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苺
しおりを挟む子どもが駆け回っていた芝生広場は、夜には淡い光の照明でライトアップされ、昼間とはまったく違う、幻想的な雰囲気となった。
灯は、その中でも1番淡い光を放つ照明のひとつを選び、近くのベンチに腰掛けた。
遠くの方に何人か、人影が見えた。みな、同じ目的で集まっているのだろうか。全体を見回したいが、視界が悪い。その原因にようやく気付き、ずいぶん伸びてしまった前髪を少し払い耳にかけた。
「いちごでどう?」
スーツ姿の男が交渉を持ちかけてきた。スーツの上からでもわかる、引き締まった肉体を持っていた。
「ホ別?」
男は、相手が交渉に応じる姿勢を見せたので安堵し、顔を覗き込む。
「ん。お?いや、ホ別2出すわ」
こく、と頷くや否や、男は灯の肩を抱き、ネオンがわざとらしく煌めく方へ歩き出す。その中で割と上品な外観を持つホテルへ、迷いなき足取りでいざなわれた。
男は手際よく受付を済ますと、これまた手際よく部屋まで連れて行き、灯を大きなベッドへぽふん、と座らせた。
「いやー、かわいい顔してんなぁ。どタイプ!」
こちらへ顔を向けっぱなしのまま、上着をハンガーにかける。「器用やな」と、灯は思った。
「あ、まって、未成年と違う?」
「違います」
「生年月日と干支言うて?」
「‥‥‥」
急に聞かれて焦っていた上に、さらに追い打ちをかけられて口ごもってしまった。
「あっぶなー」
「先月で……18になりました」
「ほんまに?ちょっとここに生年月日と名前書いてや」
男に、手帳と高級そうなボールペンをわたされる。「あ、これはアカンやつや」と、観念して、正直に書いた。
「やっぱ嘘やん!てか、字ぃ、汚なっ!ちゃんと学校行ってる?」
あまり触れられたくない所をどすどす小突かれたようで、顔が赤くなる。
「通信。字は、読めるけど書くん苦手なんです」
「えー。せめて誰もが読める字書けた方がいいで。俺が教えたるわ。ほんで、名前なに?」
「灯、です」
「これ?灯って書いてんの?あはははっ」
男がケラケラ笑いながら、隣に勢いよく座ったため、灯がボヨボヨと上下に揺れた。
「あ、あの!」
「んー?」
「セックスしなくていいんですか?いだっ」
意を決して聞いた灯に対し、男は額にチョップを食らわした。
「せんわ。灯、未成年やん。あ、俺はこういう者です」
渡された名刺には、誰もが知る大手企業の名が記されていた。
「めっちゃエリートやん」
「せやで。だからコンプラ厳しいねん」
「……大変ですね」
「まあ、でも。福利厚生ばっちり、給料がっぽりやから多少は我慢できるで。それに」
流れる手捌きで名刺を回収された。徹底しているな、と感心した。
「名刺見せた時、さっきの灯みたいな反応見れてさ。あの愉悦感は何ものにも代え難い」
灯は「そうですか」と興味なさそうに頷き、特に何もすることがないので自分の膝を眺める事にした。急に、灯の膝に大きな影が現れ、体が大袈裟に反応してしまう。身構えていると、影がぴたり止まり、すぐに遠のいた。
「灯は、なんでこんな事してんの?」
「お金欲しくて。早く家出たいんです」
「普通にバイトした方が安全やで?」
「遠回りやないですか。それに、運良く優しいおじさんに出会えて、支援してくれるかもって」
男がベッドに倒れ込む。灯が反射的にそちらを見ると、バチリと目が合った。この男の顔を初めてまじまじと見たが、二重で、少し垂れた目がいやに人懐こい。男の口角がきゅっと上がる。何がそんなに楽しいのか。
「ほな、灯は、めっちゃ運がいいって事やな」
それから、毎日とはいかないが結構な頻度で男と会うようになった。場所はカラオケだったり、ファミレスだったり。健全だ。
宣言した通り、字の書き方を教えてくれた。男の指は節張っていて大きく、ボールペンを持つととても窮屈そうだったが、それに似合わない繊細な文字を書いた。
ひらがなは丸の中に収まるように書くといい、とか、漢字は四角を4つに区切ってパーツごとに書くといい、とか。その通りに書いていると、三ヶ月もすれば灯の字は、誰もが読めるようになった。
字の練習をしてご飯を食べた後は、たまに一緒に出かけた。
ホラー映画が好きだがビビリなので、灯がよく付き添った。
クレーンゲームも好きだがヘタなので、灯がよく付き添った。
字が書けるようになってからは、学生証以外の身分証があった方がいいと言われ、原付免許を取る事になった。必要書類の揃え方やか書き方に至るまで、丁寧に教えてくれた。費用も全額出してくれた。
自分の存在を証明できるカードを手に入れてからは、手に職をつけた方がいいと言われ、手始めに新聞の折込チラシで見つけたリフレクソロジーの通信講座を受けさせてもらった。男が、実技の練習台になったる、とはりきって、週1回(主に土曜か日曜)マッサージをして帰る、というルールができた。「灯のマッサージエロいねん!」と笑われ、すごく恥ずかしかった。
この頃には、会う時は男のアパートに集合が当たり前になっていた。
男の誕生日にハンバーグを作って待っていた。料理は小学生の頃からしているので(しないと死活問題だったので)得意な方だった。帰ってきた男が、すごく喜んでくれた。週1回、晩ご飯を作りに来て一緒に食べてから帰る、というルールが追加された。
通信制の高校を無事卒業できてすぐ、男の転勤が決まり、ついでに連れ出してくれた。
母親には仕事が決まった、と適当な事を言って、毎月仕送りをする条件付きで、家から出る事を許された。
18の誕生日の日に、男の勧めで、昔ながらのバー形式の店で働く事になった。責任者はいい人そうだったし、寮付きだったため、格安で住む場所も確保できた。
お祝いに、高いコース料理をご馳走してもらった。ステーキなんて初めて食べたので感動した。こんなに、なにもかも順調に家を出ることができたのは、男がいたからだ。もしあの時声をかけられてなかったら……もう一つの結末が容易に想像できて、ぞっとする。
涙ながらに感謝の意を伝えると、その日のうちにちゃっかり手を出された。
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