10 / 26
もみじとよもぎ
5
しおりを挟む
夕方、僕は公園に戻ってきた。
あちこち、それこそ町中を走り回って、だけど、どこにも辿り着けず、結局ネモフィラのもとに帰ってきた。
明日美ちゃんはもういなかった。僕がぶちまけたお弁当の残骸も、きれいになかった。明日美ちゃんが片づけたんだろうか。
明日美ちゃんだけじゃなく、他の誰もいない。ここにいるのは、僕一人だけだ。寂しげな夕焼けも手伝って、僕の孤独は一層深くなる。
花壇のへりにしゃがみこむ。花びらに落ちる紅い色が、ちょっとずつちょっとずつ濃くなっていくのを、ボンヤリと眺めていた。
「もみじ」
ふいに僕を呼ぶ声がした。よもぎだ。声が聞こえた方向に視線を向けると、ブチが特徴的な一匹の猫が、ゆっくりとこちらへ近づいてきていた。
「もう帰ろう。猫の姿に戻れよ」
よもぎは、どうしてか僕と明日美ちゃんとの間に起きたすべてを知っているみたいだ。
「明日美ちゃんが捜してるぞ」
「……戻れないんだ」
膝を抱きかかえたまま、僕は弱々しく言った。
いつもだったら、戻りたい時に戻りたいと念じれば、すぐに猫の姿になった。それなのに、今日はどんなに強く念じても戻れない。
きっと、お星さまが怒ったんだ。せっかくお星さまが、僕に人間の姿と言葉をくれたのに。その素敵な力で、僕は大好きな人を傷つけてしまった。
罰が当たったんだ。
目の前までくると、よもぎは静かに言った。
「……あおいばあさんのところに行こう」
どうせそんなの嘘なんだろうって呆れたり、それ見たことかとバカにしたりしてくるかと思ったのに。
「あおいばあさんなら、解決策を教えてくれるかもしれない」
「僕だってわかるかな」
僕は情けなく笑って、手を前に差し出してみせた。目に映るのはフワフワの毛にプリプリの肉球じゃなくて、人間のつるんとした手のひら。
「あおいばあさんなら、すぐに気づくよ。オレが説明してもいいし」
あおいばあさんは不思議な猫だ。
単に長く生きているというだけじゃなくて、うまく言えないけど、なんだかこの世のものじゃないみたいな、奇妙な雰囲気がある。確かに、彼女なら、僕の窮地を救ってくれるような気がする。
納得しかけた時、公園の入り口のほうから、僕を呼ぶ明日美ちゃんの声が響いてきた。
「もみじー、もみじー」
声を張り上げて、僕を捜している。
どうしてここにいることがわかったんだろう。僕はとっさにベンチの影に隠れた。身をひそめる必要なんかないよもぎまで、ぴゃっと走り出して、僕の隣に身体を寄せた。
「もみじー、どこぉー?」
明日美ちゃんの声は、もうほとんど涙声だ。その声を聞いたよもぎは堪え切れなくなったようで、とんでもないことを言い出した。
「なぁ、もみじ。お前さ、もうその姿のままでいいから、明日美ちゃんの前に出ていけよ」
「何言ってるんだよ」
「明日美ちゃん、かわいそうじゃんか。もう聞いていられないよ」
耳をふさげないから、よもぎは精一杯下向きにしてみせる。
「このまま出ていけるわけないだろ」
「全部説明して謝れよ。明日美ちゃんなら、わかってくれるかもしれない。魔法のことがバレたって、もう人間になろうとしなきゃ構わないじゃんか。これで懲りただろ?」
「懲りたけど、そんなの、明日美ちゃんが信じるわけ……」
「もみじ。お前、オレたちを助けてくれた明日美ちゃんを信じないのか?」
「……でも、だけど、会えないよ。僕、明日美ちゃんにひどいことしちゃったんだ。ひどいこと言っちゃったんだよ!」
どこかへ行っちゃえなんて。
明日美ちゃんのお父さんとお母さんは、どこかへ行ってしまった。それがどっちの方角なのか、どんなところなのか、僕にはわからない。でも、とてもとても遠いところだってことはわかる。もう二度と会えないくらい。
突然に二人に会えなくなってしまった明日美ちゃんの悲しみは、まだ癒えない。それだって、僕はよく知っているはずだった。
それなのに、あんなひどいこと言ってしまうなんて。
僕は空を見上げる。そこには、小さな星がチラチラ現れ始めていた。赤と紫と紺のペンキをごちゃ混ぜに塗りたくった画用紙に、ポツポツと針でつついて穴を開けたみたいだ。
お星さま。
大好きな明日美ちゃんにひどいことを言って、ごめんなさい。そんなことのために、与えてもらった力じゃないのに。
僕、悔しかったんだ。
僕はこんなに明日美ちゃんのことが大好きなのに、明日美ちゃんは僕を選ばないなんて。僕は、誰より明日美ちゃんのそばにいて、誰より明日美ちゃんのことを想っている自信があったのに、僕じゃだめだなんて。
ショックだったんだ。
だけど、お星さま。
あんなひどいことを言っちゃだめだよね。あんな悲しい顔を、大好きな人にさせちゃだめだ。
今なら、わかる。こんな僕じゃ、明日美ちゃんを幸せにできるはずなんかない。明日美ちゃんが僕を選ばなくて、当たり前だ。
「……もみじ、もみじ。どこぉ? お願い、帰ってきて。嫌よ、もみじ。わたしを置いていかないで。もみじとよもぎと、二人が揃っていないと、わたしは嫌なの……」
ボロボロと涙をこぼす明日美ちゃんのお洋服は、食べ物のシミで汚れている。その色も、明日美ちゃんのずぶ濡れの頬も、辺りはもう暗くなってきていたけど、夜目がきく僕たちにはよく見えた。
明日美ちゃん。ありがとう。僕はもう、それで充分だよ。
お星さまを怒らせてしまった僕は、猫のもみじに戻って、そばにいてあげることはもうできないかもしれない。だけど、これだけは言わせて。
ごめんね。いつまでも大好きだよ。よもぎと仲良くね。
最後に一つだけ。もう一度、みんなで一緒にベッドで眠りたかったなぁ。
あちこち、それこそ町中を走り回って、だけど、どこにも辿り着けず、結局ネモフィラのもとに帰ってきた。
明日美ちゃんはもういなかった。僕がぶちまけたお弁当の残骸も、きれいになかった。明日美ちゃんが片づけたんだろうか。
明日美ちゃんだけじゃなく、他の誰もいない。ここにいるのは、僕一人だけだ。寂しげな夕焼けも手伝って、僕の孤独は一層深くなる。
花壇のへりにしゃがみこむ。花びらに落ちる紅い色が、ちょっとずつちょっとずつ濃くなっていくのを、ボンヤリと眺めていた。
「もみじ」
ふいに僕を呼ぶ声がした。よもぎだ。声が聞こえた方向に視線を向けると、ブチが特徴的な一匹の猫が、ゆっくりとこちらへ近づいてきていた。
「もう帰ろう。猫の姿に戻れよ」
よもぎは、どうしてか僕と明日美ちゃんとの間に起きたすべてを知っているみたいだ。
「明日美ちゃんが捜してるぞ」
「……戻れないんだ」
膝を抱きかかえたまま、僕は弱々しく言った。
いつもだったら、戻りたい時に戻りたいと念じれば、すぐに猫の姿になった。それなのに、今日はどんなに強く念じても戻れない。
きっと、お星さまが怒ったんだ。せっかくお星さまが、僕に人間の姿と言葉をくれたのに。その素敵な力で、僕は大好きな人を傷つけてしまった。
罰が当たったんだ。
目の前までくると、よもぎは静かに言った。
「……あおいばあさんのところに行こう」
どうせそんなの嘘なんだろうって呆れたり、それ見たことかとバカにしたりしてくるかと思ったのに。
「あおいばあさんなら、解決策を教えてくれるかもしれない」
「僕だってわかるかな」
僕は情けなく笑って、手を前に差し出してみせた。目に映るのはフワフワの毛にプリプリの肉球じゃなくて、人間のつるんとした手のひら。
「あおいばあさんなら、すぐに気づくよ。オレが説明してもいいし」
あおいばあさんは不思議な猫だ。
単に長く生きているというだけじゃなくて、うまく言えないけど、なんだかこの世のものじゃないみたいな、奇妙な雰囲気がある。確かに、彼女なら、僕の窮地を救ってくれるような気がする。
納得しかけた時、公園の入り口のほうから、僕を呼ぶ明日美ちゃんの声が響いてきた。
「もみじー、もみじー」
声を張り上げて、僕を捜している。
どうしてここにいることがわかったんだろう。僕はとっさにベンチの影に隠れた。身をひそめる必要なんかないよもぎまで、ぴゃっと走り出して、僕の隣に身体を寄せた。
「もみじー、どこぉー?」
明日美ちゃんの声は、もうほとんど涙声だ。その声を聞いたよもぎは堪え切れなくなったようで、とんでもないことを言い出した。
「なぁ、もみじ。お前さ、もうその姿のままでいいから、明日美ちゃんの前に出ていけよ」
「何言ってるんだよ」
「明日美ちゃん、かわいそうじゃんか。もう聞いていられないよ」
耳をふさげないから、よもぎは精一杯下向きにしてみせる。
「このまま出ていけるわけないだろ」
「全部説明して謝れよ。明日美ちゃんなら、わかってくれるかもしれない。魔法のことがバレたって、もう人間になろうとしなきゃ構わないじゃんか。これで懲りただろ?」
「懲りたけど、そんなの、明日美ちゃんが信じるわけ……」
「もみじ。お前、オレたちを助けてくれた明日美ちゃんを信じないのか?」
「……でも、だけど、会えないよ。僕、明日美ちゃんにひどいことしちゃったんだ。ひどいこと言っちゃったんだよ!」
どこかへ行っちゃえなんて。
明日美ちゃんのお父さんとお母さんは、どこかへ行ってしまった。それがどっちの方角なのか、どんなところなのか、僕にはわからない。でも、とてもとても遠いところだってことはわかる。もう二度と会えないくらい。
突然に二人に会えなくなってしまった明日美ちゃんの悲しみは、まだ癒えない。それだって、僕はよく知っているはずだった。
それなのに、あんなひどいこと言ってしまうなんて。
僕は空を見上げる。そこには、小さな星がチラチラ現れ始めていた。赤と紫と紺のペンキをごちゃ混ぜに塗りたくった画用紙に、ポツポツと針でつついて穴を開けたみたいだ。
お星さま。
大好きな明日美ちゃんにひどいことを言って、ごめんなさい。そんなことのために、与えてもらった力じゃないのに。
僕、悔しかったんだ。
僕はこんなに明日美ちゃんのことが大好きなのに、明日美ちゃんは僕を選ばないなんて。僕は、誰より明日美ちゃんのそばにいて、誰より明日美ちゃんのことを想っている自信があったのに、僕じゃだめだなんて。
ショックだったんだ。
だけど、お星さま。
あんなひどいことを言っちゃだめだよね。あんな悲しい顔を、大好きな人にさせちゃだめだ。
今なら、わかる。こんな僕じゃ、明日美ちゃんを幸せにできるはずなんかない。明日美ちゃんが僕を選ばなくて、当たり前だ。
「……もみじ、もみじ。どこぉ? お願い、帰ってきて。嫌よ、もみじ。わたしを置いていかないで。もみじとよもぎと、二人が揃っていないと、わたしは嫌なの……」
ボロボロと涙をこぼす明日美ちゃんのお洋服は、食べ物のシミで汚れている。その色も、明日美ちゃんのずぶ濡れの頬も、辺りはもう暗くなってきていたけど、夜目がきく僕たちにはよく見えた。
明日美ちゃん。ありがとう。僕はもう、それで充分だよ。
お星さまを怒らせてしまった僕は、猫のもみじに戻って、そばにいてあげることはもうできないかもしれない。だけど、これだけは言わせて。
ごめんね。いつまでも大好きだよ。よもぎと仲良くね。
最後に一つだけ。もう一度、みんなで一緒にベッドで眠りたかったなぁ。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ヤクザに医官はおりません
ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした
会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。
シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。
無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。
反社会組織の集まりか!
ヤ◯ザに見初められたら逃げられない?
勘違いから始まる異文化交流のお話です。
※もちろんフィクションです。
小説家になろう、カクヨムに投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる