始まりの猫

朋藤チルヲ

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もみじとよもぎ

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 夕方、僕は公園に戻ってきた。

 あちこち、それこそ町中を走り回って、だけど、どこにも辿り着けず、結局ネモフィラのもとに帰ってきた。

 明日美ちゃんはもういなかった。僕がぶちまけたお弁当の残骸も、きれいになかった。明日美ちゃんが片づけたんだろうか。

 明日美ちゃんだけじゃなく、他の誰もいない。ここにいるのは、僕一人だけだ。寂しげな夕焼けも手伝って、僕の孤独は一層深くなる。

 花壇のへりにしゃがみこむ。花びらに落ちる紅い色が、ちょっとずつちょっとずつ濃くなっていくのを、ボンヤリと眺めていた。




「もみじ」

 ふいに僕を呼ぶ声がした。よもぎだ。声が聞こえた方向に視線を向けると、ブチが特徴的な一匹の猫が、ゆっくりとこちらへ近づいてきていた。

「もう帰ろう。猫の姿に戻れよ」

 よもぎは、どうしてか僕と明日美ちゃんとの間に起きたすべてを知っているみたいだ。

「明日美ちゃんが捜してるぞ」

「……戻れないんだ」

 膝を抱きかかえたまま、僕は弱々しく言った。

 いつもだったら、戻りたい時に戻りたいと念じれば、すぐに猫の姿になった。それなのに、今日はどんなに強く念じても戻れない。

 きっと、お星さまが怒ったんだ。せっかくお星さまが、僕に人間の姿と言葉をくれたのに。その素敵な力で、僕は大好きな人を傷つけてしまった。

 罰が当たったんだ。

 目の前までくると、よもぎは静かに言った。

「……あおいばあさんのところに行こう」

 どうせそんなの嘘なんだろうって呆れたり、それ見たことかとバカにしたりしてくるかと思ったのに。

「あおいばあさんなら、解決策を教えてくれるかもしれない」

「僕だってわかるかな」

 僕は情けなく笑って、手を前に差し出してみせた。目に映るのはフワフワの毛にプリプリの肉球じゃなくて、人間のつるんとした手のひら。

「あおいばあさんなら、すぐに気づくよ。オレが説明してもいいし」

 あおいばあさんは不思議な猫だ。

 単に長く生きているというだけじゃなくて、うまく言えないけど、なんだかこの世のものじゃないみたいな、奇妙な雰囲気がある。確かに、彼女なら、僕の窮地を救ってくれるような気がする。

 納得しかけた時、公園の入り口のほうから、僕を呼ぶ明日美ちゃんの声が響いてきた。

「もみじー、もみじー」

 声を張り上げて、僕を捜している。

 どうしてここにいることがわかったんだろう。僕はとっさにベンチの影に隠れた。身をひそめる必要なんかないよもぎまで、ぴゃっと走り出して、僕の隣に身体を寄せた。

「もみじー、どこぉー?」

 明日美ちゃんの声は、もうほとんど涙声だ。その声を聞いたよもぎは堪え切れなくなったようで、とんでもないことを言い出した。

「なぁ、もみじ。お前さ、もうその姿のままでいいから、明日美ちゃんの前に出ていけよ」

「何言ってるんだよ」

「明日美ちゃん、かわいそうじゃんか。もう聞いていられないよ」

 耳をふさげないから、よもぎは精一杯下向きにしてみせる。

「このまま出ていけるわけないだろ」

「全部説明して謝れよ。明日美ちゃんなら、わかってくれるかもしれない。魔法のことがバレたって、もう人間になろうとしなきゃ構わないじゃんか。これで懲りただろ?」

「懲りたけど、そんなの、明日美ちゃんが信じるわけ……」

「もみじ。お前、オレたちを助けてくれた明日美ちゃんを信じないのか?」

「……でも、だけど、会えないよ。僕、明日美ちゃんにひどいことしちゃったんだ。ひどいこと言っちゃったんだよ!」




 どこかへ行っちゃえなんて。

 明日美ちゃんのお父さんとお母さんは、どこかへ行ってしまった。それがどっちの方角なのか、どんなところなのか、僕にはわからない。でも、とてもとても遠いところだってことはわかる。もう二度と会えないくらい。

 突然に二人に会えなくなってしまった明日美ちゃんの悲しみは、まだ癒えない。それだって、僕はよく知っているはずだった。

 それなのに、あんなひどいこと言ってしまうなんて。




 僕は空を見上げる。そこには、小さな星がチラチラ現れ始めていた。赤と紫と紺のペンキをごちゃ混ぜに塗りたくった画用紙に、ポツポツと針でつついて穴を開けたみたいだ。

 お星さま。

 大好きな明日美ちゃんにひどいことを言って、ごめんなさい。そんなことのために、与えてもらった力じゃないのに。

 僕、悔しかったんだ。

 僕はこんなに明日美ちゃんのことが大好きなのに、明日美ちゃんは僕を選ばないなんて。僕は、誰より明日美ちゃんのそばにいて、誰より明日美ちゃんのことを想っている自信があったのに、僕じゃだめだなんて。

 ショックだったんだ。

 だけど、お星さま。

 あんなひどいことを言っちゃだめだよね。あんな悲しい顔を、大好きな人にさせちゃだめだ。

 今なら、わかる。こんな僕じゃ、明日美ちゃんを幸せにできるはずなんかない。明日美ちゃんが僕を選ばなくて、当たり前だ。




「……もみじ、もみじ。どこぉ? お願い、帰ってきて。嫌よ、もみじ。わたしを置いていかないで。もみじとよもぎと、二人が揃っていないと、わたしは嫌なの……」

 ボロボロと涙をこぼす明日美ちゃんのお洋服は、食べ物のシミで汚れている。その色も、明日美ちゃんのずぶ濡れの頬も、辺りはもう暗くなってきていたけど、夜目がきく僕たちにはよく見えた。




 明日美ちゃん。ありがとう。僕はもう、それで充分だよ。

 お星さまを怒らせてしまった僕は、猫のもみじに戻って、そばにいてあげることはもうできないかもしれない。だけど、これだけは言わせて。

 ごめんね。いつまでも大好きだよ。よもぎと仲良くね。

 最後に一つだけ。もう一度、みんなで一緒にベッドで眠りたかったなぁ。




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