底辺地下アイドルの僕がスパダリ様に推されてます!?

皇 いちこ

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#3 うたっておどるひと

3-2 うたっておどるひと

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仲間の輝かしい成功を喜ぶ一方で、いつまで肩を並べていられるのかと不安に襲われる。
ダンサーとしての顔も持つリーダーを筆頭に、グループにはステージを降りても、才能あふれる面々が揃っていた。

紫音がメイクのリタッチを施してもらった佑真は、歌舞伎町でナンバー持ちのホスト。隣のテーブルで握手待ちの列が連なる奏多かなたは、平日は歯科医師として勤務している。黒髪が艶やかな櫂人かいとは華道家の師範で、名家・九条院家の御曹司だ。それぞれの熱心なファンには、別稼業で受け持つ忠実な顧客が付いている。
反面、紫音のブースには――。

木茂井きもいさん、今日も応援ありがとうございます」

NEXT札すら必要ない。ただ一人、男性客が並ぶだけだった。
紫音は汗ばんだ手を取ると、屈託の無い笑顔を浮かべる。心細い空間の中での声援もペンライトも、嬉しさは変わらなかった。

「いやいや、俺なんかの名前に大事な脳細胞使わなくたっていいからさぁ」
「ふふ。毎週来て下さってるのに、忘れるわけないですよ」

視聴者数一桁だったMoreTubeの生配信を偶然見たのがきっかけで、現場まで足を運んでくれたという。成人男子が『でかかわ』のぬいぐるみ手作りキットに挑戦していたのを、面白がってくれたらしい。
紫音が身内以外で初めてできたファン。二度目の来訪で手紙を貰ってから、珍しい苗字を忘れるはずがなかった。

「ははっ、照れるなぁ。今日も最強にプリチーだったけど……もしかして、ちょっと調子悪かった?」
「あ……さすが、木茂井さんの目は誤魔化せなかったですね……」

行為の余波は後からやってきた。
引っ込み思案な性格のせいで、恋愛経験皆無の初心な青年が、一夜にして禁断の扉を開けてしまったのだ。初めて知り得た快楽の代償のように、激しいステップを踏むたびに腰が痛んだ。
ライブまでは気力で乗り切ったが、こうして座っているのも辛くなってきた程に。

「急に寒くなってきたし、風邪引かないように気をつけて。そうだ、これ!」

差し出されたビニール袋に入っていたのは、貼るカイロの詰め合わせだ。
いつかの配信で寒い時期はお腹が冷えやすいと発言したのを、覚えてくれていたのだ。律儀な厚意に、紫音の胸は一杯になる。

「嬉しいです……あんな些細なことまで覚えていてくれて……」

木茂井はずり落ちたメガネを持ち上げると、紫音の白い手を力強く握った。

「稼ぎが悪いから、あんまり力になれなくて申し訳ないけど……いつだってシオンきゅんのこと応援してるから」

トレーディングカードに付属する握手券。1枚5秒はほんの一瞬。
他のメンバー達は前物販で早々に売り切れるのだが、紫音の分はライブ後にも積み上げられている。今夜も平常運転で閑古鳥が鳴くブースに、もう一人の来客があった。
彼女は全力疾走でロビーまで戻ると、カードの在庫を全部買い占めたのである。

「っ、お姉ちゃん……!大丈夫?」

ロングヘアを振り乱し、スマホを片手にパイプ椅子に雪崩れ込んだ女性客。
机の上に勢いよく置いたバッグは、大量のペンライトのせいで鈍器にも等しい。彼女こそ、紛れもなく紫音が血を分けた実姉だった。

「ごめんね、仕事の呼び出しがあって!今日はもう戻らないと」

弟とは正反対のテキパキとした口調で、彼女は脇に控えたスタッフに握手券の束を押し付けた。

「忙しいのに、いつもありがとう。差額分は返金するから」
「いいからいいから、美味しいものでも食べるのよ。そういえば、業務連絡になっちゃうけど――……」

姉は気前よく言うと、鞄からクリアファイルに入れた用紙を取り出した。そして、慌ただしかった表情は厳粛なものに変わる。

「例のCMのオーディション、残念だけど書類でダメだったの……でもね」

聞き慣れた結果に、紫音は落胆よりも納得を感じた。続きを促すように、静かな微笑で頷く。

「撮影の件は、カメラマンさんが明日ならスケジュールOKだって。急で大変だとは思うけど、行けそう?」
「もちろん、大丈夫だよ。こちらこそ、よろしくお願いします」

芸能事務所に勤める姉から紹介された、ファッションECサイトの撮影モデルの案件。
この業界で、急な決定や変更は日常茶飯事だ。先月初めて入った現場だったが、継続して採用されたことに紫音は胸を撫で下ろした。

「良かったわ。先方にも返事しておくから……それでね」

姉は一呼吸置くと、用意していたクリアファイルを差し出した。

「寮を出る時間、電車の乗り換え経路、持ち物チェックリストまとめたから。LIMEにも現場までの地図のURL送ったの、後で見といてね」
「わあ……丁寧にありがとう、お姉ちゃん」

書類を受け取った紫音は、彼女の細やかな気遣いが嬉しくなった。
業界最大手の≪スターゲイツプロモーション≫で、中途マネージャーから経営幹部までのし上がっただけの手腕はある。弟の上京に付き添う形で地元を巣立ち、異業界に飛び込んでまで仕事の世話をしてくれているのだった。

「今日はもう早よ寝らないかんよ?また連絡するけんね」

姉は語尾に故郷の訛りを滲ませ、去り際に愛弟の両手を包み込んだ。

「お姉ちゃんも無理せんどって。おやすみなさい」

他のブースを横目で見れば、まだ大勢のファンが詰めかけていた。
四人に関しては、握手券の元々の発行数が多いせいもある。手を握ったまま固まってしまう子もいれば、感極まって泣き出すなど、反応はさまざま。特に、佑真の『姫』達は貢ぎ体質により、制限枚数までループ購入している。

一方、紫音は手のひらに残る温もりを噛み締め、姉手製の資料に目を通していた。

≪持ち物チェックリスト:
無地のスニーカーソックス(白黒一組ずつ)、タンクトップ(白黒一枚ずつ)、フェイスカバー、ハンカチ、ティッシュ、水筒、折り畳み傘
※電車代とタクシー代は全部領収書をもらうこと、昼食は食堂利用可、セルフメイクのためメイク道具持参……≫

たった二人でも、支えてくれる人がいるのは心強いことだった。
薄闇の片隅で、遠く小さく揺れるパープルの光。姉が照らし始めた10本のペンライトに、いつしかさらに10本が加わり、今日はもう一本増えた。一夜だけでも、自らが背負う色が増えた奇跡。紫音は今夜の光景を忘れたくなかった。たとえ、ひと時の儚い幻影でも。

そこへ、いつの間にか傍からいなくなっていたスタッフが戻ってきた。背を屈め、紫音に耳打ちする。

「――代表がお呼びです」

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