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紅、濃紅梅、淡紅梅、淡紫、濃紫、黄、萌黄、青、朽葉に蘇芳──この世のゆかしさをすべて集めたかのようなとりどりの色の単。美しい模様がほどこされた唐衣や裳。檜扇や黒漆螺鈿の化粧箱。それらが姫の周りに広げられた。みな都からの盗品だ。
自分は水干姿の男装なのに、桜子は襲の色目をあれこれと吟味しながら、姫の着付けを楽しげに繰り返す。
髪を丹念に梳り、化粧をしてやり、立たせ、座わらせ、その姿をしげしげと眺めては目を細める。生人形の姫は、まったく桜子の玩具だった。
夜は夜とて桜子は、姫と同じ床で寝た。両腕で抱え、顔を寄せて。
姫の透けるように白い肌、白くはあるが内に熱い血をたぎらせた桜子の肌。
おれは桜子の裸身を見たことはないが、つい想像してしまう。
華奢でなよなよした姫の肢体とくらべ、桜子の身体はしなやかに引き締まり、鞭のようでもあるだろう。冷たい、とろりとした二人の黒髪だけは、どちらのものともわからぬほどに交じり、絡まり合っていることだろう。
おれは悶々として家の外に出た。
春とはいえ、夜気は冷たい。
頭を冷やすにはよさそうだ。
灯火がなくとも、そぞろ歩きできる明るさだ。満月に近い月が、ほんの少しの雲を帯びながら空にかかっていた。
隠れ家の周りは山桜の木が多い。夜叉丸は柄にもなく桜が好きだったようで、桜子の名の由来もそこにある。
いま、桜のつぼみはほころびかけていた。気の早い花が、ぽつぽつと咲き始め、ほの白く月の光を含んでいる。
少し行くと、枝垂れ桜の樹の下に人影を見つけた。
太い樹の根元に、ゆったりと腰を下ろしているのは翠野だった。瓶子を傍に置き、月を見ながらの独り酒を洒落込んでいるようだ。
翠野はおれに気づいたようだ。言ってやりたいことがあったので、おれはそちらに近づいた。
「あの姫のことを、どこで知った。翠野」
翠野は盃の酒を飲み干し、新しい酒を注いでおれに手渡した。おれは翠野の脇にどっかりと座って、酒をあおった。
「都にいたころ、わたしはさる陰陽師の弟子だった」
翠野は目を細め、夜空を見上げた。
「ある時、師があの姫の館から依頼を受けた。姫の病は治らぬものかと。師は、姫は病ではなく魂がないだけだと判断した。わたしは、師の命を受け、姫の魂を長く捜した」
「それが桜子か」
「ああ。捜しあてたとたん、もう姫にかかわらなくてもよいとのお達しだ。拍子抜けすること夥しい」
「なぜ?」
「帝が姫の噂を聞き、興味をもたれた。動かず、意思もない人形のような姫に、だ。姫の入内が決まった」
おれはもう一口酒を飲み、顔をしかめた。
「いい趣味とは言えんな」
「普通の女には倦いてくるのだろうさ」
翠野はおれから盃を取りかえし、再び飲みはじめた。おれは瓶子から直に酒を飲もうとしたが、半分こぼしてむせかえってしまった。
「帝の邪魔をしたのか」
口をぬぐいながらおれは言った。
「逆鱗に触れるぞ。巻き添えはごめんだ」
「勝手に怒らせておけ」
翠野はあっさりと言った。
「姫は、帝よりも桜子の方がふさわしい」
「桜子が姫にかまけすぎて、稼業がおろそかになっては困る」
「さてな」
翠野は首をかしげた。
「どうなるか」
人を小馬鹿にしたような物言いに、おれは声を荒げた。
「いったい、おまえは何をしたい」
「これは、めったにない面白い事象だ」
薄い笑みを浮かべて翠野は言った。
「二つの身体に一つの魂。生まれたての魂は、二人の間でまだ固定されていなかった。引き離された時、魂の核がついていったのは桜子の方だ。魂の緒は姫にも繋がっている。そうでなければ姫は生きていないだろう」
おれは言葉も出ず、翠野の横顔をにらんでいた。おれの怒りにもかまわず、翠野は楽しげに語り続ける。
「わたしは桜子に姫を与えた。二人が再び近づいた時、魂はどうなるか。すっかりと桜子に根を下ろしたままなのか、姫にも惹かれてしまうのか」
翠野は、おれの方に首をめぐらして目を細めた。
「興味がある。なりゆきをこの目で見てみたい」
「気色の悪いやつだ」
おれの怒りは頂点に達した。まるで桜子たちを掌の上で弄んでいるような言いぐさではないか。
おれは立ち上がり、腰の刀をすらりと抜いた。
「もう何も見えないようにしてやろうか」
翠野は声を出して小さく笑った。
その時、突然月が翳った。あたりは真の闇になる。
おれは翠野の居た場所に刀を振り下ろしたが手応えはない。
一陣の風が吹いた。
月明かりが甦った。
おれは、ぐるりとあたりを見まわした。
桜の木々が、皎々と充ちた月の光を静かに浴びているばかりだ。
翠野の姿はどこにもなかった。
自分は水干姿の男装なのに、桜子は襲の色目をあれこれと吟味しながら、姫の着付けを楽しげに繰り返す。
髪を丹念に梳り、化粧をしてやり、立たせ、座わらせ、その姿をしげしげと眺めては目を細める。生人形の姫は、まったく桜子の玩具だった。
夜は夜とて桜子は、姫と同じ床で寝た。両腕で抱え、顔を寄せて。
姫の透けるように白い肌、白くはあるが内に熱い血をたぎらせた桜子の肌。
おれは桜子の裸身を見たことはないが、つい想像してしまう。
華奢でなよなよした姫の肢体とくらべ、桜子の身体はしなやかに引き締まり、鞭のようでもあるだろう。冷たい、とろりとした二人の黒髪だけは、どちらのものともわからぬほどに交じり、絡まり合っていることだろう。
おれは悶々として家の外に出た。
春とはいえ、夜気は冷たい。
頭を冷やすにはよさそうだ。
灯火がなくとも、そぞろ歩きできる明るさだ。満月に近い月が、ほんの少しの雲を帯びながら空にかかっていた。
隠れ家の周りは山桜の木が多い。夜叉丸は柄にもなく桜が好きだったようで、桜子の名の由来もそこにある。
いま、桜のつぼみはほころびかけていた。気の早い花が、ぽつぽつと咲き始め、ほの白く月の光を含んでいる。
少し行くと、枝垂れ桜の樹の下に人影を見つけた。
太い樹の根元に、ゆったりと腰を下ろしているのは翠野だった。瓶子を傍に置き、月を見ながらの独り酒を洒落込んでいるようだ。
翠野はおれに気づいたようだ。言ってやりたいことがあったので、おれはそちらに近づいた。
「あの姫のことを、どこで知った。翠野」
翠野は盃の酒を飲み干し、新しい酒を注いでおれに手渡した。おれは翠野の脇にどっかりと座って、酒をあおった。
「都にいたころ、わたしはさる陰陽師の弟子だった」
翠野は目を細め、夜空を見上げた。
「ある時、師があの姫の館から依頼を受けた。姫の病は治らぬものかと。師は、姫は病ではなく魂がないだけだと判断した。わたしは、師の命を受け、姫の魂を長く捜した」
「それが桜子か」
「ああ。捜しあてたとたん、もう姫にかかわらなくてもよいとのお達しだ。拍子抜けすること夥しい」
「なぜ?」
「帝が姫の噂を聞き、興味をもたれた。動かず、意思もない人形のような姫に、だ。姫の入内が決まった」
おれはもう一口酒を飲み、顔をしかめた。
「いい趣味とは言えんな」
「普通の女には倦いてくるのだろうさ」
翠野はおれから盃を取りかえし、再び飲みはじめた。おれは瓶子から直に酒を飲もうとしたが、半分こぼしてむせかえってしまった。
「帝の邪魔をしたのか」
口をぬぐいながらおれは言った。
「逆鱗に触れるぞ。巻き添えはごめんだ」
「勝手に怒らせておけ」
翠野はあっさりと言った。
「姫は、帝よりも桜子の方がふさわしい」
「桜子が姫にかまけすぎて、稼業がおろそかになっては困る」
「さてな」
翠野は首をかしげた。
「どうなるか」
人を小馬鹿にしたような物言いに、おれは声を荒げた。
「いったい、おまえは何をしたい」
「これは、めったにない面白い事象だ」
薄い笑みを浮かべて翠野は言った。
「二つの身体に一つの魂。生まれたての魂は、二人の間でまだ固定されていなかった。引き離された時、魂の核がついていったのは桜子の方だ。魂の緒は姫にも繋がっている。そうでなければ姫は生きていないだろう」
おれは言葉も出ず、翠野の横顔をにらんでいた。おれの怒りにもかまわず、翠野は楽しげに語り続ける。
「わたしは桜子に姫を与えた。二人が再び近づいた時、魂はどうなるか。すっかりと桜子に根を下ろしたままなのか、姫にも惹かれてしまうのか」
翠野は、おれの方に首をめぐらして目を細めた。
「興味がある。なりゆきをこの目で見てみたい」
「気色の悪いやつだ」
おれの怒りは頂点に達した。まるで桜子たちを掌の上で弄んでいるような言いぐさではないか。
おれは立ち上がり、腰の刀をすらりと抜いた。
「もう何も見えないようにしてやろうか」
翠野は声を出して小さく笑った。
その時、突然月が翳った。あたりは真の闇になる。
おれは翠野の居た場所に刀を振り下ろしたが手応えはない。
一陣の風が吹いた。
月明かりが甦った。
おれは、ぐるりとあたりを見まわした。
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翠野の姿はどこにもなかった。
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