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第二十二章 歩む先は深い霧に包まれる
東国リーベン
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――東国リーベン
俺たちは辛くも王都からの脱出に成功し、堅牢な城壁に囲まれた要塞都市・リーベンに訪れ、ひと月近くが経っていた。
冬の空は戦争の機運を察してか、どんよりとした雲たちが覆いつくし、身も心も凍る風が町を震わせる。
毎日のように厳しい寒風が吹き荒ぶが、この周辺は幸いにも乾燥地帯らしく、大雪になることは滅多にないらしい。
だからこそ、春の訪れを待たずに決着がつくだろう。
玉座を争う戦いに……。
現在、ここ要塞都市リーベンでは、この時よりひと月以内に起こるであろう戦いに向けての準備が粛々と行われていた。
日増しに忍び寄る戦の足音だが、それは王都サンオンとリーベンだけのものではない。
ジョウハクの混乱に乗じて、キシトル帝国とソルガム国に怪しげな気配が立ち込め始めた。特に、北のソルガムは大規模な戦闘の準備を行っていると……。
彼らはジョウハクが北に構える城砦を狙っているようだ。
争いが争いを呼び、戦禍が広がろうしている……。
さて、話を東国リーベンへ戻そう。
ここは本来、ティラが隠居するはずだった国。
もっとも国と銘を打っているが、実のところはジョウハクの一地方都市としての扱い。
そのため、国を治める者に王の肩書はなく、諸侯という名で呼ばれている。
町の人々からは領主様と呼ばれるのが慣例のようだ。
この要塞都市は難攻不落と言われるジョウハクの壁。
外から王都サンオンを窺う不届き者たちを弾き返す。
だが今は、その王都サンオンを窺う前線基地。
そのような危険極まりない都市に大勢の人々が溢れ返っている。
それはもちろん、これから起こるであろう戦争のためだ。
ティラを支持する、プラリネ女王に恩義ある者たち。
傭兵や商人に、一儲けを企む胡散臭い連中。
町は不安に怯えているが、同時に冬の寒さを吹き飛ばす活気に溢れている。
リーベンは要塞都市と謳われるだけあって、防備はアクタ随一誇る。
城壁は王都サンオンのそれと比べると見劣りするが、百万の軍勢に足を踏み入れさせずと名高く、壁は並々ならぬ強固なもの。
ぶ厚く、高さ10mを超える、五芒星のような形をした壁が町全体を覆っている。
また、外壁は魔力を帯びて、強力な結界を常に張り巡らせてあった。
さらには、内にも外にも掘りがあり、門以外の出入り口は存在しない。
外の掘りは壁に張り付こうとする敵を阻み、内の掘りは地より侵入を試みる愚者を溺れさせる。
町の内部もまた複雑で、敵を迷わせ、翻弄する。
道のそこかしこに幻惑見せる魔道の罠が存在し、また伏兵を忍ばせる広場があり、それらは攻め込んだ敵を混乱させ、たちまちのうちに討ち取るだろう。
これらは全て、アクタの技術によって作られたもの。
女神の力も、マヨマヨの力もない、アクタの産んだ最強の要塞。
壁内に広がる町は王都と比べればとても小さい。
もちろん、小さいと言っても、都市と呼ばれるだけの広さはある。
ただ、人口の割には土地が少なく、建物が身を寄せ合っている感じだ。
町並みは地味めな屋根多かったサンオンとは大きく異なり、色とりどりの屋根が交差する。
町の内部を複雑化させるためと土地がないためか、大きな通りは少なく、細かな路地に多くの家たちが肩をつける
さらに、サンオンとの大きな違いは背の高い建物が多いこと。
サンオンの建物の多くは二階建て。高くても三階建て。
しかし、リーベンは小さなアパートのような建物が乱立する。
これは土地が狭いため、家が横ではなく上に伸びたためだそうだ。
そんな都市の中央に、リーベンを治める『マチェ=ド=ゼリカ公爵』の屋敷がある。
屋敷は真っ白な外壁に青の屋根の五階建て。
横に広く大きく広がり、右端と左端は縦長に伸び、中央も両端の半分の長さほど伸びている。
もし、空から屋敷を眺めることができたのなら、巨大な漢字の『円』に見えるだろう。
巨大な屋敷――だが、それには理由がある。
ゼリカ家は公爵でありながら魔導の研究者としての顔もあるため、教師の資格を持つ者が多い。
そこで、屋敷を学校として改築した。
そのため、多くの人たちが収容できる五階建ての巨大な屋敷となったそうだ。
俺は現在、その学校を併設した屋敷の運動場で、銀の軽装鎧と肘当てと膝当てを纏い、髪をガガンガの髪飾りで一本にまとめ、戦いやすい姿をしてエヌエン関所の護り手であるケインと稽古をしていた。
ケインは右ストレートを俺に放つ。
俺はひらりと躱して、彼の手首を持ち、その肘に手を置いた。
そこから力を加え、関節を決めようとすると、彼は右手を捩じり手首の戒めを外して、距離を取る。
「やりますね、ヤツハ嬢。ですが、今のは足元も押さえておいた方がいいでしょう」
と、言いながら、左かかとで右足の甲を踏む。
「こうすれば、相手を固定できて、肘をへし折れます」
「そっか、なるほど。だからって、力業で振りほどかれるとは思わなかった……」
「力だけではありませんよ。筋肉の柔軟性のおかげです」
そう言って、彼は力こぶを見せる。因みに、彼は真冬なのに上半身は裸……。
すると、俺たちの戦いを見学していた女子学生と男子学生たちの声が響いた。
「すっご~い。ケイン様~、もっとポージング決めて~」
「ヤツハ様、今度は俺たちと組み手しませんかぁ」
俺とケインは彼らを見ながら互いに言葉をかけあう。
「やりにくいなぁ」
「はっはっは、美しき筋肉は人を酔わすもの。仕方のないことでしょう」
「そりゃ、ケイン様だけだって」
「何を、ヤツハ嬢のその流麗たる筋肉もまた美しい」
「そうかな? ケイン様と比べると全然。まぁ、女と男の筋肉を比べても……」
ふと、ノアゼットの姿が横切る。
(そういや、あの人は女性なのにやたら逞しいなぁ。それこそケインにも負けないくらい)
俺は細身ながらも程よく筋肉のついた自分の前腕をじっと見る。
その様子を不思議に思ったのか、ケインが声を掛けてきた。
「どうされました、ヤツハ嬢?」
「いや、女じゃケイン様みたいな逞しい身体を得られないと思ったけどさ、六龍のノアゼットみたいな人もいるしなぁって」
「ノア、っ……そうですね。ノアゼット様はご自身に厳格であり、苛酷な状況の中で弱音を一言も漏らさず、常に己を磨いておりましたから……」
「うん?」
ケインは精悍な顔立ちに少し寂し気な表情を乗せた。
その様子と今の言葉から、ノアゼットのことを良く知っているように感じ取れる。
それについて尋ねようとしたところで、彼は大きな声をあげた。
「アッハッハッ、ヤツハ嬢も筋肉を労わりつつトレーニングを行い、良い食事を摂取していれば、必ず私やノアゼット様のような肉体を得られますよ」
そう言って、がっしりとポージングを決める。
それはいつものケインだけど、誤魔化しのようにも見える。
あまり話したくはない……そういうことだろうか?
そうであるならば深く問わず、俺は先程のケインの姿を忘れて言葉を返した。
「いや、別にそこまで逞しくなる気はないんで……」
「そうでありますか。ヤツハ嬢ならば素晴らしい筋肉を得られると思うのですが……本当によろしいので?」
彼は胸筋をビクンと跳ねて、何かのアピールをしている……このまま筋肉の話を続けていたら、肉体改造されかねない。
俺はサラリと話を流し、別の話題に振ることにした。
「あ~、そういやさ、お互い不思議な縁だよね~」
「え? そうですな。エヌエン関所での出会い。そして、リーベンでの再会」
「うん……全てはプラリネ様の先見かな。ここに必要とされる人材が集まっていたこともね……」
俺は大きく周囲を見回し、そこから屋敷を瞳に入れて、リーベンに訪れてから今日までを振り返る。
俺たちはヒョウトウの林で一晩過ごし、リーベンへ向かった。
なんとかお昼前には到着し、城門ではマチェ=ド=ゼリカ公爵をはじめ、偉そうな人たちと、何でかケインも混じっていた。
ゼリカ公爵は一歩前に出て、ティラに臣下の礼を取り、すぐさま屋敷に案内した。
そこで、プラリネ様から受けていた密命を話す。
元より、プラリネ派である人々はブラウニーの暴走に危機感を抱いていた。
もちろん、その暴走を未然に防ぐために手を講じていたが、それらは功を奏さなかった。
そのため、万が一のことを考えて、いつでも『リーベン』に集える準備をしていたそうだ。
そして、彼らはプラリネ様の訃報を聞き集まっていた。
ただし、そこでまだ動くわけにはいかない。
後継となるティラが、ブラウニーと玉座を争う覚悟があるかどうか見極めなければならない。
ティラが見事、王都から脱出し、リーベンに訪れることができれば彼らはティラを掲げ戦う覚悟をしよう、と。
俺はそれらに対し、口調を荒げて彼らを非難しようとした。
彼らはティラがリーベンに到着するまで日和見を決め込んでいた。
そんな彼らの態度が俺にはどうしても許せなかった。
だけど、ティラは彼らの意を汲んで、俺の口を閉ざさせた。
彼らもまた、危うい立場。
ブラウニー台頭で、ジョウハクに居場所がなくなる人たち。
彼らには守るべき領民がいる。
だからこそ、軽率な行動はとれない。
ゼリカ公爵ははっきりとティラに問う。
「我らの保身を図れば、ブラン殿下をブラウニー陛下に差し出すのが最も最良な手段でありましょう。ブラン殿下、この言葉を覆すものをお持ちでしょうか?」
ティラはこう返答する。
「奴隷として生を望むのなら、私を差し出せ。人としての生を望むのなら、共に戦え」
これはとても単調な言葉であったが、ティラの瞳に秘める王としての光を見抜いたゼリカは片膝をつき、深く頭を垂れ、腰に着けていた剣を差し出す
「我らはプラリネ女王陛下の仁・義・礼・智・信に導かれました。ブラウニーはそれら全てを蹂躙した。忠・孝・悌を知る我らが共に轡を並べるなど、金輪際ないでしょう。ブラン様、どうか私の剣をお受け取り下さい」
プラリネ派の中心であったゼリカ公爵の行動により、ティラは認められ、結束は固まる。
ティラは小さく俺に語る。
「公爵め、役者だな……とはいえ、残念ながら、いまはまだ公爵の権威頼り。だが、時間はない。何としても戦場へ臨むまでに、真の意味で皆に認めさせねばな。女王として!」
血塗られた王の道を歩む覚悟を決めたティラ。
彼女の覚悟は俺の心を震わせ、大きな影響を受ける。
だからこそ、こうして真面目にケインと訓練を行っている。
俺は意識を今に戻して、ケインを瞳に入れる。
「そういや、パラディーゾ侯爵は南にいるんでしょう。大丈夫なんですか?」
「たしかに、私がここに居ることでかなり微妙な立場。だが、じっさまのことだ。問題はありません」
「ケイン様はどうして、こちらへ?」
「民草を守るため……ブラウニー陛下の暴挙を放置しておけば、嘆きに埋もれる民は大地を覆い尽くしてしまいますから」
「でも、戦争になりますよ。そしたら……」
「ヤツハ嬢。人は全てを救えない。ですが、多くを救えるのも事実。我らはその覚悟の上に立ち、背負わなければならない」
「……覚悟、か」
俺は細く長い指を持つ、小さな手を見つめる。
戦争――日本で何不自由なく暮らしていた俺が、人が大勢死ぬ場、命を奪う場に立とうとしている。
馬鹿げている――かつて、同じことをサシオンと話しているときに感じた。
だけど、今は違う。
俺には力がある。
護れる力。奪う力。
その力をどう使うのか、しっかりと見つめなければならない。
それが力ある者の責任。
逃げ出すこともできるけど、俺はそれをしたくない。
瞳を屋敷の五階に向ける。
あそこではティラとお偉いさん方が、今後の方策を練っている最中だろう。
(俺は友であるティラを助けた。助けたなら、最後まで責任を持たないと。それに、友達を見捨てることなんてできない。そして、その勇気をティラから貰った)
幼い少女が母の死を乗り越え、茨の道を歩もうとしている。
(そうだってのにっ! 逃げ出せるかよ! この俺、笠鷺燎が!!)
女としてのヤツハではなく、男としての笠鷺燎の心が熱く滾る。
もしかしたら、これはくだらない男の意地なのかもしれない。
だがっ、そうだとしても構わないっ!
友を守るために、覚悟と勇気を宿せるのなら!!
俺たちは辛くも王都からの脱出に成功し、堅牢な城壁に囲まれた要塞都市・リーベンに訪れ、ひと月近くが経っていた。
冬の空は戦争の機運を察してか、どんよりとした雲たちが覆いつくし、身も心も凍る風が町を震わせる。
毎日のように厳しい寒風が吹き荒ぶが、この周辺は幸いにも乾燥地帯らしく、大雪になることは滅多にないらしい。
だからこそ、春の訪れを待たずに決着がつくだろう。
玉座を争う戦いに……。
現在、ここ要塞都市リーベンでは、この時よりひと月以内に起こるであろう戦いに向けての準備が粛々と行われていた。
日増しに忍び寄る戦の足音だが、それは王都サンオンとリーベンだけのものではない。
ジョウハクの混乱に乗じて、キシトル帝国とソルガム国に怪しげな気配が立ち込め始めた。特に、北のソルガムは大規模な戦闘の準備を行っていると……。
彼らはジョウハクが北に構える城砦を狙っているようだ。
争いが争いを呼び、戦禍が広がろうしている……。
さて、話を東国リーベンへ戻そう。
ここは本来、ティラが隠居するはずだった国。
もっとも国と銘を打っているが、実のところはジョウハクの一地方都市としての扱い。
そのため、国を治める者に王の肩書はなく、諸侯という名で呼ばれている。
町の人々からは領主様と呼ばれるのが慣例のようだ。
この要塞都市は難攻不落と言われるジョウハクの壁。
外から王都サンオンを窺う不届き者たちを弾き返す。
だが今は、その王都サンオンを窺う前線基地。
そのような危険極まりない都市に大勢の人々が溢れ返っている。
それはもちろん、これから起こるであろう戦争のためだ。
ティラを支持する、プラリネ女王に恩義ある者たち。
傭兵や商人に、一儲けを企む胡散臭い連中。
町は不安に怯えているが、同時に冬の寒さを吹き飛ばす活気に溢れている。
リーベンは要塞都市と謳われるだけあって、防備はアクタ随一誇る。
城壁は王都サンオンのそれと比べると見劣りするが、百万の軍勢に足を踏み入れさせずと名高く、壁は並々ならぬ強固なもの。
ぶ厚く、高さ10mを超える、五芒星のような形をした壁が町全体を覆っている。
また、外壁は魔力を帯びて、強力な結界を常に張り巡らせてあった。
さらには、内にも外にも掘りがあり、門以外の出入り口は存在しない。
外の掘りは壁に張り付こうとする敵を阻み、内の掘りは地より侵入を試みる愚者を溺れさせる。
町の内部もまた複雑で、敵を迷わせ、翻弄する。
道のそこかしこに幻惑見せる魔道の罠が存在し、また伏兵を忍ばせる広場があり、それらは攻め込んだ敵を混乱させ、たちまちのうちに討ち取るだろう。
これらは全て、アクタの技術によって作られたもの。
女神の力も、マヨマヨの力もない、アクタの産んだ最強の要塞。
壁内に広がる町は王都と比べればとても小さい。
もちろん、小さいと言っても、都市と呼ばれるだけの広さはある。
ただ、人口の割には土地が少なく、建物が身を寄せ合っている感じだ。
町並みは地味めな屋根多かったサンオンとは大きく異なり、色とりどりの屋根が交差する。
町の内部を複雑化させるためと土地がないためか、大きな通りは少なく、細かな路地に多くの家たちが肩をつける
さらに、サンオンとの大きな違いは背の高い建物が多いこと。
サンオンの建物の多くは二階建て。高くても三階建て。
しかし、リーベンは小さなアパートのような建物が乱立する。
これは土地が狭いため、家が横ではなく上に伸びたためだそうだ。
そんな都市の中央に、リーベンを治める『マチェ=ド=ゼリカ公爵』の屋敷がある。
屋敷は真っ白な外壁に青の屋根の五階建て。
横に広く大きく広がり、右端と左端は縦長に伸び、中央も両端の半分の長さほど伸びている。
もし、空から屋敷を眺めることができたのなら、巨大な漢字の『円』に見えるだろう。
巨大な屋敷――だが、それには理由がある。
ゼリカ家は公爵でありながら魔導の研究者としての顔もあるため、教師の資格を持つ者が多い。
そこで、屋敷を学校として改築した。
そのため、多くの人たちが収容できる五階建ての巨大な屋敷となったそうだ。
俺は現在、その学校を併設した屋敷の運動場で、銀の軽装鎧と肘当てと膝当てを纏い、髪をガガンガの髪飾りで一本にまとめ、戦いやすい姿をしてエヌエン関所の護り手であるケインと稽古をしていた。
ケインは右ストレートを俺に放つ。
俺はひらりと躱して、彼の手首を持ち、その肘に手を置いた。
そこから力を加え、関節を決めようとすると、彼は右手を捩じり手首の戒めを外して、距離を取る。
「やりますね、ヤツハ嬢。ですが、今のは足元も押さえておいた方がいいでしょう」
と、言いながら、左かかとで右足の甲を踏む。
「こうすれば、相手を固定できて、肘をへし折れます」
「そっか、なるほど。だからって、力業で振りほどかれるとは思わなかった……」
「力だけではありませんよ。筋肉の柔軟性のおかげです」
そう言って、彼は力こぶを見せる。因みに、彼は真冬なのに上半身は裸……。
すると、俺たちの戦いを見学していた女子学生と男子学生たちの声が響いた。
「すっご~い。ケイン様~、もっとポージング決めて~」
「ヤツハ様、今度は俺たちと組み手しませんかぁ」
俺とケインは彼らを見ながら互いに言葉をかけあう。
「やりにくいなぁ」
「はっはっは、美しき筋肉は人を酔わすもの。仕方のないことでしょう」
「そりゃ、ケイン様だけだって」
「何を、ヤツハ嬢のその流麗たる筋肉もまた美しい」
「そうかな? ケイン様と比べると全然。まぁ、女と男の筋肉を比べても……」
ふと、ノアゼットの姿が横切る。
(そういや、あの人は女性なのにやたら逞しいなぁ。それこそケインにも負けないくらい)
俺は細身ながらも程よく筋肉のついた自分の前腕をじっと見る。
その様子を不思議に思ったのか、ケインが声を掛けてきた。
「どうされました、ヤツハ嬢?」
「いや、女じゃケイン様みたいな逞しい身体を得られないと思ったけどさ、六龍のノアゼットみたいな人もいるしなぁって」
「ノア、っ……そうですね。ノアゼット様はご自身に厳格であり、苛酷な状況の中で弱音を一言も漏らさず、常に己を磨いておりましたから……」
「うん?」
ケインは精悍な顔立ちに少し寂し気な表情を乗せた。
その様子と今の言葉から、ノアゼットのことを良く知っているように感じ取れる。
それについて尋ねようとしたところで、彼は大きな声をあげた。
「アッハッハッ、ヤツハ嬢も筋肉を労わりつつトレーニングを行い、良い食事を摂取していれば、必ず私やノアゼット様のような肉体を得られますよ」
そう言って、がっしりとポージングを決める。
それはいつものケインだけど、誤魔化しのようにも見える。
あまり話したくはない……そういうことだろうか?
そうであるならば深く問わず、俺は先程のケインの姿を忘れて言葉を返した。
「いや、別にそこまで逞しくなる気はないんで……」
「そうでありますか。ヤツハ嬢ならば素晴らしい筋肉を得られると思うのですが……本当によろしいので?」
彼は胸筋をビクンと跳ねて、何かのアピールをしている……このまま筋肉の話を続けていたら、肉体改造されかねない。
俺はサラリと話を流し、別の話題に振ることにした。
「あ~、そういやさ、お互い不思議な縁だよね~」
「え? そうですな。エヌエン関所での出会い。そして、リーベンでの再会」
「うん……全てはプラリネ様の先見かな。ここに必要とされる人材が集まっていたこともね……」
俺は大きく周囲を見回し、そこから屋敷を瞳に入れて、リーベンに訪れてから今日までを振り返る。
俺たちはヒョウトウの林で一晩過ごし、リーベンへ向かった。
なんとかお昼前には到着し、城門ではマチェ=ド=ゼリカ公爵をはじめ、偉そうな人たちと、何でかケインも混じっていた。
ゼリカ公爵は一歩前に出て、ティラに臣下の礼を取り、すぐさま屋敷に案内した。
そこで、プラリネ様から受けていた密命を話す。
元より、プラリネ派である人々はブラウニーの暴走に危機感を抱いていた。
もちろん、その暴走を未然に防ぐために手を講じていたが、それらは功を奏さなかった。
そのため、万が一のことを考えて、いつでも『リーベン』に集える準備をしていたそうだ。
そして、彼らはプラリネ様の訃報を聞き集まっていた。
ただし、そこでまだ動くわけにはいかない。
後継となるティラが、ブラウニーと玉座を争う覚悟があるかどうか見極めなければならない。
ティラが見事、王都から脱出し、リーベンに訪れることができれば彼らはティラを掲げ戦う覚悟をしよう、と。
俺はそれらに対し、口調を荒げて彼らを非難しようとした。
彼らはティラがリーベンに到着するまで日和見を決め込んでいた。
そんな彼らの態度が俺にはどうしても許せなかった。
だけど、ティラは彼らの意を汲んで、俺の口を閉ざさせた。
彼らもまた、危うい立場。
ブラウニー台頭で、ジョウハクに居場所がなくなる人たち。
彼らには守るべき領民がいる。
だからこそ、軽率な行動はとれない。
ゼリカ公爵ははっきりとティラに問う。
「我らの保身を図れば、ブラン殿下をブラウニー陛下に差し出すのが最も最良な手段でありましょう。ブラン殿下、この言葉を覆すものをお持ちでしょうか?」
ティラはこう返答する。
「奴隷として生を望むのなら、私を差し出せ。人としての生を望むのなら、共に戦え」
これはとても単調な言葉であったが、ティラの瞳に秘める王としての光を見抜いたゼリカは片膝をつき、深く頭を垂れ、腰に着けていた剣を差し出す
「我らはプラリネ女王陛下の仁・義・礼・智・信に導かれました。ブラウニーはそれら全てを蹂躙した。忠・孝・悌を知る我らが共に轡を並べるなど、金輪際ないでしょう。ブラン様、どうか私の剣をお受け取り下さい」
プラリネ派の中心であったゼリカ公爵の行動により、ティラは認められ、結束は固まる。
ティラは小さく俺に語る。
「公爵め、役者だな……とはいえ、残念ながら、いまはまだ公爵の権威頼り。だが、時間はない。何としても戦場へ臨むまでに、真の意味で皆に認めさせねばな。女王として!」
血塗られた王の道を歩む覚悟を決めたティラ。
彼女の覚悟は俺の心を震わせ、大きな影響を受ける。
だからこそ、こうして真面目にケインと訓練を行っている。
俺は意識を今に戻して、ケインを瞳に入れる。
「そういや、パラディーゾ侯爵は南にいるんでしょう。大丈夫なんですか?」
「たしかに、私がここに居ることでかなり微妙な立場。だが、じっさまのことだ。問題はありません」
「ケイン様はどうして、こちらへ?」
「民草を守るため……ブラウニー陛下の暴挙を放置しておけば、嘆きに埋もれる民は大地を覆い尽くしてしまいますから」
「でも、戦争になりますよ。そしたら……」
「ヤツハ嬢。人は全てを救えない。ですが、多くを救えるのも事実。我らはその覚悟の上に立ち、背負わなければならない」
「……覚悟、か」
俺は細く長い指を持つ、小さな手を見つめる。
戦争――日本で何不自由なく暮らしていた俺が、人が大勢死ぬ場、命を奪う場に立とうとしている。
馬鹿げている――かつて、同じことをサシオンと話しているときに感じた。
だけど、今は違う。
俺には力がある。
護れる力。奪う力。
その力をどう使うのか、しっかりと見つめなければならない。
それが力ある者の責任。
逃げ出すこともできるけど、俺はそれをしたくない。
瞳を屋敷の五階に向ける。
あそこではティラとお偉いさん方が、今後の方策を練っている最中だろう。
(俺は友であるティラを助けた。助けたなら、最後まで責任を持たないと。それに、友達を見捨てることなんてできない。そして、その勇気をティラから貰った)
幼い少女が母の死を乗り越え、茨の道を歩もうとしている。
(そうだってのにっ! 逃げ出せるかよ! この俺、笠鷺燎が!!)
女としてのヤツハではなく、男としての笠鷺燎の心が熱く滾る。
もしかしたら、これはくだらない男の意地なのかもしれない。
だがっ、そうだとしても構わないっ!
友を守るために、覚悟と勇気を宿せるのなら!!
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前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
出来損ない貴族の三男は、謎スキル【サブスク】で世界最強へと成り上がる〜今日も僕は、無能を演じながら能力を徴収する〜
シマセイ
ファンタジー
実力至上主義の貴族家に転生したものの、何の才能も持たない三男のルキウスは、「出来損ない」として優秀な兄たちから虐げられる日々を送っていた。
起死回生を願った五歳の「スキルの儀」で彼が授かったのは、【サブスクリプション】という誰も聞いたことのない謎のスキル。
その結果、彼の立場はさらに悪化。完全な「クズ」の烙印を押され、家族から存在しない者として扱われるようになってしまう。
絶望の淵で彼に寄り添うのは、心優しき専属メイドただ一人。
役立たずと蔑まれたこの謎のスキルが、やがて少年の運命を、そして世界を静かに揺るがしていくことを、まだ誰も知らない。
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