89 / 139
#20 駆け引きは泡に溶かして
20-3 駆け引きは泡に溶かして
しおりを挟む
『俺となら、毎日特別な日にしてあげられる。絶対、退屈させないよ』
≪愛の巣≫という名のシェアハウスを去る間際、8人の男たちが想いを告げ合う。
その当日まで繰り広げられたのは、泥沼のような心理戦と駆け引きだった。ハラハラする展開とあまりのじれったさに、何度ハンカチを噛みたい衝動に駆られただろう。
一番人気の子犬系美容師を巡って他全員が対立するという、シーズン史上異例の事態となった。俺様社長による強引なキス、寡黙なボクサーが起こした乱闘騒ぎ、爽やか商社マンと鬼畜弁護士が罵り合った論破事件。たびたび打ち切りの危機に見舞われたが、やっとのことで最終回を迎えるに至った。
冒頭のように巧みな愛の囁きが続く中、美容師の心を射止めたのは、意外にも一番目立たなかった年下のダークホースだった。
『僕はまだ学生の身で、他の男性のように何の権力も財産もありません。でも、誰よりも貴方を純粋に想っています。
この愛の巣を出た後も……貴方との未来の時間を僕にくれませんか』
華やかな職業でもなく、スパダリムーブを連続成功させたわけでもない。
押し花付きの手書きの手紙で、根気よく愛を伝え続けた誠実な言動が、難攻不落の城を開門したのだった。
告白――それは、未来と安心を約束する切符だった。
この新生カップルのように、来年もその先も一緒にいたい。彼の未来の一部になりたい。
紫音の中で、主人に想いを伝えるための言葉が決まった。駆け引きは必要無い。
夢の中でも会えるようにという願いを込め、貸しっぱなしのポケットチーフを枕の下に忍ばせる。紫音は火照った頬を枕に乗せ、共同生活終了後のインタビュー映像に見入っていた。すると、ドア越しに名前を呼ばれる。
「ポンカンを剥いたんだが……一緒に食べないか?」
最近はよく話し相手になってくれる櫂人が、今夜も果物皿と冷えた缶を盆に載せて現れた。
紫音はベッドサイドへ招き入れ、お互いの恋の悩みについて語り明かす。
「生まれて初めて剥いたのだが、失敗して果汁が目に入ってしまってな……見かねた奏多が手伝ってくれたんだ」
「わぁ、さすが優しいね!少しは話できた?」
「ああ、プリンの……明日のエサの献立についてな」
嬉々と語る櫂人の頬は、ノンアルでも酔いが回ったように赤い。アンバサダー就任の記念に贈呈された一年分のセレクションから厳選した、ピーチフィズに似合う乙女ぶりである。
「最近、大地君ともイイ感じだよね。今日も撮影で距離近かったし……」
「なっ……仕事だから仕方ないだろう!それに、ヤツとは全然意見が合わない。大晦日のデートプランだって……」
「クラブも案外、勉強になると思うよ。違うジャンルの音楽に触れるのも、良い刺激だし」
「うむ……紫音がそう言うなら、考えてみなくもないが……」
やがて、櫂人の注意はテレビに流れていた総集映像に移る。紫音は≪僕たちの恋するシェアハウス≫のこれまでのあらすじを掻い摘んで伝えた。
「どこかで見た顔だと思えば、彼は西園寺家の三男坊じゃないか」
美容師の心を射止めた学生とは、財閥界のパーティーで何度か顔を合わせたことがあると言う。ゆくゆくは、一族が経営する年商一兆円の医療関連会社が相続されるそうだ。押し花に象徴された純愛の虚飾は剥がれ落ち、垣間見えた計算高さに紫音の顔は曇った。
「……やっぱり、愛はお金なのかな」
足元を見れば、どう足掻いても埋められない格差が突きつけられる。
今でこそようやく芽が出始めたとはいえ、もう何年もアイドル界――そして社会の底辺を駆けずり回っていた。バイトでは数えきれないほどクビになり、何度も社会不適合者の烙印を押されたのだ。
「僕なんか田舎育ちで、実家は普通の牧場だし……直矢さんとじゃ、釣り合いが取れないのはわかってたんだ。打ち上げの時も……すごくモテてたし……」
若手の女性アイドルから熱視線を送られるほど、主人は雄としての魅力に溢れている。
聖夜に彼の寝室でピンク色の紙袋を見つけ、寝落ちするまで泣き暮らしたことも記憶に新しい。杞憂に終わったものの、夢の中でさえ女性の影が絶えないのだ。
そんな絶望の深淵から掬い上げる一声が轟く。
「――何を言うんだ、紫音!」
櫂人は項垂れた両肩を抱き、まっすぐな瞳で仲間の不安を包み込んだ。
「再来月にはCM10本分の契約料、15刷重版した写真集の印税、そして再々々々々々販したグッズ収益が入る。むしろ、君が彼を養えるぐらいだ」
「え……!?写真集とグッズそんなに売れてたんだ……」
「ああ、今朝時点での爺の報告によるとな」
その額は都内の2LDK分譲マンションを優に購入できるもので、二人の≪愛の巣≫へ即入居可との試算だった。今なら物理的に愛を証明することもできる事実は、萎れた心を勇気づけた。櫂人はさらに紫音を鼓舞し続ける。
「いざとなれば、我が九条院グループが後ろ盾になろう。
ここだけの話だが、まもなく父様が三住グループ買収に成功する。そうすれば、名実ともに日本一のコンツェルンだ」
社外秘の初出情報に驚くとともに、八百屋で見た凛々しい背中が思い起こされる。
誉高い財界人の本家継承者から協力が得られるのは、実に心強いことだった。
「お父様が天下の三住を!?日本経済を掌握したも同然だよ!」
「そうだろう?どんな強敵が現れようと、心配無用だ」
二人の友は無邪気に笑い合った。
それだけ強固な後援を受けられば、UMA相手でさえ恐れる必要はないだろう。
「なんか……安心したらお腹が空いてきちゃった。冷蔵庫に入ってた桃も剥かない?」
「賛成だ、私も手伝おう。失敗しても奏多が手伝ってくれるだろう」
一階へ降りると、三人と一匹で、動物番組のシロイワヤギ特集を見ながらくつろいでいる。
桃を手で剥こうとする櫂人を止めに入る奏多。つまみ食いしようと虎視眈々と狙うリーダー。紫音は恋路の行く末をそっと見守るばかりだった。
≪愛の巣≫という名のシェアハウスを去る間際、8人の男たちが想いを告げ合う。
その当日まで繰り広げられたのは、泥沼のような心理戦と駆け引きだった。ハラハラする展開とあまりのじれったさに、何度ハンカチを噛みたい衝動に駆られただろう。
一番人気の子犬系美容師を巡って他全員が対立するという、シーズン史上異例の事態となった。俺様社長による強引なキス、寡黙なボクサーが起こした乱闘騒ぎ、爽やか商社マンと鬼畜弁護士が罵り合った論破事件。たびたび打ち切りの危機に見舞われたが、やっとのことで最終回を迎えるに至った。
冒頭のように巧みな愛の囁きが続く中、美容師の心を射止めたのは、意外にも一番目立たなかった年下のダークホースだった。
『僕はまだ学生の身で、他の男性のように何の権力も財産もありません。でも、誰よりも貴方を純粋に想っています。
この愛の巣を出た後も……貴方との未来の時間を僕にくれませんか』
華やかな職業でもなく、スパダリムーブを連続成功させたわけでもない。
押し花付きの手書きの手紙で、根気よく愛を伝え続けた誠実な言動が、難攻不落の城を開門したのだった。
告白――それは、未来と安心を約束する切符だった。
この新生カップルのように、来年もその先も一緒にいたい。彼の未来の一部になりたい。
紫音の中で、主人に想いを伝えるための言葉が決まった。駆け引きは必要無い。
夢の中でも会えるようにという願いを込め、貸しっぱなしのポケットチーフを枕の下に忍ばせる。紫音は火照った頬を枕に乗せ、共同生活終了後のインタビュー映像に見入っていた。すると、ドア越しに名前を呼ばれる。
「ポンカンを剥いたんだが……一緒に食べないか?」
最近はよく話し相手になってくれる櫂人が、今夜も果物皿と冷えた缶を盆に載せて現れた。
紫音はベッドサイドへ招き入れ、お互いの恋の悩みについて語り明かす。
「生まれて初めて剥いたのだが、失敗して果汁が目に入ってしまってな……見かねた奏多が手伝ってくれたんだ」
「わぁ、さすが優しいね!少しは話できた?」
「ああ、プリンの……明日のエサの献立についてな」
嬉々と語る櫂人の頬は、ノンアルでも酔いが回ったように赤い。アンバサダー就任の記念に贈呈された一年分のセレクションから厳選した、ピーチフィズに似合う乙女ぶりである。
「最近、大地君ともイイ感じだよね。今日も撮影で距離近かったし……」
「なっ……仕事だから仕方ないだろう!それに、ヤツとは全然意見が合わない。大晦日のデートプランだって……」
「クラブも案外、勉強になると思うよ。違うジャンルの音楽に触れるのも、良い刺激だし」
「うむ……紫音がそう言うなら、考えてみなくもないが……」
やがて、櫂人の注意はテレビに流れていた総集映像に移る。紫音は≪僕たちの恋するシェアハウス≫のこれまでのあらすじを掻い摘んで伝えた。
「どこかで見た顔だと思えば、彼は西園寺家の三男坊じゃないか」
美容師の心を射止めた学生とは、財閥界のパーティーで何度か顔を合わせたことがあると言う。ゆくゆくは、一族が経営する年商一兆円の医療関連会社が相続されるそうだ。押し花に象徴された純愛の虚飾は剥がれ落ち、垣間見えた計算高さに紫音の顔は曇った。
「……やっぱり、愛はお金なのかな」
足元を見れば、どう足掻いても埋められない格差が突きつけられる。
今でこそようやく芽が出始めたとはいえ、もう何年もアイドル界――そして社会の底辺を駆けずり回っていた。バイトでは数えきれないほどクビになり、何度も社会不適合者の烙印を押されたのだ。
「僕なんか田舎育ちで、実家は普通の牧場だし……直矢さんとじゃ、釣り合いが取れないのはわかってたんだ。打ち上げの時も……すごくモテてたし……」
若手の女性アイドルから熱視線を送られるほど、主人は雄としての魅力に溢れている。
聖夜に彼の寝室でピンク色の紙袋を見つけ、寝落ちするまで泣き暮らしたことも記憶に新しい。杞憂に終わったものの、夢の中でさえ女性の影が絶えないのだ。
そんな絶望の深淵から掬い上げる一声が轟く。
「――何を言うんだ、紫音!」
櫂人は項垂れた両肩を抱き、まっすぐな瞳で仲間の不安を包み込んだ。
「再来月にはCM10本分の契約料、15刷重版した写真集の印税、そして再々々々々々販したグッズ収益が入る。むしろ、君が彼を養えるぐらいだ」
「え……!?写真集とグッズそんなに売れてたんだ……」
「ああ、今朝時点での爺の報告によるとな」
その額は都内の2LDK分譲マンションを優に購入できるもので、二人の≪愛の巣≫へ即入居可との試算だった。今なら物理的に愛を証明することもできる事実は、萎れた心を勇気づけた。櫂人はさらに紫音を鼓舞し続ける。
「いざとなれば、我が九条院グループが後ろ盾になろう。
ここだけの話だが、まもなく父様が三住グループ買収に成功する。そうすれば、名実ともに日本一のコンツェルンだ」
社外秘の初出情報に驚くとともに、八百屋で見た凛々しい背中が思い起こされる。
誉高い財界人の本家継承者から協力が得られるのは、実に心強いことだった。
「お父様が天下の三住を!?日本経済を掌握したも同然だよ!」
「そうだろう?どんな強敵が現れようと、心配無用だ」
二人の友は無邪気に笑い合った。
それだけ強固な後援を受けられば、UMA相手でさえ恐れる必要はないだろう。
「なんか……安心したらお腹が空いてきちゃった。冷蔵庫に入ってた桃も剥かない?」
「賛成だ、私も手伝おう。失敗しても奏多が手伝ってくれるだろう」
一階へ降りると、三人と一匹で、動物番組のシロイワヤギ特集を見ながらくつろいでいる。
桃を手で剥こうとする櫂人を止めに入る奏多。つまみ食いしようと虎視眈々と狙うリーダー。紫音は恋路の行く末をそっと見守るばかりだった。
27
あなたにおすすめの小説
平凡ワンコ系が憧れの幼なじみにめちゃくちゃにされちゃう話(小説版)
優狗レエス
BL
Ultra∞maniacの続きです。短編連作になっています。
本編とちがってキャラクターそれぞれ一人称の小説です。
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
相性最高な最悪の男 ~ラブホで会った大嫌いな同僚に執着されて逃げられない~
柊 千鶴
BL
【執着攻め×強気受け】
人付き合いを好まず、常に周囲と一定の距離を置いてきた篠崎には、唯一激しく口論を交わす男がいた。
その仲の悪さから「天敵」と称される同期の男だ。
完璧人間と名高い男とは性格も意見も合わず、顔を合わせればいがみ合う日々を送っていた。
ところがある日。
篠崎が人肌恋しさを慰めるため、出会い系サイトで男を見繕いホテルに向かうと、部屋の中では件の「天敵」月島亮介が待っていた。
「ど、どうしてお前がここにいる⁉」「それはこちらの台詞だ…!」
一夜の過ちとして終わるかと思われた関係は、徐々にふたりの間に変化をもたらし、月島の秘められた執着心が明らかになっていく。
いつも嫌味を言い合っているライバルとマッチングしてしまい、一晩だけの関係で終わるには惜しいほど身体の相性は良く、抜け出せないまま囲われ執着され溺愛されていく話。小説家になろうに投稿した小説の改訂版です。
合わせて漫画もよろしくお願いします。(https://www.alphapolis.co.jp/manga/763604729/304424900)
今日もBL営業カフェで働いています!?
卵丸
BL
ブラック企業の会社に嫌気がさして、退職した沢良宜 篤は給料が高い、男だけのカフェに面接を受けるが「腐男子ですか?」と聞かれて「腐男子ではない」と答えてしまい。改めて、説明文の「BLカフェ」と見てなかったので不採用と思っていたが次の日に採用通知が届き疑心暗鬼で初日バイトに向かうと、店長とBL営業をして腐女子のお客様を喜ばせて!?ノンケBL初心者のバイトと同性愛者の店長のノンケから始まるBLコメディ
※ 不定期更新です。
男子高校に入学したらハーレムでした!
はやしかわともえ
BL
閲覧ありがとうございます。
ゆっくり書いていきます。
毎日19時更新です。
よろしくお願い致します。
2022.04.28
お気に入り、栞ありがとうございます。
とても励みになります。
引き続き宜しくお願いします。
2022.05.01
近々番外編SSをあげます。
よければ覗いてみてください。
2022.05.10
お気に入りしてくれてる方、閲覧くださってる方、ありがとうございます。
精一杯書いていきます。
2022.05.15
閲覧、お気に入り、ありがとうございます。
読んでいただけてとても嬉しいです。
近々番外編をあげます。
良ければ覗いてみてください。
2022.05.28
今日で完結です。閲覧、お気に入り本当にありがとうございました。
次作も頑張って書きます。
よろしくおねがいします。
美貌の騎士候補生は、愛する人を快楽漬けにして飼い慣らす〜僕から逃げないで愛させて〜
飛鷹
BL
騎士養成学校に在席しているパスティには秘密がある。
でも、それを誰かに言うつもりはなく、目的を達成したら静かに自国に戻るつもりだった。
しかし美貌の騎士候補生に捕まり、快楽漬けにされ、甘く喘がされてしまう。
秘密を抱えたまま、パスティは幸せになれるのか。
美貌の騎士候補生のカーディアスは何を考えてパスティに付きまとうのか……。
秘密を抱えた二人が幸せになるまでのお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる