始まりの猫

朋藤チルヲ

文字の大きさ
9 / 26
もみじとよもぎ

4

しおりを挟む
「不思議だね。紅葉くんって」

 思いもよらないことを言われて、僕は明日美ちゃんのはにかんだ笑顔をじっと見つめた。

「なんだか、ずっと前から知っているような気がするの。一週間前に、初めてわたしの前に現れた男の子なのに。何でなんだろう」




 よもぎから不思議な話を聞いたのは、一週間前のこと。

 それは、『逆さお星さまの話』と言った。

 とっぷりと更けた真夜中、鏡に映って逆さまになった流れ星にお願い事をすると、何でも叶えてくれるのだという。

 物知りで有名な、五丁目のあおいばあさんから教えてもらったんだ、とよもぎはどこかクールに言った。

 その少し前から、明日美ちゃんとお話がしたいと、僕はしきりに騒いでいた。きっとよもぎは、そんな僕をうっとうしいと感じていて、ちょっとからかってやろうくらいの気持ちでいたに違いない。よもぎは、その話をちっとも信じていなかったってことだ。

 よもぎの思惑通り、僕は飛び上がってその話に食いついた。そして、すぐに実行した。

 僕のお願い事なんて、今さら言うまでもない。人間になること。明日美ちゃんと同じ人間になれたら、同じ言葉を使ってたくさんお話ができる。

 あおいばあさんは嘘をついていなかった。僕は見事に人間の姿になった。

 いざ僕が、お願い事を叶えてもらった姿で、誇らしげによもぎの前に現れてみせると、よもぎは心底驚いた。まさかって顔をして、背中の毛まで逆立てた。




 だけど、僕は知らなかった。お願い事は一つ叶うと、どんどん欲張りになってしまうんだってことを。

 明日美ちゃんに、僕は『もみじ』なんだよって打ち明けたいとは思わない。それとは別に、叶えたい夢が出てきてしまったんだ。




「明日美ちゃん」

 僕はニコッと笑って、花畑がよく見える、後ろのベンチを指さした。

「僕、お腹空いちゃった。ちょっと早いけど、お昼ご飯にしようよ」

 明日美ちゃんがお弁当を作ってきたことは、会ってすぐに匂いでわかっていた。お気に入りの赤いハンドバッグの他に、見慣れない紙袋を持っていたし。

 明日美ちゃんはあのオレンジの笑顔で、嬉しそうにうなずいた。

 木で出来たベンチに並んで座ると、明日美ちゃんは自分の膝の上でお弁当箱の蓋を開けた。まだ完全に冷め切っていない食べ物から、柔らかい匂いがふわんと立ちのぼる。

 プラスチックのお弁当箱の中には、丸い茶色の照りを放つものと、黄色くて四角いもの、緑色のもの、家のベランダの鉢植えに、いくつもぶら下がっている小さな赤い実が入っていた。

 僕はいつもカリカリと、たまにカツオのお刺身を食べるくらいで、他の食べ物を口にしたことはない。でも、明日美ちゃんが作るそれらはよく見ていて、馴染みがあった。

「うわぁ! 僕、それ食べてみたかったんだよね!」

 喜びの声を上げると、明日美ちゃんはクスクスと困ったように笑った。

「肉団子と卵焼き、ホウレン草のおひたしだよ? あとミニトマト。どれも普通に家庭料理に出てくるよ」

「そ、そっか。でも僕、いや、僕の家、何て言うか、乾いたものが多くて」

 しどろもどろ。

 明日美ちゃんは、それで機嫌が悪くなってしまうことはなかった。紅葉くんっておもしろい子だね、と笑いながら、紙袋の中に手を入れる。

「紅葉くん、この前カツオが好きだって言ってたでしょ? だから、おにぎりの具に入れてみたんだ。焼いてほぐして、味を付けたものが中に入ってるから」

 僕は、明日美ちゃんが手渡してくれたそれを頬張った。

 まだ温かいご飯の真ん中に、甘じょっぱいほろほろしたものが入っていた。ふかふかの甘いご飯もおいしいけど、それのおいしさは格別で、不思議なことに、それを食べたあとはご飯がさらにおいしく感じられた。

「おいしいね! すごくおいしい。僕、こんなの初めて食べたよ!」

「オーバーだなぁ」

 明日美ちゃんはそう言って眉毛を寄せるけど、くすぐられたみたいに笑っている。

「ねぇ、明日美ちゃん。『結婚』しようよ」

 口をモグモグしながら、僕は言った。

「――――は?」

「ずっと一緒にいたい人とはさ、『結婚』するんだよね? 僕、明日美ちゃんとずっと一緒にいたいよ。ずっとずっとお話したいんだ」

 これも、よもぎから教えてもらったことだ。

 明日美ちゃんのお父さんとお母さんが一緒に暮らしていたのは、『結婚』したからだって。『結婚』は、ずっといつまでも一緒にいたい二人がするものなんだって。人間の決まり事らしい。

 そして、愛し合って、明日美ちゃんが生まれた。優しくて素敵な、明日美ちゃんが。

 僕と明日美ちゃんが愛し合ったら、その間にも、きっと素敵なものが生まれるんじゃないかな。

 何より、もしも明日美ちゃんと『結婚』できたら、僕にかけられた魔法は本物になって、僕は人間のまま、いつまでも明日美ちゃんと暮らせるかもしれない。

 とても素晴らしい提案だと思ったのに、明日美ちゃんの笑顔は少し曇った。

「本当におもしろい男の子だなぁ、紅葉くんは。でも、冗談にしてはちょっとキツいよ」

「冗談? 僕は、本気で明日美ちゃんと『結婚』したいんだ」

 明日美ちゃんの表情が、怒ったみたいに変わる。

「何言ってるの? 紅葉くんのことは嫌いじゃないけど、会ったばかりだし。それに紅葉くん、まだ高校生じゃないの? そんなふうには思えない」

「どうして? 僕のこと好きなんでしょ? 僕も明日美ちゃんが好きだよ。好きなのに、どうして一緒にいられないの?」

 明日美ちゃんの言っていることの意味がわからなくて、僕は焦ってしまう。

「一緒にはいられるでしょ? 友達としてなら」

「どういう意味? どうして『結婚』はだめなの?」

「だから、そんなふうには見られないってば。わたし……彼氏いるし」

 明日美ちゃんの口ぶりは、すごく迷惑そうだった。その言い方と言葉に、僕はショックを受ける。

「……『彼氏』? 何それ。明日美ちゃんは、その人とは『結婚』したいの? 僕とは嫌なのに……?」

 そういえば、電話中の明日美ちゃんが誰かとのお喋りの中で、その言葉を言っていたことがあった気がする。それに、お仕事がお休みの日でも、お化粧をして出かけることがあった。

 そういう日は帰りが遅いから、僕はつまらないって思っていた。もしかして、その『彼氏』と会っていたの?

 明日美ちゃんは口を尖らせると、頬をちょっとだけ赤く染めた。

「……まぁ、できればいいなぁ、とは思うけど」

 それは、今まで見たことのない明日美ちゃんの表情で、なぜだか急に、僕はお腹の底がカッと熱くなった。




「――――じゃあいいよ! 明日美ちゃんなんか大嫌いだ! どこかへ行っちゃえ!」




 僕はお弁当箱を奪って、それを明日美ちゃんに投げつけた。

 食べ物をぶつけられた明日美ちゃんは、痛そうなと言うより、とても悲しい目をして僕を見た。

 僕は逃げ出した。どこまでも逃げたくなった。




しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

妻への最後の手紙

中七七三
ライト文芸
生きることに疲れた夫が妻へ送った最後の手紙の話。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

処理中です...