんて、ヴィンズに正義など本当にあるのだろうか。

「……とりあえず、結界内に匿うか」
「疲れましたー。私もう一度ココア飲みたいです」
「はいはい。お疲れ様」

 呑気にため息を吐く咲良に返事をして、神楽は少年を抱え治し歩く。その足取りは重い。

「神楽、悲しいですか?」
「ああ。そうだな」
「他人の為に心を痛める意味がよく分からないのですが」

 咲良の言葉に立ち止まる。すぐ後ろを歩いていた咲良が神楽の背に頭をぶつけた。

「急に立ち止まらないでくださいよ~」
「俺は、お前がわからないことが悲しいよ」
「……どういうことです? 私が神楽を悲しませていると?」

 振り向いた神楽の目に映ったのは、迷子になった子供のような切ない、危なげな表情だった。
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