1 / 4
第1章 我ら、妖萬屋なり。
第一話 山路、この世ならざる者に出会う事 一
しおりを挟む
都内某所
山路浩三(おれ)は、病室のベッドから窓の外を眺めていた。
俺にとってそこからの景色は絶景だった。あれだけ煩わしかった汽笛の音も音楽を奏でているようで、あれだけ暑苦しかった夏の昼間の町並みは、やけに美しく見えた。
俺は、この街に住んでいたんだな。
「山路さん、お食事の時間ですよ。」
声のする方を向くと、白衣の女性が食事を持ちながら、俺の側に立っている。
「さて、今日はお箸を使って食べましょうか。これもリハビリの一環ですからね。」
俺は箸を持ち、お椀に手をかけた。お椀は一度掴んでしまえば良い為に持ちやすいが、箸は指先を使う為、操作するのが難しい。
右手が震える。味噌汁を少しだけこぼしてしまうが、彼女は気を利かせて素早く拭いてくれた。
「......すみません......迷惑ばかりかけて......」
思わず発してしまった小さな声に女性は気づき、ふと微笑む。
「いえいえ、これもお仕事ですから。」
彼女のその笑顔に、此れまで何人の人が頑張ろうと思えただろう。
俺も現に、その一人になりつつある。
食事を終え、彼女は食器を持って部屋を出ていく。それを見送ると俺は再び仰向けになる。リハビリと食事の時間以外は天井の斑点を数えられる程には退屈していて、誰かが来ないだろうかとしきりに扉の方を見ていたものだった。
――――――――――――――――――――――――
暇だからここで一つ疑問を解決する。俺、山路浩三は何故病院にいるのか。それを語るためには、三年程前に遡る必要がある。
俺は高校を卒業した五年前、作家を目指し上京した。五年前まで遡ってるじゃないかというツッコミは話が進まなくなるからここでは受け付けない。まあ作家になるのはそう簡単な話でもなく、都内の某出版会社で小説を書きながら働いていた訳だ。毎日朝から晩まで忙しく、そんな生活が俺には充実していた。
そして二年後、事件は起きた。つまりは三年前のことだ。俺は会社からの帰りに道路を渡ろうとしていた野良猫を見つけた。魚をくわえた野良猫は足を怪我していて、どうにも危なっかしい。俺は何もなかったかのように歩き出したが、そこで気づいた。トラックが物凄いスピードで野良猫に向かって直進していたのだ。
反射的に足が前に出ちゃったんだろうな。気づいたら猫を助けようと道路に飛び出していた。そして事故ったってわけだ。な。しょうもないだろ?
俺は三年間ずっと眠っていたらしい。奇跡的に意識を取り戻したのはつい先月のこと。目を開けた瞬間、あまりに眩しくて暫く目を開けていられなかった。筋肉は驚くほど縮小していて、喉もカラカラ。立つことも喋ることもままならなかった。三年後に奇跡的に目を覚ました男とかなんとかで取材が来てたらしいけど、意識が朦朧としてて全く覚えてない。病院が取材禁止だったらしく、取材陣は一度来たきり再びやって来ることは無かった。
「ほぉ、こりゃすごいペースで回復してるね。こりゃ来月にも退院が見込めそうだ。」
先日病院の先生に言われたその一言。俺は既に補助があれば難なく歩けるほどにまで回復していた。医者もそれには驚いたらしく、逆に心配されてしまった。
――――――――――――――――――――――――
「よぉ、山路。」
窓の外を見ていた俺は背後からの声に反応し振り向く。
「神代さん……!」
神代と呼ばれた男はにやりと笑い、籠に入ったフルーツを顔の前でゆらゆらと揺らしていた。
彼の名は神代宗玄(かみしろそうげん)。俺が通っていた出版会社の編集長。神代さんにはこれまでとてもお世話になった。医者によると、俺が眠っていた間も、毎日のようにお見舞いに来てくれていたらしい。
「来月には退院だってな。おめでとさん。」
「ありがとうございます……」
「これでやっと、戻って来れるな。」
俺はその言葉に反応し、顔を上げる。神代は頬を緩ませる。
神代さんは俺の為に、居場所を作ってくれていた。
どうしてこの人は、そんなに優しいのだろう。
「そうだ、戻って来たら、記念にお祝いしないとな。」
「退院してすぐは飲めませんよ……。」
俺は笑う。神代も笑っていたが、何処か顔が引きつっていた。
「……良かったな。本当に。」
このとき、窓の外を見ていた神代の呟きが、何故か心に引っかかってしまった。彼の表情は険しく、また何処か寂しそうだったが、俺は彼に訊ねることはしなかった。
それから一ヶ月後、無事退院の日を迎えた俺は少しだけ名残惜しかったが、リハビリに付き合ってくれた医者とあの看護師に別れと感謝を告げた。その後電車に乗り、記憶と違う街並みに少々驚きつつも、無事に帰路に就く。
俺の家は都内から外れた場所にある和式の一軒家。俺はポケットの中のカギを探し、玄関のドアを開け、玄関を上がる。廊下がきしむ音、家の臭い、俺にとって全てが懐かしかった。それにしても、三年間手入れをしなかったせいか、どこの部屋も埃まみれだ。その様には流石に苦笑いを浮かべてしまった。
最後に向かったのは俺の部屋。机には本棚から取り出した大量の本が積んである。俺は隅に配置してあるクローゼットを開き、着物と羽織を取り出す。
俺は家に居るとき、極力着物を着ることにしている。何故かって?強いて言うなら、文豪たちの影響だ。夏目漱石、芥川龍之介、森鴎外等、明治大正を彩った文豪たちは着物を着る。俺にとって着物を着ることは、彼らへのリスペクトの気持ちの表れでもあるのだ。
着替え終えた俺は椅子に座る。
(いつもは此処で小説を書き、様々な編集社を飛び回ったものだ。)
その時俺は思い出した。まだ三年の眠りにつく前に、書きかけていた小説があったことを。俺は立ち上がり本棚へ向かう。この中にあるはずだと本棚を漁る俺は、本棚の奥の方で畳まれた紙の束を見つけた。それをどうにか取り出し、中を開くと、そこには走り書きで綴られた文字達。俺は一文字一文字丁寧に読んでゆく。その物語はクライマックスに差し掛かるところで途切れてしまっていた。
我ながら傑作だったと思う。しかし、あの頃の熱意がすっかり冷めてしまった俺にはもう、続きを書くことは出来ない。
俺は笑みを浮かべ、それを再び本棚にしまった。
……新しいやつ書こう。
そう思い立って、再び椅子に戻ろうとした、その時だった。
背筋がぞくりと凍る。
誰かが、後ろにいる。
俺はばっと振り返るが、そこには誰もいない。
「また……か……」
俺は呆然と立ち尽くす。足が震える。息が苦しい。
そうだ。元はといえば目覚めてからだ。俺の身の回りで、変なことが起こり始めたのは。
夜、病室で眠っていた時、俺は何かの気配を感じ、目を覚ました。ゆっくりと横を向くと、そこには人型の黒い影が俺を見ていた。
あの時間に病室に入ってくる医者はいない。仮に入ればアラームが鳴る仕組みになっているはずだった。
そして影は、固まってしまった俺に向けて、こう言った。
《コゾウ……ワタシガミエルノカ……?》と。
俺は歯を食いしばり、頭を押さえた。
見えるはずのないものが見え、誰もいるはずのない場所から声が聞こえる。目覚めたあの日から、俺はそんな現象に悩まされていたのだ。
「何なんだ……いったい……」
気のせいだ。と首を振り、椅子に座る。
小さく深呼吸をして鉛筆を持ち、俺は新たな気持ちで原稿用紙に文字を書き始めた。
つづく
山路浩三(おれ)は、病室のベッドから窓の外を眺めていた。
俺にとってそこからの景色は絶景だった。あれだけ煩わしかった汽笛の音も音楽を奏でているようで、あれだけ暑苦しかった夏の昼間の町並みは、やけに美しく見えた。
俺は、この街に住んでいたんだな。
「山路さん、お食事の時間ですよ。」
声のする方を向くと、白衣の女性が食事を持ちながら、俺の側に立っている。
「さて、今日はお箸を使って食べましょうか。これもリハビリの一環ですからね。」
俺は箸を持ち、お椀に手をかけた。お椀は一度掴んでしまえば良い為に持ちやすいが、箸は指先を使う為、操作するのが難しい。
右手が震える。味噌汁を少しだけこぼしてしまうが、彼女は気を利かせて素早く拭いてくれた。
「......すみません......迷惑ばかりかけて......」
思わず発してしまった小さな声に女性は気づき、ふと微笑む。
「いえいえ、これもお仕事ですから。」
彼女のその笑顔に、此れまで何人の人が頑張ろうと思えただろう。
俺も現に、その一人になりつつある。
食事を終え、彼女は食器を持って部屋を出ていく。それを見送ると俺は再び仰向けになる。リハビリと食事の時間以外は天井の斑点を数えられる程には退屈していて、誰かが来ないだろうかとしきりに扉の方を見ていたものだった。
――――――――――――――――――――――――
暇だからここで一つ疑問を解決する。俺、山路浩三は何故病院にいるのか。それを語るためには、三年程前に遡る必要がある。
俺は高校を卒業した五年前、作家を目指し上京した。五年前まで遡ってるじゃないかというツッコミは話が進まなくなるからここでは受け付けない。まあ作家になるのはそう簡単な話でもなく、都内の某出版会社で小説を書きながら働いていた訳だ。毎日朝から晩まで忙しく、そんな生活が俺には充実していた。
そして二年後、事件は起きた。つまりは三年前のことだ。俺は会社からの帰りに道路を渡ろうとしていた野良猫を見つけた。魚をくわえた野良猫は足を怪我していて、どうにも危なっかしい。俺は何もなかったかのように歩き出したが、そこで気づいた。トラックが物凄いスピードで野良猫に向かって直進していたのだ。
反射的に足が前に出ちゃったんだろうな。気づいたら猫を助けようと道路に飛び出していた。そして事故ったってわけだ。な。しょうもないだろ?
俺は三年間ずっと眠っていたらしい。奇跡的に意識を取り戻したのはつい先月のこと。目を開けた瞬間、あまりに眩しくて暫く目を開けていられなかった。筋肉は驚くほど縮小していて、喉もカラカラ。立つことも喋ることもままならなかった。三年後に奇跡的に目を覚ました男とかなんとかで取材が来てたらしいけど、意識が朦朧としてて全く覚えてない。病院が取材禁止だったらしく、取材陣は一度来たきり再びやって来ることは無かった。
「ほぉ、こりゃすごいペースで回復してるね。こりゃ来月にも退院が見込めそうだ。」
先日病院の先生に言われたその一言。俺は既に補助があれば難なく歩けるほどにまで回復していた。医者もそれには驚いたらしく、逆に心配されてしまった。
――――――――――――――――――――――――
「よぉ、山路。」
窓の外を見ていた俺は背後からの声に反応し振り向く。
「神代さん……!」
神代と呼ばれた男はにやりと笑い、籠に入ったフルーツを顔の前でゆらゆらと揺らしていた。
彼の名は神代宗玄(かみしろそうげん)。俺が通っていた出版会社の編集長。神代さんにはこれまでとてもお世話になった。医者によると、俺が眠っていた間も、毎日のようにお見舞いに来てくれていたらしい。
「来月には退院だってな。おめでとさん。」
「ありがとうございます……」
「これでやっと、戻って来れるな。」
俺はその言葉に反応し、顔を上げる。神代は頬を緩ませる。
神代さんは俺の為に、居場所を作ってくれていた。
どうしてこの人は、そんなに優しいのだろう。
「そうだ、戻って来たら、記念にお祝いしないとな。」
「退院してすぐは飲めませんよ……。」
俺は笑う。神代も笑っていたが、何処か顔が引きつっていた。
「……良かったな。本当に。」
このとき、窓の外を見ていた神代の呟きが、何故か心に引っかかってしまった。彼の表情は険しく、また何処か寂しそうだったが、俺は彼に訊ねることはしなかった。
それから一ヶ月後、無事退院の日を迎えた俺は少しだけ名残惜しかったが、リハビリに付き合ってくれた医者とあの看護師に別れと感謝を告げた。その後電車に乗り、記憶と違う街並みに少々驚きつつも、無事に帰路に就く。
俺の家は都内から外れた場所にある和式の一軒家。俺はポケットの中のカギを探し、玄関のドアを開け、玄関を上がる。廊下がきしむ音、家の臭い、俺にとって全てが懐かしかった。それにしても、三年間手入れをしなかったせいか、どこの部屋も埃まみれだ。その様には流石に苦笑いを浮かべてしまった。
最後に向かったのは俺の部屋。机には本棚から取り出した大量の本が積んである。俺は隅に配置してあるクローゼットを開き、着物と羽織を取り出す。
俺は家に居るとき、極力着物を着ることにしている。何故かって?強いて言うなら、文豪たちの影響だ。夏目漱石、芥川龍之介、森鴎外等、明治大正を彩った文豪たちは着物を着る。俺にとって着物を着ることは、彼らへのリスペクトの気持ちの表れでもあるのだ。
着替え終えた俺は椅子に座る。
(いつもは此処で小説を書き、様々な編集社を飛び回ったものだ。)
その時俺は思い出した。まだ三年の眠りにつく前に、書きかけていた小説があったことを。俺は立ち上がり本棚へ向かう。この中にあるはずだと本棚を漁る俺は、本棚の奥の方で畳まれた紙の束を見つけた。それをどうにか取り出し、中を開くと、そこには走り書きで綴られた文字達。俺は一文字一文字丁寧に読んでゆく。その物語はクライマックスに差し掛かるところで途切れてしまっていた。
我ながら傑作だったと思う。しかし、あの頃の熱意がすっかり冷めてしまった俺にはもう、続きを書くことは出来ない。
俺は笑みを浮かべ、それを再び本棚にしまった。
……新しいやつ書こう。
そう思い立って、再び椅子に戻ろうとした、その時だった。
背筋がぞくりと凍る。
誰かが、後ろにいる。
俺はばっと振り返るが、そこには誰もいない。
「また……か……」
俺は呆然と立ち尽くす。足が震える。息が苦しい。
そうだ。元はといえば目覚めてからだ。俺の身の回りで、変なことが起こり始めたのは。
夜、病室で眠っていた時、俺は何かの気配を感じ、目を覚ました。ゆっくりと横を向くと、そこには人型の黒い影が俺を見ていた。
あの時間に病室に入ってくる医者はいない。仮に入ればアラームが鳴る仕組みになっているはずだった。
そして影は、固まってしまった俺に向けて、こう言った。
《コゾウ……ワタシガミエルノカ……?》と。
俺は歯を食いしばり、頭を押さえた。
見えるはずのないものが見え、誰もいるはずのない場所から声が聞こえる。目覚めたあの日から、俺はそんな現象に悩まされていたのだ。
「何なんだ……いったい……」
気のせいだ。と首を振り、椅子に座る。
小さく深呼吸をして鉛筆を持ち、俺は新たな気持ちで原稿用紙に文字を書き始めた。
つづく
0
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
月弥総合病院
僕君☾☾
キャラ文芸
月弥総合病院。極度の病院嫌いや完治が難しい疾患、診察、検査などの医療行為を拒否したり中々治療が進められない子を治療していく。
また、ここは凄腕の医師達が集まる病院。特にその中の計5人が圧倒的に遥か上回る実力を持ち、「白鳥」と呼ばれている。
(小児科のストーリー)医療に全然詳しく無いのでそれっぽく書いてます...!!
下っ端妃は逃げ出したい
都茉莉
キャラ文芸
新皇帝の即位、それは妃狩りの始まりーー
庶民がそれを逃れるすべなど、さっさと結婚してしまう以外なく、出遅れた少女は後宮で下っ端妃として過ごすことになる。
そんな鈍臭い妃の一人たる私は、偶然後宮から逃げ出す手がかりを発見する。その手がかりは府庫にあるらしいと知って、調べること数日。脱走用と思われる地図を発見した。
しかし、気が緩んだのか、年下の少女に見つかってしまう。そして、少女を見張るために共に過ごすことになったのだが、この少女、何か隠し事があるようで……
上司、快楽に沈むまで
赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。
冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。
だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。
入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。
真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。
ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、
篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」
疲労で僅かに緩んだ榊の表情。
その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。
「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」
指先が榊のネクタイを掴む。
引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。
拒むことも、許すこともできないまま、
彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。
言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。
だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。
そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。
「俺、前から思ってたんです。
あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」
支配する側だったはずの男が、
支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。
上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。
秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。
快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。
――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる