無能と呼ばれる二世皇帝の妻になったら、毎日暗殺を仕掛けられて大変です【改訂版】

佐伯 鮪

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序章

天女

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「.....どうした?」

 男性が、不安げな瞳で覗き込む。
 詩音は我に返り、軽く咳払いを一つしてから質問に答えた。

たちばな詩音しおん、といいます」

「シオン、と申すか。それは、どういう字を書くのか」
「詩文の詩に、音楽の音です」
「ほお、それは素晴らしい名だな。そなたの家系は詩文に関係があるのか? 私も、詩が好きでな、自分でもよく詠むのだが……」

 彼の瞳が突然輝き、前のめりになりかける。だが、すぐに彼自身が話が逸れそうなことに気付き、口ごもった。


「あの……貴方の名も、聞いてもよろしいですか」

 この人は先ほど、「陛下」と、そう呼ばれていた。それはつまり、天皇や皇帝など、国で一番偉い人にしか使わない言葉なのではないだろうか。本人の話し方や周りの人の態度からして、彼がそうであることはおそらく間違いないだろう。

 しかし、この人は詩音がテレビを通して知っている日本の天皇陛下ではないし、ここは明らかに現代の皇居ではない――実際の皇居の中に入ったことはないし知らないけど――、それに建物や調度品のつくり、外の風景から考えて、日本でもないように思える。

「私の名は、そう 遥星ようせいと申す。遥星、と呼んでくれ」
「遥星、さま、ですか」
「ははは、そんな堅苦しくなくてもよい」

 そうはいっても、相手は陛下と呼ばれる身分であるのだし、それにその雰囲気の喋り方をされると、せめて「さま」ぐらい付けないといけないような気がする。

「遥かな、星――素敵な名前ですね」

 あの時、居酒屋の外階段で、星を見上げた。手を伸ばしても届かない、と、そう思った。そこで記憶は途切れている。

「あの、ここは、どこなのでしょうか。中国ですか? 日本では、ないのでしょうか」

 今いるこの場は、畳などはなく石造りの床に丸くくり抜かれたような窓――そこに幾何学的にガチャガチャと入り組む格子がはめられており、なんとなく素人目にイメージする古代中国のような様相を見せていた。
 詩音が尋ねると、遥星はきょとんとして答えた。

「チュウゴク?二ホン? それらが何を指しているのか存ぜぬが、ここは、宮殿内の私の居室だが」

 詩音は自分の訊き方が独りよがりだったことに気付く。相手が自分と同じ前提の中でいるわけではないのだと、この時思い知った。
 気を取り直して、訊き方を変えてみる。

「失礼しました。質問を変えますね。ここの地域――国の名前は、なんというのですか」

「あぁ、そういうことか。それならば、ここは、ぼうである。字は、こう書く」

 そう言って遥星は、机にお茶を少し垂らして、それを指でなぞって文字を書いて見せた。

 昴?

 聞いたことない、ような気がする。漢字一文字というのは古代中国王朝っぽいけど、そんな名前、あっただろうか。
 そもそも、ここはいつの時代なのだろう。
 電気や機械がないあたり、勝手に古代だと決めつけてしまっていたが、タイムスリップでもしたというのだろうか。


「詩音。その……そなたは、一体どこから現れた? 先程、そなたが落ちてきた真上に梁(はり)はない。しかも見た事のない衣服を身に付けているし、ここがどこかもわかっていないとは、一体どういうことなのだろうか」

 そんなの私が知りたいよ、と詩音が思っていると、遥星はもじもじしながら言葉を続けた。

「何より、私の危機を救ってくれただろう。そなたは、その、天からの使い――天女か、何かなのかと……」

「.....ぐっ.....けほっ、けほっ」

(て、てんにょって.....)

 真剣な調子で、物語でしか聞いたことのないような単語を出され、むせ返る。

「.....いえ、残念ながら、普通の人間です。どこからどうやってここへ来たのか、さっぱりわかりません。こっちが聞きたいくらいです」

 夢を壊すようで申し訳ないが、正直に答える。

「うん……そうか。そうだよな」

 今度はまた濡れた仔犬のように、わかりやすくシュンとしてしまった。

「そなたが、意図的に現れたのではないとすると、直前まで何か別のことをしていた、ということになるのだろうか。そなたにも、それまでの生活があって、普通にものを考え、感じ、生きてきた、ということなのだろうか」

 その発言を聞いた詩音は、咄嗟にこう思った。

――この人、頭の回転が早くて、かつ、飲み込みも早い。

 異物を前にこの状況に戸惑っている、という点では、二人は同じだった。
 詩音は、単身で見知らぬ空間に迷い込んできた格好だ。反対に、遥星から見れば、自分の日常の空間に一つ異物が入ってきた、という状況だった。

 この状況下で、相手にも人格や生活がある、と具体的に想像できることは、なかなかないのではないだろうか。現に詩音は、今いる空間を理解するのに精一杯であったし、『自分と、その他』でしかものを見れていなかったことに気づいた。
 天女と言われたことには驚いたが、前触れなくいきなり降ってきたのだから、そう思われても無理はない。だが、それを否定されてすぐ、『人間としての相手』へ想像を巡らせられることを、単純にすごいと思った。
 そして、視野のせまい自分を、情けなく感じた。


「……はい、おっしゃる通りです。私は、まったく別の日常を過ごしていて、本当にいきなり、ここに来てしまったようです」

「じゃあ、せっかくだ。時間もあることだし、そなたの話を聞かせてくれないか。そなたが天女ではなく普通の人間なのだとしても、実に興味深いことだ」


 遥星は空になった茶器に、慣れた手付きで二杯目のお茶を注いだ。
 詩音の分と、自分の分。先ほどよりもゆるやかに、細い湯気が立ち昇った。
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