【完結】偽りの宿命～運命の番～

第２６話

「……あ、あの……、つまり……」

　セシルは激しく後悔していた。


　目の前には彫像のように整った若き王の顔がある。

　……だが、セシルの予想に反し、エドガーの反応は淡々としていた。


「……そうか、セシルは泳ぎが得意なのか……」

「あ……、あの…‥、はい……」

　どう返答をすべきなのかわからず、セシルはうなだれ、上衣の裾を握り締める。


「そうか……、では……、もっと暖かくなったら、今度は泳ぎに来よう」

「……え、あの……？」

　再び顔をあげたセシルが見たのは……、


　……エドガー王の微笑だった。


　それを目にした瞬間、セシルの中で何かが弾けたような感覚があった。


　鼓動が急激に早くなり、息苦しささえ覚える。

　――一体どうしたんだ？　何があった？　こんな感覚は、いままで感じたことがない。

　セシルはわからなくなる。

　――エドガー王はなぜ、今から害そうとしている私との未来について、こんな優し気な瞳で話すのだろう……？
　――私を油断させようとしているのか、それとも……？



　エドガーは再び櫂を取ると、今度は湖に浮かぶ小島に向かってボートを進め始めた。


「贈った腕輪は気に入らなかったか？　ベアトリスからは喜んでいたと聞いていたが……、今日はつけていないようだな」

　エドガーの控え目な問いに、セシルははっと息をのんだ。


　――今度陛下にお会いになるときには、ぜひこれをつけていらしてくださいね。


　ベアトリスからあれほど念を押されていたのに、すっかり忘れてしまっていた。
　やはりあの腕輪は、エドガーからセシルに贈られたものだったのだ。

「申し訳、ありません……、もったいないほど高価なお品だったので、失くすといけないと思い……」

　苦し紛れの言い訳だったが、エドガーが気分を害した様子はなかった。

「そうか、大切にしてくれているならいい。たしかに、そんなに細い腕ならすぐに落ちてしまいそうだ。今度職人に大きさを調整させよう。
それで、……だから首飾りの方をつけてきたのか？」

　エドガーの瞳が優しく揺れる。それを目の当たりにしたセシルは胸が締め付けられそうになった。

「あの……」

「すまない。じろじろ見るつもりはなかったのだが、昼食の時に襟元から銀の鎖が見えたのだ。その鎖は特殊な編み方をしていて……」

「……っ」


　セシルは服の上からペンダントを握り締めた。
　セシルが今首から下げているのは、エドガーからの贈り物のサファイアの首飾りなどではない。前王の形見の指輪だ。
　しかもその指輪は、ベアトリスが秘密裏に贈ってくれたもの……。

　今すぐペンダントを見せろといわれたらどうしようとセシルは恐れおののいたが、エドガーはそれ以上そのことを追求するつもりはないようだった。

「いい天気だな」

　エドガーは穏やかな表情をセシルに向けている。

「はい、とてもいいお天気です……」

　セシルにはそれが余計に恐ろしくてしかたがなかった。



　そして、ボートは湖の小島に到着した。

　エドガーはボートから下りるセシルの手を取った。

　白い手袋をはめた手のひらは思いのほか熱く、セシルはドキリとしてしまう。

　そしてなぜかエドガーの手は、ボートを降りてもそのままセシルの手を離すことはなく、二人はそのまま手をつなぐ形で、小島の林の中へ入っていった。

　あたりにはほかに誰もおらず、エドガーとセシルの二人きりだ。

　湖の小島はあまり手が入れられている様子はなく、下には雑草が茂り、あちこちに足を取られそうな大振りの枝が落ちていた。

　エドガーは立ち止まると、セシルの手を離した。


「しばらく、そこで待っていろ」


　そして数歩進み出ると、セシルに背を向けたまま、おもむろに腰の長剣を抜いた。

「……！！！」

　セシルは心臓を一突きにされたような衝撃を受けた。

　エドガーの長剣は、陽光を受けてぎらぎらと光を放っている。それは、血に飢えた猛獣の牙のようにも見えた。



　――今、ここで殺されるのだ。エドガー王の手によって。