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1.あの日から
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息が苦しい。
酷く荒い息を繰り返して、この呼吸が自分のものだと気づくのに時間がかかった。
深呼吸を繰り返してようやく落ち着く呼吸にため息を1つ零して、スマートフォンを見た。
時刻は夜中の3時。
開いた窓から風が届いているのに、額の汗が髪を湿らせる。
「最悪…」
思わずつぶやいた後、あげていた上半身をもう一度敷布団に倒した。
できる限り音は立てないように。
そっと左を向けば、幼い寝顔が視界に入る。
駿の寝息が聞こえて、無意識に呼吸を駿に合わせていれば、どんどんと呼吸が楽になる。
5月も後半。
あの日まであと1ヵ月と少し。この時期から体が不調を訴える。
あの日のことを夢に見た。
鮮やかな赤が鮮明に目の前に広がる。歪んだ父が微笑み手を広げてくれるのを待っても、父はこちらを向きもしない。
鈍く頭が痛む。
あの日、お父さんがいなくなり、俺たち3人とお母さん、4人での生活が待っていた。
お父さんがいなくなって、お母さんは変わった。
優しい笑顔は消えて、ぼうっとただ、暗い部屋でどこかを見つめる。
家事なんてできる状態じゃなくて、食事もとれない、風呂にも入れない、ただ呼吸を繰り返し、お父さんの名前を呼ぶ。
いつからか、お母さんは俺に怯えるような視線を向けるようになって、それから、恨みを込めた視線を感じるようになった。
「あの人を返して。律、お父さんを返して」
久しぶりに聞いたお母さんの優しい声音が耳に響く。
ただ謝る俺につかみかかったお母さんを思い出す。
あの日のように泣き叫んで、初めて殴られた右頬が痛い。
兄ちゃんが走ってきてくれて、守ってくれて。
それから、お母さんとは会わなくなった。
兄ちゃんは、お母さんは病院に入院したと言った。事実は知らない。
そのまま兄ちゃんに言われるまま連れてこられたのは、ここ、お母さんの妹で叔母にあたる家族の家だった。
叔母と叔父は必要最低限のお金を出し養育してくれるけど、刺すような視線や冷たい物言いから、厄介者扱いされていることは十分に理解できた。
静かに、もう一度駿を見る。
大丈夫。俺は大丈夫。駿がいる。
兄ちゃんとはもう3年会っていない。
この家に来て2年が経たないほどで、兄ちゃんはここを出た。
ここでの扱いに耐えられなくなったのか、俺たちの世話をするのが疲れてしまったのか。
理由は教えてくれなかった。
最後は喧嘩したまま、兄ちゃんを送り出すこともできないで、兄ちゃんとは会えなくなった。
それから3年。駿ができるだけ傷つかないように。俺が駿を守れるように。駿だけを考えて生きてきた。
だけどこの時期はどうも不調が続く。
あの日の夢を見ることなんて珍しくないけど、体調に影響が出るのは困りものだ。あれから5年。毎年この時期になると眠るのが怖くなる。
だけど耐えなければ。駿に気づかれないように、駿が心配しないように。
呼吸が落ち着き汗が引いてくると、また少しずつ眠気が現れてくる。
またあの日の夢を見るのだろうか。
眠ったって疲れは取れない。
いつだって、俺が生きていることを父と母に責められている。
わかってるよ。俺だって毎日、毎時間、毎秒思ってる。
どうして俺が死ななかったんだ。どうしてお父さんが死んでしまったんだ。
俺が死ねばよかったのに。
そうすれば、駿も兄ちゃんもここで居心地の悪い思いをしなくて済んだのに。駿も兄ちゃんもお父さんとお母さんと離れずに済んだのに。お母さんはあんな風にならなくて済んだのに。お父さんは死ななくて済んだのに。
誰が間違えてしまったんだろう。
あの日から、毎日のように夢を見る。
お父さんが俺をかばう夢。
それが夢だと気づくこともあれば、気づかないままあの日を繰り返すこともある。
夢だと気づいたって、俺は結局何もできない。進んではいけないと、赤信号だと叫んだって、あの日の俺には届かない。必ずお父さんは俺を守って死んでしまう。
あぁ赤い。苦しい。
こんなに苦しい俺に気づいて、支えてくれていた兄ももういない。
違う。支えてくれた人が俺なんかにいたことが間違っているのだ。
あの日から、俺はずっと間違っているのだ。
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息が苦しい。
酷く荒い息を繰り返して、この呼吸が自分のものだと気づくのに時間がかかった。
深呼吸を繰り返してようやく落ち着く呼吸にため息を1つ零して、スマートフォンを見た。
時刻は夜中の3時。
開いた窓から風が届いているのに、額の汗が髪を湿らせる。
「最悪…」
思わずつぶやいた後、あげていた上半身をもう一度敷布団に倒した。
できる限り音は立てないように。
そっと左を向けば、幼い寝顔が視界に入る。
駿の寝息が聞こえて、無意識に呼吸を駿に合わせていれば、どんどんと呼吸が楽になる。
5月も後半。
あの日まであと1ヵ月と少し。この時期から体が不調を訴える。
あの日のことを夢に見た。
鮮やかな赤が鮮明に目の前に広がる。歪んだ父が微笑み手を広げてくれるのを待っても、父はこちらを向きもしない。
鈍く頭が痛む。
あの日、お父さんがいなくなり、俺たち3人とお母さん、4人での生活が待っていた。
お父さんがいなくなって、お母さんは変わった。
優しい笑顔は消えて、ぼうっとただ、暗い部屋でどこかを見つめる。
家事なんてできる状態じゃなくて、食事もとれない、風呂にも入れない、ただ呼吸を繰り返し、お父さんの名前を呼ぶ。
いつからか、お母さんは俺に怯えるような視線を向けるようになって、それから、恨みを込めた視線を感じるようになった。
「あの人を返して。律、お父さんを返して」
久しぶりに聞いたお母さんの優しい声音が耳に響く。
ただ謝る俺につかみかかったお母さんを思い出す。
あの日のように泣き叫んで、初めて殴られた右頬が痛い。
兄ちゃんが走ってきてくれて、守ってくれて。
それから、お母さんとは会わなくなった。
兄ちゃんは、お母さんは病院に入院したと言った。事実は知らない。
そのまま兄ちゃんに言われるまま連れてこられたのは、ここ、お母さんの妹で叔母にあたる家族の家だった。
叔母と叔父は必要最低限のお金を出し養育してくれるけど、刺すような視線や冷たい物言いから、厄介者扱いされていることは十分に理解できた。
静かに、もう一度駿を見る。
大丈夫。俺は大丈夫。駿がいる。
兄ちゃんとはもう3年会っていない。
この家に来て2年が経たないほどで、兄ちゃんはここを出た。
ここでの扱いに耐えられなくなったのか、俺たちの世話をするのが疲れてしまったのか。
理由は教えてくれなかった。
最後は喧嘩したまま、兄ちゃんを送り出すこともできないで、兄ちゃんとは会えなくなった。
それから3年。駿ができるだけ傷つかないように。俺が駿を守れるように。駿だけを考えて生きてきた。
だけどこの時期はどうも不調が続く。
あの日の夢を見ることなんて珍しくないけど、体調に影響が出るのは困りものだ。あれから5年。毎年この時期になると眠るのが怖くなる。
だけど耐えなければ。駿に気づかれないように、駿が心配しないように。
呼吸が落ち着き汗が引いてくると、また少しずつ眠気が現れてくる。
またあの日の夢を見るのだろうか。
眠ったって疲れは取れない。
いつだって、俺が生きていることを父と母に責められている。
わかってるよ。俺だって毎日、毎時間、毎秒思ってる。
どうして俺が死ななかったんだ。どうしてお父さんが死んでしまったんだ。
俺が死ねばよかったのに。
そうすれば、駿も兄ちゃんもここで居心地の悪い思いをしなくて済んだのに。駿も兄ちゃんもお父さんとお母さんと離れずに済んだのに。お母さんはあんな風にならなくて済んだのに。お父さんは死ななくて済んだのに。
誰が間違えてしまったんだろう。
あの日から、毎日のように夢を見る。
お父さんが俺をかばう夢。
それが夢だと気づくこともあれば、気づかないままあの日を繰り返すこともある。
夢だと気づいたって、俺は結局何もできない。進んではいけないと、赤信号だと叫んだって、あの日の俺には届かない。必ずお父さんは俺を守って死んでしまう。
あぁ赤い。苦しい。
こんなに苦しい俺に気づいて、支えてくれていた兄ももういない。
違う。支えてくれた人が俺なんかにいたことが間違っているのだ。
あの日から、俺はずっと間違っているのだ。
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