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第41話 嘘と、光の、交点。
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日時の感覚なんて完璧に狂って、閉めたカーテンの隙間から覗く街灯が、かろうじて今が夕方から早朝のいずれかであることを教えてくれる。スマホのロック画面に映し出される時計だけが、正確な日時を指してくれている。
何も見えない自分の部屋のなか、スマホのロック画面をつけて、今が何時か確認する。通知は、もう四桁を超えていた。
「八月一日……夕方か」
キュウとお腹が鳴る。そういえば、最後にご飯食べたの、いつだっけ……? もう、覚えてないや……。
何か口にはしないと、と思いふらつく足取りで部屋から台所に移動し、うつろな意識のもと薬缶に水を注いで火にかける。
納戸に買い置きしてあったカップラーメンを適当に選び、プラスチックの包装を破る。紙蓋を開けて、沸いたお湯を注ぐ。食器棚からマグカップを取り出して、牛乳を入れる。一気にそれを飲み干してまどろんでいる意識を醒ます。
三分経ち、蓋を完全に開け切り、無心でラーメンをすする。
「……これ、味噌味か……」
てっきり普通の醤油だと思って食べたそれは、残りひとつしか家になかった味噌ラーメンだったようで、予想外の味が来たことでむせてしまった。
一通りせき込んで収まった頃に、家のインターホンが鳴り響いた。
僕が引きこもってから、何度目のそれだろうか。もう数えきれないほどだと思う。
宅配便が来るあてはないし、新聞代は口座引き落としになっているから集金には来ない。受信料だって払っているらしいから、出なきゃいけない来客はない。
しばらく無視してそのままラーメンを食べていると、もう一度インターホンが鳴る。
そして。
「高崎陽平! いるんだろ! 返事しろよ! お前が出てこないと……始まらないんだよ! 終われないんだよ! 頼むよ……陽平が出て来なくなってから、色々気まずいんだよ!」
三年来の親友の声が、何も音のしない家の中に響き渡った。
「お前が出てくるまで、俺はここにいるからな! だから……俺が風邪でぶっ倒れる前に出てきてくれよ……陽平!」
……それは普通に困るし、倒れられたら大変だ……。
どうしよう……。出ないといけないのだろうけど。でも、今は会いたくない……。
ポケットにしまっているスマホがバイブする。僕はそれを確認すべく、ロック画面を開く。
「どうしても、話さないといけないことがあるんだ、及川のことで」
及川さんのこと……。
それが決め手だったと思う。僕は、夏休みになってから初めて、家の玄関を開けた。
「……や、久しぶり。陽平。痩せたか? 少し」
久々に浴びる外の空気は、夏らしく夕方でも気温が高く、立っているだけでも汗が出てきそうだ。そして、僕は着たものそのままで外に出たことに気づいたけど、まあいっかともう開き直った。
「まあ……少しは、ね」
「それで……話、なんだけどさ……。どうして……連絡、取れなくなったんだ? 終業式だって、学祭の打ち上げだって……さ」
彼が切り出した話題は、ある種当たり前のものだった。
「……僕なんかがさ。……会っていいのかなって。会いたくないなって……思って」
中途半端だった僕が、中途半端に記憶を失くして生きていたがために、色々な人に迷惑をかけてきた。それを思い知った今、僕は、みんなと会っていいのか。
ここずっと、考えていることを吐露する。
「そんなこと、言ったらさ。俺なんかもう誰とも関わっちゃいけない大馬鹿野郎だよ」
「け、恵一……?」
半開きのドアの前で、彼は自嘲するようにそう言う。
「……あのさ、俺。謝らないといけないことがあって……」
横向きの風が、僕と彼に吹き付ける。どこからか飛んできたビニール袋が、視界を横切る。
「……小六のときなんだけどさ、同じクラスに、五十嵐卓也って奴がいてさ……そいつ、いじめられてたんだ。父子家庭だから。馬鹿馬鹿しいだろ? ……俺クラス委員だから、週に一回卓也の家にプリント届けていたんだ。関わってみれば、結構卓也はいい奴でさ。しばらく週一でプリント届けるついでに遊ぶっていう関係が続いた。……そして、卓也は学校に来た。でも、今までいじめられていた奴がいきなり学校に来たところで、状況が変わるはずもなくてさ、やっぱり、卓也はいじめられた。……卓也は俺が守ってくれると信じたから学校に来た。でも、俺にとって卓也はただの友達の一人でしかなかった。だから何もしなかった。そして、卓也は自殺した。その後、卓也の父親が教室に乗り込んで俺の胸倉掴んで言う訳だよ。『どうして、助けてくれなかったんだ』って。その場は収まったんだけど。そしてさ、三月三十日。仕事を失った卓也の父親五十嵐雅文は、車を走らせて、及川と、陽平を轢き逃げた。……な? 俺、最低だろ? ……罵ってくれて、いいよ……寧ろ、そうしてくれた方がさ……」
その長い独白を、ポカンと聞いていた。理解するのに、時間がかかった。
「で、でもっ」
「それだけじゃないんだ」
事故は恵一のせいじゃない、と言おうと思ったら、逆に遮られてしまった。
視界を横切っていたビニール袋は、何かに引っかかったのか、一度止まってから、再び流れていった。
「初めて、陽平に声を掛けたとき。……出席番号が近いから声を掛けたんじゃない。友達になりたいって思って声を掛けたんじゃない。違うんだ……本当は……」
徐々に潤んでいく彼の話す声は、どこか懺悔するような、そんな含みを持っているように思えて。
「陽平と……自殺した卓也の雰囲気が似ていたから……。陽平と仲良くなれば……友達になれば……少しは、卓也にやったことが許されるんじゃないかって……そう、思って……目的じゃない……十字架を外す手段だったんだ……俺は陽平を、利用しようと……して」
そこまで話すと、彼は僕の前に膝をつき、手を玄関前のコンクリートにベタっとつけた。
「陽平は……会っていいんだよ、みんなに。でないと……そう、思わないと。俺なんかさ……もう誰とも……。ほんとに……申し訳……ございません……」
地面に座り、頭を下げる恵一を前に、僕は何も言うことができなかった。
途端、学祭からずっと引きこもって絶望しきっていた自分を恥ずかしく思い出した。
何だよ、僕は。僕だけが辛いと思いこんで、悲劇のヒロインかよ。目の前で頭を下げ続ける彼の姿を見て、まだそんなことを思えるだろうか。
「……顔、上げて。恵一」
僕は一体どうしたい? 逃げて楽になりたいのか。それとも。
「これまで過ごしてきた時間も、全部嘘なの?」
このまま周りから逃げ続け、自分を隠し続けて生きていくのか?
「……嘘なはず、ない……」
もう、終わりにしようよ。もう、いいよ。みんな苦しんだ。もう、沢山だ。
「……今、恵一は僕を何だと思っているの?」
答えなんて、予想がついている。そうじゃなかったら、今、彼は、ここにいない。
泣いて、謝ったりしない。
「……親友に決まっている……」
僕は、光の方を向いて。
「例え、始まりのきっかけが嘘でもさ……今が本当なら、それでいいんじゃないかな……」
今までただ受け入れるだけだった彼の優しさと向き合って。
「それがさ。恵一を許す、理由になるなら……。恵一の十字架を外す理由になるなら……。僕は嬉しい、かな」
これまでの光を、反射させて。
「……誰かに許されるための、友達なんて……辛いだけだしね」
僕は、そう笑った。
「もう、いいのかな……」
恵一は、自分自身に問いかけるように、呟く。その声は掠れて、よく聞き取れなかったけど。
「もう、いいんだよ」
「そっか……もう、いいんだ……。もう、いいんだ……」
僕は恵一の目線に合わせるためしゃがみ込んだ。玄関の半開きのドアは、その拍子に閉まり、完全に外に出たことになる。
「……ありがとう。今まで……僕を助けてくれて……。今度は、僕が、恵一を助けるからさ……だから、もう、大丈夫だよ……」
僕のその一言で、恵一は大粒の涙を零したんだ。
恵一が、ずっと背負い込んで来た荷物を、降ろした瞬間だった。
何も見えない自分の部屋のなか、スマホのロック画面をつけて、今が何時か確認する。通知は、もう四桁を超えていた。
「八月一日……夕方か」
キュウとお腹が鳴る。そういえば、最後にご飯食べたの、いつだっけ……? もう、覚えてないや……。
何か口にはしないと、と思いふらつく足取りで部屋から台所に移動し、うつろな意識のもと薬缶に水を注いで火にかける。
納戸に買い置きしてあったカップラーメンを適当に選び、プラスチックの包装を破る。紙蓋を開けて、沸いたお湯を注ぐ。食器棚からマグカップを取り出して、牛乳を入れる。一気にそれを飲み干してまどろんでいる意識を醒ます。
三分経ち、蓋を完全に開け切り、無心でラーメンをすする。
「……これ、味噌味か……」
てっきり普通の醤油だと思って食べたそれは、残りひとつしか家になかった味噌ラーメンだったようで、予想外の味が来たことでむせてしまった。
一通りせき込んで収まった頃に、家のインターホンが鳴り響いた。
僕が引きこもってから、何度目のそれだろうか。もう数えきれないほどだと思う。
宅配便が来るあてはないし、新聞代は口座引き落としになっているから集金には来ない。受信料だって払っているらしいから、出なきゃいけない来客はない。
しばらく無視してそのままラーメンを食べていると、もう一度インターホンが鳴る。
そして。
「高崎陽平! いるんだろ! 返事しろよ! お前が出てこないと……始まらないんだよ! 終われないんだよ! 頼むよ……陽平が出て来なくなってから、色々気まずいんだよ!」
三年来の親友の声が、何も音のしない家の中に響き渡った。
「お前が出てくるまで、俺はここにいるからな! だから……俺が風邪でぶっ倒れる前に出てきてくれよ……陽平!」
……それは普通に困るし、倒れられたら大変だ……。
どうしよう……。出ないといけないのだろうけど。でも、今は会いたくない……。
ポケットにしまっているスマホがバイブする。僕はそれを確認すべく、ロック画面を開く。
「どうしても、話さないといけないことがあるんだ、及川のことで」
及川さんのこと……。
それが決め手だったと思う。僕は、夏休みになってから初めて、家の玄関を開けた。
「……や、久しぶり。陽平。痩せたか? 少し」
久々に浴びる外の空気は、夏らしく夕方でも気温が高く、立っているだけでも汗が出てきそうだ。そして、僕は着たものそのままで外に出たことに気づいたけど、まあいっかともう開き直った。
「まあ……少しは、ね」
「それで……話、なんだけどさ……。どうして……連絡、取れなくなったんだ? 終業式だって、学祭の打ち上げだって……さ」
彼が切り出した話題は、ある種当たり前のものだった。
「……僕なんかがさ。……会っていいのかなって。会いたくないなって……思って」
中途半端だった僕が、中途半端に記憶を失くして生きていたがために、色々な人に迷惑をかけてきた。それを思い知った今、僕は、みんなと会っていいのか。
ここずっと、考えていることを吐露する。
「そんなこと、言ったらさ。俺なんかもう誰とも関わっちゃいけない大馬鹿野郎だよ」
「け、恵一……?」
半開きのドアの前で、彼は自嘲するようにそう言う。
「……あのさ、俺。謝らないといけないことがあって……」
横向きの風が、僕と彼に吹き付ける。どこからか飛んできたビニール袋が、視界を横切る。
「……小六のときなんだけどさ、同じクラスに、五十嵐卓也って奴がいてさ……そいつ、いじめられてたんだ。父子家庭だから。馬鹿馬鹿しいだろ? ……俺クラス委員だから、週に一回卓也の家にプリント届けていたんだ。関わってみれば、結構卓也はいい奴でさ。しばらく週一でプリント届けるついでに遊ぶっていう関係が続いた。……そして、卓也は学校に来た。でも、今までいじめられていた奴がいきなり学校に来たところで、状況が変わるはずもなくてさ、やっぱり、卓也はいじめられた。……卓也は俺が守ってくれると信じたから学校に来た。でも、俺にとって卓也はただの友達の一人でしかなかった。だから何もしなかった。そして、卓也は自殺した。その後、卓也の父親が教室に乗り込んで俺の胸倉掴んで言う訳だよ。『どうして、助けてくれなかったんだ』って。その場は収まったんだけど。そしてさ、三月三十日。仕事を失った卓也の父親五十嵐雅文は、車を走らせて、及川と、陽平を轢き逃げた。……な? 俺、最低だろ? ……罵ってくれて、いいよ……寧ろ、そうしてくれた方がさ……」
その長い独白を、ポカンと聞いていた。理解するのに、時間がかかった。
「で、でもっ」
「それだけじゃないんだ」
事故は恵一のせいじゃない、と言おうと思ったら、逆に遮られてしまった。
視界を横切っていたビニール袋は、何かに引っかかったのか、一度止まってから、再び流れていった。
「初めて、陽平に声を掛けたとき。……出席番号が近いから声を掛けたんじゃない。友達になりたいって思って声を掛けたんじゃない。違うんだ……本当は……」
徐々に潤んでいく彼の話す声は、どこか懺悔するような、そんな含みを持っているように思えて。
「陽平と……自殺した卓也の雰囲気が似ていたから……。陽平と仲良くなれば……友達になれば……少しは、卓也にやったことが許されるんじゃないかって……そう、思って……目的じゃない……十字架を外す手段だったんだ……俺は陽平を、利用しようと……して」
そこまで話すと、彼は僕の前に膝をつき、手を玄関前のコンクリートにベタっとつけた。
「陽平は……会っていいんだよ、みんなに。でないと……そう、思わないと。俺なんかさ……もう誰とも……。ほんとに……申し訳……ございません……」
地面に座り、頭を下げる恵一を前に、僕は何も言うことができなかった。
途端、学祭からずっと引きこもって絶望しきっていた自分を恥ずかしく思い出した。
何だよ、僕は。僕だけが辛いと思いこんで、悲劇のヒロインかよ。目の前で頭を下げ続ける彼の姿を見て、まだそんなことを思えるだろうか。
「……顔、上げて。恵一」
僕は一体どうしたい? 逃げて楽になりたいのか。それとも。
「これまで過ごしてきた時間も、全部嘘なの?」
このまま周りから逃げ続け、自分を隠し続けて生きていくのか?
「……嘘なはず、ない……」
もう、終わりにしようよ。もう、いいよ。みんな苦しんだ。もう、沢山だ。
「……今、恵一は僕を何だと思っているの?」
答えなんて、予想がついている。そうじゃなかったら、今、彼は、ここにいない。
泣いて、謝ったりしない。
「……親友に決まっている……」
僕は、光の方を向いて。
「例え、始まりのきっかけが嘘でもさ……今が本当なら、それでいいんじゃないかな……」
今までただ受け入れるだけだった彼の優しさと向き合って。
「それがさ。恵一を許す、理由になるなら……。恵一の十字架を外す理由になるなら……。僕は嬉しい、かな」
これまでの光を、反射させて。
「……誰かに許されるための、友達なんて……辛いだけだしね」
僕は、そう笑った。
「もう、いいのかな……」
恵一は、自分自身に問いかけるように、呟く。その声は掠れて、よく聞き取れなかったけど。
「もう、いいんだよ」
「そっか……もう、いいんだ……。もう、いいんだ……」
僕は恵一の目線に合わせるためしゃがみ込んだ。玄関の半開きのドアは、その拍子に閉まり、完全に外に出たことになる。
「……ありがとう。今まで……僕を助けてくれて……。今度は、僕が、恵一を助けるからさ……だから、もう、大丈夫だよ……」
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