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帰り道

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 重い目をこじ開けて学校の用意を始めた。母が作り置いてくれた朝ご飯もあまり気は進まなかったが、無理矢理詰め込んだ。
 その日から1週間ほど、杏先輩は学校に来なかった。その1週間はずーっと海翔に付きっきりで、大会のサポートと称して並走を繰り返していた。半ばやけになっていた僕は練習にもあまり身が入らなかった。
「悠、お前、真面目にやんないなら並走やめるぞ?」
「え、真面目だよ」
「いつものお前、もうちょっとヒヤヒヤさせてくるけど、今日のお前怖くねーもん。もっとお前速いだろ、手抜くくらいならやらん」
「え、そうなの?普通に本気のつもりだったけど」
「杏先輩、ずっと部活来てないだろ。来なくなってからずっと調子悪いけどなんか関係あんの?」
「あー、そうなんだ。杏先輩とは結構仲良かったから、来れなくてショックだな~って思ってた」
「なるほどねぇ」
普段表情を変えない海翔だが、その時はなぜか少しニヤニヤしていた気がした。その日の帰り道は、いつもの3人から1人いなくなるだけで、すごく寂しいものだと再認識してしまい、少しだけ悲しくなった。
 その日の夜、1通のメッセージが届いた。
『悠くん、起きてますか?』
呼び方と特徴的な敬語ですぐに誰かわかった。
『もしかして杏先輩ですか?これから寝るくらいでした』
『邪魔しちゃってすみません、だいぶ元気になったので明日からまた学校にも部活にも顔出そうと思います。ご迷惑をおかけして申し訳ない……』
『いえいえぜんぜん!元気になったみたいで何よりです!また来てくれるってことはまた一緒に帰れますか?』
『はい、陸斗も連れて一緒に帰りましょう』
『やったー!明日、楽しみにしてます!』
そう言ってそっと眠りについた。あのときとはまた違う意味で、なかなか眠れなかった。
 翌日は、久しぶりに3人での帰り道となり、会話は大いに盛り上がった。バレンタインが近付いていたので、その話をした。杏先輩はお菓子作りが大の苦手で、昔作ったとき大失敗をして以降誰にも何も作らないで、いつもお店で買ってるらしい。僕は今まで何にももらったことがなく、大昔に恋も愛も何も知らないであろう少女からもらったのが最後だった。
「悠くんはチョコもらったことないんですか?」
「あると思います?」
「ごめんなさい」
笑い合いながらそんな話を交わしていた
 それからしばらく経ったある日のこと。
「お、悠くんじゃ~ん」
と聞き馴染みのない声が聞こえてきた。振り返るとそこには、あのとき杏先輩の陰口を言っていた先輩2人組が立っていた。
「悠くんさぁ、杏ちゃんと仲良いよね?部活んときもずっと2人でいるもんね」
「辞めときなよ、あの子気持ち悪いし一緒にいたら君まで揶揄われちゃうかもよ?」
「いや、杏先輩は気持ち悪くなんてないですよ」
「気持ち悪くは無いかもしんないけど、でもなんか、ほら、ねぇ?」
上手く言い表せない様子だったが、気分はとても悪かった。
 帰り、杏先輩と会うや否や慌てた様子で声をかけられた。
「悠くん!今日、他の先輩からなんか言われたりしませんでした?」
「え、一応?そんな酷いことはなかったですけどちょっと喋りました」
「ほんとに、ボクのせいです、ごめんなさい、ほんとごめんなさい」
ごめんなさい、ごめんなさいと連呼する様子があまりに悲痛で、目を背けてしまいそうだった。
「先輩のせいなんかじゃないですよ!そんなこと言う方が悪いに決まってます!僕は何言われても先輩のこと嫌いになんてなりませんから」
「ありがとうございます……ほんとに、ごめんなさい」
何度も謝る先輩を見ていると、こっちまで心が痛くなるようだった。
 次の日からも、そういった陰口は続いた。やがて矛先は先輩だけじゃなく、僕にまで向いていくことになった。中には、杏先輩のことが好きなのか、と問われたり、あんな気持ち悪い奴との友情ごっこがなんだ、などという僕らの関係性に口を挟むような悪口もあった。好き、というワードで僕の心が一気に跳ね上がるのを感じた。羞恥と怒りで、何も言えずに僕はただ立ち尽くしているだけだった。
 先輩たちが飽きてどこかへ行ってしまうまで、僕は何も言えずにただ唇を噛み締めながら立っていた。悔しくて僕が立ち去るのと同時に、自分のものではない足音が別の方角へ走り去っていくのが聞こえたが、そんなものを気に留めていられるだけの余裕はなかった。
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