どうやら私、動くみたいです

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第三章 お初と付喪神

第六話 知られざる彼女の過去

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「お前俺に対して怯えでもしてんのかよ。マジ意味わかんね」

 うわぁ、なんてトゲのある言葉だろうーー。口調的には轆轤首さんに似てるんですが、彼女と違って野鎌さんの言葉って鋭いんですよね。それも鎌の付喪神だからなんでしょうけど、とにかくこの人は苦手です。

「まぁいいや。単刀直入に言うけどよぉ……」

 え、いいんですか、私の中での印象なんてどうでもいいんですかーー。口から漏れ出そうになった心の声をグッと抑え込み、私は彼のご機嫌をいとわない態度に絶句しました。どうやら彼にとっては私なんか、気に留める程の者でもないみたいです。それはそれでなんだか悲しくなってきますね。
 ですが次の彼の言葉は、そんなチンケなショックでは到底事足りない程の、正しく驚くべきものでした。

「ーーお前明らかに後者、市松人形に取り憑いた人間の霊だぜ」
「えっ……」

 勿論私は彼に疑いをかけました。いきなり過ぎたのもありますが、やはり彼がデタラメを言っている可能性も否定は出来ませんからね。何せ彼は他人に対しての、正確に言えば私に対しての興味がわけですから、適当にやり過ごしてもなんら問題は無い事ですし。

「なんで、なんであなたにはそんな事がわかるんですか!?」
「簡単な話さ。人間が人種を見分けるようなもんだよ」

 しかし返された返事は、あたかも核心を突いているものでした。これにはもう、私もぐうの一つも出ません。まさに完敗と言っていいでしょう。
 私は自然に自我が芽生えた付喪神じゃなかったんだーー。何故かはわかりませんが、私は彼の話を聞いて落ち込んでしまいました。でもその理由は自分でも、薄々気付いていました。おそらく自分が元々人間であったと言う事に対する、劣等感を感じたんです。

 私を捨てた、お婆ちゃんの醜い子供達と同じ人間ーー。確かにお婆ちゃんみたいな優しい人だって、この世には沢山いる事ぐらいわかっています。けれどそれ以上にあの人達の存在は、私の中の人間に対するイメージをこれでもかと思う程に汚していました。
 それに彼の話が本当であれば、色々と辻褄が合ってくる事もあるんです。私の語彙力、そして読み書きが出来る事は、まさにその事に対する回答でした。

 人間は普通、言葉の読み書きなんてものは習う事で身につけています。ですが私はどうでしょう。いくら妖怪だからと言って、それらを教わっていないのにも関わらずいきなり読み書きするなんて、そんな事が出来ますか。答えはノーです。だってその点に関して言えば、妖怪も人間も一緒なんですから。
 やっぱり野鎌さんの言っている事は本当だーー。心の底で自分が、何かに対して呻き声を上げているのがわかりました。いつの間にか私は、何処かで人間を見下していたのかも知れません。そう、恥ずかしながら私は妖怪である自分に酔っていたんです。つまり真に醜かったのは人間ではなく私自身。妖怪の立場でも人間の立場でも、それは変わる事のない事実でした。

「ーーおい、ツクモノ! どうしたのじゃツクモノ!」

 天狐さんに体を揺さぶられて我に返った気がしました。顔を上げて彼女の顔を見てみると、美しい顔が皺でぐちゃぐちゃになっていました。なんでそんな顔しているの、とでも問い掛けたくはなりましたが、すぐさまその答えを彼女に問い掛ける間も無く理解しました。ーー友達だから、だったんですね。
 自分の今の表情も、実際どんな事なっているのかはわかりません。けれど天狐さんの顔を見る限り、と言うよりかは彼女の瞳に映る私を見る限りでは、相当酷い顔をしていました。感情が顔に出やすいのは相変わらずですね。

「私は一体誰なんでしょう」

 私は頬をひきつらせながら言いました。誰でもいいから、この思いを受け止めて欲しかった。誰でもいいから、何か救いが欲しかった。でもそんな願いはただの私欲に過ぎない事もわかっている。事実私は助けてもらってばかりで一人なれば当然、何も出来ないただの市松人形に過ぎない事も。ーーけれど。

「助けて下さい」

 自ずと声が出ました。言い訳をするのであれば、これは欲ではなく救助信号だとでも言っておきます。ただひたすらに助けが来るまで送り続ける救助信号。この一方通行さも、相手からすれば鬱陶しい事この上ないです。
 私の顔をじっと見つめたまま、天狐さんは何も言いませんでした。おそらく言葉を返してあげたくても返す言葉が見つからないのでしょう。そりゃそうです。私も逆の立場だったとしても、今の私にかける言葉なんて全くと言っていいぐらいに思いつきませんから。つまり今の私はよっぽど友達としても関わらづらい、そんな状態なんだと思います。

「……ったくよぉ。お前らアタシの居ないとこで何の話してんだ」

 すると静まり返ったこの空間の中で、もはや日常の権化と言っても過言ではない声が聞こえてきました。その声の主は口調こそ野鎌さんに似てはいるけれど、声質からして全くの別人。そう、この部屋に居ないと思っていたにも関わらず、彼女はそこに居たのです。人間に捨てられた私を救ってくれた恩人と言えば、もう誰だかわかりますよね。

「なっ、轆轤首か!? お主いつの間に部屋へと入っておったんじゃ、ドアが開く音は聴こえてはこんかったぞ」

 当然、天狐さんは軽く声を上げてびっくりしていました。見た目が見た目だけにあんな顔されると、化けているとは言え彼女の心臓が止まるのではないかとハラハラしてしまいます。と言うか、いつまで天狐さんはその老女の姿をしているつもりなのでしょうか。

「妖怪に常識なんて求めんなよな。音を立てずに部屋に入る術なんざ四百年人間を脅かしてりゃあ嫌でも身につくって」
「それもそうじゃな」

 ですがすぐにそんな単純な理由で納得する辺り、やはり天狐さんも妖怪であると言う現実は認めざるを得ません。妖怪同士の会話ってのは、人間が思いもしないような事柄が平然と飛んできます。でもそこがまた面白い所でもあるんですけどね。
 ふと話を聞いていて思ったんですけど、轆轤首さんって過去に不法侵入紛いな事をやってたんですね。人を驚かす為に行っていた、それはいつの時代の話なのかは定かではないですけど、今の時代にそんな事をすれば大変な事になりそうです。ーー勿論法的な意味で。

 颯爽さっそうと話のペースに置いていかれた私は、同じく轆轤首さんが来てから一度も口を利いていない野鎌さんの方へと視線を移してみました。
 が、彼は既に瞳を閉じて眠りについているではありませんか。どれだけ野鎌さんは他人の話に興味が無いんでしょうか。ここまで来るともはや、逆に尊敬する域ですね。

「それより天狐、ちょっとコイツと二人だけにしてもらえねぇか?」

 話が少しズレてきたと思いきや、その言葉から轆轤首さんの表情は一変しました。急に真面目な雰囲気を漂わせている辺り、ようやく何処かへ行っていた話も戻ってきたみたいです。
 こんな話のスイッチのオンオフ切り替えが出来るなら、普段からもやってくれればいいのにーー。まぁそれが轆轤首さんと言う妖怪なんですけどね。

「ああ。なんならそこのベランダを使うと良い」

 あまり天狐さんも、轆轤首さんには散策を入れませんでした。正直私も天狐さんも、彼女が何処まで話を聞いていたのかはわかっていません。けれど私の顔を見た轆轤首さんは、何かしら感じ取ってはいたのでしょう。場の空気が恐ろしい程に重苦しくなっている事を。

「サンキューな」

 それだけを言い残し、私と轆轤首さんは【一一二】の部屋の中から外の森が上から見えるベランダへと場所を移しました。ベランダの広さは県営住宅のものと遜色ありませんので、私を抱いた轆轤首さんがゆったりと立っていられるぐらいです。それに五階と言う高さだけあってか、森の木に景色の邪魔をされない為に二階とは違って、夜空に広がる星々が綺麗に見えていました。
【六六】の部屋では自然が感じられるとかどうとか言っていましたが、やはり森の木々ばかりの景色よりかは断然こちらの方がいいです。

「私、人間の霊だったんです」

 ダラダラと景色ばかり眺めていても話は進まないので、取り敢えず私は核心から話してみる事にしました。これなら例え轆轤首さんが話の内容を知っていなかったとしても、直に言いたい事が伝わると思ったからです。一旦出始めた言葉は、封を切った途端溢れ出してきました。

「でもさっき気付いたんですけど、私って人間の事があまり好きではないみたいなんです。多分お婆ちゃんの部屋を荒らしていったおじさん達の、印象のせいってのもあるんでしょうけど」

 しかし続けて発言してみるも、何故か轆轤首さんは返事もせずにただただ夜空の星を眺めていました。それもまるで、私の話している内容が耳に入っていないかように。
 本当に轆轤首さんは話を聞くつもりがあるのかなーー。少しずつではありますが、轆轤首さんに対して不信感が募り始めてきました。

「しっかし馬鹿げた話ですよね、人間が嫌いだなんて。お婆ちゃんだって同じ人間なのに」

 なんでこの人は同じ反応を続けるのーー。
 どうしてこの人は私の事が見えていないのーー。

 不信感は止まりを知らずに大きくなっていきます。にも関わらず、口を開かず沈黙を守り続ける轆轤首さん。私には、彼女が何を言いたいのかわからなくなってしまいました。
 轆轤首さんは私を助けてくれると言った。いいえ、そうは言っていなかったけど私にはそう捉えた。でも話してみてどうだ、私の事なんて目もくれずに同じ態度を取っているだけじゃないかーー。その事が、ひたすらに信じられませんでした。

 やっぱりこの人は初めから私なんかを相手にするつもりがなかったんだーー。そして心が不安定だった私は、そんな轆轤首さんへの鬱憤からついに、彼女が傷つき兼ねない鋭さを秘めた言葉を投げかけてしまいました。

「……どうせこんな話をしても、妖怪の轆轤首さんにはわからないでしょうけどね」
「プッ……」

 が、その言葉に轆轤首さんは鼻で笑って反応を示しました。ようやく反応を見せたと思ってみたら、あろう事か鼻で笑うなんてーー。さっきの話の何処で笑う場面があったのか、私には彼女の意図が全く理解出来ません。
 先程からの彼女の態度に困惑していると、轆轤首さんはとうとう口を開きました。「実はな」

「アタシも昔、人間だったんだ」

 私は言葉を失いました。突然の彼女の告白。それは私を勇気付ける為のフェイクなのか、はたまた本当に彼女が人間であったのか、加胡川さんの一件で少し疑り深くなっていた私は、轆轤首さんの話の続きを求めていました。当然、真実を知る為です。
 そして同時に、思い知る事となります。自分がいかに生温い問題で、頭を抱えていたのかを。

「ちょぉっと首が長いからってさ、住んでた村の奴らからは化け物扱いされてよ。ただでさえ貧しい村だってのに食料の配給が絶たれ、アタシは餓死した」

 轆轤首さんの言葉一つ一つには、彼女自身が受けてきた仕打ちの生々しさが気持ちの悪いくらいに伝わってきました。村絡みでの差別、人間だったが故の食料不足による餓死、聞いている限りではこれらの話にただ一つとして偽りは感じられませんでした。
 平和ボケをした私が抱いていた苦悩が、彼女からすればまさしく足元にも及ばない些細な事だと痛感しました。ーーだからあの時彼女は嘲笑したんだ、その程度の事で人間を嫌いになろうとしていたのかと。

 耳を塞ぎたくなるような轆轤首さんの話は、私の事情なんて知ったこっちゃなしに先へと進みました。

「アタシは成仏出来ずに地縛霊になった。そりゃあ村の奴らにあんな事されちゃあ仕方ねぇよな。だからアタシは村の……いいや、人間そのものを恨んだ。そしてこの世界を恨んだ」
「世界を……ですか」

 私にはわからない、わかりたくもない真理へと彼女は、その時辿り着いたんだと思います。自分の関わりのあった人間、そして関わりの無い人間がまとめて嫌いになる。言っている事はさっき私が轆轤首さんに言った事となんら変わりはありませんが、それ以上に彼女の発言には理由がありました。それも全ての人間を恨む、身勝手だけど正当な理由が。

「で、でも! なんで今じゃ轆轤首さんは人間との共存なんかを……」

 一切の救いも無い話にとうとう耐え切れなくなった私は、轆轤首さんに結論を迫りました。確かに聞いている限りではこの話には救いが無いように思えます。でも今の轆轤首さんは人間が嫌い、と言うよりかは寧ろ好んでいました。だからこそ私は、本当に彼女が言いたい事を急かしたんです。ーーこれ以上彼女の暗い過去を聞きたく無い、そんな願望を抱きながら。

「ちぇ、ここからが面白くなるのに」

すると少し不貞腐れた表情で、轆轤首さんが呟きました。どれだけその先を言いたかったんですか、もうあなたの暗い過去なんて沢山ですよ。その話の続きは私の心がもっと強くなってからにしてください。

「ある時、地縛霊のアタシに変わったやつが話し掛けてきた」

 彼女は直接「変わったやつ」を人間とは言いませんでした。ひょっとしてそれは、その人が人間ではない事を薄っすらと示していたのではないでしょうか。未練があり、一定の場所に留まり続ける地縛霊。その彼らに気安く話し掛けられる力を持つ者と言えば、それこそ妖怪以外では考えられませんから。

「そいつはアタシにこう言った、妖怪になって第二の人生を歩んでみないか、ってな」

 そう言いながら轆轤首さんは自分の首を伸ばすと、何処か遠い所へ目線を移しました。横目から見た彼女の顔は少し口元を緩めて笑っているようにも見えましたが、よく見るとその目は笑っていませんでした。
 多分当時の轆轤首さんからしても、妖怪への転生は相当な覚悟の上での同意だったんだと思います。

 人間としての前世を持ちながらも、妖怪へと転生する。それは人間と言うある程度安定した形状から、大きくかけ離れた異形とも言えるあやかしへと変化する事を意味しています。
 しかもその方の話を聞く限りでは、一体どんな妖怪なるのかもさっぱりわからないときている。故に妖怪への転生には相当不安が煽られたのでしょう。何せ私と違って轆轤首さんは、自分の意思で妖怪になる事を問い掛けられたんですし。
 それにしたって妖怪になるのに第二の人生と言うのは、ちょっと違和感がある言い方ですね。

「ちょっと迷いはしたが、アタシはその話に合意した。理由は簡単だ。何故ならアタシを殺した人間達への、復讐が出来るからな」

 今度は遠い所を見てではなく、頭を上下左右に回しながら彼女は言いました。それも人間が自分の足で歩き回りながら、立ち止まらないようにして話しているかのようでした。
 にしてもまさか、復讐なんて言葉が彼女の口から出るなんて、これまでの生活からは想像もしませんでしたよ。それ程までに彼女が抱いていた、恨みの大きさは底知れなかった。だから自身が妖怪になってまで、その恨みを晴らしたかったんだと思います。

「そんでもってアタシは妖怪として転生した。だがその時やつは大量の金を渡してきてこうも言ったんだ。『人間の街に行ってみなさい』ってな」
「人間の街に?」

 突然、二人を包む空気が変わりました。それも重苦しかったものが一気に軽やかになったのです。
 何故轆轤首さんを妖怪へと転生させた方が、そこまでして彼女に街へ行く事を進めたのか。私にはその理由がなんとなくですがわかっていました。おそらく小さな囲いの中でしか暮らしていなかった彼女に、その方は見せたかったんじゃないでしょうか。ーー人間達が生み出した文化が行き交う場所、町と言う集大成を。

「アタシを蘇らせてくれたからよぉ、アタシも仕方なくやつの言う通りにしてみたんだ。そこでアタシはあるものに出逢った」

 そして次の彼女の発言は、私の中で固まりつつあった答えを、不安定なものから確信へと昇華させました。

「化粧や着物、貧乏だったが故に触れられなかった人間達の、文化ってやつの素晴らしさに。あんなの反則だぜ、おかげでアタシの恨みは感動へと変わっちまったよ」

 大方話の流れは予想していましたが、いざ轆轤首の口から言われるとすごく安心しますね。あたかもそれは、心地の良い結末を迎えたテレビドラマを見終わったかのように清々しさすら感じられますよ。
 だって考えてもみてください。世界からすればほんの小さな範囲で人間を恨んでいた轆轤首さんが、ふとした事がきっかけで人間との共存を望むまでになるんですよ。ーーこれ以上のハッピーエンドがありますか。
 更に轆轤首さんは空の方を指差して言います。

「今私達から見えている無数の星、全てある内のほんの一部であって全部見えてるわけじゃない」

 言われるがままに見上げてみると、それはもう綺麗な夜空が広がっていました。私達の住んでいる雛形区は、都会と言う事もあってかあまり夜空に星は見えません。けれどここではその星の光を邪魔する街の灯りが無い、その為に淡い光を放つ天の川さえ、裸眼で薄いグラデーションが見える程に見る事が出来ました。
 それに目視出来る限りでも、相当な数の星が見えています。ですが轆轤首さんは、あれら全てがまだ一部だとおっしゃっているんです。お婆ちゃんの家の中の景色しか見えていなかった私には、とても信じられない事柄でした。

「嘘でしょ? だってあれがほんの一部なら、どれだけ星って沢山あるんですか」
「アタシ、お前に無数って言っていたよな。星なんてもんを数えようとすればアタシらの指じゃ何本あっても足りないぜ」

 しかしながらこう夜空の景色を眺めていると、彼女の話が事実である事も納得出来るような気がしました。
 私は小さな世界しか知りません。けれどこの地球全体から見ればその範囲は、世界そのものの細胞以下でしかないのです。
 だからこそ今私は飛び出そうとしている。井の中の蛙が、大海を知る為に。

「人間も同じだぜ。お前に見えている人間の姿ってのもごく一部でしかねぇんだ」
「人間も……同じ」

 黄色一色に見えていた星も、よく目を凝らせば少しオレンジだったり白かったりと、様々な色をしています。そう、言わば星は星でも一つ一つにちゃんと違いがあるんです。
 そしてそれは人間も同じ。良い人間もいれば当然、悪い人間もいる、そんな世界なのです。

「ツクモノ、お前の世界はまだ狭い。だから昔のアタシみたいに一部のものに執着するんじゃなくて、もっと広い視野を持つんだ」

 つまり彼女が本当に言いたかった事はただ一つ。人間を数人見ただけで人間そのものを判断しない、と言う事でした。ご子息達がどれだけ悪くてもお婆ちゃんは別に悪い人じゃない、それは私や轆轤首さんにも言える事です。元が人間だった妖怪の前世も、悪い人間がいるからと言って、決してその前世が悪人と言う訳ではないのです。だから私が気を病む理由なんて、何処にも無かったんです。

「そうすれば人間だった時の自分にもいずれ向き合えるようになる。第一今のお前は妖怪だろ、前世なんてこれから生きていく上でどうでもいい事だぜ?」

 最後に彼女は私を自分の方へと向けて、首を伸ばしたまま微笑みかけてきました。

「今のお前は付喪神、市松人形のツクモノなんだからさ」

 私は何を迷っていたのでしょう。どうやら私はまた、彼女に助けられてしまったみたいです。
 自己理解をする為にわざわざ轆轤首さんまで連れてきて、自分の正体がわかった途端にそれから逃げようとする。そんなわがままな私にも彼女は、優しく対応してくれました。それも自分の苦い過去を掘り起こしてまで、私の安定に力を注いでくれた。その様には、言葉では足りないくらいの感謝をしました。

「轆轤首さん、ありがとうございます……!」

 涙は出しません、と言うよりかは出ませんでした。泣く理由は十分にあったのですが、おそらく水分を摂取していなかったので涙が出てこなかったんだと思います。故にここは、我慢した風を装っておきますね。それで少しは成長したなと轆轤首さんにも思ってもらえるでしょうし。結局のところ、泣けない理由を泣かないと言う事にしただけでした。ーーだから一応、心の中で泣いときました。

 *

 今日の朝食はニンジンとゴボウが入ったお味噌汁に焼き鮭、そして白ごはんと夕食の時とは違って控えめな内容ではありましたが、胃を慣らしてゆく段階として見ればとても良いものでした。味覚に関してはまだどれが美味しいと言う感覚なのかわからないですけど、食後の幸福感があると言う事はきっと美味しかったんでしょうね。
 おかげで気分もいつもより晴れ晴れとしていますよ。でもちょっと食べ過ぎちゃったかもーー。お腹もちょっと苦しいです。

 何故私が食事をしているのか。実は昨日野鎌さんに聞いたんですが、なんと付喪神にも食事が出来るそうなんです。これを聞いた時はもう、ちっちゃい子みたいに飛び跳ねちゃいました。
 でも食べた物が何処に行くのかと訊ねると、野鎌さんは沈黙を守ったまま私を見つめてきました。ーーそれも答えを察せとでも言わんばかりの眼光で。
 私が思うに、彼もまたその答えはわからなかったのでしょう。妖怪は未知の部分が沢山ありますからね。

「ところであなた達、今日はどう言ったご予定なの?」

 朝食で使った食器の片付けに来たお初さんは、食後のお茶を用意するついでに畳で寛いでいた私達に話し掛けてきました。

「ここからアタシ達の家は公共交通を機関使っても六時間ぐらい掛かるからな、実は飯を食い終わってからは帰ろうかと思ってるんだ」
「行きたい所は昨日の内に行っちゃってましたからね」

 確かに今日の予定は、なんて聞かれても少し困っちゃいますね。何せ昨日の時点で、ここに来た本来の目的が達成されちゃいましたから。今日の残された時間を使って出来る事と言っても、近場の地域観光ぐらいでしょうし。因みに帰りは天狐さん曰く、加胡川さんの車で送っていただけるみたいです。なので帰宅時刻は、少しだけですけど早くなると思います。
 まぁ昨日行けなかった石の博物館に行ってみる時間ぐらいはあるとは思いますんで、そこは視野に入れておいて欲しいものですね。

「あらそうなの? でもこんな所に来るって事はやっぱり、観光以外の目的があったんじゃないかしら」
「ま、まぁ色々と……」

 お初さんには私達の山城町へ来た目的は話していませんでしたから、一から全てを話すのは面倒でした。でも今の返答の仕方は、少し間違えちゃったかも知れないです。何故なら私みたいな答え方をすれば、誰だって話の内容が気になっちゃいますから。

「なるほどね。道理でツクモノちゃんの顔、昨日よりも生き生きとしてるわけだ」

 しかし私が危惧していた事を、お初さんは尋ねてきませんでした。寧ろ彼女は、あたかも昨日あった出来事の一部始終を見ていたかのように、的確な発言をしているようにも見て取れます。
 無論私は疑問を抱きました。だってもし一部始終を見ていたのであれば、過去に轆轤首さんがしていたと言う不法侵入紛いの話も信ぴょう性が増しますからね。実は私、今でもあの話は受け入れたくなかったんです。

「わかるんですか?」
「当たり前よ。私はここで多くのお客様を見てきたからね、お客様の様子が昨日と違う事ぐらい余裕でわかるわ」

 しかしその理由は、単なる凄まじい観察力でした。これには私も返す言葉が見つかりません。彼女程他人を見ていると、無意識の内に相手を観察や分析してしまうのかも知れません。それもこれも接客業をしているが故の賜物、やはりお初さんにとって宿屋の女将と言うのは天職なんでしょう。

「もし時間が取れるのなら、是非とむらいの祠は見てもらいたいものね」

 ふと、お初さんは声を漏らすようにそう言いました。

「弔いの祠? なんだそりゃ」
「聞いた事が無い場所ですね」

 粗方山城町の観光スポットなるものはホームページなどで見ていましたが、彼女が口にした場所には聞き覚えがありませんでした。しかし観光地には現地の人しか知らないような場所があるってのは、結構有名な話です。なので、もしかすればその事を言っているのかも知れません。
 しかし続くお初さんの説明は、私が考えていた場所とは大きくかけ離れた場所である事を強く知らしめました。

「崖の下にある小さな祠でね、身投げした妖怪を弔う為にぬらりひょんさんが建てた祠なのよ」

 身投げスポットとはまた陰気な場所でーー。と言うかえっ、今のってただの聞き間違えでしょうか。

「もしかして……妖怪って死ぬんですか!?」

 私は声を大にして叫びました。妖怪は朝に寝る事が多いらしいのですが、それすらもお構い無しに私は叫びました。そりゃあだって驚きますよ。轆轤首さんは約四百年、そして天狐さんは千年程生きておられます。そんな話を聞いてばかりでしたので妖怪が死ぬと言う事自体、全く視野になんて入れてなかったんですから。

「妖怪は基本的に寿命で死ぬ事はない。けど外部的要因は別だ。大怪我とかすりゃあ最悪の場合死ぬ」

 食後のお茶をある程度啜ると、轆轤首さんは割と真剣な顔をして私の方を向きました。何だか最近、彼女のゆるい表情を見ていない気がします。ーーしかしながら妖怪も外傷を負えば死ぬ事があるとは、妖怪と言えども万能な存在じゃないんだなぁ。

「人間の生活環境と言うのは、当然時代と共に変化する。だからそれについて行けなくなって死を選ぶ妖怪ってのも、案外少なくないの」

 ふと、私はあの時のお爺さんが言っていた事を思い出しました。

「今の時代は、妖怪にとって暮らし辛い環境だって事さ」

 前までなら、彼の言葉は遠回しに私が生まれてくるのが遅かったと言っているようにしか思えていませんでした。しかし彼女の話を聞いた今なら、その本当の意味を理解出来るかも知れないです。
 そもそも妖怪が人間達の記憶、もとい文化から消え去ろうとしている現代では、人を驚かしたり助けたりする事を生き甲斐としていた妖怪を根本的に否定しているようにも見えます。故にその生き甲斐を失った妖怪達は、自ずと永劫えいごうとも言える寿命を投げ打って死を選ぶんでしょうか。
まぁ妖怪としてもまだまだひよっこである私にとっては、理解し難い話です。

「だからもし暇があるのなら、帰るついででもいいから手を合わせてあげてきてほしいの。場所はここからちょっと離れた、古びた木杭《ぼっくい》のある崖のすぐ下にあるから」
「ちょっと待って下さい。今お初さん、古びた木杭のある崖って言いませんでしたか」

何故私がその言葉に強い反応を示したのか。それはそこから連想される場所が私と轆轤首さんにとって、まだ新しい記憶として残っている例の場所であったからです。

「そうよ、その下に弔いの祠があるのよ」
「古びた木杭……ねぇ」

 大方轆轤首さんの方も、察しがついていたみたいでした。
そう、例の場所と言うのは昨日、加胡川さんが私達を突き落とそうとしたあの崖でした。下に祠があると言う点においても、そこであるかなり可能性が高いと言えるでしょう。仮にもしそうだとすれば加胡川さん、物凄く不謹慎な方ですね。

「ま、まぁ気が向いたら地狐の奴にでも連れていくよう言ってみるぜ」
「そ、そうですね。アハハ……」

 それは皮肉でものを言ってるんでしょうか。轆轤首もしれっととんでもない事言いますね。今加胡川さんが居たら、一体どんな反応をしたのでしょうか。

「まぁそんなご時世だから私も、少しは役に立ちたくってこの心紡ぎの宿を営業してるのもあるのよ」
「実際ここの利用者は満室になるぐらい居るわけだしな、かなり需要もあるみてぇじゃん。しっかしお前もよく思い付いたな、これならぼろ儲けじゃねぇか」

 妖怪村と謳われているこの街も、多かれ少なかれ世間の影響を受けている事をお初さんは言いました。だからこうして彼女は、妖怪達が安心して暮らせるような場所を作ったのです。ーーもうこれ以上自分から死を選んで欲しくない、そんな願いを込めて。
 と言うか轆轤首さん、こんないい話をしている時にお金の話なんて持ち出さないで下さい。

「私だけのアイデアじゃないわ。それにこの宿もぬらりひょんさんが私の考えに賛同して建ててくださった物なの。食費以外は取ってない理由はそう言う理由よ」
「食費以外は……って、マジで言ってんのか女将!?」
「もしかして轆轤首さん、天狐さんから聞いてなかったの?」

 ここでまさかの宿泊費がタダ発言とは、今日この翌朝だけで何度私は驚かなきゃいけないんでしょうか。その話もお初さんの口から直接聞かされるまで、全く知りませんでしたよ。
 これじゃあ宿泊費はどれぐらいなのかなーー。なぁんて話を、寝る前にしていた私達は馬鹿じゃないですか。説明も無しに私達をここへと連れて来た天狐さんも悪いですけどね。ーー後でしっかりお話してやる。

 にしてもさっきからお初さんの会話に出てくるぬらりひょんって言う妖怪は、一体どんな方なんでしょうか。過去にネットで見た情報としては、妖怪の総大将と呼ばれている相当偉い人としてしか存じてません。実際のところどう言った姿をしているのか、どう言った経緯《いきさつ》で現れるのかは、見当がつきませんでした。
 ただ、一つ言える事が彼もまた、妖怪の存続を願う者の一人であると言う事でしょう。何せ妖怪村である山城町での功績だけでも、随分と他の妖怪に尽くされてるみたいですし。今のこの村の妖怪達があるのも、彼のおかげと言っても過言ではないでしょう。

「ついでに言うと、二人分の食費も天狐さんからちゃんといただいてるからね。後で天狐さんにお礼は言っといた方がいいわよ」

 話を戻しますが確か私達の食事も、本来なら天狐さん達の分だったんでしたっけ。そう考えると彼女の言う通り、二人にもちゃんとお礼を言っておかないといけませんね。無論、加胡川さんに対しても不本意ではありますが一応。
 でもやっぱり、天狐さんには悪い事しちゃたのかなぁーー。そんな罪悪感を抱きながらも、私は湯飲みに注いであったお茶に口をつけました。

「でもよぉ、それじゃあ女将はこの宿を経営してて儲かるのかよ」

 当然話を聞いてくれば、それも自ずと浮かんでくる疑問です。お金に少しうるさい轆轤首さんからすれば、尚更のことでしょう。

「確かに宿の修繕費とかを考えれば、実際損してるわね」
「よくやるなぁ。アタシだったら絶対にそんな事やんねぇよ」

 ですがこの地域の妖怪を助ける為、彼女はお金や身を犠牲にしてまで頑張っています。人助けが趣味と言えば少し言い方が悪いのかも知れませんが、そうでも言わなきゃ彼女の素晴らしさなんて、口ではとても言い表せませんよ。エンコさんと言い、山城町にはいい妖怪が多過ぎます。
 そんな中、お初さんはふと自分の話題が持ち上がったからか、すぐにそれを下げるような物言いで笑いました。

「けれど私も完璧な善人ってわけじゃないわよ。昔は私も悪さばっかりしてたんですもの」
「えっ、そうなんですか?」
「ええ。自慢じゃないけど、当時は色んな人に迷惑を掛けてたわ」

 お初さんでも、と言うかどんな方でも、そんな一面はあるんですかね。妖怪ってのは基本的に人間との関わりがすごく大事ですから、例えどのような形でも関わりは持っていたかったんだと思います。
 でも私は人を脅かしたりなんて事、あんまりしたいとは思いませんが。

「だけどある時川で溺れた時があってね、一人の人間が私を助けてくれたの。その時から私は、赤の他人でもしっかりと手助け出来るような妖怪になろうって決心したわ」

 彼女の心に決める決意の固さは、とてもじゃないけど真似出来そうにはありませんでした。だってお初さんの決意の固さが筋金入りである事は、彼女の過去を聞く限りでは明確なんですもの。だからこうして彼女は心紡ぎの宿を営んでいる。従業員こそ何人か雇っていらっしゃいますけど、彼らもまた、彼女の考えに同調した方達なんでしょうね。類は友を呼ぶと言いますが、正しくその通りです。

「そして現在に至る、と。一応ここの名前も妖怪同士助け合おうって意味を込めて、心紡ぎの宿にしたのよ」

 この宿の名前の由来を聞かされた時、私は背筋の方がぞくっとしました。
 妖怪達との繋がりを糸として紡いでいく。これはここの女将であるお初さんにしか出来ない事、なんですかね。だからこうして心紡ぎの宿は、他の妖怪達の賑わいが絶えない素晴らしい場所として存在しているのでしょう。
 なんて素敵な場所に寝泊まり出来たのだろうーー。私はそんな気持ちで胸がいっぱいになりました。

「お初さん、短い間でしたがありがとうございました。ここに泊まった事、私一生忘れません」
「ありがとうねツクモノちゃん、そう言ってもらえるとこっちも励みになるわ」

 そう言うとお初さんさんは座敷の縁で一礼して、部屋を後にしていきました。何処までも謙虚で礼儀正しい方です。こう言うところでも、彼女の慕われる所以ゆえんが垣間見えますよ。

「優しくて親しみやすい人だったなぁ」
「だな」

 ここに来てエンコさんやお初さん、それに話で出てきたぬらりひょんさん、そんな彼らがいるからこそ今の妖怪の世が築かれているんだと実感しました。
 妖怪も少しずつではあるけど、日々人間達の暮らしにも適応していっている。どうやら進化するのは人間だけじゃないみたいですね。

「さぁ轆轤首さん、今日は何処行きましょうか」

 まだまだ今日と言う一日は始まったばかりです。なので私は轆轤首さんに問い掛けました。昨日は行き方がわからなくて行けなかった場所も、今なら加胡川さん達に聞く事が出来るので行けますよ。時間なんてものは、なるようになればいいんです。

「全く、明日はアタシも仕事なんだから程々にしてくれよ……」

 気怠そうな返事をする轆轤首さん。ですがもう少し付き合ってもらいますね、私妖怪としての一生なんてまだまだなんですから。
 ここでの体験を胸に、これからもめいいっぱい楽しみます。

 ありがとう、山城町ーー。
 ありがとう、心紡ぎの宿ーー。
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