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26.過去の記憶
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「別人……?」
「ああ、まあ、別人というのは少し大げさかもしれない。確かに今のヴェリオスも、紛れもなくヴェリオスだ。それに間違いはない。――ただし」
アレクシは、ふうっと小さくため息を漏らした。
「今のヴェリオスはもう、過去を何ひとつ覚えていないんだよ。ヴェリオスはとある事情から、これまでの記憶をすべて失ってしまった。いや、『失った』というより『捨てた』と言ったほうが、より正確かもしれないな」
「捨てた……? 記憶を……?」
――では、もうヴェリオスは何も覚えていないのだろうか。
あの夜のことも――、俺のことも。
「側近の話では、周囲の者がヴェリオスの様子に異変を感じ始めたは、今から五年以上も前。王立学院を卒業した直後のことだった。学院時代に何かがあったのかもしれないが、今となっては原因もわからない。ただ、確かにヴェリオスは以前とはまったく違う人間になってしまっていた」
アレクシの語り口は淡々としているが、その奥には複雑な感情がにじんでいた。
「ヴェリオスは、克己心が異常に強い男だった。王太子として、周囲に不調を悟らせることすら許さなかった。弱さを見せるなど、彼にとっては絶対にあり得ないことだったんだ。
だからこそ、たとえそれ以前から何か異変があったとしても、誰も気づかなかった可能性が高い。
だが、卒業後まもなく、精神の均衡が崩れ始め、次第に臥せりがちになり、……そして二年ほど前には、ついに床から起き上がることもできなくなってしまった」
「……病、ですか?」
「医師の診断では、肉体に異常はなかった。完全に精神面の問題だったという。
だが、ヴェリオスは何があったのか、誰にも語ろうとはしなかった。ただ『すべてが空虚に思える』、『このまま消えてしまいたい』と、そう周りに話していたらしい。
当然、病状は日に日に悪化していった」
アレクシは少し目を伏せ、しばし沈黙したあと、静かに言葉を継いだ。
「そして、ちょうど半年前。変異が起こる前のある晩、ヴェリオスはこの僕を病床へ呼びつけた」
「……アレクシ様を?」
「そう。嫌味なほど頭の切れる、いけすかない奴だったが……自分が誰に頼るべきかだけは、正確に理解していたんだ。こんなときに頼れるのは、優秀きわまりないまた従兄弟の、この僕しかいないってね」
アレクシは胸を張って、誇らしげに笑った。
「それで、ヴェリオス様は、アレクシ様に何を?」
「ヴェリオスは駆け付けた僕にすがりつくようにして言ったのさ。『アレクシ、頼む。私は確かに見た。確かにこの腕に抱いた。私の――たった一人の運命の番を。あの人は絶対にどこかにいる。どうか、見つけ出してくれ』と」
アレクシはゆっくりと目を閉じ、少し息を整えてから、続けた。
「そして、僕が頷いたのを見届けた直後、ヴェリオスは深い眠りについた。
……そして目覚めたときには、もうあのヴェリオスではなくなっていたんだよ。自分が僕に何を頼んだのかも、まるで覚えていない。
いやはや、薄情だと思わないかい? こっちはその約束のために、こうして必死に全土を駆け回っているというのに」
憤懣やるかたない様子で、アレクシは歯ぎしりする。
「僕がここまで苦労しているというのに、今のヴェリオスときたら、後宮で美しいオメガたちに囲まれて、毎日毎日……!」
アレクシの口調が急に激しくなる。が、すぐに落ちつきを取り戻し、言い直した。
「……とはいえ、この完璧な僕としては、一度した約束は守らねばならない。そして」
アレクシの顔から笑みが消えた。
「おそらく、今のヴェリオスが、いつまでも今のままでいられるとは限らない。
あと数か月もすれば、民の間に囁かれているあの噂が、現実になるかもしれないんだ」
「民の噂……。つまりは……」
竜になったヴェリオスが、人を喰らい、その生き血を啜り生きながらえる……。
「ああ、まあ、別人というのは少し大げさかもしれない。確かに今のヴェリオスも、紛れもなくヴェリオスだ。それに間違いはない。――ただし」
アレクシは、ふうっと小さくため息を漏らした。
「今のヴェリオスはもう、過去を何ひとつ覚えていないんだよ。ヴェリオスはとある事情から、これまでの記憶をすべて失ってしまった。いや、『失った』というより『捨てた』と言ったほうが、より正確かもしれないな」
「捨てた……? 記憶を……?」
――では、もうヴェリオスは何も覚えていないのだろうか。
あの夜のことも――、俺のことも。
「側近の話では、周囲の者がヴェリオスの様子に異変を感じ始めたは、今から五年以上も前。王立学院を卒業した直後のことだった。学院時代に何かがあったのかもしれないが、今となっては原因もわからない。ただ、確かにヴェリオスは以前とはまったく違う人間になってしまっていた」
アレクシの語り口は淡々としているが、その奥には複雑な感情がにじんでいた。
「ヴェリオスは、克己心が異常に強い男だった。王太子として、周囲に不調を悟らせることすら許さなかった。弱さを見せるなど、彼にとっては絶対にあり得ないことだったんだ。
だからこそ、たとえそれ以前から何か異変があったとしても、誰も気づかなかった可能性が高い。
だが、卒業後まもなく、精神の均衡が崩れ始め、次第に臥せりがちになり、……そして二年ほど前には、ついに床から起き上がることもできなくなってしまった」
「……病、ですか?」
「医師の診断では、肉体に異常はなかった。完全に精神面の問題だったという。
だが、ヴェリオスは何があったのか、誰にも語ろうとはしなかった。ただ『すべてが空虚に思える』、『このまま消えてしまいたい』と、そう周りに話していたらしい。
当然、病状は日に日に悪化していった」
アレクシは少し目を伏せ、しばし沈黙したあと、静かに言葉を継いだ。
「そして、ちょうど半年前。変異が起こる前のある晩、ヴェリオスはこの僕を病床へ呼びつけた」
「……アレクシ様を?」
「そう。嫌味なほど頭の切れる、いけすかない奴だったが……自分が誰に頼るべきかだけは、正確に理解していたんだ。こんなときに頼れるのは、優秀きわまりないまた従兄弟の、この僕しかいないってね」
アレクシは胸を張って、誇らしげに笑った。
「それで、ヴェリオス様は、アレクシ様に何を?」
「ヴェリオスは駆け付けた僕にすがりつくようにして言ったのさ。『アレクシ、頼む。私は確かに見た。確かにこの腕に抱いた。私の――たった一人の運命の番を。あの人は絶対にどこかにいる。どうか、見つけ出してくれ』と」
アレクシはゆっくりと目を閉じ、少し息を整えてから、続けた。
「そして、僕が頷いたのを見届けた直後、ヴェリオスは深い眠りについた。
……そして目覚めたときには、もうあのヴェリオスではなくなっていたんだよ。自分が僕に何を頼んだのかも、まるで覚えていない。
いやはや、薄情だと思わないかい? こっちはその約束のために、こうして必死に全土を駆け回っているというのに」
憤懣やるかたない様子で、アレクシは歯ぎしりする。
「僕がここまで苦労しているというのに、今のヴェリオスときたら、後宮で美しいオメガたちに囲まれて、毎日毎日……!」
アレクシの口調が急に激しくなる。が、すぐに落ちつきを取り戻し、言い直した。
「……とはいえ、この完璧な僕としては、一度した約束は守らねばならない。そして」
アレクシの顔から笑みが消えた。
「おそらく、今のヴェリオスが、いつまでも今のままでいられるとは限らない。
あと数か月もすれば、民の間に囁かれているあの噂が、現実になるかもしれないんだ」
「民の噂……。つまりは……」
竜になったヴェリオスが、人を喰らい、その生き血を啜り生きながらえる……。
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