惑星ラスタージアへ……

荒銀のじこ

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第一部 2章 指差して 

第1話

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 夜が完全に明ける前、まだ陽の光も充分に照らされていない空は鬱蒼うっそうと群青色をしており、星もまだ完全には去り切らずにまばらに輝いていた。その星々の中に、もしかしたら自分たちの惑星と同じように滅びそうになっている星もあるのだろうかと、ユースケはぼんやりと考えながらリュックを引きずって外に出ていた。母親もユリも寝ている状況で出かけるのはどこか浮足立つようなワクワク感があった。霧が立ち込めるような薄暗い雰囲気の中、ユースケはリュックをひとまず玄関前に置いて、家の横に隠すように置かれている自転車を手に取った。
 この自転車も、ユースケが先日購入(?)したラジオと同じ経緯で、チラシに載っていた自転車のフォルムに惚れ込んだユースケが我が儘を言って父親に買って貰った物だった。ユースケの地方のように田舎の地域では、それぞれの家がそれぞれに耕している田んぼや畑と、近くに必ずある商店街とで物のやり取りが完結している世界のため、遠くに出かけることは早々なく出番は少ないのだが、今回のような遠出の際にはユースケもその自転車を愛用していた。都心では、ロストテクノロジーである便利な空中を走る車が出回っているという話は知っていたが、それでもユースケはそれらよりも自転車の方がかっこいいと信じ込んでいた。
 ユースケは自転車の錆が酷くなっていないかを確認して、慎重にスタンドから引っ張り出す。かちゃかちゃと車輪の回る音がユースケの心を日常から引き剥がし、ふわふわと別のところへ向かわせた。これから今までと違う風景を見るんだという予感とそれによってもたらされる高揚感が、ユースケをワクワクさせた。
 自転車を玄関前に引っ張り出し、置きっぱなしにしていたリュックを拾い上げて、自転車に乗り込んだ。無口に佇む飛行機に心の中で「行ってきます」と声を掛けて、次に家を振り返り「行ってきます」と小声で囁いて、それから自転車を漕ぎ始めた。
 学校も始まってしばらく経ち暖かくなってきてはいたが、夜明け前の空気はほんのりと冷たく、肌に当たる風がユースケの興奮した熱を冷ましていった。ユースケはそれを心地よく感じながら景気よく車輪を転がせていった。森に入ると、一層薄暗くなり、夜のときとはまた違う暗さにユースケは非日常感を感じ、漕ぐスピードを緩めるどころか益々速めた。森を抜けるとしばらく平坦な畦道あぜみちが続き、それらも抜け田畑の風景がなくなると学校前の整備された道に出てくる。普段は人がいないことなどないその道が静かであると、少しだけ寂しさを感じた。
 学校の皆には何も言わずに遠出をすることに決めたユースケであったが、学校の先生にも何も言わなかったことを今更になって思い出し、流石にそれは不味かったかなあと少しだけ反省した。人の気配のない学校を通り過ぎ、ひたすら花の咲かなくなった桜並木を駆け抜けていった。学校前の整備された道を抜け、再び平坦な畦道に差し掛かった頃、山々の間から太陽がちらちらと覗かせるようになり、じんわりとリュックを背負った背中に汗が滲むのを感じていた。他所の人の家が並ぶ道を抜け、陽の光を求めて背伸びしている草葉の横を颯爽と駆け抜けていく。自分の家付近とはまた違った緑の匂いが鼻をくすぐり、自分たちが育てている物とはまた違う植物が育っているんだなあと思うと、ユースケは途端に不思議な気分になった。こんな狭い世界の中でも、馴染みのない新鮮な世界が広がっていることに改めて感動していた。
 やがて整えられてもいない荒い道に出て、家も人の気配もない地域へ出てきて、ユースケは腹筋に力を入れて身体の軸がぶれないようにし、漕ぐ脚に力を込めた。辺りからにわかに虫の音が聞こえ始め、時折目の前を早い虫が通り過ぎ、その度にユースケはハンドルを緩めて道を外れそうになる。乱雑に生えている草木は荒々しく、人の手がもうほとんど加えられていない自然の力強さと逞しさを象徴していた。田畑もなく、ひたすら続く湿原を走って行く。次第にじとっとした湿った空気が汗を誘い、さほど暑さを感じていないにもかかわらずいつの間にか服が汗で濡れ始めた。ユースケは一度止まり、額から溢れてくる汗をタオルで拭い、昨晩のうちに用意したお茶を一口飲んだ。普段はそこまで味を意識していないお茶であったが、程よく温くなったお茶が優しく胃袋に収まると、身体にしっとりと染み入っていくような心地がして、ユースケもどこか身体が楽になったような気がした。
 目指しているところまではまだまだ長いが、陽はすっかり上がり切っていた。控えめに山の上にちょこんと覗かせている陽を拝み、ユースケは今頃もう起きているであろう母親やユリの姿を思い浮かべた。昨夜のうちに詳しい話は伝えており、その際には呆れられながらも快く送り出そうとしてくれていたが、それでも今頃ユースケ自身がユリたちの姿を思い描いているのと同じようにユリたちも今頃何かを感じているのだろうかと想像すると、何となく家が恋しくなってきた。ぶんぶんと汗と雑念を振り払うように首を振って、陽が昇り切る前に到着しようと決め、ユースケはタオルを首に掛け、お茶をリュックにしまって再び自転車を勢いよく走らせた。
 長い道ではあるものの、アップダウンが少なく平坦な道ばかりであるのが幸いで、ユースケは何とか陽が高く昇る前に再び家がまばらに見え始めるところまで辿り着いた。道も雄々しい自然の道ではなく、再び田んぼと田んぼの間を走る畦道に差し掛かった。田んぼに出ているであろう人たちが所々に見え、ユースケは自転車を漕ぎながら器用にその人たちに向けて手を振った。気づいた何人かは「あの人こんな朝早くから何してるんだろう」と不思議そうに首を傾けるばかりで手を振り返してくれる者は稀だったが、ユースケは毛ほども気にしなかった。
 進むにつれてそれまで広がっていた自然の風景が嘘か幻であったかのように、家や建物が多くなり始め、やがてユースケたちのいる地域よりも整然とした街並みに変わっていった。建物と建物が窮屈そうに隙間なく詰まって並ぶようになり、自然よりも人工物の割合の方が多くなっていく。道も気がつけば土の道から灰色をしたコンクリートに変わっており、ユースケと同じように自転車で走る者たちも多くなっていった。自分の周辺地域よりも、それこそ催事で盛り上がる商店街の人通りよりも多い人並みにユースケはたじろぎ自転車から降りて、怯えるように自転車を押しながら、無駄に慎重な足取りで進んだ。自分と同い年ぐらいの人が鞄を手に持ち複数人で歩いている様子に、ユズハやタケノリたちも今頃登校している最中なのだろうと、その光景を思い浮かべていた。
 事前のシミュレーションであれば、ある程度栄えた別地域にまで辿り着いた時点で「着いたぞー!」と叫ぶつもりで、そのためもあって夜明け前から出たのだが、想定していたよりも遅くなったとはいえ想像以上の人の多さにユースケはすっかり委縮してしまっていた。普段の図太い神経もすっかり鳴りを潜め、見たことあるようでないものばかりに溢れる街並みを怖さ半分好奇心半分でゆっくり眺めていた。お腹もすっかり空いてきて、ユースケは昨晩のうちに用意した塩むすびを食べようと座れる場所を探した。しかし、きょろきょろと辺りを見渡しても、どこにゆっくりと座れるような場所が見つからなかった。てっきり公園の一つぐらいあるだろうと高をくくっていたユースケだったが、そんな楽観的な予想を打ち砕くように公園どころか自然の欠片もすっかり見えない街並みに、自身の軽率な考えを責めるよりも先に街に対して憤りを感じていた。ここまで来て再び自然あふれる畦道の方へ戻るのも嫌だったユースケは、何としてでもこの街中のどこかで食べようと意地になり、血眼になって探しながら街を巡っていった。しかし、進めば進むほどどんどんと賑やかさと人の煩わしさは増していき、背の高い建物が増えてくると自転車を押している自分が邪魔になっているのではないかと感じるほど人の通りが多くなり、ユースケは泣く泣く引き返すことにした。
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