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09 羊 (生贄) -side キャルム-
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「笑いたくないなら笑わなければいいのに……」
婚約者ノーラのタウンハウスで小柄な令嬢から声を掛けられた時、キャルムは正直『またか』と呆れてしまった。
作った笑顔の裏に本当の感情を隠すなど、貴族ならば当たり前の処世術。わざわざ作り笑いを指摘することの方が非常識だと思うのだが、同年代の集まりの際にキャルムの笑顔についてわざわざ指摘してくる令嬢は少なくない。
以前のキャルムは自身の愛想笑いが下手なのが悪いと反省していた。ある日、仲の良い令息たちと話している際に、キャルムだけでなく他の令息も令嬢たちから笑顔について言及されていることが判明し、その際、姉妹のいる令息が恋愛小説について話をしてくれたことで理由を知った。
令嬢向けの恋愛小説の中には、男の作り笑いについて指摘することから恋が始まる内容のものが沢山あるらしい。
「……笑いたくないのに笑っていると、泣きたい時に泣けなくなっちゃうんですよ」
婚約者のタウンハウスにいる令嬢に失礼なことは出来ないからとキャルムが返事を迷っているうち、小柄な令嬢は追加でいかにもなことを言って去っていった。
よく手入れされていると分かる艶々でサラサラのチョコレート色の髪、綺麗に整えられた小さな爪、水仕事を知らない白く綺麗な指先、他人の手で整えられ苦労も知らずに大切に育てられていると分かる幼い令嬢。
その”泣きたい時”など、キャルムからしたら下らない悩みだろうとしか思えない。
「彼女は母の違う姉なんです」
その後のノーラと二人きりのお茶会で、令嬢の正体が婚約者ノーラの異母姉だと判明した。その第一印象は呆れ半分、そんな俗物がアクランド伯爵家にいることに驚き半分と、あまり良いものではなかった
。
ただでさえ愚かだと蔑視していたアクランド伯爵が、考えなしに連れてきた愛人の娘。それも初対面の貴族の令息に品なく自分を売り込んでくる浅薄さ。
暗愚な父親を補うように働くノーラの辛労はこれまでの比ではないだろう。現に一緒にお茶を飲むノーラの顔色は目に見えて悪い。
口数が少なくおっとりしているおかげでごまかせているが、青白い顔色、睡眠不足からか充血した瞳、インクで汚れた指先、明らかに普段よりも憔悴している。
「ノーラ、いつもより顔色が悪い。ただでさえ忙しいのに、お姉さんを引き取ったことで仕事が増えたのが原因かな。僕に何か手伝えることはない?」
なるべく自然に声を出すよう頑張ったが、うまくいっただろうか。少しぎこちなかった気がすると反省する。
キャルムは16歳、ノーラは15歳。ここ数年、社交シーズンに会うたび、まるで蕾が綻ぶように艶やかに成長していくノーラ。そんなノーラと二人きりの時、柄にもなく緊張してしまうことがキャルムの最近の悩みなのだ。
「顔色、悪いですか?自分では気づけなかったです。心配していただいてありがとうございます。」
キャルムが聞いてから一呼吸どころではない時間黙り込んだ後、ノーラは下手をすると間延びして聞こえかねないほどゆったりと返事を返してきた。頰にてを当てて顔を傾げている。
輝く黄金色の髪が一房顔にかかり、垂れた髪をゆるりと小さな耳にかけるノーラの小さな手と指に不思議な色気を感じ内心うろたえてしまう。
キャルムは3ヶ月後に学園へ入学するとはいえ、すでに学園で学ぶ範囲の勉強は終わっている。ノーラからアクランド伯爵家の羊毛関係の書類を任されているが、慣れてきたおかげか最近では余裕が出てきた。翌年にノーラも学園へ入学してくることを考慮すれば、今のうちにノーラの負担を減らしておいた方が良いだろう。
そんな考えからもっと仕事を任せて欲しいと声を掛けているのだが、なぜかノーラからは頑なに拒まれてしまう。
あのいけ好かない従者のルカから何か吹き込まれているのかと疑っていたが、異母姉がいたとなるとノーラは仕事を譲らないことで嫡子の立場を示しているのかもしれない。
キャルムはノーラから任された羊毛関係の仕事をするのが好きだ。
仕事は、本や教科書通りにはいかない、臨機応変に対応しないといけない、沢山の領民の生活がかかっているという重大な責任もある。そんな仕事をするのはとても、そう、読書や勉強よりももっとずっととても楽しい。そのせいかノーラとは仕事の話ばかりしてしまう。
学園入学前の令息と令嬢、まして婚約者同士とは思えないやりとりなのだがキャルムはこの時間が嫌いではない。そして、まだ思春期のキャルムには、仕事の話ばかりすることへ婚約者のノーラがどう感じるかまで考える余裕はなかった。
そんなノーラとのお茶会の最後、キャルムはノーラに突然できた異母姉の名が”フィーネ”だと知った……。
ーーーーー
ノーラとお茶会をしたその日の夜遅く、キャルムは父の執務室へ呼び出された。
いつもなら後ろに控えておく従者を父は室外に下げ、執務室には父とキャルムの二人きり。
就寝前に自室で勉強をしていたために寝間着姿のキャルムに対し、父はトレーニングを終えたばかりの軽装。ただでさえ野性的な容姿をしている父のその姿は、貴族の当主というよりも反社会組織の首領と言われた方が違和感がない。対して、愛くるしい容姿でかつて妖精令嬢と持て囃されていた母親に似ているキャルム。
父とキャルムは同じ銀髪に紫色の瞳だというのに、全く親子には見えない。
まるで反社会組織の首領な父と元妖精令嬢な母。相容れないのはその容姿だけではない。キャルムの父と母、ダリモア辺境伯夫妻はとても仲が悪い。
領地と王都それぞれに愛人がいることを隠さない父に対し、領地へ帰らず1年を通し王都で暮らす母。このくらい政略結婚ならば珍しいことではないのかもしれないが、貴族としての生き方からはじまり善悪への価値観や倫理観、食の好みに至るまで、何もかもが異なる二人は相性が悪すぎるのだ。
ダリモア辺境伯には3人の息子がいる。
長男は嫡子、次男はダリモア家に残り長男を補佐し、そして三男はアクランド伯爵家に婿入りする予定。そんな三男キャルムの婚約は、亡きアクランド伯爵夫人と友人だった母が父に相談なく結んだものだった。
「アクランドんとこに妾の子がいたんだってな。お前、婿入りするよりその庶子ちゃんと結婚しろよ」
キャルムの従者は、早速、アクランド伯爵家が庶子を引き取り養子縁組したと父に報告していたようだ。キャルムに付いている従者は父のつけた者と母がつけた者、二人。二人ともにキャルムよりもそれぞれの主人である父と母への忠誠心の方が厚い。
母が勝手に決めたキャルムの婚約に対し、父は長年静観していたが、実は納得はしていなかったということだろうか。婚約者の異母姉、しかも最近まで平民だった愛人の娘の方と結婚する指示をするほどだ。
「……自分の嫁や子供を”生贄”にするのは嫌です」
「流石に俺だって自分の孫を”生贄”にするほど人でなしじゃねーよ。その庶子ちゃんとは子供を作らなきゃいいだけだ。初対面の男にちょっかいかけるような尻軽、放っておけば托卵で孕む。……俺はやっぱ、筋肉バカなアイザックよりお前にダリモアに残って欲しいんだよなぁ。お前だって優秀な伯爵のただの種馬になるより単細胞なライリーを裏から操る方がおもしろいだろ?」
筋肉バカなアイザックとはキャルムの次兄、単細胞なライリーとは長兄のこと。父は辺境伯を補佐する次兄の役目をキャルムへ与えたいようだ。
”生贄”。
貴族の家なら必ずある家史。我がダリモア辺境伯家にももちろんある。
その中でも、本家直系の男子しか知ることができない秘匿された家史の中に、今から300年ほど前に他国からの侵略を防ぐため聖獣の力を借りていた記録が残っている。当時のダリモア辺境伯家が聖獣を呼び出し力を借りるために差し出していたのは”生贄”の心臓。
魔力は心臓で作られる。
聖獣が好む魔力を持った人間へ魔力を放出し続ける魔法をかけ、その魔力を放出している心臓を生きたまま抜き取る。その心臓を餌にすれば未契約でも聖獣を召喚し、その力を借りることができるのだ。
この心臓を使った召喚術は今では禁術となっていているのだが、隠された家史とともにこっそりと伝えられている。
つまるところの”生贄”、聖獣が好む魔力を持った人間、心臓の持ち主は、伯爵位を授かる前平民だった頃のアクランド伯爵家の先祖で間違いない。
父はキャルムとフィーネを結婚させることで、フィーネとその子供をダリモア辺境伯家で囲おうと考えているのだ。有事に備える備蓄のようなものだろう。
直系男子にしか伝えられないダリモア家の家史が書かれた禁書を父に渡された時、キャルムはすでにノーラと婚約していた。
太古の昔の出来事のためか、どこか自分とは関係がないお伽話かのように禁書を読んでいたキャルムは、おどろおどろしい挿絵に目が止まる。
描かれているのは黒いナイフで心臓をくり抜かれている瞬間の少女。怯える表情がリアルで、救いを求める悲痛な声が聞こえてきそうなほどで、強烈な印象で、まぶたの裏から消えてくれない、兇悪な絵。
その挿絵の少女を、黒いナイフを突き立てられ心臓を抜き取られている生贄を、自身の婚約者ノーラと重ねてしまった。そこで初めてこれはお伽話などではなく現実に起きた出来事なのだと実感したキャルムは、その残忍冷酷さに震え、夜になってベッドで横になっても中々眠りにつくことができなかったことを覚えている。
300年前にできた王国法で人命を使った魔法、つまり、生贄の使用が禁止されたが、どんなことにも抜け道はある。命を落とした本人からの希望、献身だったと証明できれば罪には問われない。
つまり生贄本人が自らの心臓に魔力を放出し続ける魔法をかけ、心臓を対価にする召喚術をも生贄自身が発動すればよい。それだけのこと。
生贄のことを聖女や聖者とでも呼び、特別な存在なのだと煽てる。その側らで、非常時には皆のためにその身を捧げるように教育、いや、洗脳する。
論理上は可能だ。……洗脳する側が罪悪感に耐え得ることができるならば、だが。
嵐や地震、雪崩や噴火、津波、敵国からの奇襲など、有事への備えには限りがある。いつか何かが起きた時、ダリモア領のために殉ずるようにフィーネやいずれ生まれるだろうフィーネの子供を洗脳しておけば、ダリモアの領民を守ることに繋がる。
血が繋がっていなければいいと父は言うが、たとえ自分の子供ではないとしても、キャルムにはそんな鬼畜の所業はできそうもない。
「アクランドの野郎、学生の頃からバカだバカだとは思ってたけどここまでとはなぁ。”一人っ子の呪い”なんかないって、アクランドより古い家はみーんな知ってるのに。ま、これも”一人っ子”のせいか。スペアが作れないと、あんなバケモン級のアホでも家を継がせるしかなくなるってことだな」
公爵家や侯爵家、辺境伯家など300年以上前からある貴族家ならば、大なり小なりアクランド伯爵家の祖先を生贄にすることで利益を得た歴史が記された家史が残っているはずだ。古い家は生贄の心臓を使う聖獣の召喚術を知っていて、そして、アクランド伯爵家の”一人っ子の呪い”は周囲への建前だとも知っている。
様々な貴族の家で囲われ、まるで家畜のように繁殖を管理され、飼いならされ、災害や非常時の際にその命を利用されてきたアクランド伯爵家の祖先。その生贄の歴史に終止符を打ち、アクランド伯爵として爵命したのは今から300年前のこと。
当時の我が王国は好戦的な帝国に攻められ、防戦一方だった。帝国の侵略を水際で食い止めるためにアクランド伯爵家の祖先はその命を散らすことを求められ順当に数を減らしていき、聖獣のおかげで帝国が諦め撤退した後には生贄はたった一人の少女しか残っていなかった。
その唯一の生き残りの少女と当時の第二王子が恋に落ちたのだ……。
第二王子は当時の王のお気に入りで、当時進められていた奴隷廃止の法案へ、無理矢理、生贄を禁止する旨を入れ込む。そして、父王に生き残りの少女をアクランド伯爵として爵命してもらい、当時砂漠だったアクランドを領地として賜り、アクランド伯爵となった少女と第二王子は結婚した。
アクランド伯爵の夫となった元第二王子は、王子時代の個人資産全てを使って購入した巨大な水晶を領土となった砂漠の地アクランドに設置し、聖獣・虹蛇を探し出して召喚契約を結び、アクランド伯爵となった少女の魔力を巨大水晶に込め、虹蛇に魔力を渡して対価としてアクランドへ雨を降らせた。
虹蛇の召喚を繰り返し数年かけてアクランドの地を砂漠から半乾燥地帯にするだけでなく、優秀な手腕で他の領地と変わらないまでに繁栄させることにも成功した。
その上で嫡子一人しか子供を生まず傍系を作らない掟を作り、繁栄したアクランドの領地と領民を盾に、アクランド伯爵家の子孫が再び生贄として狙われることがないように対策したのだ。
もしもアクランド伯爵家の人間がいなくなれば、アクランドは人が住めない砂漠に戻ってしまうだろう。王国はそれを負債や被害と捉えるし、原因を起こした者を探し出して罪に問い損失を補填させる。
ダリモア家の直系男子しか読めない家史・王国の歴史・ノーラとの交流で見聞きしたアクランド伯爵家の実情から、キャルムはそう判断したが大筋は間違えていないはずだ。
聖獣に捧げる生贄として攫われることがないように、その特異な魔力が流れる血を欲する他家と余計な争いが生まれないように、子供を嫡子一人に絞っている。余計な火種を生まず、間接的に王国から守ってもらうよう対策している。あえての”一人っ子”だと、父が言う通り、歴史が長い家出身でアクランド伯爵家の生贄時代を知っている者は皆そう思っているだろう。
ただ、婚約者としてアクランド伯爵家の人間と深く関わったことがあるキャルムの所感としては、当のアクランド伯爵とノーラの二人は自分たちの祖先が生贄だった過去を知らないのではないかと推測している。
ノーラとの会話の端々からその事に気づいてはいたが、キャルムは結婚しアクランド伯爵家へ婿入りしたら自分がノーラへ伝えるので問題がないと放置していて、そして、アクランド伯爵とノーラが生贄の歴史を知らないことを父ダリモア辺境伯に報告する必要はないと黙っていた。
おそらくは、ノーラの祖父・前アクランド伯爵からその息子・現アクランド伯爵へ”一人っ子の呪い”は建前だと伝えることが出来なかったのだろう。原因は分からないが、ノーラの異母姉フィーネの存在を知ったことでこの推測は間違えていなかったと確信に至る。
アクランド伯爵は浅薄な俗物。だが、決して鬼畜ではない。安易に庶子を作るまではしたとしても、生贄の歴史を知っているのに自分の娘を危険に晒す、わざわざ庶子の存在を周囲に示し貴族子息のいる貴族学園に入学させる、そんな冷酷な人物には思えない。
それから、おっとりとしているせいで勘違いされやすいが、ノーラは愚鈍ではない。思慮深く、そして、貴族として必要ないほどに慈悲深い。もしも突然現れた愛人の娘が気に入らないとしても、それでも彼女の安全を考えて貴族学園へ入学することは防ぐはずだ。
キャルムは今日のお茶会ではじめてフィーネというアクランド伯爵家の庶子の存在を知った。しかも、フィーネは貴族学園へ入学する予定。
アクランド伯爵とノーラへ過去の生贄の件を説明し、フィーネがどれだけ危険な状況にいるか理解させ、フィーネの貴族学園入学を諦めさせるべきだろうかと思案しているところだった。キャルムが対処するより前に、キャルムの従者は父にアクランド伯爵の庶子フィーネの存在を教えてしまったのだ。
従者にはちゃんと口止めをしていたのだが、嫡男ですらないキャルムよりも当主である父の方を優先されてしまったようだ。
「アクランドはとんでもないアホだがあのお嬢ちゃんは違う。死んだ嫁に似たんだろうな……。となると、現アクランド伯爵サマと次期アクランド伯爵サマは、自分らのご先祖サマが生贄だったって知らねえってことか。つまりは庶子ちゃん含めて、一家揃って庶子ちゃんが一部の貴族から狙われてる現状に気づいてない、と」
正確に状況を把握していく父……。
これからフィーネの貴族学園入学を取りやめたところで、特に意味はないだろう。父がフィーネを手に入れることを諦めるとは思えない。
生贄の過去を知らないアクランド伯爵とノーラのことだ。フィーネの存在を隠しているとは思えない。制服の採寸、学術品の購入、入学に合わせて貴族の礼儀作法を教えるために教師を付けるなど、すでにアクランド伯爵令嬢フィーネの存在を誤魔化せないほどに周囲に露見してしまっているだろう。
家に囲いこんで守るよりもむしろ学園へ入学させて堂々と生活させた方が危険が少ないかもしれない。
「ノーラにはアクランド伯爵家の生贄の歴史を話し対策させようと思います。私はアクランド伯爵に婿入りしたいです」
「おい、うちの家史を他家に話すのを俺が許す訳ないだろう。俺が単細胞なライリーを嫡男にしてるのは長男だからじゃない。あいつはあれで意外と堅実だし、冷酷な判断もちゃんとできるからな。お前のは賢いし勘もいいけど当主にするには色々甘い。……キャルム、今のお嬢ちゃんはお前の話を信じるのか?」
意地の悪い微笑みを口元に浮かべている父をどういうことだと睨みながら、キャルムはひどく嫌な予感で動機が激しくなる。
婚約者ノーラのタウンハウスで小柄な令嬢から声を掛けられた時、キャルムは正直『またか』と呆れてしまった。
作った笑顔の裏に本当の感情を隠すなど、貴族ならば当たり前の処世術。わざわざ作り笑いを指摘することの方が非常識だと思うのだが、同年代の集まりの際にキャルムの笑顔についてわざわざ指摘してくる令嬢は少なくない。
以前のキャルムは自身の愛想笑いが下手なのが悪いと反省していた。ある日、仲の良い令息たちと話している際に、キャルムだけでなく他の令息も令嬢たちから笑顔について言及されていることが判明し、その際、姉妹のいる令息が恋愛小説について話をしてくれたことで理由を知った。
令嬢向けの恋愛小説の中には、男の作り笑いについて指摘することから恋が始まる内容のものが沢山あるらしい。
「……笑いたくないのに笑っていると、泣きたい時に泣けなくなっちゃうんですよ」
婚約者のタウンハウスにいる令嬢に失礼なことは出来ないからとキャルムが返事を迷っているうち、小柄な令嬢は追加でいかにもなことを言って去っていった。
よく手入れされていると分かる艶々でサラサラのチョコレート色の髪、綺麗に整えられた小さな爪、水仕事を知らない白く綺麗な指先、他人の手で整えられ苦労も知らずに大切に育てられていると分かる幼い令嬢。
その”泣きたい時”など、キャルムからしたら下らない悩みだろうとしか思えない。
「彼女は母の違う姉なんです」
その後のノーラと二人きりのお茶会で、令嬢の正体が婚約者ノーラの異母姉だと判明した。その第一印象は呆れ半分、そんな俗物がアクランド伯爵家にいることに驚き半分と、あまり良いものではなかった
。
ただでさえ愚かだと蔑視していたアクランド伯爵が、考えなしに連れてきた愛人の娘。それも初対面の貴族の令息に品なく自分を売り込んでくる浅薄さ。
暗愚な父親を補うように働くノーラの辛労はこれまでの比ではないだろう。現に一緒にお茶を飲むノーラの顔色は目に見えて悪い。
口数が少なくおっとりしているおかげでごまかせているが、青白い顔色、睡眠不足からか充血した瞳、インクで汚れた指先、明らかに普段よりも憔悴している。
「ノーラ、いつもより顔色が悪い。ただでさえ忙しいのに、お姉さんを引き取ったことで仕事が増えたのが原因かな。僕に何か手伝えることはない?」
なるべく自然に声を出すよう頑張ったが、うまくいっただろうか。少しぎこちなかった気がすると反省する。
キャルムは16歳、ノーラは15歳。ここ数年、社交シーズンに会うたび、まるで蕾が綻ぶように艶やかに成長していくノーラ。そんなノーラと二人きりの時、柄にもなく緊張してしまうことがキャルムの最近の悩みなのだ。
「顔色、悪いですか?自分では気づけなかったです。心配していただいてありがとうございます。」
キャルムが聞いてから一呼吸どころではない時間黙り込んだ後、ノーラは下手をすると間延びして聞こえかねないほどゆったりと返事を返してきた。頰にてを当てて顔を傾げている。
輝く黄金色の髪が一房顔にかかり、垂れた髪をゆるりと小さな耳にかけるノーラの小さな手と指に不思議な色気を感じ内心うろたえてしまう。
キャルムは3ヶ月後に学園へ入学するとはいえ、すでに学園で学ぶ範囲の勉強は終わっている。ノーラからアクランド伯爵家の羊毛関係の書類を任されているが、慣れてきたおかげか最近では余裕が出てきた。翌年にノーラも学園へ入学してくることを考慮すれば、今のうちにノーラの負担を減らしておいた方が良いだろう。
そんな考えからもっと仕事を任せて欲しいと声を掛けているのだが、なぜかノーラからは頑なに拒まれてしまう。
あのいけ好かない従者のルカから何か吹き込まれているのかと疑っていたが、異母姉がいたとなるとノーラは仕事を譲らないことで嫡子の立場を示しているのかもしれない。
キャルムはノーラから任された羊毛関係の仕事をするのが好きだ。
仕事は、本や教科書通りにはいかない、臨機応変に対応しないといけない、沢山の領民の生活がかかっているという重大な責任もある。そんな仕事をするのはとても、そう、読書や勉強よりももっとずっととても楽しい。そのせいかノーラとは仕事の話ばかりしてしまう。
学園入学前の令息と令嬢、まして婚約者同士とは思えないやりとりなのだがキャルムはこの時間が嫌いではない。そして、まだ思春期のキャルムには、仕事の話ばかりすることへ婚約者のノーラがどう感じるかまで考える余裕はなかった。
そんなノーラとのお茶会の最後、キャルムはノーラに突然できた異母姉の名が”フィーネ”だと知った……。
ーーーーー
ノーラとお茶会をしたその日の夜遅く、キャルムは父の執務室へ呼び出された。
いつもなら後ろに控えておく従者を父は室外に下げ、執務室には父とキャルムの二人きり。
就寝前に自室で勉強をしていたために寝間着姿のキャルムに対し、父はトレーニングを終えたばかりの軽装。ただでさえ野性的な容姿をしている父のその姿は、貴族の当主というよりも反社会組織の首領と言われた方が違和感がない。対して、愛くるしい容姿でかつて妖精令嬢と持て囃されていた母親に似ているキャルム。
父とキャルムは同じ銀髪に紫色の瞳だというのに、全く親子には見えない。
まるで反社会組織の首領な父と元妖精令嬢な母。相容れないのはその容姿だけではない。キャルムの父と母、ダリモア辺境伯夫妻はとても仲が悪い。
領地と王都それぞれに愛人がいることを隠さない父に対し、領地へ帰らず1年を通し王都で暮らす母。このくらい政略結婚ならば珍しいことではないのかもしれないが、貴族としての生き方からはじまり善悪への価値観や倫理観、食の好みに至るまで、何もかもが異なる二人は相性が悪すぎるのだ。
ダリモア辺境伯には3人の息子がいる。
長男は嫡子、次男はダリモア家に残り長男を補佐し、そして三男はアクランド伯爵家に婿入りする予定。そんな三男キャルムの婚約は、亡きアクランド伯爵夫人と友人だった母が父に相談なく結んだものだった。
「アクランドんとこに妾の子がいたんだってな。お前、婿入りするよりその庶子ちゃんと結婚しろよ」
キャルムの従者は、早速、アクランド伯爵家が庶子を引き取り養子縁組したと父に報告していたようだ。キャルムに付いている従者は父のつけた者と母がつけた者、二人。二人ともにキャルムよりもそれぞれの主人である父と母への忠誠心の方が厚い。
母が勝手に決めたキャルムの婚約に対し、父は長年静観していたが、実は納得はしていなかったということだろうか。婚約者の異母姉、しかも最近まで平民だった愛人の娘の方と結婚する指示をするほどだ。
「……自分の嫁や子供を”生贄”にするのは嫌です」
「流石に俺だって自分の孫を”生贄”にするほど人でなしじゃねーよ。その庶子ちゃんとは子供を作らなきゃいいだけだ。初対面の男にちょっかいかけるような尻軽、放っておけば托卵で孕む。……俺はやっぱ、筋肉バカなアイザックよりお前にダリモアに残って欲しいんだよなぁ。お前だって優秀な伯爵のただの種馬になるより単細胞なライリーを裏から操る方がおもしろいだろ?」
筋肉バカなアイザックとはキャルムの次兄、単細胞なライリーとは長兄のこと。父は辺境伯を補佐する次兄の役目をキャルムへ与えたいようだ。
”生贄”。
貴族の家なら必ずある家史。我がダリモア辺境伯家にももちろんある。
その中でも、本家直系の男子しか知ることができない秘匿された家史の中に、今から300年ほど前に他国からの侵略を防ぐため聖獣の力を借りていた記録が残っている。当時のダリモア辺境伯家が聖獣を呼び出し力を借りるために差し出していたのは”生贄”の心臓。
魔力は心臓で作られる。
聖獣が好む魔力を持った人間へ魔力を放出し続ける魔法をかけ、その魔力を放出している心臓を生きたまま抜き取る。その心臓を餌にすれば未契約でも聖獣を召喚し、その力を借りることができるのだ。
この心臓を使った召喚術は今では禁術となっていているのだが、隠された家史とともにこっそりと伝えられている。
つまるところの”生贄”、聖獣が好む魔力を持った人間、心臓の持ち主は、伯爵位を授かる前平民だった頃のアクランド伯爵家の先祖で間違いない。
父はキャルムとフィーネを結婚させることで、フィーネとその子供をダリモア辺境伯家で囲おうと考えているのだ。有事に備える備蓄のようなものだろう。
直系男子にしか伝えられないダリモア家の家史が書かれた禁書を父に渡された時、キャルムはすでにノーラと婚約していた。
太古の昔の出来事のためか、どこか自分とは関係がないお伽話かのように禁書を読んでいたキャルムは、おどろおどろしい挿絵に目が止まる。
描かれているのは黒いナイフで心臓をくり抜かれている瞬間の少女。怯える表情がリアルで、救いを求める悲痛な声が聞こえてきそうなほどで、強烈な印象で、まぶたの裏から消えてくれない、兇悪な絵。
その挿絵の少女を、黒いナイフを突き立てられ心臓を抜き取られている生贄を、自身の婚約者ノーラと重ねてしまった。そこで初めてこれはお伽話などではなく現実に起きた出来事なのだと実感したキャルムは、その残忍冷酷さに震え、夜になってベッドで横になっても中々眠りにつくことができなかったことを覚えている。
300年前にできた王国法で人命を使った魔法、つまり、生贄の使用が禁止されたが、どんなことにも抜け道はある。命を落とした本人からの希望、献身だったと証明できれば罪には問われない。
つまり生贄本人が自らの心臓に魔力を放出し続ける魔法をかけ、心臓を対価にする召喚術をも生贄自身が発動すればよい。それだけのこと。
生贄のことを聖女や聖者とでも呼び、特別な存在なのだと煽てる。その側らで、非常時には皆のためにその身を捧げるように教育、いや、洗脳する。
論理上は可能だ。……洗脳する側が罪悪感に耐え得ることができるならば、だが。
嵐や地震、雪崩や噴火、津波、敵国からの奇襲など、有事への備えには限りがある。いつか何かが起きた時、ダリモア領のために殉ずるようにフィーネやいずれ生まれるだろうフィーネの子供を洗脳しておけば、ダリモアの領民を守ることに繋がる。
血が繋がっていなければいいと父は言うが、たとえ自分の子供ではないとしても、キャルムにはそんな鬼畜の所業はできそうもない。
「アクランドの野郎、学生の頃からバカだバカだとは思ってたけどここまでとはなぁ。”一人っ子の呪い”なんかないって、アクランドより古い家はみーんな知ってるのに。ま、これも”一人っ子”のせいか。スペアが作れないと、あんなバケモン級のアホでも家を継がせるしかなくなるってことだな」
公爵家や侯爵家、辺境伯家など300年以上前からある貴族家ならば、大なり小なりアクランド伯爵家の祖先を生贄にすることで利益を得た歴史が記された家史が残っているはずだ。古い家は生贄の心臓を使う聖獣の召喚術を知っていて、そして、アクランド伯爵家の”一人っ子の呪い”は周囲への建前だとも知っている。
様々な貴族の家で囲われ、まるで家畜のように繁殖を管理され、飼いならされ、災害や非常時の際にその命を利用されてきたアクランド伯爵家の祖先。その生贄の歴史に終止符を打ち、アクランド伯爵として爵命したのは今から300年前のこと。
当時の我が王国は好戦的な帝国に攻められ、防戦一方だった。帝国の侵略を水際で食い止めるためにアクランド伯爵家の祖先はその命を散らすことを求められ順当に数を減らしていき、聖獣のおかげで帝国が諦め撤退した後には生贄はたった一人の少女しか残っていなかった。
その唯一の生き残りの少女と当時の第二王子が恋に落ちたのだ……。
第二王子は当時の王のお気に入りで、当時進められていた奴隷廃止の法案へ、無理矢理、生贄を禁止する旨を入れ込む。そして、父王に生き残りの少女をアクランド伯爵として爵命してもらい、当時砂漠だったアクランドを領地として賜り、アクランド伯爵となった少女と第二王子は結婚した。
アクランド伯爵の夫となった元第二王子は、王子時代の個人資産全てを使って購入した巨大な水晶を領土となった砂漠の地アクランドに設置し、聖獣・虹蛇を探し出して召喚契約を結び、アクランド伯爵となった少女の魔力を巨大水晶に込め、虹蛇に魔力を渡して対価としてアクランドへ雨を降らせた。
虹蛇の召喚を繰り返し数年かけてアクランドの地を砂漠から半乾燥地帯にするだけでなく、優秀な手腕で他の領地と変わらないまでに繁栄させることにも成功した。
その上で嫡子一人しか子供を生まず傍系を作らない掟を作り、繁栄したアクランドの領地と領民を盾に、アクランド伯爵家の子孫が再び生贄として狙われることがないように対策したのだ。
もしもアクランド伯爵家の人間がいなくなれば、アクランドは人が住めない砂漠に戻ってしまうだろう。王国はそれを負債や被害と捉えるし、原因を起こした者を探し出して罪に問い損失を補填させる。
ダリモア家の直系男子しか読めない家史・王国の歴史・ノーラとの交流で見聞きしたアクランド伯爵家の実情から、キャルムはそう判断したが大筋は間違えていないはずだ。
聖獣に捧げる生贄として攫われることがないように、その特異な魔力が流れる血を欲する他家と余計な争いが生まれないように、子供を嫡子一人に絞っている。余計な火種を生まず、間接的に王国から守ってもらうよう対策している。あえての”一人っ子”だと、父が言う通り、歴史が長い家出身でアクランド伯爵家の生贄時代を知っている者は皆そう思っているだろう。
ただ、婚約者としてアクランド伯爵家の人間と深く関わったことがあるキャルムの所感としては、当のアクランド伯爵とノーラの二人は自分たちの祖先が生贄だった過去を知らないのではないかと推測している。
ノーラとの会話の端々からその事に気づいてはいたが、キャルムは結婚しアクランド伯爵家へ婿入りしたら自分がノーラへ伝えるので問題がないと放置していて、そして、アクランド伯爵とノーラが生贄の歴史を知らないことを父ダリモア辺境伯に報告する必要はないと黙っていた。
おそらくは、ノーラの祖父・前アクランド伯爵からその息子・現アクランド伯爵へ”一人っ子の呪い”は建前だと伝えることが出来なかったのだろう。原因は分からないが、ノーラの異母姉フィーネの存在を知ったことでこの推測は間違えていなかったと確信に至る。
アクランド伯爵は浅薄な俗物。だが、決して鬼畜ではない。安易に庶子を作るまではしたとしても、生贄の歴史を知っているのに自分の娘を危険に晒す、わざわざ庶子の存在を周囲に示し貴族子息のいる貴族学園に入学させる、そんな冷酷な人物には思えない。
それから、おっとりとしているせいで勘違いされやすいが、ノーラは愚鈍ではない。思慮深く、そして、貴族として必要ないほどに慈悲深い。もしも突然現れた愛人の娘が気に入らないとしても、それでも彼女の安全を考えて貴族学園へ入学することは防ぐはずだ。
キャルムは今日のお茶会ではじめてフィーネというアクランド伯爵家の庶子の存在を知った。しかも、フィーネは貴族学園へ入学する予定。
アクランド伯爵とノーラへ過去の生贄の件を説明し、フィーネがどれだけ危険な状況にいるか理解させ、フィーネの貴族学園入学を諦めさせるべきだろうかと思案しているところだった。キャルムが対処するより前に、キャルムの従者は父にアクランド伯爵の庶子フィーネの存在を教えてしまったのだ。
従者にはちゃんと口止めをしていたのだが、嫡男ですらないキャルムよりも当主である父の方を優先されてしまったようだ。
「アクランドはとんでもないアホだがあのお嬢ちゃんは違う。死んだ嫁に似たんだろうな……。となると、現アクランド伯爵サマと次期アクランド伯爵サマは、自分らのご先祖サマが生贄だったって知らねえってことか。つまりは庶子ちゃん含めて、一家揃って庶子ちゃんが一部の貴族から狙われてる現状に気づいてない、と」
正確に状況を把握していく父……。
これからフィーネの貴族学園入学を取りやめたところで、特に意味はないだろう。父がフィーネを手に入れることを諦めるとは思えない。
生贄の過去を知らないアクランド伯爵とノーラのことだ。フィーネの存在を隠しているとは思えない。制服の採寸、学術品の購入、入学に合わせて貴族の礼儀作法を教えるために教師を付けるなど、すでにアクランド伯爵令嬢フィーネの存在を誤魔化せないほどに周囲に露見してしまっているだろう。
家に囲いこんで守るよりもむしろ学園へ入学させて堂々と生活させた方が危険が少ないかもしれない。
「ノーラにはアクランド伯爵家の生贄の歴史を話し対策させようと思います。私はアクランド伯爵に婿入りしたいです」
「おい、うちの家史を他家に話すのを俺が許す訳ないだろう。俺が単細胞なライリーを嫡男にしてるのは長男だからじゃない。あいつはあれで意外と堅実だし、冷酷な判断もちゃんとできるからな。お前のは賢いし勘もいいけど当主にするには色々甘い。……キャルム、今のお嬢ちゃんはお前の話を信じるのか?」
意地の悪い微笑みを口元に浮かべている父をどういうことだと睨みながら、キャルムはひどく嫌な予感で動機が激しくなる。
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