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きみのねだん
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鳥居の奥のほうから、女の人の声がした。猫と一緒に、声がしたほうを振り返る。
おきつねさまの後ろから出てきたのは、ブレザー姿のお姉さんだった。
その制服が、この町ではいちばん頭がいい高校のものだってことを、その隣の小学校に通うわたしはよく知っていた。
長い髪を一つに縛ったお姉さんは、心配そうな顔で近寄ってきた。
「もしかして、それ『おはぎ』がやったの?」
そう言って、ケガをした膝がよく見えるようにしゃがみこんだから、たぶん、この猫の名前が「おはぎ」って言うんだ。
「……この猫、お姉さんの猫なの?」
こんなにみすぼらしい猫を飼う人がいるんだって驚きより、この猫がもう誰かに飼われているって悲しみのほうが、なぜか心に大きく広がった。
お姉さんは少しだけ不安そうな顔になる。首を振った。
「ううん、わたしの猫じゃないよ。この神社に住み着いているの。だけど、ご飯をあげるとか、ほとんどわたしが面倒見ているようなものだけど」
それを聞いたわたしは、身を乗り出していた。
「お姉さんが飼ってるわけじゃないんだ? だったら、わたしが持って帰っていい?」
どうして急にそんな気になったのか、わからない。
猫は、わたしとお姉さんの間で、手を折りたたんで丸くなった。
お姉さんはじっとわたしの目を見たあと、ポケットから絆創膏を取り出して、わたしのデニムをめくり、膝小僧に貼ってくれた。
「……だめだよ」
「どうして? お姉さんが面倒見てるから? あ、じゃあ、わたしお金払う。お年玉持ってるんだ!」
わたしはお尻のポケットから、全財産が入った袋を持ち出した。
「四万円と少し入ってるよ! ねぇ、知ってる? 猫ってペットショップで買うとすごく高いの! でもさ、この猫汚いし、もう大人だから、このくらいの値段でいいよね!」
目の前にピンクの袋を差し出すと、お姉さんは唇をへの字に曲げた。
「……ペットショップで売られている子たちって、どうやってあそこにやってきたのか、あなたは知っている?」
「え?」
「子どもを産まされるためだけの親猫とか、親犬がいてね。産まれた子たちは、すぐにお母さんから離されちゃうんだよ」
わたしの頭と胸が、トンカチで叩かれたみたいに、ドン! って鳴った。
「それからね、売れなくなった子たち。その子たちはどこに行くと思う? 保健所に連れていかれるの。そこで処分されちゃうんだよ。子どもを産めなくなったお母さんたちも、同じように処分されちゃうの。全部が全部、そういうわけじゃないけど」
処分される、の意味は、説明されなくてもハッキリわかった。
知らなかった。頭の中に、昨日行ったお店のキラキラしたライトの明かりが浮かぶ。キラキラした光に照らされた仔猫と仔犬は、突然にオモチャ屋さんに並ぶゴム人形に変わった。ショックだった。
「おはぎはね、ペットショップにいたんだけど、いつまでも売れなくて、大きくなりすぎて、それで捨てられちゃったの。保健所に連れていかれなくてよかったけど、それだってすごく勝手な話だよね」
おはぎを見た。
黒く光る毛は、所々禿げている。でも、ペットショップにいたのなら、元々はちゃんときれいだったはず。
それは身勝手な人間のせいで、それなのに、汚いとか言ってしまった自分が、ものすごく恥ずかしくなった。
「でもね、市役所の人とかに見つかったら、結局は保健所に連れていかれちゃう。だから、わたしの家に連れて帰りたいけど、おはぎが嫌がるんだ。たぶん、捨てられたことを覚えていて、人が信じられないんだと思う」
お姉さんはおはぎを悲しい、でも優しい目で見て、それから、厳しい目をわたしに向けた。
「持って帰るなんて、まるで物みたいな言い方をする人には、この子は絶対についていかないよ」
伸ばしたわたしの腕が、ぷるぷる震えた。お年玉の袋も、一緒に震えた。
安い仔猫がいないかなんてお店に探しに行った自分、おはぎを四万円でいいよねなんて言った自分が、すごくひどい人間に思えて、恥ずかしくて、恥ずかしくて、涙がポロポロ溢れてきた。
おはぎが、にゃあん、と鳴いた。
とてもかわいくて、きれいな鳴き声。
わたしのお腹に前足をかけて、ぐんと背伸びすると、濡れたわたしの頬をペロペロ舐めた。
「許してくれるの……? おはぎ、優しいね……」
お姉さんがため息をつく。
「おはぎね、お母さんなの。神社のお社の中で、仔猫を育てているんだよ。仔猫を守ろうとして、ちょっと狂暴になっちゃう時があるんだ」
それから、にっこり笑った。
「仔猫を守るの、協力してくれないかな。二匹いるの。あなたが仔猫を一匹連れて帰ってくれたら、わたしもおはぎともう一匹を保護できるように、また頑張ってみる」
「仔猫……?」
「そのお金は、仔猫が幸せに暮らせるようにするために使って」
お姉さんは、わたしの手ごと袋を両手で包み込むと、そっと押し返した。わたしの腕は、おはぎを抱きしめるみたいになった。
おはぎは腕の中で、にっこり笑うみたいに目をつむって、また、にゃあん、と鳴いた。お願いしますって言っているみたい。
おはぎの黒い毛がほわほわと温かくて、わたしはもっと泣いた。
この子の命は、値段なんてつけられない。この子の値段を、どうしてわたしたち人間が勝手につけられるだろう。
おはぎの大事な仔猫を、わたしが一生懸命守ってあげよう。産まれてきてよかったって、生きているのって楽しいなって、そう思えるように。
いつか、この世界のすべての猫たちが、犬たちが、動物たちが、そう思えますように。
その日から。
おはぎにそっくりの黒いピカピカした毛並みの、わたしの大切な妹「あずき」と、わたしは毎晩幸せな眠りに落ちている。
おはぎと、たぶんお父さん譲りなんだろう、黒いブチの「きなこ」も、きっとお姉さんのそばで、温かくて優しい夢を見ているはず。
(きみのねだん~fin~)
おきつねさまの後ろから出てきたのは、ブレザー姿のお姉さんだった。
その制服が、この町ではいちばん頭がいい高校のものだってことを、その隣の小学校に通うわたしはよく知っていた。
長い髪を一つに縛ったお姉さんは、心配そうな顔で近寄ってきた。
「もしかして、それ『おはぎ』がやったの?」
そう言って、ケガをした膝がよく見えるようにしゃがみこんだから、たぶん、この猫の名前が「おはぎ」って言うんだ。
「……この猫、お姉さんの猫なの?」
こんなにみすぼらしい猫を飼う人がいるんだって驚きより、この猫がもう誰かに飼われているって悲しみのほうが、なぜか心に大きく広がった。
お姉さんは少しだけ不安そうな顔になる。首を振った。
「ううん、わたしの猫じゃないよ。この神社に住み着いているの。だけど、ご飯をあげるとか、ほとんどわたしが面倒見ているようなものだけど」
それを聞いたわたしは、身を乗り出していた。
「お姉さんが飼ってるわけじゃないんだ? だったら、わたしが持って帰っていい?」
どうして急にそんな気になったのか、わからない。
猫は、わたしとお姉さんの間で、手を折りたたんで丸くなった。
お姉さんはじっとわたしの目を見たあと、ポケットから絆創膏を取り出して、わたしのデニムをめくり、膝小僧に貼ってくれた。
「……だめだよ」
「どうして? お姉さんが面倒見てるから? あ、じゃあ、わたしお金払う。お年玉持ってるんだ!」
わたしはお尻のポケットから、全財産が入った袋を持ち出した。
「四万円と少し入ってるよ! ねぇ、知ってる? 猫ってペットショップで買うとすごく高いの! でもさ、この猫汚いし、もう大人だから、このくらいの値段でいいよね!」
目の前にピンクの袋を差し出すと、お姉さんは唇をへの字に曲げた。
「……ペットショップで売られている子たちって、どうやってあそこにやってきたのか、あなたは知っている?」
「え?」
「子どもを産まされるためだけの親猫とか、親犬がいてね。産まれた子たちは、すぐにお母さんから離されちゃうんだよ」
わたしの頭と胸が、トンカチで叩かれたみたいに、ドン! って鳴った。
「それからね、売れなくなった子たち。その子たちはどこに行くと思う? 保健所に連れていかれるの。そこで処分されちゃうんだよ。子どもを産めなくなったお母さんたちも、同じように処分されちゃうの。全部が全部、そういうわけじゃないけど」
処分される、の意味は、説明されなくてもハッキリわかった。
知らなかった。頭の中に、昨日行ったお店のキラキラしたライトの明かりが浮かぶ。キラキラした光に照らされた仔猫と仔犬は、突然にオモチャ屋さんに並ぶゴム人形に変わった。ショックだった。
「おはぎはね、ペットショップにいたんだけど、いつまでも売れなくて、大きくなりすぎて、それで捨てられちゃったの。保健所に連れていかれなくてよかったけど、それだってすごく勝手な話だよね」
おはぎを見た。
黒く光る毛は、所々禿げている。でも、ペットショップにいたのなら、元々はちゃんときれいだったはず。
それは身勝手な人間のせいで、それなのに、汚いとか言ってしまった自分が、ものすごく恥ずかしくなった。
「でもね、市役所の人とかに見つかったら、結局は保健所に連れていかれちゃう。だから、わたしの家に連れて帰りたいけど、おはぎが嫌がるんだ。たぶん、捨てられたことを覚えていて、人が信じられないんだと思う」
お姉さんはおはぎを悲しい、でも優しい目で見て、それから、厳しい目をわたしに向けた。
「持って帰るなんて、まるで物みたいな言い方をする人には、この子は絶対についていかないよ」
伸ばしたわたしの腕が、ぷるぷる震えた。お年玉の袋も、一緒に震えた。
安い仔猫がいないかなんてお店に探しに行った自分、おはぎを四万円でいいよねなんて言った自分が、すごくひどい人間に思えて、恥ずかしくて、恥ずかしくて、涙がポロポロ溢れてきた。
おはぎが、にゃあん、と鳴いた。
とてもかわいくて、きれいな鳴き声。
わたしのお腹に前足をかけて、ぐんと背伸びすると、濡れたわたしの頬をペロペロ舐めた。
「許してくれるの……? おはぎ、優しいね……」
お姉さんがため息をつく。
「おはぎね、お母さんなの。神社のお社の中で、仔猫を育てているんだよ。仔猫を守ろうとして、ちょっと狂暴になっちゃう時があるんだ」
それから、にっこり笑った。
「仔猫を守るの、協力してくれないかな。二匹いるの。あなたが仔猫を一匹連れて帰ってくれたら、わたしもおはぎともう一匹を保護できるように、また頑張ってみる」
「仔猫……?」
「そのお金は、仔猫が幸せに暮らせるようにするために使って」
お姉さんは、わたしの手ごと袋を両手で包み込むと、そっと押し返した。わたしの腕は、おはぎを抱きしめるみたいになった。
おはぎは腕の中で、にっこり笑うみたいに目をつむって、また、にゃあん、と鳴いた。お願いしますって言っているみたい。
おはぎの黒い毛がほわほわと温かくて、わたしはもっと泣いた。
この子の命は、値段なんてつけられない。この子の値段を、どうしてわたしたち人間が勝手につけられるだろう。
おはぎの大事な仔猫を、わたしが一生懸命守ってあげよう。産まれてきてよかったって、生きているのって楽しいなって、そう思えるように。
いつか、この世界のすべての猫たちが、犬たちが、動物たちが、そう思えますように。
その日から。
おはぎにそっくりの黒いピカピカした毛並みの、わたしの大切な妹「あずき」と、わたしは毎晩幸せな眠りに落ちている。
おはぎと、たぶんお父さん譲りなんだろう、黒いブチの「きなこ」も、きっとお姉さんのそばで、温かくて優しい夢を見ているはず。
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