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第十三章 呪われた大地の調査

軌跡の箱

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――トーワの地下室(フィナの研究室)


 初めて訪れた時は何もなかった地下室はすっかり研究室らしい研究室となっていた。
 大きな机が中央にあり、本棚と小さな机が壁端に置いてある。
 中央の机には実験器具とメモと本が置かれ、器具は小さな机の上にもあった。
 視線を上に向けると、天井に換気口。
 換気口には幾重にもフィルターが貼られ、空気以外のもの通り抜けられないようにしてある。

 もはや、最初に訪れた頃の地下室の面影は壁に残った数式と設計図だけになっている。その壁も本棚に隠れ、半分以上見えていない。


 私はフィナに一声かける。

「サンプルを取ってきたぞ」
「ああ~、そこに置いてて」

 彼女はこちらを見ずに、ぬらりとした緑色の液体の入った三角フラスコを振っている。
 おそらく、海藻から有効成分を抽出しているのだろう。
 私たちは彼女の邪魔にならないように、そっと筒を置いて、去り際にもう一度声を掛けた。

「サンプルの分析はどの程度で終わる?」
「うう~ん。今日の夜くらいには終わるよ」
「早いな」
「まぁね~。と、う~ん、海藻によって結構成分が異なるなぁ。組み合わせて、そのつなぎとなる薬効を混ぜればぁ~」


 フィナは会話を行いながらもこっちを一切見ない。
 今は仕事に集中しているようなので、これ以上声を掛けずに立ち去ることにしよう……と、思ったのだが、入り口そばにあった小さな台に灰色の立方体のナルフと銃を収めていた陶器のような金属の箱が目に入った。


「フィナ、このナルフは?」
「ナルフ~? ああ、カインのための医療用のやつ」
「そういえば、造ると言っていたな。それで、出来たのか?」
「うん、あとでカインが取りにくるってぇ~」

「そうか……それとだが、親父から購入したこの銃の箱はいつここに運び込んだのだ?」
「あ~ん、それぇ。ギウに頼んで倉庫から」
「何かわかったのか?」
「うん、オリハルコンと何かの合金。何かの方は完全に未知のものねぇ~。でも~、箱を閉じると内部の時の流れが緩やかになるみた~い」
「なっ? それはすごいことじゃないかっ」

「そうだけど~、あ、駄目だ。これじゃ効果が弱まる。まぁ、あれよ。魔導と錬金の知識でやれない範囲じゃないっぽいし。どうせなら相乗効果を求めたいよねぇ~。謎解きは後回しでいいかなぁって」
「やれるのか……」

「やれるけど、手間だし~。う~ん、吸着性を増して~。お金もかかる割には、何より一流の人材を揃えないといけないから~。一部の成分を細かなカプセル状にして、手に刷り込む際につぶせば。あ~面倒なのよ~」

 どうやら、研究に意識が向いて、返ってくる言葉は上の空のようなもの。
 

「そうか、邪魔したな。頑張ってくれ」
「うん、がんばる~」



――深夜

 
 土の分析結果が出たという連絡をカインから受ける。
 その際、彼は灰色の立方体の医療用ナルフを見せてきた。
 ナルフを手に入れられたのがよほど嬉しかったのか、かなりの上機嫌。
 彼は私の様子など気にせずに、医療用ナルフの素晴らしさを語る
 
 だが、今は先約があるし、諸事情で頭が本調子ではない。
 彼には悪いが高揚する会話を早々と切り上げ、私は一人、フィナの地下室に向かう。
 地下室の扉をノックして、返事を貰い、中へ。


 私が頭を押さえながらフィナに話しかけると、彼女はしかめ面を見せてきた。

「うわっ、お酒くさ」
「先ほどまでマスティフ殿とマフィンに付き合っててな、かなり酔いが回ってる」
「大丈夫? 報告は明日にしようか?」
「いや、問題ない。多少、頭はふわついているが、前後不覚というほどではないからな。それに、深夜にわざわざ呼び出すということは、分析結果によほど興味深いことがあったのだろう?」
「うん、まぁね。それじゃ、ちょっとこっち来てくれる」


 フィナは部屋の中央にある机に向かう。
 机には、長筒から取り出された土の山と、奇妙な箱が置いてあった。
 箱の内部には黒い布が敷かれてあり、箱の外側下部からは冷気が漏れ出している。

 彼女はこの箱に触れる前に、簡単な分析結果を報告してきた。

「分析結果の一部だけど、汚染物質に関しては以前説明した通り、水銀やらカドミウムやらね。それらはわかっていたけど、問題は微量に検出される何かの正体」
「それがわかったのか?」

「具体的にはわからないけど、土からは何らかの粒子が出ているみたいなの」
「なんらかの?」
「それに関してはまだはっきりこれだとは言えないけど、可視化には成功した」
「ほぅ」

「始めはさ、ランプの燃料を白い布に浸して、それを土の間に衝立ついたてのように置いて土から漏れ出る粒子を可視化できるか試してみたんだけど……それでも、わかるっちゃあわかるけど、ちょっとわかりにくかったからね。んで、いま目の前にある箱を作ったってわけ」



――フィナは手袋をはめながら、その箱の簡単なつくりを説明する。


 まず、箱の下に冷気を封じた魔石を配置する。
 その上に箱を置いて、箱の中に黒い布を敷く。
 箱上部の内側にはエタノールを染み込ませた用紙をぐるりと巻く。
 黒い布の中央には強い粒子を出している部分の土を配置。
 そして、ガラスの蓋をする


「これで箱内部に過飽和状態を生み出す」
「過飽和状態というと、水蒸気の場合、水に変化する温度になっても水蒸気のままでいることだな」
「そう。今回はエタノールだけど。このエタノールが蒸発して、低温の箱下部に拡散する。その過程で、エタノール蒸気が存在する領域が過飽和状態になるわけね」

「過飽和状態の水蒸気の場合、埃などの刺激。つまり埃が核となって水滴に変化する。空に浮かぶ、雲の原理か。この箱内部では、土から発生する目に見えない粒子が核となり、エタノールの雲によって軌跡を見ることができるというわけだな……」
「そっ。それが見やすいように黒い布を敷いてるってわけ」
「ということは……まさか、これは……っ!?」

 
 私は酔いのせいで疼く頭を押さえる。
 非常に思考は鈍い。だが、この実験が恐ろしい事実を呼び起こすことに気づいた。
 フィナは私をちらりと見て『無理しないでね』と声を掛けてから、ガラスの天井部からはこの内部を覗くように促す。
 それを私は、恐る恐る覗く。

 過飽和状態となったエタノールは土から発生する粒子を受けて靄のような軌跡を見せている。
 私はその軌跡を目にして、頭の痛みが吹き飛ぶほどの後悔に染まる声を強く漏らす。


「やはりそうか、最悪だっ!」
「どうしたの、ケント?」
「フィナ。私たちはっ…………被曝してしまった!!」
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