マヨマヨ~迷々の旅人~

雪野湯

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第二十二章 歩む先は深い霧に包まれる

軽く一巡り

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 ケインとの訓練を終え、汗を流そうと屋敷に向かった。
 その途中でパティが通りかかる。
 彼女は両手に大量の書類や書物を抱え、息を切らして歩いていた。


「パティ、暇?」
「はぁはぁ、これを見て、暇に見えるんですの?」
「みえないね。何の書類?」
戦支度いくさじたくのために必要な経費の見積もりや各種方面への報告書ですわよっ」
「うわ~、大変そう。頑張ってね」
  
 俺は踵を返し、その場から立ち去ろうとした。
 だけど、後ろから踵を蹴り上げられる。

「待ちなさい!」
「いたっ。なんだよ?」
「手伝うという選択肢はないんですの?」
「いや~、俺が手伝っても邪魔なだけだろ。パティはそういうの得意だから経理関係を任されたわけで」
「はぁ~、フィナンシェ家を捨てたはずなのに、どうしてその呪縛から逃れないのかしら……」

 パティは貴族でありながら、商家で有名なフィナンシェ家の人間。
 そうであるためか、彼女は経理に関してずば抜けた才能を持っていた。
 しかし、それが仇となり、このような状態になってしまったのだ。


「まぁ、頑張ってね。俺は俺で、訓練に精を出しますから」
「そういえば、どうしてヤツハさんはブラン様のお傍についていらっしゃらないの?」
「え?」

「あなたはブラン様をお救いした、今では傍に仕える騎士のような存在のはず。なのに……」
「ああ~、それ。ほら、なんか難しい話してんじゃん。俺が横にいても何の役にも立たないどころか、教養がないのがバレて、俺もティラも恥をかく可能性が高いし、そんなわけで腕を磨いといた方がいいし」

「面倒だから逃げ出しただけでしょう」
「あ、わかる?」
「わかりますわよ。まったく、仕方のない人。ですが、いつものあなたでホッとするところもありますわね」
「そう?」

「こんな状況で飄々として入れられるのは、相当図太い神経をしているか無神経なのかのどちらかでしょうね」
「それ、褒めてないな」
「ふふ、会合に参加しろとは言いませんので、あとでブラン様に顔だけでも見せに行きなさい。きっと、お喜びになられるはずですから。では」


 パティは荷物をよっと担ぎ直して、屋敷に向かう。
 だけど、その動作で何かが零れ落ちた。
 それを拾い上げて、彼女に渡そうとしたのだけど……。

「パティ、落とし物……ん、小説?」

 見た目は普通の本……ぱらりと捲る。
 そこには男たちの熱き友情が……そう、とても熱い友情が描かれていた。
(パティ……冥府魔道を歩んだか……)

 何も語らず、そっと小説をお返しする。
「パティ、小説を落としたぞ」
「えっ? そ、それは!? そのっ」
「息抜きもほどほどにな、んじゃ」

 両腕が塞がっているパティは小説を受け取れない。
 なので、小説は他の人から見えないように書類の間に押し込んで、この場を去ることにする。
 後ろからはパティがずっと、「誤解ですわ!」と連呼する声が響いていた……。


 
 人の趣味にケチをつける趣味はないので、パティの件は秘めておくとして、これからどうしようかと頭を悩ます。
「う~ん、ま、ティラのところには後で顔を出すとして……そうだなぁ、先にアプフェルのところに行くか。昨日の夜半に到着した、人狼族ライカンスロープ軍のおさに挨拶もしとかないと」

 リーベンには続々とティラを支持する者たちが集まってきている。
 皆、プラリネ様の協和と共存の遺志に賛同する者たち。
 特に人間以外の種族からの支持は高く、人狼族もまた例外ではない。


 彼らは夜半に到着したらしく、ティラとゼリカ公爵とアプフェルが出迎えたそうだ。
 その頃、俺は完全に夢の中で挨拶には出ていない。


「がっつり寝てたからなぁ。ティラが配慮して、起こす必要はないって言ったらしいけど……よく考えたら、俺って何の肩書きもない一般人だしな。公爵の屋敷に寝泊まりしてること自体が変な話だし。俺が出迎えに参加するのもおかしいか?」

 いくらティラを救い、傍に仕えているからといって、正式な役職もない俺が一族の長を出向かるなんておかしなこと。
 
「ま、逆に言えば、あんまりお堅い場に出なくて済むという。そこそこ贅沢できて、お気楽な立ち位置、悪くないねっ」



 とりあえず屋敷に戻り、汗を流す。
 姿は戦い用の軽装鎧から、いつもの赤茶色の服をした村娘の格好に戻り、髪はほどいて髪飾りはポケットに。そして、屋敷の玄関から外に出た。
 すると、ちょうど通りかかった学生から、アプフェルと人狼族のおさセムラが、屋敷正面に広がる運動場にいるという話を聞いた。

 俺は早速、そちらへ向かう。



――学校・軍兼用運動場


 先ほどまでケインと組み手を交わしていた場所。
 大きさは、日本の学校の運動場とは比べものにならないほど広い。
 それは軍の調練場としても利用されることがあるからだ。

 生徒が使用する運動場は、土が剥き出しの箇所と背の低い草むらが広がる場所とに分かれている。
 軍の使用する場所の地面は整備されていて、さらには一部高い壁があり、外からは見えにくい。
 
 逆に生徒が使用する運動場の周囲は背の低い垣根に囲われた程度で、外から見物しやすく、その垣根をちょいと越えれば、町の中央広場に繋がる。
 屋敷の三階から飛び出した広いテラスからは、この運動場と中央広場が良く見える。

 こういった構造になっているのはおそらく、何かの行事ごとの際は運動場と中央広場に人を集め、公爵がリーベンの民に語り掛けるためだろう。


 
 俺は生徒が使用する草むらの運動場に足を踏み入れる。
 冬草が寒風に揺れる場には、アプフェルと変わったシルエットを持った人が立っていた。
 
「お~い、アプフェル~」
「ん? あ、ヤツハ。ようやく起きたの?」
「とっくの昔に起きてるよっ。さっきまでここでケイン様と稽古してたんだから!」
「そうなんだ、てっきり今起きてきたのかと」
「あのな……まぁ、いいや。それで隣にいる方は……アプフェルの?」
「うん、私のおじいちゃん。ライカンスロープの一族を纏める長、セムラよ」


 紹介を受けた族長セムラは一歩前に出る。

「ほぉ、君がヤツハか。孫が世話になっている」
「い、いえ、こちらこそ……」

 俺はセムラさんの容姿に釘付けになる。

 彼は青い作務衣さむえのような道着を着た、とても背の高い巨漢の持ち主。
 そして……全身毛むくじゃら。
 
 顔はまんま狼。
 
 ギュンっと真っ直ぐに伸びたお口に、鋭い牙。
 顔の中央は白の毛に覆われ、額から繋がる頭部やその上に乗っかる犬耳は青み掛かった艶やかな体毛。
 瑠璃色の虹彩に包まれた、黒の瞳。

 尻尾はアプフェルのスレンダーなタイプと真逆で、ふぁっさふぁっさのもっふもふの尻尾が飛び出している。
 そのふぁさふぁさのもふもふは尻尾だけではなく、首回りや胸元も同じ。
 目一杯もふったら、さぞかし心地良いだろう。

 
 俺はふらふらとセムラさんに近づき、失礼極まりない一言を口にした。

「すみません、毛をモフっても?」
「あっはっは、ご婦人方は皆そう言う。別に構わんぞ」
「では…………」

 セムラさんは慣れた感じで、わざわざ俺の前で屈んでくれた。
 首回りの毛に手を突っ込んでモフり始める。

「おおぅ、これはたまらん。やめられないとまらない。あの、もっといいですか?」
「はっはっは、若い娘さんに触られるのは悪くない。好きなだけ触れるといい」

 許可を得たので、もふもふしながら時々ギュッと抱きしめる。
 セムラさんはそれを大層嬉しそうに受け入れてくれた…………そこに冬の寒さを越えた氷河期へといざなう鋭い視線が突き刺さる。


「おじいちゃん、だらしない顔して……そんなことだから、おばあちゃんに三下半みくだりはんを投げつけられるんだよ」
「お、あ、アプフェル。そんな冷たい目でじいじを見ないでくれるか。それに、別居中だが別れたわけじゃないしの」
「はぁ~、まったく、若い子に甘いんだから。ほら、ヤツハも触るのやめるっ」
「ええ~」
 
 俺はギュッとセムラさんを抱きしめる。
 セムラさんは喜ぶが、アプフェルは鬼の形相で俺を引っ剥がした。

 俺は自分の手を見つめながら、名残惜しそうに手を開け閉めする。
 それを見たアプフェルはひどい一言をぶつけてくる。

「ヤツハって、すっかりエクレル先生の弟子だね。趣味もそっくりだし」
「はっ!? それはないよっ。断じてないっ!」

 声を荒げて否定するが、アプフェルは汚物を見るかのような視線を消してくれない。
 俺は頭を軽く掻いて、話題を変えることにした。


 とりあえず、セムラさんへ顔を向けて、しっかりとした挨拶をする。

「失礼しました。ヤツハと言います。よろしくお願いします」
「儂はセムラ=シュトゥルーデル。ライカンスロープの長を預かっている。こちらこそ、よろしくな」

 セムラさんは握手を求め、右手を伸ばす。
 もちろん手も、狼のように毛で覆われた手。
 ギュッと握手を交わす…………肉球が固い、ちょっとがっかり。

 握手を終えて、改めてアプフェルの祖父であるセムラさんを目に入れる。


「あの~、アプフェルと違って、がっつりライカンスロープの姿なんですけど、男の人はそんな感じなんですか?」
「ん? はは、そんなことはない。大抵の人狼種は人の形に近い。だが、儂は先祖返りというやつでな。極稀に人狼族の中には、儂のような太古の姿で生まれる者がおるんだ」

「はぁ~、そうなんですか。実にいい感じですねっ」
「そうか? まだ、触りたいか?」
「ぎゅっ、ぎゅっ、と、抱きしめたいです!」

「ふ・た・り・と・も~っ」

 アプフェルが声に明らかな怒りを乗せてきた。
 これ以上、冗談やってたらヤバそうだ……モフりたいのは思いは本気だけど。


「わ、わかったよ、ここまでにしとく。それで、アプフェルはセムラさんと何をやってたの?」
「ちょうど、いまから手合わせをね。結局のところ、六龍のパスティス相手に後れを取ってたし。だから……」

 アプフェルは声の音を落とすが、六龍の名を聞いたセムラさんは逆に愉快そうな声を上げる。

「はっはっは、パスティス殿の相手を務まるほどに成長するとは感慨深い。儂も何度かあの方と手合わせをしたが、三度に一度くらいしか一本とれなかったからの」

 
 その話を聞いて、俺は声に驚きを交えて尋ねた。
「えっ? 勝ったことがあるんですか!?」
「勝ったと言っても所詮は練習試合だがの。速さでは儂の方が上回っていたが、いかんせん力がのぉ。パスティス殿の守りは固く、儂の拳では思うように打撃を加えられんかったわい」

「それでもすごい話じゃないですか」
「いや、実戦ならば勝ち得ぬだろう。あの女神の黒き装具がある限りな。あれは魔力を高めるだけではなく、無尽蔵に近い力を生み続ける」

「装具にはそんな力も……?」
「うむ。仮に力や技が匹敵しようとも、やがてはこちらの体力が底をつき、敗れる。アレに勝とうするのならば、圧倒的な力が必要じゃろうな」

「うわ~、それは面倒な相手」
「たしかにな。そしてそれが敵となる。だから、アプフェルとこうして少しでも稽古をつけておこうとな」
「そうなんだ。で、ちょうどって言ってたから、いまから?」

 アプフェルへ視線を送ると、コクリと頷いた。

「そっか」


 俺は後方に下がり、二人に場を譲る。

 アプフェルとセムラさんは構えを取り、互いの呼吸を図る。
 強い風が両者の間を横切ると、それが合図となり、二人は同時に姿を消した。

 地面のところどころに土煙が舞い、その片影《へんえい》だけが二人の存在を示す。
 俺は二人の魔力を追い、周囲を見渡す。

 アプフェルとセムラさんは影も残さず移動しながら、互いに拳をぶつけ合っている。
 俺は二人を目で捉えることができたことに満足して、そっとここから離れることにした。
 
 せっかく汗を流したのに、このまま残っていたら次の組み手の相手をさせられそうなので。



 場所を移動して、屋敷に戻ってきた。
 ティラに会うために五階へ。
 
 まだ、何やら話し込んでいるらしく、会議を行っている部屋の前に兵士がいる。
 これ以上近づくと兵士に気づかれ会議に参加させられそうなので、逃げ出すことにした。
 特にやることもなく、ぶらりとそこらを歩く。
 その途中で、つけなければならないけじめを思い出す。
 
(さて、どうしよっかなぁ? そうだ、そろそろあいつと決着をつけないと。戦争の前に……)
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