底辺地下アイドルの僕がスパダリ様に推されてます!?

皇 いちこ

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#27 フラワーズ

27-4 フラワーズ

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こんな時、真っ先に恋人に相談できればどんなに良いだろう。
だが、人生の岐路に立つ彼に縋るわけにもいかない。あの夜を境に、紫音は二人で分かち合った景色を糧に毎日を乗り越えてきた。花嫁のティアラに散りばめられた、ダイヤモンドより美しい夜景。十年近く住んでいるというのに、初めて見る都会の違う表情は、言葉を失うほど艶やかだった。オーロラの絶景にも負けない。目を閉じれば、今も脳裏に鮮やかに焼きついている。デッキで肩を寄せ合った彼の温もりさえも。
飛び立つ飛行機を背に紡がれた約束の言葉は、まるで永遠を誓うプロポーズだった。身に着けるたびに、誕生石を選んでくれた愛の重みを感じられる。
船を下りたその足で、すでにスマホにダウンロードしてある入籍届をコンビニへ印刷ネトプリしにいくか迷ったほどだ。だが、今は辛抱強くあるべき時だった。紫音自身もまた、成長の歩みを止めてはならなかった。彼が誇らしく思えるアイドルでいられるように――。

複雑な胸の内を、さまざまな感情が渦巻く。ぼんやりと天井を眺めていると、ポケットの中のスマホが震えた。恋人からの五日越しの連絡に、一気に心臓が高鳴る。
≪仕事でシンガポールに来てるよ≫――シンプルなメッセージには、白亜の半魚像とのツーショット写真が添付されていた。

「これって……噂のマーライオン?」

豪快に口を開ける恋人の端整な横顔が、背後の勇敢な獅子像とアンバランスな対比を生み出している。ちょうど、マーライオンの口から噴き出す水を飲んでいるような構図だ。
いつ何時も紳士的な彼らしくない行動だったが、週末の夜に会えない寂しさを吹き飛ばそうと、こんな写真を送ってきたのだ。たちまち重苦しい気分も立ち消えた。
紫音は思わず吹き出して、早速返事を打とうとキーボードを開く。すると、手の中の端末が唸るように長い振動を始めた。
思わず身を起こして、転がっていたごまたんを抱き寄せる。緊張する指先で通話ボタンをタップすると、若干のタイムラグの後に、スピーカーから低い声が響いた。

『――すまない、急に』
「あ……こんばんは!出張、お疲れ様です」

まだ外なのか。
常夏の賑わいを示すように、周囲の朗らかな談笑の声が紛れる。会話の端々で、中国語と英語が飛び交っているのが聞こえた。いくつもの海を越えて、距離の隔たりが現実味を帯びてくる。

『急に声が聞きたくなってさ』
「!―――……っ」

バリトンが奏でるアンニュイな響きに、下腹部がキュッと疼く。邪念を振り払うように、紫音は大きく頭を振った。

「……今、シンガポールなんですね。マーライオン、可愛かったです」
『バカな写真だったろ。ネイサンに強制されたんだ』

結果を出す――彼の頑なな決意を信じて、紫音はあえて細部まで尋ねることはなかった。
出国の連絡もできないほど忙殺されているであろうということは、想像に難くない。そして、ようやく休息の時間が取れたのだと知り、胸を撫で下ろす。異国の地でも、信頼できる同行者がいれればさらに安心だった。

「そうだったんですね。でも、お茶目な直矢さんも……可愛いですよ」

最近は恋人に対して、そう思うことが多くなった。
完璧だと思っていた年上の彼も、案外子供っぽいところもあるものだ。青緑色のカレーに無邪気に喜んだり、世界三大ガッカリのマーライオン相手にふざけてみたり、そんな一面を少しずつ見せてくれるようになった。
直矢は苦笑を漏らして、近況を尋ねてくる。

『……全然会えなくてすまない。元気にしてたか?』
「はい!今日はダンスレッスンと……ドーム公演の打ち合わせでした」

長い夜を思い返せば頭が痛くなるが、恋人には良い報告だけをしたかった。
失う物があっても、守り抜いた物はあった。それも、胸元で光るネックレスが背中を押してくれたから。

「大変なこともあるけど……企画がどんどん形になっていって、わくわくします」

すべてはファンの笑顔のため。
そう思えば、こんな所でつまずいている場合ではなかった。

「早くフラワーズの皆に……直矢さんに見せたい」

やはり声を聴くと、一日でも早く会いたくなる。
別離には慣れていたはずなのに、同じ街にいないとなれば心細さは募ってしまう。これもまた、課せられた一つの試練だった。

『だけど、あまり無理をしないように。君が笑って過ごせるのが一番だ』

五千キロ先からも幸福を祈ってくれる、甘美な優しさ。
紫音の視界は熱く滲み、心は柔らかく解けていった。

「直矢さんもですよ?ネックレス毎日着けて……貴方のこと想ってますから」

電話越しで良かったと、紫音は袖口で涙を拭う。愛を語らうには、ひどい顔をしているから。

『ありがとう、俺も愛してるよ……今日は早くおやすみ』

熱帯夜を賑わせる喧噪が、静かに遠のいていく。
紫音はヘッドボードにスマホを置くと、抱き枕に濡れた頬を摺り寄せた。

「……世界……か」

もし手を伸ばせば、幼馴染の言う『広い世界』に届くのだろう。
国境を越え、新たな高みを目指す恋人とも肩を並べられるのかもしれない。グループの存続と恋人の存在を考えれば、断る理由は見当たらなかった。けれど、その先で何かを置き去りにしてしまう気がして――。

そこへ、金具が軋む音が室内に響く。
部屋のドアが、外野の重みで開いた音だった。扉の隙間から、四人の仲間が覗き込むように顔を出した。

「ごめん、なかなか降りてこないから心配で」
「電話の内容は、よく聞こえなかったから安心して!」
「腹減って死にそうだ。とっととメシにしようぜ!」

好き放題に騒ぎ立てる三人を他所に、櫂人はベッドの縁に腰を下ろし、少し赤くなった目元を拭った。

「やはり……桐谷代表に何か言われたのか?」

心配そうな眼差しが一点に集まる。
重要な準備期間に動揺させないよう、紫音は例の提案を伏せて頭を振った。

「ううん、むしろ謝られたよ。厳しい言葉も、投資家側の意見だって」

佑真と奏多は顔を見合わせると、今夜の主役を囲うようにベッドに座った。

「一番大切な演出を死守できたんだから、もういいよ。勇気を出して、よく言ってくれたね」
「本当はさ、プレゼンに消防車のホースで放水を盛り込みたかったんだけど……さすがに自重したよ」

奏多の冗談で、紫音は自然と口元をほころばせた。しんみりとしていた空気が笑い声に包まれる。
すると、パンツ一丁の大地が、珍しく神妙な面持ちで口を開いた。

「……俺は正直、フラワーズを笑顔にできればそれでいい」

その一言で、談笑は瞬時に静寂に変わる。
普段は滅多に明かさない胸の内を、リーダーは赤裸々にさらけ出したのだ。

「東阪ドームなんて、もう二度と無いかもしれねぇ大舞台だろ?昔の俺達からしたら、奇跡だ」

勇ましい魂の咆哮に、メンバー全員が頷いた。
どれだけ否定されても、ファンと歩んだ歴史が確かに息づいている。その証拠に、殺風景だったこの部屋のインテリアも、五人で共有した思い出の品々で花が咲いたように彩られていた。

「あのステージに立てるだけで、アイツらは喜んでくれる。
かと言って、手を抜く気はサラサラねぇけど……どんな衣装だろうが演出だろうが関係ねぇ」

大地はそう力説すると、雄々しい大胸筋の前で拳を握りしめた。
ステージを純白に染め上げられても、心の底では色とりどりの炎を絶やさずにはいられない。

「――俺達は俺達の歌を全力で届けようぜ!」

五人は力強く立ち上がり、パフォーマンス直前のように円陣を組む。
同時に、ひときわ大きな腹の音が重なった。しかし、誰にも犯人を探す体力は残されていなかった。階下から漂う豚すき焼きの香りが、五人を呼んでいた。
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