底辺地下アイドルの僕がスパダリ様に推されてます!?

皇 いちこ

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#17 ニューヨークのため息

17-3 ニューヨークのため息

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一面の星空は見事な晴天に塗り替わる。
ジェットラグへの適応には慣れたもので、直矢の頭は清々しいほど冴え渡っていた。機内エンターテインメントで偶然見た『おめざめセブン』の星座占いでは、堂々の一位だった。
何かドラマが起こりそうな淡い期待を抱いて、直矢はボーディングブリッジへ降り立った。

「君に会えない時間は本当に地獄だった。早くデートの予定を決めよう。それまで良い子でいるんだよ、my sugar?」

前方で繰り広げられる同僚と恋人とのビデオ通話に胸やけしながら、直矢はスマホを開いた。機内モードをオフにすると、仕事関係の連絡が続々と届いた。件名の『Urgent』や『ASAP』のキーワードを見れば、反射的に集中モードになる。直帰の予定を知らない海外のクライアントにとって、今日がオフかどうかは関係ないのだ。CCに入っているものの、もれなく返事をしないネイサンに道案内を任せて、バゲッジクレームまでたどり着いた。

直矢は視界の端でキャリーケースを探す間、ある違和感で我に返った。
さまざまな肌色のビジネスマンや旅行者が行き交う、制服姿の添乗員やパイロットが足早に急ぐ、華やかなエアポートの一角。何もかも見慣れた光景のはずだった。

便別のターンテーブル上部に設置された、巨大なデジタルサイネージ。
ポケットWifi、観光名所、地元の銘菓など、お決まりのPR映像が延々と繰り返される。荷物はまだ来ない。次に顔を上げた時に映ったのは、珍しくもない化粧品の広告だった。白とピンクが神秘的な透明感を放つビジョンが、直矢の意識に留まる。何の面白味のない広告の中で、その一つだけが異彩を放っていたのだ。

一面ペールピンクの背景で、白のブラウスを着たダンサーが躍っている。
シルエットさえ滑らかなターンジャンプとともに、ショートヘアが舞い上がる。着地したつま先を包むのは、新作のスリングバックパンプス。春の訪れを想起させる、アジアンな花々の刺繍が施されていた。
カメラの視点は被写体の上半身へと移ろい、伸びやかなアロンジェを捉えた。コットンモスリンの生地は空気を孕み、弾むように揺れている。柔らかく波打つように動く両腕が宙を掴もうとして、自分を抱き締めた。ローズオーガンザのアイシャドウで、幾層にも彩られた瞼がゆっくりと開く。

≪君が知らない僕になる≫

印象的なタグライン後、コーラルピンクのリップが微かな弧を描いた。
合わせ鏡のように奥まで連なるディスプレイが、同じ映像を投影する。

≪――Digorディゴール、アディクティヴ リップグロウ新色発売≫

メゾンのシグネチャーロゴをあしらったケースを持ち、と呼称した彼。
センシュアルなメイクとジェンダーレスな衣装を差し引いても、直矢はその一つ一つのパーツの造形を忘れるはずもなかった。緩やかに心拍数が上がっていく。

「――は?」

直矢が危うくスマホを落としかけた時だった。
背後から『キャアアッ!』と甲高い悲鳴が響く。驚いて振り返ると、何らかの事件が起きたわけでもなく、後方の広告ディスプレイの前で女性二人が立ち止まっていた。

「わあっ、紫音キュンだ!何度見ても超可愛いー!」

歓喜に震える声で呼ばれた名前に、いよいよ直矢の心臓は跳ね上がる。
やはり、『彼』で間違いない。泣きぼくろの位置はもちろん、見間違えるはずがないのだから。

「ヤだあ!唇ぷるんぷるんで食べちゃいたぁい!」

直前の感想がテレパシーのように彼女の口から飛び出し、紳士の背中に冷や汗が伝う。だが、饒舌な口々からは、間髪入れずに意味深な情報が飛び交った。

「この子ならポロリも許せるよねー。他のアイドルだったら絶対計算だって思うけどw」
「わかるー!そうだ、来週号のnannanナンナンにね、袋とじで出るんだって。絶対ゲットしなきゃ!」
「袋とじとかヤバすぎ!紙の雑誌なんて一億年ぶりに買うんだけど!」

若い女性たちは楽しげに語り合いながら去っていく。
二人分のキャリーケースを回収し終えたネイサンが、興味深そうに言った。

「ワォ、僕が警告した通りになったね」

ネイサンは固まったままの相棒に荷物を渡し、得意げに口笛を吹いた。

「君がウカウカしている間に、まさか世界に奪われてしまうとは。安心してよ――バスボムは僕が一緒に使ってあげるから」

後半は想像したくもない悪夢だ。
皮肉たっぷりのブリティッシュジョークは、傷口にジャリジャリと塩を塗るレベルのクリティカルヒットだった。

「……なぁネイサン、何がポロリしたんだと思う?」
「さぁ……プリティな桃尻とか?」

一体、世間にナニを晒したのか。
混乱する頭でようやく見出した着眼点だったが、直矢はふざけた返答に目を瞠った。

「――そんなのポロリじゃ済まされないだろう!」

思いのほか大きな声量が出たせいで、数人の通行人が立ち止まった。
変質者として通報される前に、ひとまず離脱しなければならない。直矢は同僚の片腕を掴み、一目散に出口を目指した。

ところが、世界は目撃したばかりの顔で溢れかえっていた。
モノレール駅まで続く連結通路に張り巡らされた、柱巻き広告にも。駅の電光掲示板の特大広告スペースにも。ある時は美味しそうにチョコバーをかじり、ある時はもこもこのルームウェアにくるまり、またある時は愛くるしい笑顔で歯磨き粉を宣伝していた。
列車内のビジョン広告では、彼が所属するユニットのドーム公演決定の告知がリピート再生されている。頭を冷やすために立ち寄った本屋でも、緊急出版されたソロ写真集が入口に面陳されていた。

この空前のブームに世界は追いつかず、何もかもが急ごしらえだった。
直矢は自分が浦島太郎にでもなった気分だった。二週間留守にしている間に、母国は180度様変わりした異世界になってしまったのだ。

同僚の付き添いがなければ、注意力散漫のあまり、キャリーケースで何人かの足を轢いていただろう。
二人は緊急リサーチのため、Wi-Fiが飛んでいる駅前の北欧風カフェに駆け込んだ。
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