始まりの猫

朋藤チルヲ

文字の大きさ
19 / 26
きみのねだん

5

しおりを挟む
 鳥居の奥のほうから、女の人の声がした。猫と一緒に、声がしたほうを振り返る。

 おきつねさまの後ろから出てきたのは、ブレザー姿のお姉さんだった。

 その制服が、この町ではいちばん頭がいい高校のものだってことを、その隣の小学校に通うわたしはよく知っていた。

 長い髪を一つに縛ったお姉さんは、心配そうな顔で近寄ってきた。

「もしかして、それ『おはぎ』がやったの?」

 そう言って、ケガをした膝がよく見えるようにしゃがみこんだから、たぶん、この猫の名前が「おはぎ」って言うんだ。

「……この猫、お姉さんの猫なの?」

 こんなにみすぼらしい猫を飼う人がいるんだって驚きより、この猫がもう誰かに飼われているって悲しみのほうが、なぜか心に大きく広がった。

 お姉さんは少しだけ不安そうな顔になる。首を振った。

「ううん、わたしの猫じゃないよ。この神社に住み着いているの。だけど、ご飯をあげるとか、ほとんどわたしが面倒見ているようなものだけど」

 それを聞いたわたしは、身を乗り出していた。

「お姉さんが飼ってるわけじゃないんだ? だったら、わたしが持って帰っていい?」

 どうして急にそんな気になったのか、わからない。

 猫は、わたしとお姉さんの間で、手を折りたたんで丸くなった。

 お姉さんはじっとわたしの目を見たあと、ポケットから絆創膏を取り出して、わたしのデニムをめくり、膝小僧に貼ってくれた。

「……だめだよ」

「どうして? お姉さんが面倒見てるから? あ、じゃあ、わたしお金払う。お年玉持ってるんだ!」

 わたしはお尻のポケットから、全財産が入った袋を持ち出した。

「四万円と少し入ってるよ! ねぇ、知ってる? 猫ってペットショップで買うとすごく高いの! でもさ、この猫汚いし、もう大人だから、このくらいの値段でいいよね!」

 目の前にピンクの袋を差し出すと、お姉さんは唇をへの字に曲げた。

「……ペットショップで売られている子たちって、どうやってあそこにやってきたのか、あなたは知っている?」

「え?」

「子どもを産まされるためだけの親猫とか、親犬がいてね。産まれた子たちは、すぐにお母さんから離されちゃうんだよ」

 わたしの頭と胸が、トンカチで叩かれたみたいに、ドン! って鳴った。

「それからね、売れなくなった子たち。その子たちはどこに行くと思う? 保健所に連れていかれるの。そこで処分されちゃうんだよ。子どもを産めなくなったお母さんたちも、同じように処分されちゃうの。全部が全部、そういうわけじゃないけど」

 処分される、の意味は、説明されなくてもハッキリわかった。

 知らなかった。頭の中に、昨日行ったお店のキラキラしたライトの明かりが浮かぶ。キラキラした光に照らされた仔猫と仔犬は、突然にオモチャ屋さんに並ぶゴム人形に変わった。ショックだった。

「おはぎはね、ペットショップにいたんだけど、いつまでも売れなくて、大きくなりすぎて、それで捨てられちゃったの。保健所に連れていかれなくてよかったけど、それだってすごく勝手な話だよね」

 おはぎを見た。

 黒く光る毛は、所々禿げている。でも、ペットショップにいたのなら、元々はちゃんときれいだったはず。

 それは身勝手な人間のせいで、それなのに、汚いとか言ってしまった自分が、ものすごく恥ずかしくなった。

「でもね、市役所の人とかに見つかったら、結局は保健所に連れていかれちゃう。だから、わたしの家に連れて帰りたいけど、おはぎが嫌がるんだ。たぶん、捨てられたことを覚えていて、人が信じられないんだと思う」

 お姉さんはおはぎを悲しい、でも優しい目で見て、それから、厳しい目をわたしに向けた。

「持って帰るなんて、まるで物みたいな言い方をする人には、この子は絶対についていかないよ」

 伸ばしたわたしの腕が、ぷるぷる震えた。お年玉の袋も、一緒に震えた。

 安い仔猫がいないかなんてお店に探しに行った自分、おはぎを四万円でいいよねなんて言った自分が、すごくひどい人間に思えて、恥ずかしくて、恥ずかしくて、涙がポロポロ溢れてきた。

 おはぎが、にゃあん、と鳴いた。

 とてもかわいくて、きれいな鳴き声。

 わたしのお腹に前足をかけて、ぐんと背伸びすると、濡れたわたしの頬をペロペロ舐めた。

「許してくれるの……? おはぎ、優しいね……」

 お姉さんがため息をつく。

「おはぎね、お母さんなの。神社のお社の中で、仔猫を育てているんだよ。仔猫を守ろうとして、ちょっと狂暴になっちゃう時があるんだ」

 それから、にっこり笑った。

「仔猫を守るの、協力してくれないかな。二匹いるの。あなたが仔猫を一匹連れて帰ってくれたら、わたしもおはぎともう一匹を保護できるように、また頑張ってみる」

「仔猫……?」

「そのお金は、仔猫が幸せに暮らせるようにするために使って」

 お姉さんは、わたしの手ごと袋を両手で包み込むと、そっと押し返した。わたしの腕は、おはぎを抱きしめるみたいになった。

 おはぎは腕の中で、にっこり笑うみたいに目をつむって、また、にゃあん、と鳴いた。お願いしますって言っているみたい。

 おはぎの黒い毛がほわほわと温かくて、わたしはもっと泣いた。

 この子の命は、値段なんてつけられない。この子の値段を、どうしてわたしたち人間が勝手につけられるだろう。

 おはぎの大事な仔猫を、わたしが一生懸命守ってあげよう。産まれてきてよかったって、生きているのって楽しいなって、そう思えるように。




 いつか、この世界のすべての猫たちが、犬たちが、動物たちが、そう思えますように。




 その日から。

 おはぎにそっくりの黒いピカピカした毛並みの、わたしの大切な妹「あずき」と、わたしは毎晩幸せな眠りに落ちている。

 おはぎと、たぶんお父さん譲りなんだろう、黒いブチの「きなこ」も、きっとお姉さんのそばで、温かくて優しい夢を見ているはず。







(きみのねだん~fin~)
しおりを挟む
感想 9

あなたにおすすめの小説

妻への最後の手紙

中七七三
ライト文芸
生きることに疲れた夫が妻へ送った最後の手紙の話。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

処理中です...