賢君源実朝

shingorou

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第三章成長する将軍

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   一
 建久三年、西暦一二〇六年。祖父時政と牧の方が追放された後、実朝の後見を務めることになった叔父義時に対して、実朝は言った。
「私は、叔父御を信じている。私が、今後、北条を武でもって排除することは決してないとお約束しよう。おおかたのことは、叔父御にお任せしようと思う。されど、道理に合わぬことがあれば、許すわけにはゆかぬ。私に隠れてなされた過ちであっても、私の名のもとに行われたのであれば、それはそのまま将軍である私の過ちとなるのだから。それが、お気に召さぬというのであれば、いつでも私の命を取るがよろしかろう。一度は覚悟を決めた命だ、恐ろしいとは思わぬ」
(やはり、儂の目は間違ってはいなかった。)
 義時は、牧の方に対して、威厳と迫力に満ちた怒気を発した少年将軍の中に、父頼朝の姿をはっきりと見た気がして、万感の思いを抱いた。
 実朝は、叔父義時らすぐれた重臣達の適切な補佐を受けながら、積極的にまつりごとを始め、様々なことを学んでいく。実朝は、父頼朝の時代に与えられた土地については、大罪を犯さない限り、取り上げられることはないという坂東の為の大原則を改めて確認した。兄頼家の場合もそうだったが、実朝の治世においても、基本的には父頼朝の方針を踏襲しており、それに大きく外れることはなかった。

 二月になり、実朝は、雪見ついでに叔父義時の別邸を訪れた。
「この大雪では、お帰りになるのも、難儀なことでございましょう。いつかの月食の夜と同じように、今夜も、この叔父めの屋敷に泊まって行ってくだされ」
 義時は、甥の訪問を喜んだ。
「せっかくの雪景色です。ここで、和歌の会をやりましょう、御所様」
 泰時の提案に、実朝の顔は輝いた。
「良い考えだな。小四郎叔父も一緒にどうだ」
 実朝の誘いに、義時は、苦笑しながら答えた。
「はてさて。儂は、人様が詠んだ歌を口ずさむのが精いっぱいで、自分でひねり出すのは不得手ですからなあ」
「御所様、鶯の声が聞こえてまいりましたよ」
 泰時の指摘に、実朝も耳を澄ませた。
 かきくらすなほ降る雪の寒ければ春とも知らぬ谷のうぐいす
「こんなに暗い中雪が降り続けると、寒くてうぐいすも春の訪れに気づかないんじゃないかなあ」
 そう言って、実朝は、今度は、雪の原の地面を見渡した。
 春立たば若菜摘まむとしめおきし野辺とも見えず雪のふれれば
 春になれば若菜を摘もうと心づもりしていた野辺も、雪が降り続いているので見当がつかくなっている。
 聡明な実朝は、源仲章らの侍読のもとで、儒学などの学問に励んでおり、まつりごとの実務の理解も早く、瑞々しい感性を持ち、歌道にもその才を見せ始めていた。義時は、若い甥の成長を喜ぶとともに、実朝が年相応の明るい無邪気さも忘れていないことに安堵していた。
 
 三月。実朝は、桜井五郎という鷹の名人の百舌鳥(もず)を鷹のように扱うという自慢話を聞いて、それに魅せられていた。
「本当なら、見てみたいのだけれど。だが、将軍ともあろう者が、子どもっぽいと思われないだろうか」
 実朝は、少年らしいはにかんだ笑みを見せながら義時に話した。
 義時は、笑いながら答えた。
「面白そうではありませんか。儂も見てみたいですなあ」
 義時の発言に、中原広元(後の大江広元)や三善康信らの年配者も大いに関心を持ったようだ。義時は、桜井五郎を呼んで来させた。
 桜井は、雀がいる草むらの中に、百舌鳥を行かせて雀を三羽捕えさせた。その様子を見ていた皆は、大変感動した。
 実朝の周りでは、若い者だけでなく、年配者達も含めて、明るい笑い声が絶えなかった。
和歌の中から伺われる、実朝の少年らしい純真さ、優しさ、おおらかさは、亡き父頼朝を始めとして周囲の者達に慈しまれて育った末っ子気質も関係しているのかもしれない。義時もまた、生まれた時から近くで見守り続けてきた甥が可愛くて仕方がなかった。

 改元後の建永元年、西暦一二〇六年、六月。
 亡き実朝の兄頼家の次男善哉の着袴の儀が行われた。善哉は、この数か月後に実朝の正式な猶子となる。
 実朝は、兄弟ほどにしか年の変わらない甥のことを思った。可哀そうなことだとは思うが、善哉は昨年鶴岡八幡宮尊暁の弟子となっており、兄頼家と北条氏とのいきさつを考えれば、いずれ仏の道に入ることを余儀なくされるだろう。
 兄が修禅寺に向かう日、祖母の政子に手を引かれ、泣き出した善哉に対し、兄は、「べそべそと泣くなどもってのほかじゃ!そのような軟弱者は、我が子ではない!とっとと朽ち果ててしまえ!」と怒ったように叫んで輿に乗って行ってしまった。兄が去った後、政子は、幼い孫を抱きしめたまま泣いていた。
 実朝は、今の善哉と同じ年頃の時に父頼朝を亡くしたが、父との温かい思い出は昨日のように憶えている。父頼朝は、まだ千幡と呼ばれた実朝を無条件で慈しんでくれたが、善哉は父親に抱かれた時の腕の温もりを覚えてはいないだろう。兄頼家は、強く、厳しく、そして不器用な人だった。きっと、善哉と別れた後も、一人で泣いていたに違いないのに。
 自分がどれほどこの子のことを愛したとしても、本当の父親の変わりにはなれないのだ。それでも、人の温もりを忘れないでほしいと思った実朝は、緊張したまま俯いて座っている善哉に近づいて行って、その手を引いて、母政子と御台所倫子のいる場所に連れて行った。
「御台、私の隠し子の善哉だ。仲良くしてやっておくれ」
 実朝が茶化したように倫子に微笑むと、倫子も微笑み返して言った。
「まあ、随分と大きな隠し子がおられたのですねえ」
 倫子は、善哉にも、はにかむような柔らかい笑みを浮かべて、「どうぞおよろしくね」と言った。
 絵巻物から抜け出た雛人形のような可憐なお姫様に、善哉は眩しいものでも見たかのように、ぼうっと見惚れていた。
 父頼朝や叔父の小四郎は、善哉と同じ歳くらいの実朝を軽々と抱き上げていた。善哉は、どのくらいの重さなのだろうか。それを知りたいと思った実朝は、かつて父や叔父がしてくれたように、善哉を思いっきり高く抱き上げた。
 善哉は、ずしりと重く、たちまち実朝の腰に大きな負担が来た。華奢であまり筋力のない実朝は、すぐにふらふらになってしまった。
「本当に大きくなったなあ、善哉」
「御所、善哉は、もう赤子ではないのですから」
 実朝の行為に、母の政子は呆れていたが、その顔は笑っていた。
 実朝の善哉への接し方は、頼朝の幼い末っ子へのそれを思い出させた。
(賢さ、強さ、優しさ。やはり故右幕下によく似ておられる)
 義時は、実朝ら家族の団らんを目を細めて見守っていた。
 
 善哉の着袴の儀が行われた頃、実朝の近習の東重胤は、休暇を願い出て、領地のある下総に戻っていた。
「業務連絡も兼ねて必ず便りを寄越すように。八月には帰って参れよ。」
 和歌仲間と離れるのがなんとなく寂しく思った実朝は、そう言って重胤を送り出した。
 しかし、重胤からは、何の音沙汰もないまま、約束の八月になってしまった。よほど領地に関わる仕事が忙しくて忘れているのだろうか、病にでもかかってしまったのではないかと心配になって、実朝は文を送った。
 来ん年も頼めぬうわの空だにも秋風ふけば雁は来にけり
帰って来ないであてにならない奴だ。大方、色事に心奪われて私のことなど忘れてしまっているのだろう。お前がそんな風になっている間にさえ、こっちは秋風が吹くようになって雁が来る季節になっているぞ。
 勉強中の和歌の練習も兼ねて、実朝は、なかなか帰って来ない恋人を恨む女人が詠んだ風な茶化した歌を贈った。
 しかし、九月になっても、重胤からは何の音沙汰もなかった。ますます心配になった実朝は、再度重胤に歌を贈った。
 今来んと頼めし人は見えなくに秋風寒み雁は来にけり
今か今かとお前が帰って来るのをあてにしたのに、お前は帰って来ない。とうとう秋風が寒く、雁がふるえるような季節になってしまったではないか。
 それでも、重胤からは何の連絡もなかった。とうとう半年近くがたった十一月の中頃、重胤は、ひょっこりと戻ってきた。
「どうも、御所様には、しばらくぶりで、ご無沙汰いたしております」
 その様子に、泰時、時房ら実朝の他の近習達は呆れかえっていた。
「御所様の方から、何度も御文を寄越されたというのに、業務連絡の文一つ寄越さず、一体どういうつもりなのでしょうか」
「心配して私の方から文を遣ったというのに。半年もの間、業務連絡を怠ったばかりか、あのようにへらへらとふざけた態度は何事か!あまりに、主人である私を蔑ろにする行為ではないか!金輪際御所への出仕は罷りならぬ!」
 実朝の逆鱗に触れた重胤は、半泣き状態ですごすごと退出した。実朝の重胤への怒りはなかなか解けなかった。そこで、重胤は、義時に何とかしてくれるように泣きついてきた。
「自業自得ではありませんか。御所様の御怒りはごもっともです。取り次ぐ必要などありません!」
 真面目な息子泰時はそう言ったが。
(普段、穏やかで優しい少年だとばかり思っていた者にとっては、いきなり父君譲りのあの姿を見せられては、ひとたまりもなかろう)
 義時は、重胤に同情した。
「宮仕えで、ちょっとしたうっかりは誰にでもあることです。許してやってはいただけませんか」 
 義時は、穏やかに実朝に言ったが、実朝の怒りは治まらなかった。
「うっかりが過ぎるであろう!半年も連絡を寄越さないとは、職務怠慢もいいところだ。私とて、二度は許したのだ。なのに、あのようにへらへらとふざけて、馬鹿にするにも程がある!」
 どうしたものだろうかと義時は思いつつ、重胤が侘びとして詠んだ歌を実朝に差し出した。
「無風流な儂にはよく分かりませんが。敷島の道は、言の葉を通じて、心を和らげるためにあるのではありませぬか」
 叔父の指摘を受けて、実朝は、為政者としての寛大さも忘れてはならないことに気づいた。
 重胤が侘びとして詠んだ和歌を何度も詠唱した実朝は、さすがに重胤のことが哀れに思われ、許すことにした。
「誠に申し訳なく……」
 すっかりしょげて平身低頭の重胤に対して、実朝は穏やかに告げた。
「私も言い過ぎてすまなかった。もう怒ってはいないよ。それよりも、領地の景色のことなど、聞かせてくれないか」
 季節はすでに冬になっていた。
 花すすき枯れたる野辺の置く霜のむすぼほれつつ冬は来にけり
 花すすきが枯れて野原一面に霜が降りるようになり、冬がやって来た。
 あづまぢの道の冬草枯れにけり夜な夜な霜や置きまさるらむ
 東路の道の冬草も枯れてしまい、夜ごとに霜がいっそう降りるのだろうか。
 実朝は、久方ぶりの和歌仲間との再会を喜んだ。

「分かっていただけてよかったわい」
「御所様はご聡明な方ですから」
 父から実朝と重胤の話を聞いた泰時もほっとしていた。
 その側で、面白くなさそうな顔をしている少年がいた。別れた姫の前との間にできた義時の次男坊である。次郎は、この年の十月に元服し、一つ年上の実朝に加冠親になってもらい、実朝の一字をとって朝時の名を賜っていた。
「お前も、悪さはいい加減にして。少しは御所様を見習って、勉学に励め」
「嫌なこった!何だい、御所様御所様って!」
 父も兄も、話題に出るのはいつも実朝のことばかりである。朝時の兄泰時と実朝は、優等生同士気が合い、父義時もまた泰時と実朝のことを自慢げに誉めそやす。朝時は、何かにつけて、一つしか年が変わらない実朝と比べられ、面白くない思いをすることが多かった。
 青少年の成長はまだまだ続く。

   二
 建永二年、西暦一二〇七年。
 正月早々、実朝は、御台所倫子を連れて揃って鶴岡八幡宮へ出かけた。実朝の手には翡翠の数珠、倫子の手には紫水晶の数珠がそれぞれかけられている。
「春とはいえ、まだ寒いのに、連れ出してすまなかったね、御台」
 実朝の問いに、倫子は微笑んで言った。
「そのようなことはございません。京にいた頃は、ほとんど外に出ることがありませんでしたけれど。鎌倉に来てからは、たびたび外出できる機会が多くて、楽しゅうございます。」
 実朝もまた、倫子に向けて柔らかい笑みを浮かべた。
「それはよかった」
 実朝にとって、倫子と過ごす時間は何よりも楽しく、かけがえのないものだった。
(本当に、御台が鎌倉に来てくれてよかった)
 実朝は、それぞれの手にかけられた数珠を見つめながら、御仏の縁に心底感謝していた。
 それから、間もなくして、実朝は、初めての二所詣に出かけることになった。
 二所詣の前には、由比ガ浜において潮浴で身を清める二所精進が行われた。
 季節の上では春とはいえ、まだまだ外は寒い。
 元来、あまり体が丈夫ではない実朝の様子を心配そうに見守っていた義時に対し、実朝は大丈夫だと安心させるように笑って儀式をこなしていく。
 やがて、五泊六日の予定で、将軍一行は鎌倉を発った。箱根権現、三嶋大社、走湯山の伊豆山権現と実際には三か所を訪れることになっていた。
 箱根山を越えると、海辺に波の寄る小島が見えてきた。初めて訪れる場所なので、実朝はこのあたりの土地のことに詳しくない。
「あの海の名前はなんというのですか」
 好奇心旺盛なまだ少年の甥の問いに、義時は笑いながら答えた。
「伊豆の海と申します。よいお歌が詠めそうですか」
 叔父の問いに実朝ははじけるような笑顔を見せて興奮したように答えた。
「箱根路をわれ超えくれば伊豆の海や波の小島に波の寄る見ゆ。驚いたなあ。山を越えた途端に急に視界が広くなって、目の前に海があって、小島に波が寄っている姿が見えてくるなんて。絵巻物でしか見たことがない世界をこの目で実際に見られるとは」
「それはよろしうございました」
 伊豆に着いた実朝は、今度は言葉遊びも兼ねた歌を詠んだ。
 わたつうみの中に向ひていづる湯の伊豆のお山とむべも言ひけり
 海の中に向かって湯が出づる山、なるほど、それで伊豆山と言うのだなあ。
 伊豆の国山の南に出づる湯の速きは神のしるしなりけり
 伊豆山の南から出づる湯は、湯が迸る早さも神の御利益の効果も早いのだなあ。
 走る湯の神とはむべぞ言ひけらし速きしるしのあればなりけり
 走り湯の神とはなるほどよく言ったものだ、御利益の効果は早いものだよ。
 都より巽にあたり出湯あり名はあづま路の熱海といふ
 都の東南には宇治があるが、あちらは世を憂いて隠棲する場所である。同じく、都から東南に当たる東路には出湯があるが、湯が熱いからあつうみ、あたみというのだろう、こちらの方はなんともめでたいことだなあ。
 実朝は、心も体も温まりながら、伊豆の湯の効能を堪能した。
 将軍としての重要な務めを一つ果たし、自分なりの和歌も読めて一安心した実朝は、徐々にまつりごとにも才を見せ始めていく。
 実朝は、武蔵守に任じられた義時の弟の時房と、武蔵国の領地運営について話しを聞いていた。
「先の国司は大内義信殿でした」
「現地を混乱させないためには、従来どおりのやり方を当分続けたほうがよいのだろうね」
「さようでございますね」
 話をしながら実朝は、亡き兄頼家が東国の荒野の開発に積極的だったことを思いだした。鎌倉殿としての期間は短かったけれども、頼家もまた父頼朝の後を引き継ぎ、己の務めを懸命に果たそうとしていたのだ。結果として自ら望んで手に入れた地位ではないけれども、それでも、自分もそれを引き継いで己の務めを果たしていく、それこそが亡き兄への償いであろう、そう思った実朝は、兄と同様に、武蔵国の原野開発を地頭たちに命じた。
 順調に公務をこなしていた実朝であったが、それからしばらくして、もともと体がそれほど丈夫ではないこともあってか、実朝は病で寝込んでしまった。
(つい先月、二所詣に共に出かけた時は元気だったというのに)
 義時は、頼朝が亡くなった時に、幼い実朝を抱き上げて、共に見上げた梅の木を見つめていた。そのそばには、実朝がわざわざ永福寺から取り寄せた別の梅の木や桜の木が入植されていた。姉大姫や父頼朝との思い出深い梅の花を実朝はとりわけ愛していた。
「お前も、ご主人様のことがさぞ心配だろうなあ」
 義時は、実朝の愛犬雪を抱き上げて話しかけながら、梅の木に手を合わせて甥の回復を祈った。義時の思いが通じたのか、実朝の病は再び公務が行える状態にまで無事回復した。

 六月。御台所倫子の父大納言坊門信清の使いが朝廷側の便りを携えてやって来た。紀伊国の守護は、三浦義村の叔父三浦義連が務めていたが、義連亡き後交代者は定まっていなかった。その隙に乗じて、義連の配下が扇動し、紀州国の土民が高野山に入り、狩りをしたり、寺の年貢を横領したと高野山が訴えてきたのである。
「もともと、院様の熊野詣の宿場で利用する以外に、関東とはあまり関わりのない土地のようだが、どうするべきなのだろうか」
 実朝の疑問に答えるように、中原広元(後の大江広元)は答えた。
「いっそのこと守護は不要なようですからこれを廃止して、朝廷に管理を任せることにして、亡き三浦義連殿らの配下は引上げさせた方がよいでしょうな」
 朝廷との交渉の窓口となることは、武家の棟梁である将軍のもっとも重要な政務の一つであった。実朝は、朝廷と関係のある訴訟の扱い方など、朝廷との付き合い方も学んでいった。
 
 八月。鶴岡八幡宮で放生会が行われたときのことである。
供の者達の中から、出発間際になって具合が悪いと言い出した者がおり、別の者を代役にたてたため、出発時間が大幅に遅れてしまった。後から事情を調査したところ、具合が悪くなったと言い出した者達は、ある者は親族の喪に服しているとか、またある者は病気だったのだなどと言い訳をし始めた。そのような事情があるのなら、事前に届け出るのが通常であるから、どうみても嘘に決まっていた。
 そして、馬鹿正直に本当のことを話した吾妻助光は、内容が内容だけに、なお質が悪かった。なんと、助光は、晴れの儀式にと新しい鎧を新調し、その鎧がねずみにかじられてしまったので、慌てて具合が悪いと言ってしまったのだと白状した。これには、実朝だけでなく、重臣達も呆れかえって言葉がなかった。
「新しい鎧が使えないというのであれば、先祖代々着古した鎧を着ればよいだけの話ではないか。だいたい、鎧は警護のためにあるのであって、着飾るためにあるのではないのだ。年中やっている恒例の行事のたびに鎧を作り替えていたのでは、父上以来の質素倹約の信念にも背くことになる。けしからんことだ」
 助光は、実朝から出仕停止を命じられた。実朝は、これ以降も、家臣達の職務怠慢や違反行為に対しては毅然とした態度を取るようになっていく。

 それからしばらくして、実朝は、御台所倫子が子を産める体になったのだという知らせを受けた。
 実朝と倫子の仲はとてもよかったが、実朝はまだ倫子と夜を共に過ごしたことがなかった。倫子と夜を共に過ごすことになれば、いずれ愛らしい赤子が生まれるということを知った実朝は、赤子を生み出すための指南書として渡された巻物を渡された。
 実朝には、赤子が生まれたら、父頼朝が実朝にしてくれたように、してやりたいと思うことがいっぱいあった。
(御台の産んでくれるややこは、特に御台に似た姫だったら、さぞかし可愛いだろうなあ)
 年頃の男子でありながら、性的な知識については皆無だった実朝は、巻物を開いた瞬間、
頭を大きく殴られたような強い衝撃を受けた。
(これは、一体何なのだ!)
 そこには、一糸まとわぬ男女の姿が描かれていた。男の方は、いやらしそうな顔で女の乳房を手で弄んで口に含み、男の証を女に突き立てていた。
 実朝は、まだ幼い頃、いとこの泰時に、「ややこはどのようにして生まれてくるのか?」と尋ねた時、泰時はひどく戸惑ったような顔で答えたことがあった。
 泰時が比喩として話した、大根の種蒔きの話の本当の意味を、そして真面目なまだ若い泰時がなぜあれほど動揺していたのかをようやく理解した実朝は、その行為のあまりのおぞましさに強烈な吐き気を催した。
(嘘だ!あのように愛らしく無垢なややこが、このような汚らわしい行為で生まれてくるはずがない!)
 同時に、実朝の脳裏に、幼い頃偶然目撃してしまった兄頼家と和田朝盛が絡み合う場面が浮かんできた。
「可愛い奴だ」
「お許しください」
 実朝の頭の中で、兄は泣いて懇願する朝盛を汚そうとしていく。そして、場面は転換して今度は、実朝が嫌がってひどく泣く倫子を汚そうとしていた。
(何ということだろう!生涯かけて大切にしようと誓った御台なのに。私は御台を汚して傷つけて泣かせるだけの存在にすぎないというのか!私は、確実に御台に嫌われるだろう。このような真実を、私は知りたくなどなかった!)
 それ以降、実朝からは、少年らしい大らかさと明るさは見られなくなり、内にこもり、暗い表情を見せることが多くなった。
 実朝は、倫子と臥所を共にすることを周囲から勧められても、体の具合がよくないことを理由にそれを拒否した。それとは相反するように、知りたくはなかった真実を知ってから、実朝の中では、ますます倫子と共にいたい、倫子に触れたいという欲求が高まって行った。実朝は、そのような汚らわしい自分に、ますます嫌気がさすようになっていった。
 わが恋は初山藍の摺ごろも人こそ知らね乱れてぞ思ふ
 山藍の摺衣を初めて着るように、私も初めて知った恋の真実にどれほど慄いて心乱れているか、誰も知らないであろう……。

 白雪が舞う曇り空のとても寒い日だった。御所では、飲み会が開かれており、実朝は、倫子と共に、ほろ酔い程度に酒を楽しんでいた。
 そこへ、一羽のアオサギが飛んできた。気味の悪いアオサギの鳴き声に、倫子は酷く怯えて震え出した。実朝は、その姿を見て、まるで自分が倫子を犯しているような気分にさせられた。
いつになくアオサギの存在にいらついた実朝は、「不吉な感じがする。誰か、あのアオサギを射る者はいないか」と投げやりな気持ちで言った。
 叔父義時は、「それならば、吾妻助光がおります。放生会での失態を回復する機会を与えてやってはいかがでしょうか」と進言した。
実朝は、叔父のいうとおりに、助光に使いをやった。
 助光が矢を放つと、アオサギは庭に落ちた。助光の矢はアオサギには当たっていなかった。助光は、アオサギの目をかすめるように矢を射たのだった。見事な腕前で名誉を回復した助光を実朝は許してやり、助光の名誉は回復された。
 だが、実朝には、アオサギが汚れた実朝自身のように思えてならなかった。
いつもとは違う暗い実朝の表情に気づいた叔父の義時は、心配そうに実朝のことを見つめていた。

   三
 承元二年、西暦一二〇八年。
 元々あまり体が丈夫でない実朝は、正月早々床に臥していた。そこに、三善康信の屋敷が火事にあったという情報が入った。
「申し訳ございませぬ。父君の時代からの貴重な書類の数々が燃えてしまいました!」
 康信は、衝撃のあまり、号泣していた。
「そのように己を責めるでない。そなたの命が無事だっただけで、私は嬉しく思う」
 自ら病の床にありながら、相手を気遣う実朝の優しさに、康信はますます涙をこぼした。
 病で抵抗力が弱っていたところに拍車をかけるように、実朝は、生死をさまようほどのさらなる大病、疱瘡にかかった。
 感染を防止するために隔離された実朝と、御台所倫子は会うことができない。それでも、倫子は、将軍である実朝の名代として、鶴岡八幡宮へ参拝する等、御台所としての務めを懸命に果たした。
(御所様の父君様、姉君様。どうか、あの方をまだそちらに連れて行かないでくださいませ。あの方のお命が助かるのなら、私はこれ以上なにも望みませぬ)
 倫子は、実朝が姉大姫からもらい、縁があって倫子の手に渡った紫水晶の数珠を手にして、必死に実朝の回復を祈った。
 季節は桜の花が咲く頃になり、倫子から実朝への見舞いにと山桜の一枝が贈られてきた。それを眺めながら、実朝への妻への思いは募るばかりだった。
 春霞たつたの山のさくら花おぼつかなきを知る人のなさ
 立ちこめる春の霞のせいではっきりとは見えない桜のように、私のあの人への想いを知る人は誰もいないのだ。
(これは、御台に不埒な欲情を抱いた神仏の私への罰なのだ。それでも、死ぬ前に、もう一度御台に会いたい!)
 病の床にあり、熱にうなされる中、実朝もまた倫子のことを思いながら、月日ばかりが流れていく。
 奥山の末のたつきもいさ知らず妹に逢はずて年の経ゆけば
 私の行く末はさあどうなるか分からない、愛しい妻に会えないまま月日ばかりが過ぎてゆくので。
 やがて、倫子の願いが通じたのか、実朝は命を取り留めた。
 しかし、ひどく目立つほどではないが、体のあちこちに残った疱瘡の跡を見て、実朝は、頭の中で汚れた醜い欲情によって倫子を汚し続けたことへの更なる罰なのだと感じずにはいられなかった。
 やっと見舞いに訪れることがかない、実朝に会いに来た倫子に対して、実朝は自嘲気味に言った。
「私は、心も体もこのように醜く汚れてしまったよ。御台には、今度こそ、嫌われてしまうのだろうなあ」
 実朝の言葉に、倫子は、涙を流して、実朝に抱きつきながら言った。
「何をおっしゃいますか!お命が助かったと聞いて、私がどれほど嬉しかったことか!」
 倫子の言葉を嬉しく思うとともに、実朝は、倫子の柔らかい感触にひどく動揺した。実朝の体には、病の時とは違う男としての別の熱が再発した。それをはっきりと自覚した実朝は、ますます自分自身への嫌悪感を深めていった。
 病から回復して、実朝は、京へ出向く東重胤の挨拶を受けていた。
「御所様がお元気になられてよろしうございました」 
 実朝は、弱弱しい笑みを浮かべながらも、重胤をからかうように言った。
「今度こそ、うっかりが過ぎて文を寄越すのを忘れたりしないようにな」
 重胤は恐縮しながら返答した。
「御台様からはまだ内緒にしておくようにと言われていたのですが。もうすぐ、御所様に、京から嬉しい御褒美が贈られてまいりますよ。楽しみになさっていてください」
 間もなくして、倫子の実家を通じて、藤原基俊の筆による古今和歌集が届けられた。
「病を乗り越えた御所様へのお待ちかねの御褒美でございますよ」
 倫子は、柔らかく微笑んだ。
「これは、何事にも代えがたい御褒美だなあ」
 実朝は、久方ぶりに心から笑った。
 清らかな倫子を汚そうとする己の欲情への嫌悪感は消えない。
(だが、それでも、私は、御台が大好きだ。そばにいたい、そばにいてほしい)
 実朝の倫子への想いはますます深くなっていく。
 
 病から回復した実朝は、政務にも復帰した。
その年の夏は、雨が全く降らず、民の憂いは増すばかりだった。実朝自身には、自然現象をどうにかする力はない。
 しかし、実朝は、病の自分の回復を多くの者達が祈ってくれたせめての恩返しとして、恵みの雨をもたらしてくれるよう祈らずにはいられなかった。実朝の願いが通じたのか、鎌倉に恵みの雨がもたらされた。人々は、民の憂いに心を寄せる若い将軍のその心の優しさに感激していた。
 それからしばらくして、武蔵国の威光寺の僧侶円海が、増西という別の僧侶の暴挙を訴えてきた。将軍の御前で、口頭で弁論をさせたところ、増西が、多数の無法者達を率いて、寺の領地に不法侵入して稲を強奪したという事実が発覚した。民の憂いを減らすために仏に仕えるべき僧侶にあるまじき行為を実朝は許せなかった。実朝は、そのような無法な行為は止めるようにと言い聞かせ、増西に対し、永福寺で百日間の修行をし直して罪滅ぼしをするように命じた。
 後日、実朝は、母政子と御台所倫子と共に、その永福寺に出かけた。
「御所がお元気になられて、こうしてまた、御所と御台所と一緒に出かけられるとは。母にとってこれほど嬉しいことはありませんよ」
 政子の言葉に倫子も嬉しそうに頷いている。
「母上にもご心配をおかけしました」
 実朝は、恐縮しながら母に頭を下げた。
「御所様。悪さをしたお坊様は、きちんと御所様のお言いつけを守ってお勤めをしているでしょうか」
「そうそう、それも知らねばと思って、ここへ来たのだよ。今のところ、増西は神妙にしているようだよ」
 倫子の問いに実朝は笑って答えた。久方ぶりに見る実朝の若者らしい明るさを確認した政子は、心から安堵した。
「それはそうと。母は、今度は、御所がお元気になられたお礼も兼ねて、熊野にも行こうと思っているのですよ。院様が何度も熱心にお参りされていると聞いて、行ってみたくなりましてね」
「母上は、相変わらずお元気なことだ。なあ、御台」
「はい」
「御所と御台所が、互いの身を大事にして末永く幸せでいてくれる、それだけが老いた母の願いなのですよ」
 政子は、実朝と倫子の手をそれぞれ握りしめて慈愛深い瞳で二人を見つめた。倫子が子を産める体となり、実朝が病から回復したことから、早く同衾して、世継ぎをとの声も多い。
 だが、政子は、若い息子夫婦を追い詰めるようなことはしたくなかった。二人の仲自体は極めて良いのだ、焦ることはない。実朝は一途なのだ。今はまだ、肉体的な関係よりも、御台所との精神的な繋がりを何よりも大事にしたいのだろう。ゆっくりでよい、それがこの子らしくてよいではないか。政子はそう思った。
 政子が熊野詣に出かけた前後に、京へ上っていた東重胤が鎌倉に戻ってきた。重胤は、法然の弟子となった坂東武者熊谷直実の最期について語った。
「大声で、南無阿弥陀仏と唱えている途中に亡くなられたそうにございますよ」
 実朝は、禅僧栄西に帰依しているが、法然などの浄土門の教えについてはあまり詳しくはない。兄の頼家は、念仏を禁制とし、京の院も、法然らを流罪とし、法然一門の者達の中には死罪となった者もいると聞いている。念仏者の中には、過激な行動や主張をする者、まつりごとに対して良からぬ横車を入れる者も少なくないらしく、為政者として厳しい処置をしなければならない場合もあるのかも知れない。
 だが、実朝は、ただ念仏を唱えるだけの力弱き者達まで虐げることはないのではないかと考えていた。
 人は誰しも、ただ生きる、そのためだけに日常において多大な努力を要し、懸命にならざるをえないのだ。仏になるための厳しい修行まで行うことに耐えきれるのは、ごく一部の一握りの人間しかいない。それができない弱き者達が自分自身が仏になるための厳しい修行ができなくても、そのまま救いとって仏になれることを約束してくれた阿弥陀如来の願いに心惹かれることは、仕方ないのではないかとも実朝は思う。
(望むか望まぬかに関わらず、私は、多くの者達の運命を翻弄させざるをえない立場にある。汚れた罪深い私自身が、念仏一つで救われるとは私には思えぬが。熊谷直実は、父上に仕える武士(もののふ)として、多くの命をその手にかけてきた。それでも、直実はあるがままの状態で、仏の腕(かいな)に抱(いだ)かれて浄土へ行くことができたのであろうか。そうであるならば、羨ましいことだ)
 神といひ仏といふも世の中の人の心のほかのものかは
神だ、仏だと言ったところで、結局それは人の心次第なのかもしれない。
 実朝は、父の代からの古き武士の最期に想いを馳せた。

   四
 承元三年、西暦一二〇九年、三月。
 高野山から、大田庄の年貢が滞納されているとの訴えがあった。高野山領太田荘を巡っては、兄頼家の時代にも訴訟が起きており、その時頼家は、三善康信側の主張に正当性を認め、領家側の主張を退けた。
 今回の事件では、将軍の御前で、高野山側と大田荘の地頭を務める三善康信の代官とが激しい罵り合いをした。双方言い分があるのは分からないではないが、あまりにも酷すぎた。
 敷島の道は、言の葉をもって、人の心を和ませることにある、それを実際のまつりごとにも生かすようにと、実朝は、以前、叔父義時に言われたことを思い出す。実朝は毅然とした態度で両者に言い渡した。
「双方とも、いい加減、醜い言い争いはやめよ!これでは埒が明かぬ。審理はしばらく中断とする!」
 しばらくして、その三善康信が、実朝のもとに、自分の代官の御前での失態を詫びに来た。
「このたびのことは、私の管理不行届きが原因でもあります。誠に申し訳ないことを」
 平身低頭の康信に対して、実朝は、軽く笑って答えた。
「あまり気に病むことはない。それより、京より何か贈られてきたそうではないか」
 実朝の問いに康信は答えた。
「新しい御鞠でございます。京の院様も大層御執心であられると聞き及んでおります」
 実朝が和歌を熱心に学んでいるのと同じ理由で、兄頼家も、蹴鞠が朝廷とつながりを持ち、まつりごとの一環として重要な意味を持つとの理由から、熱心に蹴鞠の稽古に励み、頼家は達人ともいえる域に達していた。
 だが、兄とは違って、身体能力がそれほど高い方ではない実朝は、武芸にしろ蹴鞠にしろ、激しく体を動かす類のものは、上達のほどがはかばかしくなかった。
(院様にも、康信にも申し訳ないが、できれば書物の方が良かったなあ)
 実朝は、正直そう思った。
 とはいえ、せっかくの好意を無下にするのも憚られるので、実朝は、蹴鞠の会を催すことにした。蹴鞠の会には、幼くして命を落とした一幡の遺骨を高野山に納めた大輔房源性も加わっていた。

 四月に実朝は従三位に叙せられ、正式に政所開設の資格を得ることになり、なお一層、将軍として本格的に政務に携わるようになる。
 五月に入り、出羽国羽黒山からの訴えがあった。高野山のときと同様に、将軍の御前で、双方から口頭での弁論がなされた。
 もともと、羽黒山は、地頭の支配権が及ばぬ地域であり、地頭の干渉や武力行使が認められないことは、亡き父頼朝の文章からも明らかであった。寺の年貢を横取りし、余計な干渉をした地頭の大泉氏平に一方的に非があることも明らかであった。実朝は、父頼朝の時代の先例に従い、地頭側に勝手な振る舞いをやめるよう厳しく申し渡した。
 それから、まもなくして、今度は、父の重臣であった和田義盛が、実朝に、上総国の国司に任命してくれるように内々に頼んできた。
 実朝は、実直で面倒見がよく、情の厚い老将義盛のことを好ましく思っていたが、実朝との個人的な親しさを理由にしたとも思える義盛のねだりごとに、戸惑いを隠せないでいた。
(和田側の北条への対抗心であろうか。確かに、北条と自分は血縁関係にあるが、それだけで私は北条を贔屓しているわけではない。北条には実務能力の優れた者が多いが、和田は、武勇には優れているものの、どちらかと言えばあまり平時のまつりごとには向いていない。ひとまず、母上に聞いてみるのがよかろう)
 そう思った実朝は、母政子に相談した。
「御所が御立派に成人された以上、女の私が、まつりごとの細かいことに口を出すのは憚られますが。父上の慣例を基本として、これまで御所が判断をくだされてきたように、慎重によくお考えになってからお決めになって下さい」
 母政子は、控えめながらも実朝にそう助言した。
 和田義盛は、父頼朝以来の数々の功績を書き立て、上総国の国司になれないのであれば、生涯でこれほど心残りなことはないとまで述べた正式な嘆願書を提出してきた。和田は、源氏一門でもなく、北条のように将軍家と縁戚関係にある一門でもない。確かに、功績の著しい御家人が国司に任官した例は、数は少ないがないわけではなく、義盛の功績も大きい。
 しかし、直ちに、義盛に国司の地位を与えれば、再び他の御家人との均衡が崩れ、争いのもとになるおそれがあった。北条側との調整も必要となるだろう。微妙で難しい問題だった。
 それから間を置かずして、今度は、土屋宗遠という八十歳を過ぎた老人が、梶原景時の孫に当たる若い梶原家茂を殺害する事件が起きた。
 調書には、宗遠は、自分は父頼朝時代からの忠義者である、それに対して家茂は謀反人の孫である、そのような者を殺したからといって何故自分が捕らわれの身とならねばならないのかと言ったと書かれていた。その頃、実朝は、兄頼家の時代に起きた梶原一族の鎮魂のために法事を行っており、それに対する老臣の不満もあったのかもしれない。
 しかし、宗遠の言い分に筋が通っていないことは明らかだった。
(父上の功臣であるからといって、どのような不法な振る舞いでも許されてよいわけがない。父上とてお認めにはならないはずだ。だが、宗遠は、歳を取りすぎて判断能力が著しく衰えているものと思われる。そのような余命いくばくもない老人を今更処罰したところで、何になろうか)
 実朝は、理の通らぬ宗遠の弁明を叱りつけたが、しばらくして、父頼朝の月命日を理由とした恩赦の決定を下している。
 勉学や政務に追われる実朝の日常は、かなりの激務だ。実朝が心惹かれる和歌の世界、それすらもまつりごとの一つなのだ。極端に言えば、将軍であることそれ自体が公務なのだ。
 実朝と御台所倫子との心温まる二人の時間さえ、実朝一人の問題ではないのだった。周りからは、早く同衾して世継ぎをとの声が高まっていた。そのことを重々承知していたが、実朝は、誰よりも大切な人を、まつりごとの道具や実朝自身の汚れた情欲の犠牲にしたくはなかった。
 
 七月。実朝は、住吉神社に和歌二十首を奉納した。
 行くすゑもかぎりは知らず住吉の松に幾夜の年か経ぬらむ
 将来も限りがない長寿を保つ住吉の松はどれほどの年を経ているのだろうか。
 住吉の生ふてふ松の枝しげみ葉ごとに千代の数ぞこもれる
 住吉に生えているという松が大層繁茂しているので、葉ごとに千年の長寿の願いがこめらているのだ。
 君が世はなほしも尽きじ住吉の松は百度(ももたび)生ひ代わるとも
 住吉の松が百回生え代わったとしても、我が君の御世はやはり尽きたりはしない。
 また、実朝は、京にいる藤原定家にも三十首を提出して、和歌の指導を依頼している。
「京極殿には、なんとか合格点をいただき、和歌の指南書までいただいたよ」
「それはよろしゅうございました」
 嬉しそうに話す実朝に、倫子もまた笑顔で答えた。
 実朝は、これまで独学で主に新古今和歌集を教材としていたこともあってか、同時代の人の歌を手本とすることも多かったのだが、定家は、詞は古いものを慕い、心は新しいものを求め、寛平以前の余情妖艶の趣のものが理想であり、これを手本とするよう助言した。
「このようなすばらしい歌を作られるお方だ。京極殿は、立ち振る舞いもお心も、さぞかし優美なお方なのだろう」 
 感激した様子の実朝に対して、倫子の表情は微妙だった。
「それはどうでしょうか。御所様や私が生まれるよりもずっと前のお若い頃、口論の末、激怒なさって、脂燭で相手の方を殴って除籍となってしまわれたという話を聞いたことがございますわ」
 倫子の言葉に、実朝は驚いた。
「まさか、雅な京のお方が坂東の荒くれ者のような振る舞いをなさるとは」
 倫子は、苦笑しながら答える。
「京の者だからといって、粗暴な者はいくらでもおりますわ。恐れ多いことですけれども、院様もまたなかなか激しいご性格のお方であるとか。都の公達というのは、案外意地の悪いお方が多いのでございますよ、御所様。私には、坂東のお方の方がよほど心根の真っすぐな優しいお方が多いように思います」
「御台も、坂東のことが随分と分かってきたのだなあ」
 実朝は、倫子の優しさがたまらなく嬉しかった。
 その年は、伊勢神宮の第二十八回式年遷宮の年でもあった。それに合わせて、実朝は次のような歌を詠んだ。
 神風や朝日の宮の宮うつし影のどかなる世にこそありけれ
 伊勢神宮内宮の遷宮に際し、日の光ものどかな世であってほしい。
 もっとも、この歌は、定家の父俊成の詠んだ「神風や五十鈴の川の宮柱幾千代澄めと建て始めけむ」をふまえてのものであるとも言われている。もしも、これを定家が見たとしたなら、必ずしも定家の忠告を守っているとは言えない若い実朝の気ままさに苦笑いしていたかもしれない。
 
 十月。実朝は、鎌倉に下向した園城寺の高僧公胤に面会した。
 母政子の意向で、遠からぬうちに、善哉は、園城寺に入り、仏の道に進むことが決まっていた。
(兄上に関することも、いつまでも隠し通せるものではあるまい)
 そう思った実朝は、善哉のめのとである三浦義村を呼び出した。
「善哉は、近いうちに園城寺に入ることが決まっている。あの子には辛いことになると思うが、その前に、兄上のことも含めて、私の方から、すべてのことを話そうと思う」
 すべてを受け止める覚悟を決めた若い将軍の意思の強さに、義村もまた、亡き頼朝の姿を重ね合わせずにはいられなかった。
 一方で、歳が近く優しい叔父からすべてを知らされる善哉の受ける衝撃を思った義村は、動揺を隠せなかった。
「若君は、御所様のことをお慕いしておられます。若君には、私の方からお話いたしますから。御所様から若君に直接というのだけは、どうかご容赦くださいますよう」
 義村の意を理解した実朝は、静かに義村に言った。
「そうか。あの子のことをどうか頼むよ」
 実朝の意を受けた義村は、善哉にすべてのことを話した。
 自分が慕う若い叔父がただ優しいだけの人ではなかったということを知った善哉は、ひどく打ちのめされた。実朝自身が祖父北条時政に命を狙われたことすらあるというのに、若い叔父は、北条のしてきたことを将軍である己がしてきたことと同じことだと理解し、北条の人間達と、時には笑って冗談さえ言い合ったりしながら、まつりごとを動かしてきた。その事実を善哉は信じられぬ思いで聞いていた。
「御所様は、すべてを知って受け止めたうえで、己の責務を全うしようとなさっておられる、広く、強いお心をお持ちのお方です。それゆえ、多くの者にあのお方は慕われておられるのです。若君もどうか、立派な人間となられて、御所様の世を共に支えてまいりましょう」
(すべての者が、叔父上のように痛みに耐えて強くなれるわけではない。俺は、叔父上のようになりたくてもなれぬのだ)
 義村の言葉を聞いた善哉の中で、何かが崩れていく音が聞こえた。
  
 兄頼家のことを思い出すたびに、実朝もまた、古傷がひどく痛んだ。倫子とのことも、今のままで十分幸せだと思いつつも、淫らで醜い情欲が実朝の中で疼いて仕方がない。
 再び内に籠りがちとなった実朝を、叔父義時は見かねて言った。
「勉学もよろしいでしょう。ですが、お若いのです。部屋に閉じこもってばかりおらず、外に出て体を動かすことも大切でございますよ」
 実朝は、弱弱しく笑って自嘲気味に答えた。
「私は、どうもそちらの方は向いていないようだ。武芸だけでなく、蹴鞠の方も、努力してみても、一向に上達せぬ」 
 義時は、ためらいがちに、若い甥を気遣うように言った。
「いや。儂も、若い頃から力仕事の方は苦手で、この頃は、鍛錬を怠っておりますからな。偉そうなことは言えんのですが。何も、達人になるまでお体を酷使する必要はないのです。切り的の勝負でも催して、御所様のお元気な姿を皆にお見せするだけでもよいのですよ」
 その年の十一月。叔父の進言を聞き入れた実朝は、将軍主催の切り的の勝負を開催した。勝負の後は、皆をねぎらうための宴会が開かれた。
「武芸をもって朝廷を警護し奉れば、坂東の安泰にもつながりましょう」
 ほろ酔い加減の義時は、安堵したように実朝に言った。楽しい催し物のあとで、実朝の憂さも少しは晴れたように思われた。
 だが、男たちが集まっての大宴会となれば、卑猥な話も飛び交う。
「御所様も、もっと大胆になればよろしいのです。御台所も、御所様が男としての激しさをお見せになられれば、さぞお喜びになられるでしょう」
 いつになく泥酔した広元は、実朝に余計なことを言った。
「大官令殿、大官令殿。お言葉が過ぎますよ」
 慌てた義時が、広元を嗜めたが、実朝は再び暗い気持ちになった。
(それができたら、こんなに悩みはせぬ!)
 実朝は、鬱々とした気持ちを抱えながらも、将軍としての自らの責務を果たさなければならない。切り的の宴会の数日後、叔父義時が畏まったまま、ある願い事をしてきた。
「儂に長く仕えてきた家臣たちの中で、特に手柄のある者を御家人に準じて扱っていただけませぬか」
 内省的になりがちだったこの頃の実朝は、いろいろと疑い深くなっていた。
(いつもの叔父御らしくないな。義盛の嘆願に何か勘づいてけん制してきたか。叔父御は、義盛のことで私がどう判断するかを試しているに違いない)
 そう考えた実朝は、義時に対してはっきりと告げた。
「和田のじいといい、北条の叔父御といい。親しさを理由に法外なねだりごととは、まことに困ったものだ。陪臣と直参とを同等の扱いとすることを許したならば、身分秩序が乱れ、必ずや後の世の禍根となるであろう。ゆえに、未来永劫そのようなことを許すわけには行かぬ。このこと、しかと申し付けたぞ」
 実朝の毅然とした態度に、義時は心底驚いた顔を見せた。
(考えすぎであったか。叔父御は、ただ、自分の家臣達を労ってやりたかっただけなのかもしれぬ)
 言い過ぎたかと思った実朝は、表情を和らげて言い返した。
「叔父御の功績は、私もよく分かっているつもりだ。叔父御の家臣達の手柄は、叔父御自身の手柄として厚く遇するつもりであるから、その分を叔父御が皆に分け与えるということで手を打ってはくれまいか」 
「この叔父の考えが足りませんでした。そこまでお考えであったとは」
 義時は、実朝の理の通った指摘に感服しながら、深々と頭を下げた。
 
 実朝は、原則として父頼朝の時代の先例を重視していたが、土屋宗遠の事件の時のように、過去の功績をいいわけとして、不当な振る舞いをする者も少なくなく、それに対して厳正に対処する必要があった。
 ある時、守護たちが怠けているため、盗人が横行して年貢が横取りされて徴収できないとの訴えが国衙の役人からなされた。実朝は、自分の考えを重臣たちに述べた。
「守護は、代々その家の者が受け継ぐことが多くなっている。そうなれば、中には、先祖の功績に自惚れて、子孫が役目を怠ることも出てこよう。先祖伝来の職や土地が保障されるのは、忠勤に励んでいるからこそであろう。そうでない者に対処するためには、守護を交替制にして職務に当たらせるか、職を怠った者は解任するかなどの措置を取ることも考えねばならぬのではないか」
 守護の交替や解任となれば、反発が大きいのは目に見えている。
 だが、職務の怠慢は許すべきではない。実朝は、先祖伝来の職と、子孫が一代で新しく恩賞として得た職とを区別し直すために、まず、鎌倉に近い地域から順に、それぞれの職の由来を明らかにした命令書を提出させることを命じた。
 しばらくして、実朝は、この件に関し、父頼朝の命令書を持っている者に対しては、原則として、これまでどおり、多少の罪を犯したとしても、安易に職を変えるべきではないとの判断を示した。その代わり、実朝は、職務を怠らず忠勤に励むよう厳しく言い渡した。
 和田義盛の上総国の国司の嘆願についても、実朝は、慎重にことを進めることにした。今すぐには無理であろうが、時期を見ていずれ何とかなるかもしれぬ、そう考えた実朝は、義盛に、しばらく保留にするから、沙汰を待つようにと返答した。若い将軍の気遣いに、義盛は喜びを隠せなかった。
 もっとも、中には、潔癖な気のある実朝には、感覚的によく理解できない事件もあった。
事の発端は、美作朝親が、隣の屋敷に住んでいた橘公成の妻に助平心を抱いて、二人ができてしまったことにある。それで、頭にきた橘公成が参戦を申し入れて、美作朝親、橘公成の双方に縁者がぞくぞくと駆けつけて合戦寸前の大騒ぎとなったのである。
 純情で潔癖症の気のある若い実朝は、人妻に手を出すという不埒な出来事に呆れ、そのような些細な出来事で縁者を巻き込んでの大騒ぎに驚いた。実朝は、使者を立てて、双方を宥めて和解させようと考えた。 
 和田義盛が名乗りを上げて出向いて行ったのだが。なんと、義盛は、同族の三浦一族と共に、務めを忘れて、橘公成の側に参戦しようとして、事態をますます大きくしてしまった。これには、実朝も頭を抱えた。
「息子の太郎を行かせて、現地の様子を確認させてまいりましょうか」
 叔父義時が実朝に進言した。実朝は考えてから、返答した。
「生真面目な太郎には、こういう類の問題は負担が大きかろう。こういうことは、五郎叔父の方が適任であると思う。五郎叔父に、何とかして双方を和解させるよう、頼んでもらえるだろうか」
(この方は、側に仕える者の適材適所もきちんと把握されておられる)
 若い甥に感嘆した義時は、実朝の言うとおり、弟の時房を現地に向かわせた。
(人の女に手を出して、合戦寸前の大騒ぎか。そう言えば、兄上も似たようなことをしでかして、母上にこっぴどく叱られたことがあったな)
 実朝は、ぼんやりとしながら、昔のことを思い出した。
(色好みで手の早いお方だった。私には、とうてい真似できぬ)
 実朝の沈んだ様子に気づいた義時は、実朝を気遣うように声をかけた。
「お疲れでいらっしゃいますか」
 叔父の問いに、実朝は、軽く首を振って努めて明るく答えた。
「いや。小四郎叔父のいうとおり、内に籠ってばかりいるから、いろいろと溜まるのであろう。太郎よ、皆を集めてくれ。たまには、武家の棟梁らしく、武芸の稽古にも精を出さねばな」
 外で相撲を楽しんでいた近習達の輪に、実朝は加わることにした。今は亡き次姉三幡に、無理やり相撲に付き合わされて吹っ飛ばされ、御所中を逃げ回って父頼朝に泣きついた幼い頃のことが懐かしく思い出された。
「手加減いたせよ、太郎」
「恐れながら、御所様。それでは、鍛錬になりませぬ」
 からかうように言う実朝に対し、従兄弟の泰時は、どこまでも真面目に答えた。
 実朝と泰時が相撲をとっている姿を見た和田朝盛は、泰時に組み敷かれる若い主君の淫らな姿を想像してしまい、ひどくうろたえていた。
 泰時と相撲を取っている最中の実朝は、朝盛と目が合った。その瞬間、実朝の脳裏には、再び幼い頃に見たある光景が浮かんできた。
 兄頼家に後ろから抱きすくめられて泣いているまだ少年の朝盛の姿は、やがて御台所倫子に変わった。兄頼家は、倫子の頤に手をやって、いやらしそうな顔で倫子の顔をまじまじと見据えた。
「よいものを持っているではないか。よこせ」
 幼い千幡がぎゅっと翡翠の数珠を握りしめていると、兄頼家が無理やりそれを奪おうとする。
「嫌だ!触らないで!」
 千幡は必死に抵抗したが、兄は聞く耳を持たない。
「お前のものは、俺のものだ、千幡」
 やがて、兄は、実朝が脳裏で倫子を汚し続けたのと同じ振る舞いを倫子に対して行っていく。千幡が握りしめていた翡翠の数珠は、切れてはらはらと落ちていった。
「にいさま、やめて!」
 泰時との取り組みで頭を打った実朝は、そのまま意識を失った。
 思わず本気で投げ飛ばしてしまった泰時は、倒れて気を失っている実朝の姿を見て顔が真っ青になった。
「御所様、御所様!大丈夫ですか!」
 泰時が必死に実朝に声をかけていると、ひどく怒った表情の朝盛が、泰時に向けて言った。
「そこをどいてください!御所様は私がお連れします!」
 朝盛は、肉付きの薄い男性にしては華奢な体格の実朝を軽々と抱き上げた。いつも穏やかな朝盛の大胆な振る舞いに泰時は信じられぬものを見た気がした。朝盛の瞳はすわっており、色事には疎い方の泰時だったが、このとき初めて、朝盛の実朝への内に秘めた熱情をはっきりと知ってしまった。
 実朝は、朝盛の腕の中で、ひたすら、御台所の名ばかりを呼んでいる。その声を聞いた朝盛は、絶望的ともいえるような苦しげな表情を浮かべた。
(ああ、このお方を誰にも渡したくない!いっそこのまま、どこかへさらって逃げてしまおうか!)
 主君の身に本能的な危機感を覚えた泰時は、周りの者に、すぐに寝所に床を用意して、御台所を呼ぶように手配した。
「ぐずぐずしているお前が悪いのだ。男でも、女でも、抱いて肌を合わせてしまえば、情に絆されてすぐによい気分になる」
 頼家は、幼い千幡を見下ろして勝ち誇ったように笑って言った。兄の側には、泣き伏している倫子がいた。
「ととさま、ととさま!」
 千幡は、ただただ泣いて、必死に慈父頼朝に助けを求めた。
 父は、泣きじゃくる千幡を抱き上げて、困ったような顔で兄頼家を咎めるように言った。
「千幡は、儂やそなたとは違うのじゃ。あまり意地の悪いことをするでない、頼家」
 兄は、父と千幡に向けてばつの悪い顔をした。父は、千幡の頭を撫でて優しく言った。
「なあ、千幡や。本当に大事なものを手に入れたいのであれば、時には勇気を出してぶつかってみることだ。相手もきっと、それを望んでいるはずなのだから」
 気が付くと、床に寝かされており、倫子が実朝の手を握って泣き伏していた。実朝は、衝動的に倫子を強く抱きしめた。
「御台、私は、ずっと、あなたに不埒な振る舞いをして、あなたを汚すことばかり考えていた」
 実朝の告白に、倫子も泣きながら答えた。
「私は、ずっと御所様に不埒なことをされたいと願っておりました。私も御所様と一緒に汚れてしまいたい」
 倫子の大胆な答えに実朝は、もう我慢をする必要はないのだろうと確信した。
 若い夫婦は、本能に任せたまま、何度も深い口付けを交わし合う。倫子の白く形の良い乳房に顔をうずめ、その頂を強く吸った実朝は、幼い赤子のように泣きたいと思った。静かに涙を流す実朝の瞳に愛し気に口付けた倫子は、やがて自らのある場所に実朝の手を誘導した。
(ああ、ここが、赤子が通って生まれてくる命の道なのか)
 真実を理解した実朝には、愛しい妻のそこが、あまりに神秘的で美しいものに思われて仕方がなかった。互いをいたわり合うような長い愛撫の末、二人はようやく一つになった。その瞬間、実朝の中での長い呪いは解けた。
 身も心も夫婦として結ばれるということが、これほど心地よく幸せなものだとは。ややこもきっと、この幸福の末に望まれて生まれてくる、実朝はそう思った。
 それから、しばらくして、実朝は、勝長寿院、永福寺などを参拝した。翡翠の数珠を握りしめながら、実朝は、愛しい妻との甘い幸せな時間を導いてくれた仏の縁に、あらためて感謝した。
その年の暮れ、若い将軍夫婦は、それまでの長い空白を埋めるかのように、互いの肌を堪能した。
 和田朝盛は、若い主君夫婦の夜の帳を切なげな表情で遠くから見つめていた。
(これでよいのだ。お二人は、世に許された夫婦ではないか)
 朝盛は、理性でもって必死に理解しようとした。それでも、朝盛の主君へのかなわぬ情欲は消えてはくれなかった。

   五
 承元四年、西暦一二一〇年。
 またもや、御家人同士で、合戦寸前の大騒ぎが起きた。土肥一族と松田一族が、納涼をとろうと、そぞろ歩きをして世間話をしていたところ、先祖の功績自慢が高じて喧嘩となったことに端を発し、一族を巻き込んでの大騒動に発展したのである。
(昨年の女がらみの次は、先祖自慢か)
 実朝は、些細なことを理由に大騒ぎをする坂東武者達に呆れかえっていた。実朝は、この件を叔父の義時に任せようと思っていたのだが。
「館に立てこもって、戦の準備をしているとなれば、ここは我ら侍所の出番ではありませんか!どうか、我らにおまかせください!」
 そう言って、義時と競うように、はりきっている和田義盛と三浦義村を前に実朝は困惑した。昨年の美作朝親と橘公成の事件は、義時の弟の時房が双方を宥めて何とか和解に持ち込んで事が解決した。
 しかし、和田義盛と三浦義村は、務めを忘れて、縁者である橘公成の方に参戦しかけ、事態をますます大きくしてしまった張本人なのである。この二人に任せて大丈夫なのかと実朝は正直言って不安だった。
義時が、「二人とも、昨年の名誉を挽回したいのでしょうから、その機会を与えてやってください」と言ったので、実朝は、決して務めを忘れて、一方に肩入れするなと義盛と義村によくよく言い含めて、二人を現地に派遣することにした。
 しばらくして、今度は、信濃の善光寺と長沼宗政がひと悶着を起こした。父頼朝の時代に、治安維持のため、善光寺の側から地頭職の派遣を希望し、長沼宗政が仏縁を結びたいから、ぜひ寺領の地頭にしてほしいと熱心に言ったため、彼が地頭に任命されたのであるが。もともと、長沼宗政は、ひどい悪口を言い、他人とすぐにもめ事を起こす困った性格の持ち主であったため、年月が経つにつれて、寺側が大いに迷惑するような事態になってしまったのである。
 父頼朝時代に授けられた職は、大きな罪を犯さない限り辞めさせられないのが原則なのであるが。あまりにも宗政の態度がひどすぎることが明らかであり、寺側が大いに迷惑してすぐにでも地頭職を廃止してほしいと申し入れていることから、広元とも相談した実朝は、地頭職の廃止を決定した。
 長沼宗政が本事件を起こす数か月前に、母政子の妹で実朝の叔母に当たる故畠山重忠の未亡人の領地を没収しようという意見が出たのだが。母政子の嘆願もあり、未亡人となった女性の生活保障の必要性もあったことから、実朝はこれまでどおり変更しない旨の決定をした。
 何かと自らの武勲を自慢する反面、女性を下に見て、合戦に自ら参加していない女性が領地を賜るのを快く思っていない宗政は、畠山重忠の未亡人の一件の実朝の決定についても、周囲にあれこれ不満をぶちまけているらしい。実朝だけならまだしも、父と苦労を共にした母政子や、弱い立場に置かれている女性を詰るような宗政の言動に、実朝は正直言って腹が立って仕方がなかった。
 広元の屋敷に行った際に、広元から献上された三代集を手にしながら、実朝は、倫子の前で盛大なため息をついた。
 倫子は、おっとりと微笑みながら答えた。
「それだけ、ご自分を偽ることができないお心が素直な方なのでしょう」
 倫子付きの女房の佐渡もまた、女主人に同調するようにきっぱりと言った。
「遠回しに、ねちねちと陰険な振る舞いをする都の公達に比べれば、心の内を隠さずはっきり言う分、よほどましというものですわ」
 佐渡は、倫子よりも少し年上で、倫子がまだ京にいた頃からの幼馴染ともいうべき女房で、丹後局という老女房と共に、数か月前にこの鎌倉にやってきた。丹後局一行が鎌倉に向かう途中、駿河国の山の中で、山賊に襲われ、宝物をすべて取られてしまった事件があり。それをきっかけとして、実朝は、東海道の警備の強化を命じ、新しい宿場を作ることも検討しているのだが。
 佐渡は、山賊に財宝だけでなく、己の貞操が奪われそうな危険な目に遭った際、近寄ってきた男達に頭突き、目突きを食らわせ、こぶし大の石をもったまま殴りつけ、男たちの急所を蹴り上げるなどの反撃をしてから、怯えた様子一つ見せず、高らかに言ったという。
「財物はいくらでも持って行くがよい。しかし、こちらの一行は、恐れ多くも院様と鎌倉殿に縁のお方であるぞ。これ以上の狼藉を働くというのであれば、鎌倉殿の軍勢はその方たちを地の果てまで追いかけて血祭りにあげるであろう。とっとと去れ!下郎ども!」
 佐渡の剣幕に恐れをなした山賊達は、宝物だけを持って逃げて行ったという。その話を聞いた母の政子は、坂東武者にも劣らぬ若いこの女房の豪傑ぶりと忠勤ぶりにえらく感動しており。妻の倫子もまた、佐渡のことを姉のように慕って大層頼りにしているが。
実朝は、気が強すぎておっかないこの女房が大の苦手だった。
 佐渡は、見た目は人目を引く美しい容姿をしている。佐渡の本性を知らない田舎者の武者達は、都から来た御台所付きの女房の艶姿にうっとりと見惚れており。その中には、実朝の一つ年下の従弟の朝時もいるのだが。朝時には、可愛そうだが、真面目で優秀な兄の泰時や、美男子で洗練された叔父の時房に比べて、冴えない田舎者のおっちょこちょいを、気位が高い佐渡が相手にすることはまずないだろうと実朝は思った。
「ところで、御所様。明日の鶴岡八幡宮への参拝は、私と母上様だけで、本当に御所様がご一緒でなくてよろしいのですか」
 疱瘡にかかって以来、実朝は、永福寺などの他の寺に私的な参拝は行っていたが、公的行事に当たる二所詣と、源氏にとって特に神聖な場所である鶴岡八幡宮への公式参拝は、病の穢れを理由に控えていた。
 倫子の問いかけに、実朝は茶目っ気を含んだ笑いを浮かべながら言った。
「本当はね、馬場での流鏑馬が見たいのだけれどね。神仏にばれたら、怒られてしまうだろう?」
「それならば、神仏にばれないようにすればよろしいのではありませんか」
 倫子の瞳が、急に生き生きとしてきらりと光ったように実朝は感じた。
 次の日、実朝は、倫子の企みの犠牲になった。
「まあ、よくお似合いですわ。これならば、神仏にもばれませんわね」
 実朝は、女物の衣装を着せられて化粧を施され、髻を解かれ、髻を結っていた紫色の紐でかもじまでつけられていた。
 実朝は、愛する妻のねだりごととはいえ、武家の棟梁がこのような姿をしていることを多くの者に知られたらと思うと気が気ではなかった。そこへ、母の政子がやってきた。
「御台所、もう準備はよろしいですか。」
「どうぞ、お入りになってください。母上様」
 母の問いに、倫子は何でもないかのように答えた。
 実朝は慌てて袖で自分の顔を隠そうとしたが、母の反応の方が早かった。
「ああ、大姫!」
 実朝の顔を一目見た母は、実朝に縋りついて懐かしそうな顔をして涙を流した。兄弟の中で、兄頼家と次姉三幡の容姿は母政子似であったが、長姉大姫と実朝の姿形は、父頼朝似で源氏の血を色濃く受け継いでいた。
 しかも、今の実朝と変わらない歳に大姫は若くして亡くなっている。政子が、女の恰好をした実朝を大姫と見間違ったとしても無理はなかった。
「母上、私です」
 実朝は、なんとも気まずそうに母に言った。
「やはり、よそう、御台。このような格好をして神仏や母上を騙すのはよくないことだ」
 しかし、母の政子は、倫子と顔を合わせてにっこりと笑った。
「何を言うのです、御所。この母を喜ばせてくれた御台所と御所の親孝行を、神仏が咎めるものですか!」
 妻だけでなく母までが作戦に加わったとなれば、実朝に逃げ場はなかった。
 御台所と尼御台用のものとは別に、もう一台女性用の輿が用意された。実朝は、扇で必死に顔を隠しながら、供に加わった泰時と朝盛にばれないようにしていたが。あからさまに自分たちを避けようとする謎の貴人の存在を二人はいぶかしく思った。
 朝盛は、その貴人が下げ髪に結び付けている紫色の紐にすぐに気づいた。今朝の実朝の髪を整える役は朝盛であり、朝盛は、少しでも主君の側にいたいとの切なる思いから、自分が用意した紫色の紐で主君の髻を結いあげた。実朝を食い入るように見つめる朝盛の視線に居心地が悪くなった実朝は、扇の影で、深くため息をつきながら言った。
「そう、あまり、じろじろ見ないでくれないか」
 扇の影から聞こえてきた聞き覚えのある人の声に気づいた泰時は、仰天した。
「まさか、御所様!?」
 大声を出した泰時の口を、実朝は慌てて手でふさいだ。その瞬間、若い主君の艶姿が披露された。
 それを見た泰時は、不謹慎にも、(亡き大姫様に似ているな。それにしてもよく似合っている)と思い、まじまじと主君を見つめてはその艶姿に見惚れてしまった。
 一方の朝盛は、泰時と同様に、主君の艶姿にぼうっと見惚れながらも。朝盛の瞳には、泰時の口を手でふさいだ実朝と泰時が絡み合っているように見え、朝盛は激しくざわつく心を静めることができないままだった。
 主君の艶姿を目にして以来、朝盛は、ますます実朝のことが頭から離れなくなり、泰時と実朝が一緒にいる姿を見てはやきもきする日々が続いた。

 あるとき、実朝は、泰時と一緒に、実朝のもとに届いた、聖徳太子の十七条憲法、法曹至要抄などの法律書を手に取って何やら熱心に話し込んでいた。
「思うのだが、坂東武者というのは、些細なことで大騒ぎをするし、存外困った者達が多いのだなあ。聖人達がおわした古の時代には、徳をもって世を治めることができたから、厳格な法というものは必要がなかった。だが、不徳な私が将軍として治める世においては、そうはいくまい。やはり、東国を治める基本となる法が必要なのではないか。例えばだ。聖徳太子様の十七条憲法をもっと東国向きに具体化したような法があればよいとは思わぬか」
 実朝の問いに、泰時は答えた。
「公平な裁きを行うという点からも、良きお考えかと思います。しかしながら、坂東の荒くれ者達をまとめるのに、十七条ではとうてい足りますまい」
 泰時の問いに、実朝もまた深くうなずく。
「その三倍は必要であろうなあ。荒くれ者も多いから、内容も聖徳太子様のそれよりも厳しいものでなければ意味がないであろうな。しかし、古い者達からして、何かと父上の時代の勲功を笠に着て、やりたい放題な者がいるからな。彼らが私のような若輩者の言うことをすんなりと聞き入れるだろうか」
 泰時は、実朝を励ますように答える。
「手本となるべき年寄り連中がそれでは、若い者達に示しがつきません。まずは、困った年寄り達の考えを改めて行かねば。いずれ、御所様のような若い者達の時代がやってきます」
 泰時の言葉に実朝は嬉しそうな笑みを浮かべる。
「そうだな。太郎よ、まずは、その時のために共に学ぼうぞ」
「はい!御所様!」
 泰時もまた、実朝の言葉に笑顔で頷いた。
 実朝は、和歌だけでなく、学問全般に造詣が深く、真面目な性格や血縁関係の近さもあり、泰時とは気が合った。  
 そこには、実朝と御台所だけの世界と同様に、泰時と実朝の二人だけの世界があり、その中に朝盛が入っていく隙はなかった。
ある雪の降る日の御所での和歌の会で、実朝は、朝盛に問うた。
「海辺の千鳥はどのような思いでいると思うか」
「海辺の夜は寒うございます。千鳥は誰にもその思いを分かってもらえぬまま、ただむせび泣くしかありますまい」
 御台所一筋で色恋に鈍感な実朝が朝盛の思いに気づくことはない。朝盛は、千鳥と我が身を重ね合わせて、心から泣きたいと思った。

   六
 承元五年、西暦一二一一年。
「大事がなくてよかった、五郎叔父」
「このたびは、御所様には、大変なご心配をおかけしました」
 年が明けてまもなく、時房の屋敷は火事で焼失してしまった。
「五郎への見舞いのみならず、儂にまで。御所様には、いつも過分なものを賜り、恐れ多いことでございます」
 実朝は、正月に叔父の義時と時房に引出物を贈り、さらに、火事の見舞いも兼ねて実朝がこのたび新たに永福寺から御所の庭に移植したのと同じ梅の木を時房と義時に贈ったのだった。
「今年はもう時期が過ぎて申し訳ないが。あの梅の木は、菅原道真公ゆかりの地である京の北野天神の庭の梅の種から育てたもので、香りもとてもよいのだ。御所に植えた分には、鶯の巣まであったのだよ」
「御所様は、まことに梅がお好きでいらっしゃる。お父君と大姫様との思い出深い花ですからなあ。しかし、母を亡くしたこの子はかわいそうなことでしたな」
 そう言って、義時は、白い雄の子犬の頭を撫でた。
 実朝の愛犬雪は、数匹の子犬を産んだのだが。人間の年齢で言えば高齢出産に当たり、産後の肥立ちが悪く、栄養不足などが原因で、子犬一匹を残して、母犬も他の兄弟の子犬達もみな死んでしまった。
 物言はぬ四方(よも)の獣(けだもの)すらだにも哀れなるかなや親の子を思ふ
 人の言葉を話さない獣ですら、親は子を愛おしいと思う。
 実朝は、義時から白い雄の子犬を受け取って、愛しそうに頬ずりをした。
「菅原道真公の梅の花のように、お前も、母が恋しくて追いかけて行きたいのだろうなあ。けれども、お前は縁があって私のもとに生まれて来てくれたのだ。なあ、飛梅(とびうめ)?」

 元号が建暦に代わって、四月の中頃を過ぎた頃、実朝は夜明け前に、近習達を連れてお忍びで永福寺に出かけた。 
 その前の日の朝に、永福寺で今年初めての時鳥の鳴き声を聞いたと和田朝盛が実朝に報告したところ、実朝の提案で皆で出かけることにしたのだった。
 聞かざりき弥生の山の時鳥春加われる年はありしかど
 春に閏月のある年は前にも経験したことがあったけれども、三月に時鳥が鳴くのは聞いたことがなかったよ。
 実朝は、前月に時期には早すぎる時鳥の初声らしきものを聞いたような気がしたことがあり、今度こそ確実に聞くことができるに違いないとその分期待も大きかったのだが。
「これほど待っているのに、なかなか鳴いてくれませんね」
 泰時はひどく残念そうな顔で言った。
 実朝は、笑いながら、和歌を詠んだ。
 初声を聞くとはなしに今日もまたやま時鳥待たずしもあらず
 初声を聞くこともなく、今日もまた山時鳥を待っていないわけでもない。
「時鳥には時鳥の都合というものがあるのだろうよ。そういうこともあるさ」
 実朝と泰時は、鳴かない時鳥を話題に楽し気に語り合っている。
 しかし、その姿を見た朝盛の胸には、呪いのような黒い感情が渦巻いていた。朝盛には、鳴かない時鳥が、自分自身の主君への報われない想いの象徴のように思われてならなかった。
 
 御台所倫子とその側に仕える女房達は、京にいた頃よりも外出の機会が多いことをとても喜んでいた。その年の五月も、時房を供に、逗子の岩殿寺に出かけることになり、倫子の女房達はみなうきうきしていた。洗練された美男でそつがない時房は、御所の女房達の人気の的だった。
「あのようなお方に一度でも愛されたお方は、女冥利につきるというもの」
 うっとりとした表情で語る女房の佐渡に、倫子はおかしそうに笑った。
「まあ、佐渡ったら。はしたないわ」
 見た目は京から来た佳人だが、鎌倉に向かう途中山賊を撃退した武勇伝を持つこのおっかない女房の正体を知らない従弟の朝時が、全く相手にされていないにもかかわらず、しつこく艶書を送り続けていることを実朝は知っている。
(佐渡はとうてい次郎の手に負える相手ではないうえに、五郎叔父と比べられたら、とても次郎に勝ち目はないだろうな)
 実朝は、苦笑した。
「それにしても、匠作様(泰時のこと)がお出でにならないとは!残念でなりませんよ」
 悔しそうに言う老女房の丹後局の言葉を聞いた倫子は、笑いながら言った。
「丹後は、太郎さん派なのですよ」
「おやおや。いつの間にそのような派閥ができているとは」
 微笑んで語り合う主人夫婦に対して、丹後局は力説して言った。
「ああいう真面目で御誠実で忠義のお方こそ、武士(もののふ)の鏡というものですよ!それを若い女房達と来たら、全く分かっていないのですから!」
 御台所だけでなく、側に仕える女房達もまた、すっかり鎌倉の気風に染まっていた。
 倫子と女房達が外出している間に、実朝は、小笠原の牧場の管理を巡って、失態を犯した三浦義村を呼び出していた。現地の管理人と、奉行として牧場を差配する三浦義村の代官がもめ事を起こしたのだ。橘公成の一件を思い出した実朝は、ため息をつきながら言った。
「義理堅く、情に厚いのは、そなたのよいところだと思う。だが、片方に肩入れしすぎて公平さを忘れ、管理が不行届きだったのが、このたびのそもそもの原因ではないのか。残念だが、そなたの奉行の職は解かざるをえない」
「このたびの失態、まことに申し訳ございませぬ」
「まあ、あまり気に病むでない。失敗は誰にでもあることなのだから。次の機会を期待しているぞ」
 気遣いを忘れない若い主君に対して、義村は、恐縮して深々と頭を下げた。
 
 倫子の女房達のように、よい意味で鎌倉の気風に慣れ親しむようになった者もいれば、権勢を笠に横柄な振る舞いをする者もいた。
 六月。侍所の長官である和田義盛が捜査審理中の強盗事件に関し、母政子に仕える駿河局という古女房が、余計な黄色い口ばしを挟んできたのである。
「尼御台様のご意向にございます。どうか、今一度お考え直しを!」
 駿河局の忠義者の皮をかぶった横柄な態度は、かつての牡の方を思い出せ、実朝は気分が悪くなった。畠山重忠事件の恩賞で、まだ年少だった実朝を矢面に立たせないために、母政子が実朝に代わって決定したことがあったように、重大なまつりごとについて、母政子が関わることがないわけではない。
 だが、母は、実朝が成長してからは、ほとんど実朝の判断を尊重してくれているし、意見を言うことがあったとしても、控えめながらもその判断はいつも的確だった。このたびのような平時における日常的な事件の類で、わざわざ母が女房を介して何かを言ってくるとは到底思えない。感情だけで騒ぎ立て、横柄な態度を取る駿河局に、あの母が同調しているはずがないことを、実朝はすぐに見抜いた。
「痴れ者めが!道理に合わぬことを申しているのはその方であろうが!今後、権勢を笠に、そのような横柄な態度を取って、母上の御名を汚すようなことをするのであれば、ただではすまぬ。下がれ!」
 実朝が女人に対してこれほどの怒りを面に出したのは、牧の方の一件以来だった。普段温厚な実朝の父頼朝を彷彿とさせる変貌ぶりに、駿河局は背筋が凍るほどの恐ろしさを感じた。

 七月に入り、実朝は、帝王学の書である貞観政要を学んでいた。その影響から、実朝は、次のような和歌を詠んでいる。
 時により過ぐれば民の嘆きなり八代龍王雨止めたまえ
 主君のこの和歌に関して、朝盛と泰時は議論を交わしていた。
「為政者として民にお心を寄せられる姿を示した、御所様のお優しさがよく伝わるよきお歌かと存じます。」
 主君の歌に魅入っている朝盛に対して、泰時は理屈っぽく反論する。
「確かにそれはそうだが。大和言葉に、一句そのまま、八大龍王という真名を用いるのはあまり聞いたことがない気がする」
 朝盛にとって、妬ましいほどに実朝の側にいながら、実朝の感性をまるで理解していない泰時に、朝盛は腹が立った。
「何を言われるか!古いものに固執されない、そこに御所様の斬新さが表れている証ではないか!」
 朝盛の怒りを本当の意味で理解していない泰時は、さらに理屈っぽい指摘をした。
「そういえば、今年は大雨は降っていない。むしろ、どちらかと言えば日照りが心配される方ではないのか。雨が降るのをやめられては、それこそ民の嘆きになるだろう。ここは、『雨降らせたまえ』とするべきではないか」
「恐れ多くも御所様のお歌を愚弄するつもりか!」
 泰時の指摘に、心底頭にきた朝盛は、泰時の襟を掴んで、一触即発の状態になった。
「二人とも、いい加減にしないか!」
 時房は、泰時と朝盛の間に入って二人を止めた。
「新兵衛尉のいうとおりだ。あのお歌は、あのままがよいと私も思う。『雨止めたまえ』の箇所は、韻が踏まれているのではないのか。御所様は、語感や言葉の使い方にも気を遣っておられるのだ、おそらく」 
 時房の指摘に、泰時は、はっとなったような顔をした。
「何でも難しく考えればいいというものではない。太郎、お前は、もう少し頭を柔らかくして、素直に感じたままのことを大事にした方がいいぞ。」
 時房は、やれやれと言った表情で、呆れながら泰時に対して言った。

 今度は、母政子と御台所の倫子が相模国の日向薬師へ、一緒に小旅行へ出かけることになった。
「あなたと母上が、実の親子のように仲がいいのは結構なことだがね。置いてけぼりの私は寂しいものだよ」
 出発の前夜、実朝は少し面白くなさそうに妻に語りかけた。倫子は、はじけるような笑顔で答えた。
「御所様のおはからいに女房達もとても喜んでおります。このたびも五郎叔父様がお供をしてくださるそうで。五郎叔父様は、本当に楽しくて素敵なお方でございますね」
 無邪気な妻の発言に、実朝はますます面白くない気分になった。実朝は、本能的に妻を強く抱きしめた。
「御所様?」
 いつもとは違う大胆な夫の姿に倫子は戸惑いを隠せない。実朝は、妻の柔らかい頬に手を添え、妻の唇に己の唇を強くあてて吸った。
「焼き餅だよ。あなたの可愛い口から、他の男を褒める言葉が出てきたものだから」
 そのまま、若い夫婦の甘い夜の時間が過ぎていった。
 
 八月の終わり。疱瘡にかかって以来、他の寺社に私的参拝をすることはあったものの、鶴岡八幡宮への公式参拝を控えていた実朝は、それを復活させた。
「艶姿で神仏をだます必要がなくなってようございましたな、御所様」
 姉の政子から、実朝が女人の恰好をしてお忍びで出かけたいきさつを聞いて知っている義時は、若い甥をからかうように笑って言った。
「小四郎叔父まで。勘弁していただきたいものだ」
 若者らしい困った表情を浮かべて苦笑しながら、実朝は答えた。
 
 九月。実朝のもとに、御台所倫子の兄坊門忠信が、官位の昇進をねだって院の怒りを買ったという噂が届いた。
「恐れ多いことだが、御台の言っていたとおり、院はなかなか厄介な性格のお方のようだ」
 実朝は、時房や泰時らと朝廷との付き合い方について話をしていた。
「やはり、正直に、真っすぐに心を込めてお仕えするのが一番かと思われます」
 泰時は、真剣な表情で答えた。
「太郎、お前は相変わらず、融通の利かない奴だな」
 時房は、またもや呆れながら言った。時房と泰時の様子を見て笑いながら、実朝は言った。
「五郎叔父ならどうする?可愛げのあるふりをして相手の懐に入り込み、時には焦らして、ここぞという時に強気で攻める。そんなところか」
「さすが、御所様!よく分かっておいでです!」
 息がぴったりの実朝と時房の様子に、泰時はどこか面白くなさそうな顔で言った。
「そんな人を騙すようなあくどいやり方は、御所様には似合いません!」 
「やはり、こういうことは、太郎よりは五郎叔父の方が適任だな。」
 どこまでも生真面目な泰時の様子を見ながら、実朝は茶化すように言った。
 
 それから間もなくして、善哉は僧籍に入ることが正式に決まり、後に公暁と名乗ることになる。善哉の母、辻殿は、昨年、一足先に出家している。
「今の御所様が、あなたのお父君なのです。その御心にかなうよう、どうか、あなたも御所様のような御立派な方になってください」
(母上までが、義村と同じことを言う。だが、俺には無理だ。俺は叔父上のように、すべてを受け止めて耐えられるほど、強くない)
 善哉が、園城寺に入るため、鎌倉を離れる時、実朝は、善哉の肩を強く抱きしめて慈しむように言った。
「もう、私が抱き上げることはかなわぬなあ。体には気を付けて、達者で暮らしておくれ」
 若い叔父の腕の中で、善哉は修禅寺へと向かう父頼家との最後の別れを思い出していた。
「ととさま!ととさま!」
 行かないでくれと泣いて縋りつこうとする幼い善哉を実父は、この叔父のようには抱きしめてはくれなかった。お前のような軟弱者は我が子とは思わぬ、とっとと朽ち果ててしまえと怒ってそのまま行ってしまった。
 若い叔父の優しさに嘘偽りはなかった。善哉は、叔父に縋りつきたい気持ちでいっぱいだった。
(叔父上、俺が甘えられるのはあなたしかいないというのに。それなのに、今度は、あなたまでが、父上のように、俺を見捨てるというのか)
 孤独な少年の心に、呪いのような真っ黒な闇が広がっていく。
 
 十月。
 飛鳥井雅経に連れられて、鴨長明が鎌倉にやって来た。
 実朝は、父頼朝が西行と会った時の話を思い出した。
 和歌について尋ねた頼朝に対し、西行は、月や花などを見て深く感じ入ることがあればそれをそのまま三十一文字にするだけであると答えたという。西行は、天性の才を持った歌人だった。
 また、西行は頼朝から賜った銀の猫を、御所の門前で遊ぶ子どもにやって、そのまま奥州へ旅立って行ったという。
 西行と同様、俗世を離れた京の著名な歌人との面会に、実朝は久方ぶりに湧いてきたわくわくとした気持ちを抑えることができなかった。
「たくさんの歌合に出席され、和歌所寄人にまでおなりになったというのに、出家をされたのはいかなる理由からなのですか」
 好奇心旺盛な若い将軍の遠慮のない質問に、長明は苦笑しながら答えた。
「前々から、天変地異などで世の無常を感じていたのもありますが、正直なところ、親類といろいろと揉めて世の中がつくづく嫌になったのですよ」
 現実的な話を聞かされてさぞがっかりしただろうと長明は思ったが。実朝の方は、長明の出家の理由についてそれ以上追求することはしなかったものの、いつになく多弁だった。
「京極殿(藤原定家のこと)は、寛平以前の余情妖艶の趣のものを手本にするようにと言われたのだが。かの西行法師が父に言われたように、思うがまま感じたままに私の歌を詠みたいという気持ちも実はあるのですよ。どう思われますか」
 実朝の問いに、長明はしばらく考えた様子を見せた後答えた。
「京とこちらとでは、おのずと感じるものも異なって参りましょう。まして、御所様はお若い。必ずしも、型にはまる必要もないのかもしれません。例えば、御所様はどのようなときに、もののあはれを感じられますか」
「私が感じるあはれとは、雅な物語の世界のものとは異なるのです。親を亡くした幼い子、人の言葉を話さない獣や草花、体が思うように動かない老人、海人や炭焼きなどその日を懸命に生きる人々の暮らしぶりなどが、愛おしくもあり、悲しくも思い、何故か心惹かれてならないのです」
 武家の頂点に立つはずの若い権力者の思いもかけない優しい感性に、長明は感嘆した。
「私も、天変地異などで様々な情景を見聞きしてまいりましたが、御所様と同じように感じたことが多々ありました。よろしいではありませんか、その御心をどうか大事になさいますよう」
 理解者を得たことを心から喜んだ実朝は、長明にあることを提案した。
「このまま、鎌倉に残って、私の和歌の師になってはいただけまいか」
 だが、長明は申し訳なさそうに首を横に振った。
「世を拗ねてこの年まで生きながらえていますと、一丈ばかりの小さな庵での気楽な独り暮らしが恋しいばかりなのですよ」
 実朝はひどく残念がったが、長明が鎌倉に滞在している間、できるうる限りの歓待をした。
 亡き父頼朝の法華堂に案内した際、長明は次のような歌を詠んだ。
草も木もなびきし秋の霜消えて空しき苔をはらう山風
草木もなびくほどの偉大な頼朝公がお亡くなりになり、今は秋の霜が消えて空しい苔をはらう山風がふくばかりです。
「京へ帰ったら、私も心のままに文章をつづってみようと思います。御所様も、どうか、御自分の思う歌を御詠みくださいませ」
 実朝は、長明の言葉に深く頷いた。
 長明は、京に戻って間もなく名高い随筆『方丈記』を執筆している。

 その年の暮れ。和田義盛は、二年前から執心していた上総の国の国司の嘆願書を急に取り下げた。この件について、実朝は、北条や朝廷とも調整を進めて、いずれ何とかしようと考えていた。
「しばらく待つように申し付けておいたではないか。自分から願い出て、こちら側のいうことを無視して勝手に取り下げるなど、主人の威光を蔑ろにする振る舞いではないか」
 実朝は、広元を通して、譴責の言葉を義盛に言い渡した。
(私は、北条だけを格別贔屓しているつもりはない。だが、北条は、母上の実家であるとともに、私の養い親でもある。血縁関係にあり、生まれた時から行動を共にして気心が知れている分、どうしても私との関係が近くなってしまうのはやむをえぬ。和田は、それが気に入らぬのであろうか。和田と北条との間に、よからぬわだかまりが生じていなければよいのだが)
 実朝が憂慮しているのは、北条と和田との関係だけではなかった。兄頼家が修禅寺に向かった後、政子と共に泣いていた善哉の顔と、鎌倉を離れる時の善哉の泣き顔が重なって、実朝は己の無力さを感じずにはいられなかった。
 実朝の意向を受けた三浦義村から真実を聞いた善哉の心の衝撃を思うと、実朝自身が多くのことを語ればかえって善哉を傷つけることになる。実朝にできるのは、幼い頃に、父頼朝がしてくれたように、善哉を抱きしめてやることだけだった。
(それでも私では、親の代わりにはなれないのだ)
 深い物思いに沈んだ様な表情の実朝を、倫子は心配そうに見つめている。妻を心配させまいと、実朝は何とか笑顔を作って抱きしめた。
 妻との幸せな時間は、多くの者の犠牲と悲しみのうえに成り立っている。そのことを実朝は深く自覚していたが。
それでも、実朝はどれほど多くの者に恨まれ、憎まれようとも、この妻との幸せだけは決して手放したくなかった。

   七
 建暦二年、西暦一二一二年。
 正月早々、将軍には、垸飯(おうばん)、御弓始め、鶴岡八幡宮への参拝などの公務が詰まっている。
 そして、正月早々、若い将軍に褒められる者もいれば、怒られる者もいた。
 御弓始で、射手の一番を務めた小国頼継は諸国から献上された弓矢を実朝から賜り、これを射た。その腕前があまりに見事だったため、頼継は、実朝から、「まるで、弓の名手として名高い養由基のようだ」とのお褒めの言葉と越前国稲津保の地頭職まで賜った。
 一方、実朝の鶴岡八幡宮参拝の際のこと。大須賀胤信は、御調度懸という役を与えられていたのだが。「弓を持つだけのこんな下っ端仕事やってられるか!」と言ってこれを拒否してしまった。
 それを聞いた実朝は、「この職は、亡き父上が弓の名手にお与えになった名誉ある役ではないか。それを投げ出すなどとんでもないことだ。このような職務怠慢許されるものではない!」と激怒して、胤信は御所への出仕を停止させられた。この役は代わりに、和田義盛の息子で、実朝の近侍を務める朝盛の父常盛が務めることになった。
 このように、実朝は、武家の統領らしく、賞与懲罰に対しては、公正で厳格な態度で臨んでいる。

 二所詣でのための精進をすませてから、実朝は、和田朝盛に、一枝の梅の花に文を結んだまま、塩谷朝業への遣いを命じた。
「塩谷邸に、私からだということは伏せたまま、この文を届けるのだ」
 君ならで誰にか見せむ我が宿の軒端ににほふ梅の初花
 あなた以外に誰に見せようか、私の家の軒端に咲き誇る梅の初花を。
 この歌は、古今和歌集の紀友則の「君ならで誰にか見せむ梅の花色をかをも知る人ぞ知る」を本歌としたものである。
 和歌の素養のある朝盛であるならば、自分の意図に気づいて使いを務めてくれるだろう、また朝業も自分の謎かけに添った返歌をしてくれるに違いない、実朝はそう期待していた。
 遣いを命じられた朝盛も当然、古今和歌集を題材としていることにはすぐに気づいた。傍から見れば、親しい和歌仲間へのただの季節の挨拶にすぎない。
 だが、主君へのかなわぬ想いを秘めた朝盛にとっては、まるで恋文の遣いを命じられたようで、心が張り裂けそうだった。
 嬉しさも匂ひも袖にあまりけりわがため折れる梅の初花
 嬉しさも梅の匂いも袖にあまるほどです、私に見せるために折って下さった梅の初花、御所様のお優しいお心遣いに何とお礼を申し上げたらよいのか。
「やはり、朝業は、私の真意を分かってくれたか!」
暗い気持ちを押し殺したまま遣いから帰ってきた朝盛に、実朝は、朝業からの返歌を見せながら、嬉しそうな顔を見せた。
 実朝は、純粋に気心が知れた和歌仲間とのやりとりを楽しんでいるだけのはずなのに、
どす黒い呪いのような闇で心を覆われた朝盛には、どうしてもそうとは思えなかった。
 御前を退出して陰鬱な表情をした朝盛の様子が心配になった泰時は、朝盛に声をかけた。
「そんなに沈んだ顔をして、御前で何があったのだ」
 実朝と泰時の関係を勘ぐっては心を煩わせることが多い朝盛であったが、この時は、もはやその余裕すらないほどに思いつめた顔をしていた。朝盛は、苦しさのあまり、文遣いのことを泰時に話す。
「御所様は、塩谷殿にだけ梅の初花を特別にお見せになりたいと思われて、その文遣いを私に命じられたのだ!御所様は、私の想いを知って、私を弄んでおられるのか!」
 感情が高ぶって今にも泣き出しそうな朝盛を、泰時は必死で宥めようとする。
「落ち着け。御所様は、貴殿の教養の高さを認められたうえで、塩谷殿への季節の挨拶の御文の遣いを貴殿に頼まれ、塩谷殿の機転に感心されただけだ。なぜ、そのように思いつめて、物事を悪い方にばかり考えるのだ」
 冷静な泰時の指摘に、朝盛はなお一層惨めな気持ちで声を荒げた。
「貴殿には、私の気持ちなど、分かろうはずがない!」
 激昂する朝盛に対し、泰時は遠くを見つめながら、静かに話し始めた。
「私も貴殿と似たようなものだ。御所様と過ごす時間が多くなるに連れて、私もまた、御所様のことばかりが頭の中を占めている。それを私は仕事だと言い訳のように言い聞かせてきた。気づいたときには、前の妻との関係は、ぎくしゃくとして修復不可能となってしまっていた。傍から見れば、仕事にかまけてばかりで家を顧みなかったゆえの破綻だと思われているだろう。だが、前の妻は勘づいていたかもしれない。『嘘でもいいから、主君への忠義よりも、妻への情愛の方が勝るのだと言ってほしかった』前の妻はそう言って、私のもとを去っていった」
 朝盛は、泣き笑いのような顔を泰時に向けた。
「罪なお方だ、御所様は。ご聡明なお方なのに、御台所に一途なあまり、他の者から寄せられる想いに目が向くことがない。その道には全く初心で鈍くていらっしゃる。そこが、あのお方のよいところなのだが」
「その点に関しては、私にも責任の一端がないとは言えないな」
 実朝がまだ千幡と呼ばれ、他の兄姉たちとは年が離れた末っ子として父頼朝から手放しで可愛がられていた頃。
「太郎よ、ややこはどのようにして生まれてくるのか」
 幼い千幡が、無垢な瞳でまだ結婚前の泰時に尋ねてきたとき。泰時は、ひどく動揺して、ぼかしたようなことを言って適当にごまかした。
 まさか、実朝がその具体的な意味が分からぬままそれを信じ込んで成長し、極端なまでの潔癖症から自らの情欲にひどい嫌悪感を抱き、御台所と真の夫婦となるまであそこまで時間がかかるとは、泰時自身も思っていなかった。ある意味、泰時を始めとする周りの人間達が、あまりに大事に育て過ぎてしまったゆえの喜劇。泰時は、過ぎ去った日々のことを思い出しつつ、長い間、朝盛と一緒にせつなげに遠くを見つめていた。
 その数日後、実朝は、三度目の二所詣に出かけた。
 箱根の山を越えると、前に来た時と同じように視界に海が飛び込んできた。その情景を見ながら実朝は歌を詠んだ。
 大海のいそもとどろに寄する波割れて砕けて裂けて散るかも
「この度は、単に波が寄っているだけでなく、随分と荒波のようですなあ」
 実朝の歌を聞いた義時が感嘆するように言った。
 夜明け前になって、実朝はさらに詠んだ。
 空や海うみやそらともえぞ分かぬ霞も波も立ち満ちにつつ
 空なのか海なのか全く区別がつかない、霞も波も立ち満ちているこの夜明け時では。
 海に波があれば、山には花が咲いていた。
 ちはやぶる伊豆のお山の玉椿八百万代も色は変はらじ
 伊豆山の玉椿はいつまでも変わることなく鮮やかに咲き続けることだろう。
 二所詣から帰った翌朝のこと。留守番をしていた警備の侍達は、時間になってもやって来ない。
「御所様がおられない間に気が緩んだと見えます!何たる職務怠慢でしょうか!」
 相変わらず生真面目な泰時は憤慨していたが、実朝はその様子を微笑ましく眺めていた。
 旅を行きしあとの宿守おのおのに私あれや今朝はいまだ来ぬ
 私が旅から帰って来た後、留守番をしていた者達にもそれぞれやむを得ない私用があるのであろうか、今朝はまだ姿を見せないことだ。
 まだ少年だった頃、吾妻助光の呆れた言い訳で出発の遅参を招いた際には激怒した実朝であったが、些細な失敗には笑って目をつむるほどにまで成長していた。
 とはいっても、京都大番役は、朝廷とも関わりが強く、御家人達の重要な任務だったから、これについての職務怠慢については笑って見過ごすわけには行かなかった。この件について、実朝は、一月任務を懈怠した者は、三か月その期間を延長することを決定し、厳格に対処している。

 周囲の人間からは、泰時と実朝は生真面目な性格がよく似ていると言われることがあるが。融通がきかない泰時よりは、どちらかといえば、実朝は、大らかで柔軟性があり、時として大胆な叔父時房の影響を強く受けている面も多い。
 時房が国司を務める武蔵国の公田の調査についての話が出たときのことである。
「郷の管理は、昔どおりの郷司にまかせたやり方に戻すべきでしょう」
 時房の指摘に、泰時は反論した。
「これまでと同じやり方では、馴れ合いによる弊害が出るばかりです」
 泰時の意見に対して、実朝は首を横に振った。この件については、もともと実朝も、前任者の大内義信の時の慣例に従うよう沙汰していた。
「その地にはその地のやり方というものがあり、それを無視することはかえって混乱が生じる。ここは、五郎叔父のいうとおり、やはりこのまま、従来の管理のやり方に合わせて処理すべきだと私も思う」
「太郎、人は理屈だけではついては来ない」
 息があったように冷静に指摘する実朝と時房の姿を見て、悔しくなった泰時は思わず声を荒げた。
「情実を重んじたやり方には納得できません!」
 だが、結局実朝は、時房の案を採用した。
(まつりごとに私情をはさんでいるのは私の方だ) 
 泰時には分かってはいたが、泰時と歳の近い叔父の時房と、泰時よりも年下の若い主君とが、泰時を置いて二人で先に進んで行っているように感じられて、泰時は嫉妬心を覚えずにはいられなかった。泰時には、朝盛の焦りが分かるような気がした。
 相模川の橋を改修すべきだと三浦義村が提案した時のことである。
「稲毛重成がこの橋を造った落成式のときに、御所様の御父君は体調を崩されて馬から落ち、それが原因で亡くなられたのです。三浦殿は、稲毛重成を誅殺する隊に加わっていたのですから、この橋を今更作り直すことがどれだけ縁起が悪いかよく分かっていらっしゃるでしょうに」
 泰時の父義時や広元ら大半の重臣達は、義村の案に反対した。
 だが、重臣たちを前に、実朝は義村の案を採用すべきだときっぱりと言った。
「父上が亡くなられた時、武家の棟梁としての権勢も官位も極めておられ、縁起が悪いということがあろうはずがない。稲毛重成は、自ら落ち度があったがゆえに罰を受けたのだ。三浦のいうとおり、これ以上、不吉だのなんだの馬鹿なことを言っていないで、民の憂いを一番に考えるべきではないのか。この橋は二所詣の際に通るうえに、橋が改められれば民達も安心できよう。壊れたり倒れてしまってからでは遅いのだ。早く修理すべきだと思う」
 理路整然とした若い将軍に、重臣一同が頭を下げた。
 泰時には、父義時や叔父時房らから様々なことを学びながら、的確に判断を下していく年下の主君の姿が眩しすぎた。
 
 その頃、延暦寺が大騒ぎをして暴動を起こした。もともと、延暦寺と園城寺は仲が悪く、しょっちゅう武力による大騒動を起こしていた。仏に仕える聖域というのは建前だけのことであって、あたりを探せば、坂東武者にも劣らぬ素行の悪い荒くれ者の僧兵達が吐いて腐るほどいた。そんな具合だったから、鎌倉を離れて、園城寺に入った公暁の養育環境は、青少年にとっては決してよいものではなかった。
 叔父の実朝とは違って、学問が大嫌いな公暁にとって、寺での学問三昧の生活が楽しかろうはずがない。僧房に閉じこもっているよりも、悪い僧兵たちに交じって武芸の稽古をする方が、公暁には性に合っていた。
 仏に仕えるために園城寺に来たというのに、悪い環境に染まって、やがて公暁は、人を呪い殺す方法と武をもって人を殺す方法と、酒と、男か女かを問わず色の道と、そのようなことばかりを覚えていくようになる。孤独な少年のそのような荒んだ生活が、やがて引き起こされる悲劇の遠因のひとつになったといってもよいかもしれない。
 実朝は、まだ少年の甥の身を案じながら、園城寺の周辺の警備を強化するようにとの命令を出した。
 
 三月に入って、将軍実朝は、御台所倫子、母の政子とともに、叔父の義時、時房らを供に、三浦三崎の御所へ出かけた。
 実朝は、御台所倫子と牛車に同乗して道行く先の松を見ながら歌を詠んだ。
 磯の松幾久さにかなりぬらむいたく木高き風の音かな
 長い年月を生きている磯部の松のたいそう高いところで風の音が聞こえている。
「御所がまだ幼い頃、家族みんなで三浦や京へ行った時のことが思い出されますよ」
 政子は、懐かしそうな表情で、牛車から降りて姿を見せた実朝と倫子に語りかけた。
 若い将軍夫妻は手をつないで、母の言葉に嬉しそうに頷き合っている。その様子を見た義時、時房らもまた、心の底から楽しそうに笑っていた。
 将軍一行が発った後、随行に加えてもらえなかった朝時は、一人でいじけていた。
(いつも儂ばっかりが除け者にされて!)
 朝時は、動く雛人形のような御台所とその女房達の一行をうっとりとした表情で思い出していた。
 朝時と同じ歳頃の御台所倫子が、鎌倉の実朝のもとに嫁いできたのは、まだ少女の頃だった。
 朝時は、北条一族の末座に座って、御台所に挨拶した時のことを昨日のように憶えている。御台所は、まるで絵巻物からそのまま抜け出て来たかのような高貴な姫君そのものだった。
「どうぞ、およろしくね。次郎さん」
 無邪気に微笑みかけるまだ少女だった御台所は、姿形だけでなく、声まで可憐で愛らしく、朝時は一瞬のうちに心を奪われてしまった。思えばそれが、朝時の身の程知らずの初恋の始まりだった。
 奥手で一途な将軍が、御台所と新枕を交わすまでには、長い年月がかかった。それを多くの者達が微笑ましく見守っていたが。
(あんな誰もがうらやむ高貴な姫君を妻にしておきながら、御所様は馬鹿で臆病者だ。儂だったら、さっさと手を出して自分の物にしておるわ!)
 その時、朝時は不謹慎にもそう思ったものだった。院の縁に繋がる生まれながらの貴婦人である将軍の正室は、朝時にとって決して手に入らない高嶺の花だった。
 それからしばらくして、京から佐渡という名の御台所付きの若い女房が鎌倉にやってきた。その艶姿を見て、またもや朝時は、一目で心を奪われてしまった。
(坂東の田舎娘なんかとは比べ物にならない。御台様といい、お付きの女房殿といい、京の人間というのは、何て雅で美しいんだろう!儂だって執権の息子だ。御台様は無理でも、そのお付きの女房殿なら行けるはずだ!)
 そう勘違いした朝時は、それ以来何度もしつこく佐渡に艶書を出して言い寄ったが、全く相手にされなかった。
(儂は、御所様の身内だ!目に物を見せてくれるわ!)
 調子に乗った朝時は、とうとうとんでもない事件を起こしてしまう。
 ある深夜、朝時は御所に不法侵入し、佐渡が休んでいる部屋に忍び込み、後ろから佐渡を抱きすくめた。
「お静かに。私をここまで焦らしたあなたが悪いのですよ」
 いかにも色男ぶったその声に、佐渡は聞き覚えがあったが、山賊を撃退した武勇伝を持つ女傑は、この不埒な田舎者の男を全く恐れていなかった。佐渡は、自分の口元を押さえていた朝時の手に歯で思いっきり噛みついた。
 雅な女房の思わぬ反撃に、朝時は一体何が起きたのか理解ができず、痛みで腕を離した瞬間、朝時の急所に佐渡の強烈な蹴りが見事に決まった。
「誰か!ここに不埒な狼藉者がおります!お助け下さい!」
 深夜に響き渡る若い女房の大声に、御所の番犬を務めている実朝の愛犬飛梅が大きく吠えたてて現場に走って来た。それに反応して、わらわらと人が集まって来て、不埒な侵入者は警護の侍たちによってたちまち御用となってしまった。蓋を開けてみれば、不埒者の正体は、将軍の後見人の子息であることが発覚し、朝時は、世間に赤っ恥を曝すこととなった。
 報告を受けた実朝は、激怒した。
「この大馬鹿者が!文だけならまだしも、相手にされぬからといって、夜間の御所に不法侵入の末、このような乱暴狼藉、とうてい許せるものではない!そなたは、御所の治安を乱して主人である私の威光に傷をつけただけでなく、父親の顔にも泥を塗ったとんでもない親不孝者だ!無期限の謹慎を申し付ける!」 
 自分と歳の変わらない穏やかな性格の若い将軍の鬼神のごとき姿を初めて目の当たりにした朝時は、恐ろしさのあまり失禁していた。
 甥の不祥事に、尼御台政子もまた、怒りを隠せなかった。
「我が身内とはいえ、女人をかようにひどい目に遭わせるなど!絶対に許せません!かわいそうに、御台所は自分のことのように怯えて泣いているのですよ!息子の不始末は父であるそなたの不始末です!」
 姉政子の激しい非難に、義時は返す言葉すらなかった。
「お前とは、これより親子の縁を切る!とっとと出て行け!」
 最後の頼みとしていた父にまで勘当を言い渡された朝時は、泣きじゃくりながら必死に言い訳をした。
「何で儂ばっかり!父上だって、若い頃、儂の母上に同じようなことをしたではありませんか!」
 朝時の言葉を聞いた義時は、怒りで朝時を殴り飛ばした。
「嫌がる女人を遊びで手籠めにしようとしたお前と一緒にするな!許可を得て、決して別れぬとの誓いを立ててようやく妻にした女を、儂がどれほどの想いで手離さなければならなかったか。お前なんぞには分かるまい!もはや、その顔、二度と儂の前に現すな!」
「時が経てば、御所様と父上の御怒りも解ける時が来よう。とにかく今は、反省して大人しくしていることだ」
 実朝と義時の怒りを買って、失意のうちに一人鎌倉をあとにしようとする朝時に、兄の泰時は宥めるように言い聞かせた。
 朝時の破廉恥事件に続いて、夜間の御所でまたもや事件が起きた。伊達四郎と萩生右馬允が手下を率いて宿直の間で大乱闘の末、多数の殺傷者を出したのである。
「本当にどうしようもない大馬鹿者達ばかりだ!」
 相次ぐ御所での無法な振る舞いを許すわけには行かなかった。額に青筋を浮かべた実朝は、直ちに伊達四郎を佐渡島に、萩生右馬允を日向国にそれぞれ流罪とした。
 また、ある時、安達景盛が上野国の奉行を辞退したいと申し出てきた。比企氏や兄頼家と景盛との確執を知っている実朝は、景盛を睨みつけながら言い渡した。
「そなたの昔の事情をとやかく言うつもりはない。だが、北条を選んだということは、私を選んだということでもあろう。ならば、自らの職務に励んで忠心を示すべきであろう。御台以外の女人を必要としない私に対して、まさか女を盗られたと言って騒ぎ立てて謀反を起こすはずもなかろうしなあ」
 血気盛んな典型的な坂東武者の景盛であったが、普段は穏やかな主君に凄みのある声で皮肉を言われて縮み上がった。

 実朝は、禅僧栄西からもらった仏舎利を見つめながら、泰時にこぼした。
「最近の私は、怒ってばかりいるような気がする。皆は私のことを、若年寄の説教将軍が雷を落としたと言っているそうではないか」
「お気になさることはありません。非はすべて御所様を怒らせるようなことをしでかした大馬鹿者達にあるのですから」
 泰時は至極真面目な顔で答えた。実は、若年寄の説教将軍と最初に憎まれ口を叩いたのは、破廉恥事件で実朝を激怒させた泰時の弟の朝時だったのだが。泰時は、大馬鹿者の筆頭とも言える実弟を庇う気はさらさらなかった。
 実朝は、ふっと表情をやわらげて言った。
「怒りで頭がいっぱいになるよりは、たまには楽しいことを考えていたいものだ。宋の国に渡ったことのある栄西和尚の話は実に面白かったぞ。聖徳太子様は、仏法を尊び、遣隋使を派遣したと聞いている。今は滅びた奥州藤原氏の財力もいかばかりのものだったのか。かの清盛入道もまた、宋との貿易で莫大な利益を得たではないか。これは、まだ小四郎叔父にも内緒の話なのだが。私はいつか、この鎌倉を直接の起点として、東国の活性化のために、宋との交易を行いたいと考えているのだ」
 泰時は、実朝が、若者らしい大きな夢を打ち明けてくれたことが嬉しくて仕方がなかった。

 若年寄の説教将軍は、一方で、様々な者達への配慮も忘れなかった。
 和田一族は、惣領の義盛の国司任官話が流れた件などで、北条へのわだかまりを持ち始めていた。武勇一辺倒なものが多い和田一族の者達の中で、武だけでなく文にも優れ実朝の近習として重用されている若い朝盛は一族の期待の星でもあった。和田一族の者達は、朝盛を、同じく実朝の側近として活躍している北条泰時の対抗者として煽らせるようなところがあった。
 敏感な実朝は、和田と北条のそのような微妙な空気をすぐに悟った。
 実朝は、老臣義盛の昔話に耳を傾けたり、義盛の邸を訪れたりするなどして、歓談の時間を持とうと努めた。義盛もまた、実朝の来訪や気遣いを大層喜び、和漢の名将の肖像画を実朝に献上するなどした。
 実朝は、朝時の破廉恥事件で、姉のように慕う大事な女房に不埒なことをされかけて、自分のことのように傷ついて内に籠りがちだった妻倫子へも優しい気遣いを見せた。
「母上がね。鶴岡八幡宮での舞楽を御台と一緒に見たいと言っているのだが。どうだろうか」
 夫の言葉に、倫子は弱弱しく微笑みながら答えた。
「御所様は御一緒ではないのですか」
 実朝は倫子を強く抱きしめながら言った。
「公務が終わったら、私も後から追いかけてすぐに行くから。それからね。今度、絵合わせの勝負をしようと思っているのだよ。広元などの御老体達もはりきって準備をしている。楽しみにしていておくれ」
「はい、御所様」
 倫子はようやく、夫の腕の中で、安堵の笑みを浮かべた。
 また、その年は、昨年即位された今上帝(順徳天皇)の大嘗会が行われており、実朝は朝廷に対する配慮から次のような和歌を詠んでいる。
 今つくる黒木の両屋古りずして君は通はむ万世までに
 今度作られる黒木の大嘗会の二つの宮は、いつまでも古びることはなく、我が君がお通いになられることだろう。
 黒木もて君が造れる宿なれば万代経ぬとも古りずもありなむ
 黒木で我が君が作られた大嘗宮がすぐに撤去されるのは惜しいことだ、我が君の御世のようにいつまでも古びないでいてほしい。
 君が代も我が代も尽きじ石川や瀬見の小川の絶えじとおもへば
 石川の流れが絶えないと思うように、我が君の御世も絶えることなく、私の世でそれをお支えしたいと思う。これは、鴨長明の和歌「石川や瀬見の小川の清ければ月も流れを尋ねてぞすむ」を本歌取りとして詠んだものであると言われている。
(何やら書物をお書きになっていると風の噂に聞いているが、お元気な様なら何よりだ)
 実朝は昨年鎌倉を訪れた老法師のことを懐かしく思い出していた。
 他方で、実朝に密かに想いを寄せる者にとっては、実朝の優しい気遣いがかえって辛くもあった。
 梶原景時の孫で荻野景継という者がいた。穏やかなこの青年を実朝は重用していたが、内気過ぎて何かと気に病む性格の景継は、将軍の御前で、脂を足し忘れて、明かりが消えてしまったという、ささいな失敗をひどく気にしていた。
「そのようなささいなことは罪でも何でもないのだから。恥じることは何一つないのだよ」
 実朝は、そう言って景継を気遣ったが、景継はますます恐縮するばかりだった。
(祖父の一件で後見が弱いことが影響しているのだろうか。それとも、北条と和田との確執が取りざたされている中で自分の居場所がないと感じているのだろうか)
 景継の酷く思い詰めた様子が気がかりだった実朝は、泰時に頼んでそれとなく様子を見てもらうことにした。
 景継は、和田朝盛と同じような主君へのかなわぬ熱情を込めた泣き笑いのような表情をして、泰時に語った。
「御所様はお優しいお方です。あのお方は、仕える者だけでなく、多くの民、獣(けだもの)や草木にまでお心を寄せられる。けれども、そのお心は、御台様をのぞいて、誰か一人のものには決してならない。私には、御所様のそのお優しさが辛いばかりなのです。匠作様(泰時のこと)はいいなあ。たとえ想いがかなわなくても、いつだって、どんなときだって、あのお方の御側にいられるのだから」
(この人もまた、そうなのか!)
 あまりに寂し気な景継のその表情が、思いつめた和田朝盛の姿と重なって、泰時はいたたまれなかった。
 やがて、荻野景継は永福寺で出家して行方をくらませた。

 年が明けて、建暦三年、西暦一二一三年。
 正月の垸飯役(おうばんやく)に、和田義盛が加えられた。これもまた、北条に対して、わだかまりを持ちがちな和田への、実朝なりの配慮であった。若い将軍の心遣いに、義盛は深く感謝した。
 それから、実朝は、昨年と同様に御台所倫子を慰めようと絵合わせの会を催した後、二所精進をすませて、二所詣に出かけた。今年は、天候が悪い中での出発であった。
 実朝は、途中の箱根の川や湖を見て歌を詠んだ。
 夕月夜さすや川瀬の水馴れ棹なれてもうとき波の音かな
 夕暮れ時に月が出た後に、川瀬を進む船を漕ぎなれた棹のように、波の音にはなれたはずなのに、これほど天候が悪いと何とも耳障りであることよ。
 たまくしげ箱根のみうみけけれあれや二国かけてなかにたゆたふ
 芦の湖は心があるのだろう、相模と駿河の二つの国をはさんでゆっくりと揺れ動いている。
(北条と和田との関係が取りざたされている中、私の心も揺れ動いている。それでも、この湖は二つの国の間に合って豊かな水で満たされているではないか。人もこのようにあればいいのに)
 実朝は、そう思わずにはいられなかった。
 二所詣での帰りもまた、雨はひどく降り続いていた。
 浜辺なる前の川瀬を行く水の早くも今日の暮れにけるかな
 雨のため、浜辺の宿の前の川瀬の水の流れが早い。夕暮れもあっという間に来てしまった。
 雨が降り続く中、付き添いの叔父義時や時房を始め、多くの者達は、黙々と旅路を急ぐ。
 春雨はいたくな降りそ旅人の道行き衣濡れもこそすれ
 春雨よ、ひどく降らないでくれ、旅をする者達の道中着が濡れてしまって、難儀をしては気の毒なことではないか。
 実朝は、悪路を進む者達の気持ちを少しでも明るくしたいと思い、再びつぶやいた。
「春雨にうちそぼちつつあしびきの山路ゆくらむ山人や誰」
「何か、おっしゃいましたか?御所様」
 激しい雨音で甥の声がよく聞こえない義時が、聞き返した。
「いや、なに。春雨の中を濡れて山道を歩いているのは仙人なのだろうかと思ってね」
 意味を理解した時房が笑いながら説明した。
「要するに、この雨の中を進む我々は仙人のようなものだ、鎌倉までもう少しだからと励ましておられるのですよ」
二所詣から戻ってから、実朝は、泰時、朝盛ら近習達を集めて和歌の会を開くことにした。和歌の会の題は、「梅花万春を契る」であった。
 実朝は、父頼朝、姉大姫との思い出につながる梅の花を殊の外愛していた。菅原道真ゆかりのひときわ香りの高い一枝をそっと顔に近づけながら、実朝は優しく微笑んで歌を口ずさんだ。
「梅が香を夢の枕にさそひきてさむる待ちける春の山風」
 主君のその姿を見た朝盛の内に秘めたかなわぬ熱情は高まって行くばかりだった。
(ああ!梅の香に誘われて、そのまま枕を交わしてしまいたい!春の山風のように吹きあれる乱れた想いを抱いたまま、私は幾度それを夢見て待ち続けたことか!)
(あまり思い詰めるなよ)
 朝盛の表情に気づいた泰時は、我がことのように思わずにはいられなかった。
 また、学問を好む実朝は、歌会の後、学問所番を設け、特に優秀な近習達をその構成員に選んでいる。叔父の北条時房が学問所番の奉行を務め、北条泰時は一番組の筆頭、和田朝盛も二番組の構成員として名を連ねていた。
 実朝の気遣いは、誰に対しても分け隔てがなかった。

   八
 建暦三年、西暦一二一三年、二月十六日。
安念という僧の自白から、泉親衡が、先代頼家の遺児千寿を擁立し、執権北条義時を誅殺しようとする計画が発覚した。
 現将軍実朝を廃して、千寿を擁立しようというのであるから、将軍に対する明らかな謀反でもあったが、謀殺の対象は実朝自身というよりも、義時だったと言ってもいい。多数の武士たちが名を連ねており、その中には、和田義盛の息子の義直と義重、甥の胤長も含まれていた。
 実朝は、どの一族の者達もできるだけ公平に扱おうとしていたし、叔父の義時もまた、時政の独断的な行為が遠因となって、様々な事件につながった反省から、将軍や他の重臣達との協調を重視して、独断的で横柄な態度にならぬよう心がけていた。
 それでも、北条は将軍の親族として、実朝とは何かと近い関係にあった。実朝自身、武よりも文を重んじ、まつりごと自体が武から文への転換期を迎えようとしていた時期でもあったから、実朝は、文官達や文治的な才に優れた北条の者たちと行動を共にすることが多かった。
 和田一族のような武勇を誇る典型的な坂東武者達の中には、活躍の場がない者も少なくなかった。これらの者達から見れば、現将軍の叔父であり、後見人である義時が、権勢を誇っているように思われ、妬み、不満、非難などの矛先が義時に向けられるのは、ある意味仕方のない面もあった。わざわざ先代頼家の遺児が擁立されたのは、北条によって滅ぼされた者の残党達の不満が高まっていたからかもしれない。義時自身も、父時政の時代からの負の部分を受け継がざるを得ない立場にあったのだ。
「叔父御がどれだけ私や皆を助け、尽力してくれているか、私はよく分かっているつもりだ。じい様の時代の行き過ぎが人々の恨みを買う結果となったことを思えば、甘いと思われるかもしれぬが、できるだけ寛大な処置を頼みたいのだ。叔父御にも、いずれ息子の太郎達、若い新しい世代に任せる時が来る。その時に再び禍根を残すようなことはしたくはない」
 澄んだ瞳で静かに語る実朝の姿を見た義時は、牧氏事件の前に聞いた、実朝の遺言のような言葉を思い出した。
「私は、それほど長くは生きられまい。私が、母上よりも先に逝くことになったら、叔父御が母上を守ってさしあげてほしい」
(このお方は、とうの昔から、覚悟を決めておられたのだ)
 実朝が言った若い新しい世代、その中に実朝自身が含まれていないことに気づいた義時もまた、静かに答えた。
「御所様の仰せのとおりにいたしましょう」
 謀反の旗印に挙げられた頼家の遺児千寿は、その後、周囲によって再び運命を狂わされた末、悲しい最期を迎えることになるが。それでも、祖母政子の嘆願もあり、この事件に関しては、出家を条件に助命されている。
 渋川兼盛、薗田成朝ら、事件に名を連ねていた者に対しても、恩赦の決定がなされた。和田義盛の二人の子息も、義盛の永年の勲功に免じて赦免され、義盛の面目は施された。ただ、義盛の甥の胤長は、事件の主犯格であったため、赦免は許されなかった。それでも、命は助けられ、陸奥への配流にとどまっていた。
 だが、血気盛んな和田一族に、実朝の心遣いは通じなかった。
 三月九日。和田義盛は、甥の胤長も赦免してくれるようにと、一族九十八名を連れて御所の庭に列座し、将軍実朝に対して強訴のような振る舞いに及んだのである。
「調子に乗りおって!身の程を弁えぬ慮外者が!」
 将軍の威光を蔑ろにする振る舞いに、義時もいつもの冷静さを失った。義時は、後ろ手に縛り上げた和田胤長を一族が列座する前で曝し者のようにして二階堂行村に引き渡した。
(義盛も、これがぎりぎりの妥協だということが何故分からぬのだ。力による見せしめを、和田は北条による挑発と受け取るだろう。誇り高い義盛は、これを決して許すまい。いずれ、血の雨が降るかもしれぬ)
 実朝は、その後に起こるであろう出来事を予測して顔色を失った。
 実朝の予想したとおり、和田一族の怒りは増していくばかりだった。和田一族は、横山時兼が、和田義盛のところへ来るなど不穏な動きを見せるようになった。実朝は、和田に使者を送ってこれをやめさせるように伝えたが、一度着いた火を消すことはそう容易いことではなかった。
 流罪となった胤長の屋敷につき、実朝は、慣例どおり和田義盛が拝領することを許し、義盛の面目は施されたかに見えた。
 だが、義時は、実朝に対し、胤長の屋敷を自分に引き渡してほしいと申し出た。
(叔父御は焦っている。御所の東門に近い胤長の屋敷が義盛のものとなれば、和田の動きが前よりも活発化することは分かり切っている)
 叔父の意図を察した実朝は、叔父の要求を承諾せざるをえなかった。
 和田胤長の幼い娘が、死の床で必死に父の名を呼び、父に会うことがかなわぬことを憐れに思った朝盛が、父のように振る舞って娘の最期を看取ったという話を聞いた実朝は、必死に父頼朝を求めていた幼い頃の自分の姿と重ねて、涙を流した。
(罪人とはいえ、人が子を思い、親を思う心に変わりはない。まして、幼い娘にいかなる罪があるというのだ)
 義時が胤長の屋敷を占拠したことに激怒した和田一族は、抗議の意を示すかのように、御所への出仕を止めた。朝盛もまた、一族の決定に従って、御所への出仕を止めざるをえなかった。
(私に、主君と一族とのどちらかを選べというのか!ああ、御所様に一目会いたい!)
 四月十五日。月が澄み切った明るい夜のことだった。将軍の気鬱を慰めるために開かれた和歌の会の後、忍ぶように朝盛が現れた。
「どうしているのか、心配していたのだよ。よく顔を見せてくれた」
 優しく微笑む実朝を、朝盛はたまりかねたようにきつく抱きしめた。
「御所様!御所様!」
 いつもとは違う、ひどく思い詰めた朝盛の様子に、実朝は異変を察知し、本能的に朝盛の腕の中から逃れようとしたが、朝盛は実朝を強く抱きしめたまま離そうとしなかった。
 朝盛は、熱っぽい潤んだ瞳で、ある古歌をささやいた。
「紫の帯の結びも解きもみずもとなや妹に恋ひわたりなむ」
 実朝は、その時初めて朝盛の自分に対する本当の想いを理解した。
 紫色の紐で髻を結わえていたまだ少年だった朝盛は、実朝の兄頼家の寵愛を受けていた。
 だが、朝盛は、実朝とは帯を解く機会もなく、しきりに恋し続けることになるのだろうと自分の想いを告白したのだった。
「どうしても思い出がほしいのです。御所様」
 しかし、どんなに朝盛が懇願しても、実朝は朝盛の想いを受け入れることはできなかった。
「すまぬ。私は御台でなければだめなのだ」
「分かっております。そのような御所様であればこそ、私は……」
 朝盛は、実朝の温もりを確かめるように実朝を抱きしめ返した後そっと離し、泣き笑いのような顔を浮かべて去っていった。
「主君へ弓をひくことも、一族と戦うこともできない。この苦しみから私は逃げることしかできない」
 そのような意味の置手紙を残して、朝盛は出家して姿をくらました。
 しかし、朝盛は、弓矢に優れ一族の期待を担っていた青年であったことから、祖父やおじたちによって無理やり連れ戻されてしまった。
 四月十八日。
 朝盛は、黒染めの坊主姿のまま、御所に参内した。実朝は、朝盛の出家姿を見て、あふれる涙を止めることができなかった。
「朝盛、よう無事でいてくれた。それだけで私は……」
 なんとか、言葉を紡ぎ出した実朝だったが、朝盛の出家の原因が他ならぬ実朝自身であることにひどく心が痛んだ。
「このような姿で、御所様にお目にかかることになろうとは……」
 朝盛もまた泣いていた。
 実朝は、遠く離れて行こうとする朝盛に、別れの歌を渡した。
 結ひそめてなれし髻(たぶさ)の濃むらさき思はずいまも浅かりきとは
 濃紫色の紐で髻を初めて結んだ頃の朝盛は、実朝の兄頼家と縁を結んだ。そして、実朝に仕えるようになった朝盛は、いつも実朝の髻を結う際には紫色の紐を用意していた。朝盛自身が今度は実朝に深い想いを抱くようになるなど、思ってもいなかったことだけれども。朝盛と自分は浅くはない縁があったということなのであろうと実朝は感じずにはいられなかった。
「すまない。結局、私は、そなたを傷つけることしかできなかった」
朝盛は、実朝の言葉に首を横に振って、あの泣き笑いのような顔を浮かべて言った。
「これで、本当にお別れでございます、御所様」
 
 和田義盛が、戦を起こすとの噂が流れ、もはやどうにもならないところにまで来ていた。四月二十七日。それでも、戦だけはどうしても避けたい実朝は、使者を送って、義盛を諫めた。
「御所様に恨みはございません。ただ、相州の傍若無人が許せないがゆえに、用意をしているのです」
 それが、義盛の返答だった。血気盛んな和田一族の者達の怒りは爆発寸前だった。面倒見がよく、人情家だった義盛は、一族の者達を見捨てることができず、一族の長として、一族の者達のそれ以上の暴発を抑えるためにも、自分が旗頭とならざるをえなかった。
 和田義盛の決意を知った実朝もまた、将軍として断腸の思いで覚悟を決めざるをえなかった。実朝は、祖父時政に代わって叔父義時が実朝の後見人となったときに約束したとおり、北条と運命を共にすることを選んだ。北条に非があるのであれば、それは、将軍である実朝自身が背負わねばならない罪業でもあった。
 五月二日申の刻(午後四時頃)。御所が手薄だった隙をついて、将軍実朝の身柄を確保するべく、和田方が突如として挙兵した。間もなく、その報が三浦義村からもたらされた。
 義村は、当初同族である和田方と行動を共にするよう起請文を書いていたが、同族への裏切者という汚名を着ることを覚悟の上で、御所方へ味方することを決意したのだった。義盛と同じく、義と情に厚い義村にとっても、それは、将軍への忠義と三浦一族の生き残りを賭けた苦渋の決断だった。
 義盛との約束で御所の北門を固めるはずだった義村は、実朝に一刻も早く避難するように促した。
 実朝は、先に、鶴岡八幡宮に、母政子と妻倫子を避難させることにした。実朝は、手に握っていた翡翠の数珠を倫子に渡し、倫子の手を強く握りしめた。
「これは、あなたにお返ししようと思う」
 実朝の行為が永遠の別れを意味するように倫子には感じられた。倫子は、懐から、紫水晶の数珠を取り出し、実朝にそれを渡して、実朝の手を握り返した。
「では、御所様にはこれを。必ず、ご無事でいらして。そして、もう一度取りかえっこいたしましょう」
 倫子の言葉に実朝は頷いて、倫子を強くその腕に抱きしめた。
 義村は、実朝の指示に従い、先に御台所倫子と尼御台政子ら女性達を北門から鶴岡八幡宮へと急いで避難させた。
「御所様も、ここは危のうございます!お早く!」
 叔父義時の誘導で、実朝も直ちに北門から脱出し、法華堂に避難した。
 酉の刻(午後六時頃)、和田方が猛攻撃をかけて来て御所に乱入した。
「御所様のお姿がどこにも見えぬ!」
「御所様は北門から既に姿を消してしまわれた!おのれ!三浦義村の奴が約諾を反故にしおった!」
 実朝の身柄を確保できず、同族の義村の裏切りに憤慨した和田勢は、御所内の建物に火をかけて回った。
 実朝は、御所が燃える様を遠くから眺めていた。
 炎のみ虚空に満てる阿鼻地獄ゆくへもなしといふもはかなし
炎が高く燃え上がり、空を真っ赤に染めている。火だけにとどまらず、真っ赤な血があたりを埋め尽くしている。まさに、地獄そのものの光景だった。
 だが、もはやそれをどうすることもできないのだ。
 武勇を誇る和田勢の攻撃はすさまじかったが、小雨が降り出し、人も馬も疲れ果て矢も尽き果てたので、態勢を整えるべく、和田勢は一旦由比ガ浜まで退却した。
 五月三日寅の刻(午前四時頃)。横山時兼らが一族を率いて、和田方の援軍として腰越浦までやって来て、勢いを盛り返しそうな状況となった。
 同日辰の刻(午前八時頃)。多くの御家人達がはせ参じたが、和田方か御所方か、どちらに味方すればよいのか迷っていた。実朝は、法華堂から、将軍として、北条側について和田方を討ち取るようにとの御教書を出したため、彼らは皆これに従った。
 さらに同日巳の刻(午前十時頃)。義時、広元が連署して実朝が花押を記した御教書が、近隣の国々にまで発せられ、和田方の逃亡者の掃討が命じられた。
 自らの命令一つで、多くの兵が動き、多くの命が犠牲となる。実朝は、自らの持つ権力の大きさをこの時ほど恐ろしいと感じたことはなかった。
 午後になっても和田方の激しい抵抗は続いた。
 その頃、鶴岡八幡宮に避難していた御台所倫子は、夫の身を案じながら、翡翠の数珠をぎゅっと握りしめていた。共に避難していた実朝の愛犬飛梅が外に出て行こうとするのを倫子は見咎めて言った。
「どこへ行くの、飛梅。外は危ないから、出てはいけないわ」
 政子は、飛梅の頭をそっと撫でながら静かに言った。
「きっと、御所のもとへ行きたいのでしょう。行かせてやりましょう」
 義母の言葉を受けた倫子は、飛梅を見つめて強く頷いた。
「お前も、御所様と一緒に、必ず無事に戻ってくるのですよ」
 飛梅は、それに答えるかのようにワンと大きく鳴いて主人を探しにその場を去った。
「なあ、あれは、御所様の犬じゃないか?」
 泰時の部下たちがひそひそと囁く声が聞こえたが、酒で酔っぱらって赤い顔をしている
泰時はそれに気づかない。
「ワンワン!ワンワン!」 
 主君の一大事だと言うのに、現場の指揮官が酒に酔っているのを咎めるかのように、飛梅は泰時に大声で吠えたてた。それを認識した泰時は、驚いたように言った。
「お前、御台様達と一緒に避難したんじゃなかったのか」
 飛梅の顔をじっと見ていた泰時は、やがて何かを悟ったように言った。
「そうか。お前、御所様のことが心配で戻って来たのか」
 泰時の問いに答えるように、飛梅は、「ワン!」と大きく返事をした。
「全く、お前は大した忠犬だよ。敵の攻撃は凄まじくて油断はできない。何か作戦を考えるべきだろうとちょうど戦況報告を伝えに使者を向かわせようとしていたところだ。御所様は法華堂におられる。お前も一緒に行くといい」
 泰時は、飛梅の頭を撫でて、使者と共に送り出した。
 実朝は、疲れた様子だったが、泰時の使者とともに姿を現した愛犬の姿を見て驚いた。
「来てくれたのか、飛梅」
 一目散に主人の元へ走って行く飛梅を実朝はぎゅっと抱きしめた。
 実朝は、作戦を義時広元らと練り直した後、広元に戦勝祈願書を書かせ、二首の和歌を添えて、鶴岡八幡宮に奉納させた。
 世の中は押して放ちの相違なく思ふ矢筋よ神もたがふな
押し放った矢筋が間違いなく思うとおりに飛んでいくように、世の中もそうなるよう神も間違ってくださるな。
鶴岡の神の教えし鎧こそ家の弓矢のまもりなりけれ
 鶴岡八幡宮の神の与えられた鎧は、我が源氏の弓矢の守りでありました。
 それは、実朝の武家の棟梁としての覚悟の現れであった。
 同日酉の刻(午後六時頃)。実朝は、和田方の残党が西国に逃れてさらなる騒動を起こすのを防ぐため、在京御家人らに対し、和田方の残党を掃討するようにとの命を発した。
 二日に渡る激闘は、双方に多くの犠牲者を出し、御所方の勝利に終わった。
 ぼろぼろな心で帰ってきた実朝に、倫子は、ふわりと抱きついて実朝の胸の中で泣きじゃくった。
「心配をかけた御台」
 実朝は、そう言って懐から紫水晶の数珠を取り出し、妻の手にかけ直した。
「ほら、とりかえっこ」
 弱弱しい笑みを浮かべて妻を気遣おうとする実朝に、倫子も懐から翡翠の数珠を取り出し、夫の手にかけ直した。
「お帰りなさいませ、御所様」

   九
 合戦後、片瀬川の川辺に、敗者となった和田方の首が無数にさらされた。その中に、朝盛の首はなかった。
(私の命で戦った者達の傷に比べれば、私の心の傷など些細なものだ)
 実朝は、何とか心を奮い立たせて、恩賞の沙汰を言い渡す。
 政所の前での戦の時、誰が先陣を切ったかで、三浦義村と波多野忠綱との間で口論となった。他の者の証言から、忠綱が先陣を切ったのが明らかとなった。
 将軍の御前で、忠綱は、勝ち誇ったように義村に言った。
「貴殿は、儂の息子の後ろにいたではないか。それなのに、儂の姿が見えなかったということがあるものか。貴殿の目は節穴か!」
 忠綱の言葉に、実朝は激怒した。
「裏切り者の汚名を着ることを覚悟の上で奮闘した同志への暴言、許せるものではない。悪口のため、罪に準じて、恩賞は与えないこととする」
 がっくりとした表情の忠綱に対して、実朝はやや表情を緩めて言った。
「ただし、忠綱の一番乗りの功績と忠綱の息子への恩賞は認める。以後、同志への悪口は慎むように」
 義村もまた、自分への将軍の気遣いに感謝した。
 実朝は、後に、敵将義盛の妻を赦免するなど、戦に関わっていない者への配慮も忘れなかった。
「当然のことをしただけですから、恩賞をいただくわけには参りません。それにあの時は、実は酒に酔っていましたから」
 そう言って恩賞を辞退しようとする泰時に対して、実朝は言った。
「太郎。正直なのはそなたのよいところだ。だが、もらえるものはもらっておけ。酒に酔っていたのは私も同じだ。あの時は、そうでもしなければ、とても現実を直視できるものではなかった。現場で指揮をとっていたそなたの心情はそれ以上のものだろう。そなたは、酒を飲んでのますますの本領発揮となったのだから、何ら恥ずべきではない」
「ですが」 
 なおも遠慮しようとする泰時に対して、実朝は、少し話題を変えた。
「ところで、朝時の怪我の具合はどうなのだ。」
 朝時は、一年前に、御台所に仕える佐渡という女房に不埒なことをしでかし、将軍と父の怒りを買い、鎌倉を追放されていたが。朝時は、この度の合戦で、猛将と名高い和田義盛の息子朝比奈義秀と戦って、怪我を負っていた。
「はい。たいぶよくなってはいるようですが」
 話題を変えた実朝の意図が分からず、泰時は戸惑いを覚えた。
「朝時を呼び戻すように、小四郎叔父に進言してくれたのはそなたであろう?太郎。このたびのことで、私は朝時を許そうと思う。兄が恩賞を辞退したのでは、弟も遠慮せざるをえず、せっかくの朝時の親孝行と奮闘ぶりが台無しになるではないか」
 泰時ははっとなって、実朝に言葉を返した。
「重ね重ねの御所様の御配慮、兄弟ともども感謝いたします」

 七月七日。大江広元邸で、実朝を慰めるための和歌の会が行われて、義時、泰時らも参加した。北条と和田との確執が原因で生じた合戦に際し、自ら罪をかぶり北条と運命を共にする覚悟を示した実朝を、義時らはこれまで以上に支えて補佐しようと心に誓った。
 天の川霧たちわたる彦星の妻むかへ舟はやも漕がなむ
 天の川に霧が立ちこめている、彦星の妻を迎えに行く舟が早く漕いでくれればいいのだが。
 実朝もまた、夜空を見上げながら、合戦の直後、ぼろぼろの心で帰って来た実朝を出迎えてくれた御台所倫子をこれまで以上に大事にしようと深く誓った。
 深窓育ちの姫君で、実朝以上に繊細な倫子は、合戦の衝撃で心が不安定になりがちであった。
 八月も中頃の深夜。不安でなかなか寝付けない倫子の手を引いて、実朝は庭に出た。
「月が綺麗だ。きりぎりすの声も聞こえてくるよ」
 実朝は、倫子を後ろからそっと抱きしめながら歌を口ずさんだ。
 秋の夜の月の都のきりぎりす鳴くはむかしの影や恋しき
 秋の夜に月の都でもこおろぎが鳴くのは、昔の月の光が恋しいからなのだろうか。
 だが、倫子はぼんやりと庭を見つめたままほとんど反応を示そうとしなかった。
「風が吹いて寒くなって来たね。そろそろ中に入ろう」
 実朝は、そんな妻を案じながら共に寝所に戻った。
 倫子付きの女房達の話では、最近の倫子は様子がおかしく、まるで夢の中にいるように、突然深夜に寝所を飛び出してふらふらと外を歩き回ることがあるという。妻のことをひどく心配した実朝は、自分と妻の腕をひもで固く結び、妻の手をぎゅっと強く握ったまま床に就いた。
少しうとうとした後、実朝は握っていた妻の手が離れているのに気付いた。寝所に妻の姿はなかった。
「御台!」
 実朝が慌てて外に飛び出すと、倫子は、ぼうっとしたまま、幽霊のようにふらふらと外をさまよい歩いていた。
「どうしたのだ!御台!」
 実朝は、倫子を抱きしめて強く呼びかけたが、それでも倫子は何の反応も示さない。
「倫子!倫子!行かないでくれ!戻って来てくれ!お願いだ!」
実朝は泣きながら、必死に妻の名を呼び続けた。
「御所様?」
 倫子は、うつつに戻って来たかのように、やっと反応を示した。
 陰陽師を呼び出して事情を話したが、変事ではないと言われた。気休めに過ぎないとは分かっていたが、実朝は招魂祭を行った。
(深窓育ちの御台には、衝撃が大きすぎたのだ。今はゆっくりと休ませて回復を待つしかあるまい)
 実朝は、祈るような気持ちでいっぱいだった。

 九月に入り、畠山重忠の息子畠山重慶が謀反を起こしたとの知らせが入った。かつての畠山重忠重保親子の事件は、畠山親子に謀反の意思がなかったことが明らかとなり、当時北条時政と牧の方の専横に逆らうことのできなかった義時にとっても、大きな古傷となった事件でもあった。
 実朝は、そういったいきさつをよく分かっていたから、「謀反という重大事件であればこそ、詳しく真偽を調べねばならない。よいか、決して殺してはならぬぞ。生け捕りにして連れ帰るのだ」と命じて、担当者である長沼宗政を向かわせた。
 その間に、実朝は、実朝の心を慰めようと気遣った家臣達と共に、秋草鑑賞をして和歌を詠むために、火取沢に散策に出かけた。供をしたのは、北条時房、北条泰時、三浦義村、長沼宗政の弟の結城朝光ら歌道に通じ、気心の知れた者達ばかりだった。
 秋萩、女郎花、葛の花、様々な秋草を見ながら、実朝は、伏せって籠りがちな御台所倫子にもこれらの草花を見せてやりたいを思った。
 その数日後、長沼宗政が、将軍である実朝の命令を無視して、勝手に重慶を処刑してその首を持ち帰って来た。
 実朝は、命令違反を犯した宗政のことをきつく咎めた。
「この大馬鹿者が!あれほど、申し付けたではないか!もともと父親の畠山重忠は過ちがないのに攻め殺されてしまったのだ。その息子が、たとえ陰謀を持ったとしても、何か理由があったからなのかもしれぬ。それゆえ、捕虜にして連れ帰るように命じたのだ。そのうえで罪の有無を詳しく調べるべきであろうが。それを殺してしまうとは、そなたの軽はずみな行為こそが罪である!」
 しかし、宗政は、恐縮するどころか開き直って実朝に不満をぶちまけた。
「重慶の陰謀は間違いありませんでした!儂の忠節をお認めにならないで、お叱りになられるとは!こんなことで、誰が忠義を尽くしますか!間違っておられるのは御所様の方です!」
 筋違いの宗政の物言いに、実朝の怒りは頂点に達した。
「言いたいことはそれだけか。追って沙汰する故、下がりおれ!」
 御前を下がった宗政だったが、それでも腹の虫がおさまらなかった。宗政は、源仲兼ら同僚がいる前で、実朝の居所に聞こえるような大声で喚きたてた。
「儂に説教をするとは、生意気な若造が!父上の時は、あんなことはなかった。生け捕りにして連れ帰ったら、どうせ尼御台様や女房衆の御口添えで、許してしまうにちがいない。だから、先にやったのだ。だいたい、あの若造は、和歌ばっかりで、武芸はからっきしのくせに。儂は、汚れ仕事をさせられたってのに。その間、北条の太郎と五郎、三浦の平六、弟の結城七郎達は、あの若造と優雅に野原をお散歩して和歌の会だとよ!手柄だって、女房衆が横取りしやがって!儂みたいな昔ながらの勇士は損をしてばっかりではないか!」
 宗政の若い将軍への悪口はこれでもかというほど続き、相手をしてこれ以上とばっちりを受けるのが嫌になった源仲兼は、そのまま黙って退出してしまった。宗政の暴言は、実朝の部屋にまでばっちりと聞こえていた。
「御所様と尼御台様へのあのような暴言!絶対に許せません!重大な悪口は、すべての争いの基です。重く罰して流罪にすべきです!」
 怒り心頭の泰時に対して、実朝は、言った。
「このたびの和田との戦いで、北条は他の御家人達よりも一層優位な立場にある。父上の時代からの重臣である宗政を、今のこの時期に流罪などにしたら、それこそいらぬ恨みを買って後々の禍根となろう。宗政の兄小山朝政からも寛大な処分をとの嘆願も出ている」
 実朝の言葉に納得できないでいる泰時を制して、義時は実朝の考えを促す。
「では、どのようにいたしましょうか」
 実朝は考えながら、叔父に言った。
「そうだな。『本来ならば、重き処分にすべきところ、このたびの和田との合戦と父上以来の勲功にかんがみ、一月の謹慎とする。若い者の手本となるように、以後悪口は控えて、これまで以上の忠勤に励むように』と宗政に伝えてくれぬか」
 実朝の言葉に、義時は頷いて御前を退出した。しばらくして、将軍の伝達を聞いた宗政は、うってかわった上機嫌でまくし立てていた。
「あの若造。結構可愛いところがあるじゃねえか!」
 このときの宗政の大声も、実朝の部屋にまで聞こえていた。
「あのような無礼者をそのままにしておいては、それこそ、新しい時代の妨げとなります!」
 宗政への怒りが収まらない泰時を、叔父の時房が宥めている。
「あの性格は、どうやっても治りはしないさ。向こうは、お前が思っているほど、真剣に考えてなどいないんだから。本気で怒る分、こっちが損だぞ、太郎」
「ああいう連中には、ここで恩を売っておけばあとでやりやすかろう。根が単純な分だけ、京のやんごとなき方々に比べればよほど扱いやすい」
 泰時は、だんだん時房に感化されて強かになっていく実朝の姿に目を見張った。

 和田との合戦の後も、実朝は、表向きはできるだけ気丈に振舞って己の責務を全うしようと努めていたが、心は大きな悲鳴をあげていた。
 実朝は、院の御所を警護するようにとの御教書を京都に送るなどの対応をしたのだが、合戦後の京では様々な流言が飛び交い、鎌倉に下向しようとする在京御家人達を警護させるために院がこれをとどまらせるなどの混乱状態が続いた。様々な騒動に対し、院は実朝の将軍としての力量に不安を抱くようになり、実朝と院との間で築きあげてきた良好な関係に、ひびが入ろうとしていた。
 十月。朝廷から、西国御料への課税に応じるようにとの要求がなされた。
 これに対して、広元は、「一切応じる必要はありません」と言ったが。あまりに強硬な態度を取れば、難解な性格の院をますます怒らせるだけだった。
 そこで、実朝は、「勝手に課税を止めるわけには行かない。だが、突然そのようなことを言われても、現地の人間は混乱するだけであるから、今後は大まかなことをあらかじめ決めて連絡するように申し入れよう」と提案した。
 三浦義村の弟胤義が女性問題で喧嘩を起こし、またもや三浦一族が騒ぎ出したが。実朝は、(またか。懲りない連中だな)と呆れながらも余裕で構えていた。朝廷の人間に比べれば、根が単純な坂東武者など可愛いものだった。
 和歌の師匠である藤原定家から、万葉集の写しなど和歌関係の書物が献上され、合戦とその処理で傷ついた心が慰められ、喜んでいた実朝であったが。その一方で、定家は、ちゃっかり自分の領地に便宜を図ってくれるよう申し入れをしてきており。そのあたりの都人の抜け目のなさ、図々しさを実朝は感じずにはいられなかった。
 敬愛する院から一連の出来事を叱責する言葉を受け、実朝は、将軍失格との烙印を押されたかのような今までにない強い衝撃を受けていた。和田との合戦の後、地震などの凶事も続いた。実朝は、自分の不徳のなさを責めた。
実朝は、和田との合戦の後、後に金槐和歌集と呼ばれることになる歌集をまとめて藤原定家に贈っている。その中には、京の院に対して贈った次の和歌があった。
 山は裂け海はあせなん世なりとも君に二心我があらめやも
 この当時、まさに地震で山は裂け、海は干上がっており。実朝は、合戦の処理に加えて、実朝の為政者としての責任を厳しく追及しては、何かと厄介な案件を持ちかけてくる朝廷方との対応に苦慮しており。実朝の心は疲れ切っていた。
(このお方の苦しみは、誰にも変わることができないのだ)
 実朝の苦悩を一番近くで見ていた義時は、実朝の必死の思いが、京の院に伝わることを心から願わずにはいられなかった。
 
 ある冬の雪の日の夕方。
 実朝は、二階堂行光が土産によこした馬のたてがみに紙が結わえつけてあるのを見つけた。その文には、「この雪を分けて心の君にあれば主知る駒のためしをぞひく」と書かれてあった。
 将軍になったばかりの少年の実朝に、漢籍『蒙求』を和訳した『蒙求和歌』が献上されているが、その中に「管仲随馬」という故事があり、「迷はまし雪に家路を行く駒のしるべを知れる人なかりせば」という和訳された和歌が掲載されている。
 斉の桓公が討伐の帰りに、孤竹という場所で大雪が降って道に迷ったことがあった。その時、宰相の管仲は、老馬は道を覚えているからその知恵を使うべきだと進言し、桓公はそれに従って馬に先導させたところ、無事帰国できたという。
 故事を持ち出し、この雪を分けて来てくださった御所様の心をこの馬も知っていることでしょう、どうぞこの馬の案内によって無事にお帰りください、そう言ってくれる行光の心遣いが、実朝は嬉しかった。本当の心の優しさ、美しさというのはこういうものではないのかと実朝は思った。
 実朝は、行光に次のような返歌を贈った。
 主知れと引きける駒の雪を分けばかしこき跡に帰れとぞ思ふ
 主人のことを知るようにと案内してくれた馬が雪をかき分けて私を無事に送り届けてくれたなら、今度は賢明な行光のもとに帰ってほしいと思う。
 京のやんごとなき方々は、一見雅で優しいように見えるが、なかなか底意地が悪い。実朝は、京の洗練された華やかさに憧れつつも、自分の帰る心のふるさとはやはり坂東なのだと感じずにはいられなかった。
 
 建保元年と改元が行われたその年の暮れ。実朝は、和田合戦の死者を供養するために、円覚経を三浦義村に命じて三浦の海に沈めさせた。裏切り者の汚名を着ることを覚悟のうえで、同族を裏切って御所方についた義村の苦悩がどれほどのものであったのかを実朝は考えずにはいられなかった。
 降り積もる雪が、自分の身に降り積もる深い罪のように感じられた。今夜が過ぎてしまえば、今年の思い出もなくなってしまって春を迎えることになるのだろうか。忘れた方がいいのか、忘れてはいけないのか。忘れたいのか、忘れたくないのか。それすらもよく分からなくなっていく。
 実朝は、気づかないまま、そんなことを妻の前で口に出していた。
「悲しいことをおっしゃらないで。昨日があって、今日があって、明日があるのですわ」
 倫子は、ぎゅっと実朝に抱きついた。
「そうだね、御台」
 実朝は妻を抱きしめ返した。愛しい妻の柔肌の中で、傷ついた心を癒しながら、実朝は新しい年を迎えた。
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