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#27 フラワーズ
27-3 フラワーズ
しおりを挟む信念を守り通すことができた高揚感で、鼓動が逸る。
降下するエレベーターで頬の火照りを冷ました後、紫音はメインエントランスを出た先の脇通路へ向かった。高層ビルの柱影に紛れても、スラリとした長身は目を引く。幼馴染の背中に向かって、マスク越しに声を掛けた。
「お待たせ、たあ君」
この数週間、紫音は幼馴染との距離を測りかねていた。
温泉での大胆なアプローチ、≪SPLASH SPARK≫アンバサダー就任発表会での匂わせ発言、再燃した結婚秒読み報道。ようやくレギュラーの仕事にも慣れてきた中、日常を揺るがす出来事ばかり続いた。極めつけに、ドーム公演のメインスポンサー着任。
緊密な業務連絡は、グループの窓口として紫音に届く。目下最重要のビジネスパートナーとして、彼とのやり取りはおざなりにできない。プロジェクトの期日が介在する中、すばやい返答が望まれるからだ。
CM撮影の現場でも冴え渡った非凡なアイデア、そして隙の無い戦略に尊敬の念を抱くと同時に、紫音は旧友に圧倒されている自分を感じていた。一回りも年上の関係者が集うミーティングを主導する姿は、玉座に座る王そのもの。テーブルを見渡す瞳には、誰よりも強い野心を宿していた。スポットライトで祝福されるアイドルすら気圧すほどに。五人に変革を迫った厳格な言葉は、今なお心の奥に澱を残していた。
反面、振り返った桐谷の表情は穏やかで、紫音は少し拍子抜けしてしまう。
「お疲れ様。少し散歩したいと思って――一緒にどう?」
紫音は静かに頷き、二人は肩を並べて歩き出した。
終業時間をとうに過ぎて人気の無い遊歩道では、水路のせせらぎや植栽が外界から隔ててくれる。ガーデンのスロープには仄白い照明が足元を導くように並び、重なる二人の影を照らし出した。
「さっきはごめん。厳しいことを言ったのは分かってる。
ただ、投資家側の意見もあるんだ」
「……わかってる。当然の判断だと思うよ」
マネージャーが過労で倒れ、事務所代表は海外ロケで不在の今、五人は自らの言葉で尊厳を守らなければならない。一方、桐谷もまた背負うものがあるのだ。ゼロから興したビジネス。従業員とその家族の生活。国際的な一等地にあるオフィスの運営。想像しただけでも、紫音は眩暈がしそうだった。
ドーム公演は決定したものの、強力なスポンサーが現れなければ、公演費回収不能でライブ自体が中止になる恐れもあった。その点で幼馴染には感謝しきれないし、どんな協力も惜しまないつもりだった。たとえ、意見が衝突することがあっても。
彼の警告どおり、いつまでも同じままではいられないだろう。
外部からの介入や利権が絡めば、変化を求められるのはごく自然なことだ。全員揃っての活動も、いつまで続けられるのかわからない。芸能界での未来に約束事は一切無いのだ。
心の隅に募る寂しさを表すように、風が一段と冷たくなり、植栽の影がガラス壁に揺れる。整然と並んだ木々の葉が小さくざわめくたび、光の粒が散るように反射した。
ふと、隣を歩く桐谷の足が止まる。
その瞬間、紫音も無意識に息を呑む。彼の肩越しには、ビル街の隙間からオレンジ色に染まる東京タワーがのぞいていた。夜気の中で、光の塔が静かに脈打っている。
「俺は……君達なら、もっと高みに行けると信じてる」
静かに、そして慎重に紡がれた言葉。
だが、その端には揺るがぬ決意が閃いていた。眼前に広がる光景が、桐谷の言葉を裏づけるかのように呼応する。あらゆる特権で成熟し、近未来を象徴する街は、なおも貪欲に上昇を止めない。
「……高み……に?」
紫音の声を震わせたのは、純粋な動揺だった。
信じることしかできない今、五人の未来を約束できる何かが欲しかった。仲間たちとの時間を繋ぎ止める何か。こうする間に、無情にも時計の針は進む。行きつく果ては、事務所代表の突き付ける解散かもしれない。気付けば、この不安と焦燥に苛まれ続けている。
目の前の仕事を懸命にこなし、もがいた先にようやく見えた小さな光。その先に希望を抱いてもいいと言う。寛大な許しは、紫音の耳に蠱惑的に響いた。
「今以上に輝ける――その素質がある。俺なら、その場所を用意できるよ」
彼には、そう言えるだけの資格も実力もある。
肩に触れる手の温もりが、揺れる心をじわりと満たしていく。
「返事は……ドーム公演が終わってからで構わない」
夜景を写し出す水路が、ささやきのように幻想的な音色を奏でている。
ガラス越しに広がる光の束が、青年の輪郭を柔らかく縁取っていた。
「――一緒に、もっと広い世界を見よう」
*
『♪――Sibuya Sparkling Nights』
『ビリビリ痺れる 刺激的な夜』
『君にはもう クラクラ夢中』
『抗えない 魅惑のテイスト』
『爆弾みたいに弾けそう』
『一口味わってみたい?』
ぼんやりとした頭で拾ったタクシーの車内では、窓の外を過ぎ去る景色も曖昧だった。
意識に唯一留まったのは、FMラジオから流れる耳馴染みのあるメロディ。コラボドリンクのCM挿入曲のために録り下ろした新曲だった。
グループ史上初のコラボレーションでは、良い相乗効果が生まれた。
クライアントが思い描く理想を形にする、重大なミッション。何度も重ねた打ち合わせは骨が折れたが、奏多が手掛けた楽曲はそのまま使われ、歌詞も数か所の修正程度で済んだ。フラワーズの反応も好評だったし、ドリンクの売れ行きも順調だと聞いている。
支援を受け入れることも悪いことばかりではない。五人の活動は、新たなフェーズに差し掛かっているのかもしれなかった。
これも、アイドル生命を繋ぐために必要なことだろうか。紫音はガダルカナル島で映画撮影中だという、事務所代表に想いを馳せた。
玄関の扉を開けると、もう眠ってしまったプリンの代わりに、出迎えのハグをくれた人物があった。メンバーの遅い帰宅を、今か今かと待ち構えていた櫂人だった。
「良かった……!また誘拐されるのかと……」
長野の一件以来、彼の心配性には拍車が掛かってしまった。
紫音は申し訳なく思うと同時に、仲間の温もりが愛おしく、小刻みに震える背中を擦った。
「お帰り、今ご飯できたよ。ブランド豚肉≪元気豚≫の豚すきだからね」
エプロン姿の奏多が、キッチンから様子を見に来てくれた。
醤油とみりんを甘辛く煮詰めた香りが漂う。しかし、食いしん坊の姿が見えないということは、佑真と入浴中かもしれなかった。
「わぁ、美味しそう……!先に着替えてくるね」
レッスンで酷使した足を何とか動かして、紫音は二階の自室へ向かう。
ベッドに身を投げ出すと、深いため息を溢した。心臓が痛いほど高鳴っている。未来への畏怖と一握りの期待が、甘くほろ苦く混ざり合う。
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