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第34話
しおりを挟むセシルは慌てて渡された手巾で口元をぬぐった。手巾からは神秘的な香のにおいがした。
「どういうことですかっ、ファリン様っ! もしかして私はっ、ファリン様の薬のせいで、あ、あんな、夢を……っ!」
頬を染めて抗議するセシルに、ファリンはくすくすと笑う。
「まさか。医者が患者の夢を管理できるはずもない。仙人でもないのだ。夢の中に入るすべも知らぬ」
「でも、ファリン様は治療の効果だと……」
「セシル殿を見ていると本当に飽きないな。エドガー王が必死に皆から隠したがる理由もわかる気がする」
「ファリン様! からかわないでください。わ、私は真剣に悩んでいるのですっ!」
「そうだな……」
ファリンは真顔に戻ると、セシルの瞳をのぞき込んできた。
「夢についての私の考察を語る前に、今から私がする質問に答えてもらいたい。治療の一環だ。恥ずかしがらずに、包み隠さず応えてほしい」
「はい」
セシルは顎を引いた。
「ジャックス先王は、どれくらいの頻度で貴殿を抱いていた?」
率直すぎる問に、セシルは目を見開いた。
「どれくらい……といいますと」
「恥ずかしがらずに答えてほしいといったはずだ。5日に一度か? それとも3日に一度?
どれくらいの頻度で先王と床を共にしていた?」
「……ほぼ、毎日……といっていいかと」
「……なるほど」
ファリンの目の奥が鋭く光った。
「貴殿が初めて発情期を迎えたのは、貴殿が舞踏会でジャックス先王に会った時だと聞いている」
「……その通りです」
セシルは18歳の時、初めてジャックス王に見初められた時のことを思い出した。
あの時はなにがなにかわからぬまま、気づくとすべてが終わってしまっていた。
「その時から、貴殿は先王に迎え入れられたということだが、先王の側に仕えて以降、発情期は何度あった?」
「……」
セシルには答えられなかった。
ジャックス王の側にいて、ほぼ毎夜のように床を共にしていた。
ジャックス王はとても精力的で、実のところ、セシルはそれにこたえるのが精いっぱいといったところだった。
ジャックス王に求められ、受け入れ、共に乱れた。だが10年以上もの間ずっとそばにいたにもかかわらず、セシルにはどの時、どの夜が自分の発情期だったのか把握できていなかった。
「答えられぬか? 私の見立てによると、貴殿はあの初めての発情期以降、一度も発情期を迎えていないはずだ」
断言されて、セシルは言葉に詰まった。
「なにかがおかしいとは思わぬか? 貴殿は今29だ。あれから11年。そんなにも長い間、オメガが発情期を一度も迎えずにいることはまず不可能だ」
「それは……、きっと、抑制剤のせいです。毎日かかさず飲んでいました」
セシルはかつて朝食後、必ず出されていた甘ったるい液剤を思い出した。
「毎日? かかさず?」
とがめるような声に、セシルは身をすくませた。
「はい、王宮の専属医から、王の任務に差し支えないよう、側に仕えるオメガの発情期を最低限に抑える効果があるとか……」
だから、自分には俗に言われる「身を焦がすほど狂おしくアルファを求める発情期」は無縁だと思っていた。
「なるほど、そんな抑制剤があるとすれば、この世界のオメガはもっと楽に生きられるだろうな」
ファリンはため息をつく。
「どういう意味ですか? ファリン様、私は……」
「セシル殿、落ち着いて聞いてほしい。どんなに薬を作る技術が発達しようが、オメガがまるでベータのように発情期とほぼ無縁で過ごせるような抑制剤を作ることはまず不可能だ。
抑制剤は、発情期を落ち着かせてくれはするが、なくならせることは決してできない。なぜなら、オメガの発情期はこの世の理だからだ。
もし、貴殿のように10年以上の間、オメガが発情期という言葉を認識せずに過ごすことができる薬があるとすれば……」
ファインの漆黒の瞳が暗く沈み込んでいく。
「……それは毒だ。
セシル殿、貴殿は長い間、強い毒を飲まされ続けていたのだ」
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