元勇者、魔王の娘を育てる~父と娘が紡ぐ、ふたつの物語~

雪野湯

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第一章 勇者から父として

第37話 十五歳の記憶―魔王の娘―

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――――十五歳……


 赤子を抱いた魔族の女性剣士は、本来敵である人間族の俺に赤子を託した。
 死の間際にあった彼女との誓いを守り、俺は赤子を守る。

 赤子には、自ら生き抜く力などない。
 だから俺が食事を与え、寒暑から守り、休める場所を探し用意した。
 
 俺は赤子の親となり、名を贈った。
 名は太陽と風の神アスカと花びらに妖精安らうフィスティニアの花からあやかり、アスティニアと名付けた。

 愛称はアスティ――。


 一人では何もできなかったアスティは成長と共に変わっていく。
 自ら歩き、掴み、言葉を発する。
 俺を父と呼び、自己認識を確立し、自己同一性を持ち始める。
 
 喜びを学び、怒りを学び、悲しみを学び、楽しみを共に学んでいく。
 勇者時代に得た弱者を守護する感情とは全く違う、守るという感情が心に根差していく。
 大勢の死を前にしても感情を露わとすることなく、次なる最善を尽くすために歩み続けた俺が、病に倒れた娘を前に狼狽する。怪我をした娘に狼狽することもあった。

 ただ一人の娘を気遣い、守ることを誓い、時にその感情に翻弄される。


 どこに行くにも一緒だった娘は友達と接する時間を大切にするようなり、そこに成長の喜びと親としての寂しさを覚えた。

 女性という意識も芽生え、お洒落に興味を持ち、父として力を貸せないことも増えていった。


 それでもアスティは俺を父と呼び、同じ家に暮らし、今もまだ同じ道を歩む。
 だが――――今日、それが変わるかもしれない。


 十五となった冬を越えて、春が訪れる。
 何を目指すにも最良の季節。

 
 俺はいつものように夕食を終えて後片付けを行う。
 アスティも片付けを手伝おうとしたが、それを行わせずリビングのテーブル席で待つように言った。
 娘はいつもとは違う雰囲気に首を傾げながらも、素直に席へ着く。

  
 片付けを終えて、戻り、四角のテーブル席に相対し、木製の椅子を引いて、座る。

「アスティ、実は大切な話があるんだ」
「……どうしたの、お父さん? なんだか様子が変だけど?」
「そうだな…………………………」

 
 続けて出そうとした言葉が詰まり、無音が部屋を支配する。
(何をしてるんだ俺は!? 覚悟は決めただろう。それだけの時間はあったはずだ!!)

 アスティが十一だった四年前に、この日が訪れる覚悟をした。
 そうだというのに、いざアスティを前にすると言葉が出てこない。

 それは何故か? 答えは……怖いからだ。
 魔王の娘と伝えられたアスティはどうする?
 母の死が不明であることを伝えられたらどうする?

 
 真実を知っていて、黙っていたことに怒りを覚えるのだろうか?


 いや、そのようなことはしないだろう。アスティはそんな娘ではない。
 では、何が怖いんだ?

 母の死が不明と知れば、その真実を求めて旅立つからか?
 危険な外へ娘を送り出さなければならないからか?
 ならばなぜ、アスティを鍛えた?
 そういった選択肢を取っても大丈夫なはずじゃないのか?

 だというのに、俺は何故ためらう。

 ためらう理由。怖い理由。
 俺はここに至っても、自らの心から逃げている。
 そうだ、本当の理由は違う。

 それはとてもくだらなく、俺個人の傲慢と臆病とわがまま。
 俺は……魔王ガルボグと比べられることを恐れている!
 本当の父が魔王ガルボグと知ったアスティは父の軌跡を追い、やがては俺よりもガルボグを父として慕うのではないかと恐れている!!


 こんなまだ起きてもいない出来事に! 自身の想像を相手に嫉妬を覚え、囚われ、俺は迷っている!!
 娘を思い迷うのではなく、自分が捨てられることを恐れて迷っている!!

 顔がぐにゃりと曲がるのが、自分でも感じ取れる。
 その顔を見たアスティが話しかけてきた。


「お父さん? 伝えたことって言いづらいこと? なら、無理して話さなくてもいいよ」

 娘は父の様子に不安を見せた。しかし、それ以上に気遣う思いを言葉に乗せる。
 俺は一度目をつぶり、己の頭に槌を打ち下ろす!

(俺は何をやっているんだ!!)

 自分勝手な心にばかり意識を向けて娘を見ようとしていない!
 娘は不安を前に問いを重ねることなく、こんな愚かな父親に優しさを向けてくれているというのに。
 

――――真実を話さずこのままの生活を続けるという選択肢があった。
 だが、その選択肢には俺の意思しかなく、娘の意思はない。
 娘には、アスティニアには――――真実を前にして選択する権利がある!!

 
 俺は大きく息を吐いて、場の固まった空気を吹き消した。
「は~~~~、心配かけて悪いな、アスティ。実は伝えなければならないことがあるんだ」
「それは、なに……?」
「お前の本当の父親についてだ」
「――――っ!?」
「四年前、俺は知らないと嘘をついてしまった。すまない」

「……どうして、知らないなんて?」
「そいつがあまりにも大きな存在だったからだ。その名を渡せば、身を危うくする可能性がある」
「危険? 私の、その、パパって犯罪者?」
「いや、その真逆。とても偉大な存在だ。多くから畏敬の念を払われ、尊敬を集めていた」
「どんな人だったの?」
「あいつは……いや、彼は――――」


 俺はガルボグと同じ瞳の色をしている、アスティの黄金の瞳をまっすぐと見つめて、はっきりと声に出した。


「彼は魔王ガルボグ。魔族を統べる王だった存在。それがお前の本当の父親だ、アスティ」
「――え!? いや、冗談? だって、私が魔王の? そ、そんなのあるわけが……あるわけ……」

 娘にとっては予想だにしなかったことだろう。
 言葉に混乱が浮き出ている。
 俺は取り乱しかけているアスティへ淡々と言葉を繋げる。

「真実だ。これが証拠。まだ、赤ん坊だったお前を包んでいたおくるみに刻まれた紋章と、お前を守るために必死に戦った女性剣士が持っていた青色の指輪」


 テーブルの上に、十五年という歳月を前にしても色せぬ紫色のおくるみを広げる。
 おくるみには真っ白な花糸かし・やく・花柱かちゅうを中心において、その周りを赤と白の花びらが囲むプロテアの花と金龍の紋章の刺繍。
 続いて置いた青色の指輪のセンターストンにも、同じ文様の紋章が刻んであった。


「これは魔族の王族である、ヘデラ家の紋章。指輪はヘデラ家の一族のおさが持つものだ」
「王族? おさ? え、え、え? じゃあ、本当に? 私……」
「お前はガルボグの娘であり、王族の血統。アスティ、お前は魔王の娘だ」

 ついに伝えた……真実を。
 アスティは大きく目を見開き、半開きの口が震えている。
 やはり、衝撃的だったのだろう――と思いきや……。


「ええええええ!? なにそれ!? 最近読んだ小説みたいな話!?」


「……ん、はい?」
「えっとね、外界から商品を持ち込んでるカシアおばさんが流行りの小説を販売してて、その小説の内容が没落した幼い王家の姫が市井しせいに紛れ、生き延びて、再び王家を再興する話なんだけど」
「はぁ、そんな小説が……だけど、なんだろうな」

「どうしたの、お父さん?」
「いや、驚くとは思っていたが、驚き方が予想外で。もっと重苦しく受け止めると思っていたんでな」
「う~ん、そうだねぇ、現実感がなくて、今のところピンとこないからかも」
「そ、そうか……」

 
 俺としてはこれを伝えるのに、どれほど心を抉られ悩んだことか。それなのに……いや、だが、まぁ、親の立場と娘の立場では捉え方が違うのかもな。
 なんだか腑に落ちないが、肩透かしを食らった分、俺自身の心も軽くなったような気がする。

「え~っと、それでだ。アスティ、お前の本当の父親は、魔王ガルボグという話は理解できたんだな」
「うん。でも、その言い方は嫌かな?」
「なにがだ?」
「本当の父親って言い方! 私にとって本当の父親はお父さんだけなんだから!」
「…………アスティ」


 突然、視界が揺らめき、俺は急ぎ目頭を押さえて顔を伏せた。
 アスティはそれをのぞき込んでくる。
「あれ、もしかして、お父さん泣いてるの?」
「……少しな。情けない姿を見せる」
「そんなことないよ。でも、お父さんのそんな姿見るのって、なんか新鮮」
「親を茶化すな!」
「あはは、は~い、ごめんなさい」
「ふふ、まったく」


 俺としては一世一代の覚悟だったんだが、こうも軽くいなされるとはな…………俺が感じていた以上に、アスティは俺との絆を強く感じていてくれたんだな。
 そう思うと、再び瞳を濡らしそうになる。
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