18 / 33
〜17章〜
仮初めの甘い時
しおりを挟む
モクモクと煙の立ち登る街『ラプリナ』を見下ろして、クラクラとする頭を抑えていたのはシエロでした。その先には首都『ラティリア』がありますが、ここからでは小さすぎてよく見えません。
それはさておき、あの立ち昇る煙はドーナツ工場からでしょうか?
なんとも悩ましげに、味しそうな煙がモクモクです。
彼らは今、『リプレスラ』と呼ばれる郊外の町に辿り着いていました。
シエロのお家があるモックショートの谷を抜けるとすぐに見えてくる小さな町で、この町ではアレルギーがある人やベジタリアンの人たちのための焼き菓子が作られています。
小さな町ではありますが、食べたいのに食べられない、どうしても焼き菓子を食べたい、という人たちには大人気な場所で、人口少ない街にも関わらず連日多くの人々で賑わっています。
「大丈夫?」
隣では杖をつき背中の曲がった老婆が心配そうに伺っています。なんともしわくちゃな顔をしていますが、この老婆は実はまだ十五歳の麗しき乙女です。
シエロは静かに頷き「急ごう」と深いため息を吐きました。
「本当に大丈夫か?やっぱりやめといた方がいいんじゃないのか?なんだかオレすげー不安になってきたぞ」
シエロの肩に乗ったパタムールは珍しく心配そうにしています。
「さっきのやつ、飲むのはもう少し我慢しなさいね。ラプリナに着いたら飲みなさい」
まるで母親のように老婆が言います。その声には少しだけ面白がる調子が感じられましたが、それはいつものことです。
ふっと自虐的に笑ったシエロはジンジンと痛むこめかみはひとまず置いて、しっかりとした足取りで歩き始めました。
リプレスラには今日もまた多くの人が訪れているようです。
シエロたちが町に足を踏み入れると、そこにはたくさんの行列がいくつにも伸びています。
皆それぞれお目当ての焼き菓子を求めてワクワクとした表情をしています。
実はそれはシエロも同じでした。
この町には、当然味気ないものではありますが砂糖を一切使わないクッキーがあり、道化師としての旅の折に立ち寄ることがしばしばありました。
砂糖を摂ることを禁じられたシエロにとってはそれは唯一の慰めとでもいいましょうか。
シエロたち一行は静かにその行列の間を通って、そそくさとその町を抜けました。
泣く泣くってやつです。行列がなければもしかしたら・・・。
いやいや、残念なことに今は時間がありません。
ルーフェが危険に晒されているのです。
一行は町を抜けるとすぐに『ワッフリア』と呼ばれる街の郊外へと続く道に出ました。
「うわぁ。いい匂いだ」
シエロは道の先から微かに漂ってくるバターの香りに思わずそうこぼしました。
「まだ流石に大丈夫よね?」
甘いバターの香りを胸いっぱいに吸い込んだシエロの隣で老婆が茶化すように尋ねます。
ふんっと鼻を刺激していた甘い魅惑的な香りを吹き飛ばしたシエロは「全然」と胸を張りその道を行きます。
その道はラプリナまで続く一本道で、主に行商人たちが使う道です。
普通の人はなかなか寄り付くことはありません。
綺麗に整備されたそのあたりには、まだ切られたばかりの小さな切り株が顔を覗かせています。
その切り株の上をパタムールは小さな傘に捕まりながら悠々と飛び回っています。
延々と続くかのようにその道は退屈な道でした。
だって景色が全くもって変わらないのですもの。
小さな傘でふわぁっと滑空するのにも飽きたパタムールはシエロの肩へとよじ登ると欠伸を抑えながら言いました。
「やっぱりさっきのとこでバター塗っておくんだった」
日差しは強いとはいえ、もう冬です。
パタムールの体は乾燥にやられているようです。
「ラプリナに着いたら調達しよう。幸いシニーもいるし」
とぼとぼと隣を歩く老婆を見下ろしそう呟くと、突如その老婆が悲鳴を上げ手にしていた杖を取り落としてしまいました。
足を止め呆然と立ちすくむ老婆にシエロとパタムールは目を見合わせ驚いています。
「どうしたんだ?」
まるで初めて隣にシエロがいることを気がついた様子の老婆が、ゆっくりとこちらを振り返ります。
「あの子、本を手放しちゃった。・・・なんでかしら」
ほんとは年上のお姉さんなのですが、すっかり老婆になりきっていたシニーは愕然とそう呟きました。
「本?手放したってどういうこと?」
そのあまりの形相にシエロは思わず尋ねます。
よくわかりませんが、よくないことが起きたことぐらいはわかります。
老婆ははぁっとめんどくさそうに深いため息をつくと口を開きました。
「あの子に渡しておいた魔除けの魔法がかかった本が手放されたの。ちゃんと毎日読むように言ったのに」
地面に転がった杖を「イテテテ」となんとか拾い上げた老婆は、杖を頼りに歩みを早めます。
「本って、前に読んでたやつ?あの『退屈な男が』なんとやらって」
まるで若者のようにスタスタと歩く老婆の曲がった背中に問いかけると、老婆は不機嫌そうに振り返り吐き捨てるように言いました。
「そう!せっかく私が譲ったのに、もう手放しちゃうなんて。年寄りの忠告なんてものはいつの時代もそうやって無視されるのね。まったく、嫌になるわ」
急ぐわよ!とシニーはなんだか怒った様子でズンズンと歩いて行きます。
こんな時は黙って何も尋ねることなどせず、従っておくの得策です。
「手放すとどうなるんだ?」
空気の読めないパタムールが思わずそう尋ねます。
シエロはヒヤヒヤとしながらも老婆の返答に耳をすませました。
はぁっとこの世の不幸を全て抱え込んだかのようなため息を吐いた老婆は呆れたように言いました。
「あの変態がいつでもあの子に手を出せるようになるの。以上」
それは困った話です。
シエロはとんでもない速さで歩く老婆を慌てて追いかけます。
微かに通っていたバターの香りがどんどんと甘い焼き菓子の匂いへと変わっていきました。
ズキズキと痛むこめかみのことは無視を決め込んで、シエロは先を急ぎました。
それはさておき、あの立ち昇る煙はドーナツ工場からでしょうか?
なんとも悩ましげに、味しそうな煙がモクモクです。
彼らは今、『リプレスラ』と呼ばれる郊外の町に辿り着いていました。
シエロのお家があるモックショートの谷を抜けるとすぐに見えてくる小さな町で、この町ではアレルギーがある人やベジタリアンの人たちのための焼き菓子が作られています。
小さな町ではありますが、食べたいのに食べられない、どうしても焼き菓子を食べたい、という人たちには大人気な場所で、人口少ない街にも関わらず連日多くの人々で賑わっています。
「大丈夫?」
隣では杖をつき背中の曲がった老婆が心配そうに伺っています。なんともしわくちゃな顔をしていますが、この老婆は実はまだ十五歳の麗しき乙女です。
シエロは静かに頷き「急ごう」と深いため息を吐きました。
「本当に大丈夫か?やっぱりやめといた方がいいんじゃないのか?なんだかオレすげー不安になってきたぞ」
シエロの肩に乗ったパタムールは珍しく心配そうにしています。
「さっきのやつ、飲むのはもう少し我慢しなさいね。ラプリナに着いたら飲みなさい」
まるで母親のように老婆が言います。その声には少しだけ面白がる調子が感じられましたが、それはいつものことです。
ふっと自虐的に笑ったシエロはジンジンと痛むこめかみはひとまず置いて、しっかりとした足取りで歩き始めました。
リプレスラには今日もまた多くの人が訪れているようです。
シエロたちが町に足を踏み入れると、そこにはたくさんの行列がいくつにも伸びています。
皆それぞれお目当ての焼き菓子を求めてワクワクとした表情をしています。
実はそれはシエロも同じでした。
この町には、当然味気ないものではありますが砂糖を一切使わないクッキーがあり、道化師としての旅の折に立ち寄ることがしばしばありました。
砂糖を摂ることを禁じられたシエロにとってはそれは唯一の慰めとでもいいましょうか。
シエロたち一行は静かにその行列の間を通って、そそくさとその町を抜けました。
泣く泣くってやつです。行列がなければもしかしたら・・・。
いやいや、残念なことに今は時間がありません。
ルーフェが危険に晒されているのです。
一行は町を抜けるとすぐに『ワッフリア』と呼ばれる街の郊外へと続く道に出ました。
「うわぁ。いい匂いだ」
シエロは道の先から微かに漂ってくるバターの香りに思わずそうこぼしました。
「まだ流石に大丈夫よね?」
甘いバターの香りを胸いっぱいに吸い込んだシエロの隣で老婆が茶化すように尋ねます。
ふんっと鼻を刺激していた甘い魅惑的な香りを吹き飛ばしたシエロは「全然」と胸を張りその道を行きます。
その道はラプリナまで続く一本道で、主に行商人たちが使う道です。
普通の人はなかなか寄り付くことはありません。
綺麗に整備されたそのあたりには、まだ切られたばかりの小さな切り株が顔を覗かせています。
その切り株の上をパタムールは小さな傘に捕まりながら悠々と飛び回っています。
延々と続くかのようにその道は退屈な道でした。
だって景色が全くもって変わらないのですもの。
小さな傘でふわぁっと滑空するのにも飽きたパタムールはシエロの肩へとよじ登ると欠伸を抑えながら言いました。
「やっぱりさっきのとこでバター塗っておくんだった」
日差しは強いとはいえ、もう冬です。
パタムールの体は乾燥にやられているようです。
「ラプリナに着いたら調達しよう。幸いシニーもいるし」
とぼとぼと隣を歩く老婆を見下ろしそう呟くと、突如その老婆が悲鳴を上げ手にしていた杖を取り落としてしまいました。
足を止め呆然と立ちすくむ老婆にシエロとパタムールは目を見合わせ驚いています。
「どうしたんだ?」
まるで初めて隣にシエロがいることを気がついた様子の老婆が、ゆっくりとこちらを振り返ります。
「あの子、本を手放しちゃった。・・・なんでかしら」
ほんとは年上のお姉さんなのですが、すっかり老婆になりきっていたシニーは愕然とそう呟きました。
「本?手放したってどういうこと?」
そのあまりの形相にシエロは思わず尋ねます。
よくわかりませんが、よくないことが起きたことぐらいはわかります。
老婆ははぁっとめんどくさそうに深いため息をつくと口を開きました。
「あの子に渡しておいた魔除けの魔法がかかった本が手放されたの。ちゃんと毎日読むように言ったのに」
地面に転がった杖を「イテテテ」となんとか拾い上げた老婆は、杖を頼りに歩みを早めます。
「本って、前に読んでたやつ?あの『退屈な男が』なんとやらって」
まるで若者のようにスタスタと歩く老婆の曲がった背中に問いかけると、老婆は不機嫌そうに振り返り吐き捨てるように言いました。
「そう!せっかく私が譲ったのに、もう手放しちゃうなんて。年寄りの忠告なんてものはいつの時代もそうやって無視されるのね。まったく、嫌になるわ」
急ぐわよ!とシニーはなんだか怒った様子でズンズンと歩いて行きます。
こんな時は黙って何も尋ねることなどせず、従っておくの得策です。
「手放すとどうなるんだ?」
空気の読めないパタムールが思わずそう尋ねます。
シエロはヒヤヒヤとしながらも老婆の返答に耳をすませました。
はぁっとこの世の不幸を全て抱え込んだかのようなため息を吐いた老婆は呆れたように言いました。
「あの変態がいつでもあの子に手を出せるようになるの。以上」
それは困った話です。
シエロはとんでもない速さで歩く老婆を慌てて追いかけます。
微かに通っていたバターの香りがどんどんと甘い焼き菓子の匂いへと変わっていきました。
ズキズキと痛むこめかみのことは無視を決め込んで、シエロは先を急ぎました。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
最愛の番に殺された獣王妃
望月 或
恋愛
目の前には、最愛の人の憎しみと怒りに満ちた黄金色の瞳。
彼のすぐ後ろには、私の姿をした聖女が怯えた表情で口元に両手を当てこちらを見ている。
手で隠しているけれど、その唇が堪え切れず嘲笑っている事を私は知っている。
聖女の姿となった私の左胸を貫いた彼の愛剣が、ゆっくりと引き抜かれる。
哀しみと失意と諦めの中、私の身体は床に崩れ落ちて――
突然彼から放たれた、狂気と絶望が入り混じった慟哭を聞きながら、私の思考は止まり、意識は閉ざされ永遠の眠りについた――はずだったのだけれど……?
「憐れなアンタに“選択”を与える。このままあの世に逝くか、別の“誰か”になって新たな人生を歩むか」
謎の人物の言葉に、私が選択したのは――
冷遇妃マリアベルの監視報告書
Mag_Mel
ファンタジー
シルフィード王国に敗戦国ソラリから献上されたのは、"太陽の姫"と讃えられた妹ではなく、悪女と噂される姉、マリアベル。
第一王子の四番目の妃として迎えられた彼女は、王宮の片隅に追いやられ、嘲笑と陰湿な仕打ちに晒され続けていた。
そんな折、「王家の影」は第三王子セドリックよりマリアベルの監視業務を命じられる。年若い影が記す報告書には、ただ静かに耐え続け、死を待つかのように振舞うひとりの女の姿があった。
王位継承争いと策謀が渦巻く王宮で、冷遇妃の運命は思わぬ方向へと狂い始める――。
(小説家になろう様にも投稿しています)
敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される
clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。
状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
短編【シークレットベビー】契約結婚の初夜の後でいきなり離縁されたのでお腹の子はひとりで立派に育てます 〜銀の仮面の侯爵と秘密の愛し子〜
美咲アリス
恋愛
レティシアは義母と妹からのいじめから逃げるために契約結婚をする。結婚相手は醜い傷跡を銀の仮面で隠した侯爵のクラウスだ。「どんなに恐ろしいお方かしら⋯⋯」震えながら初夜をむかえるがクラウスは想像以上に甘い初体験を与えてくれた。「私たち、うまくやっていけるかもしれないわ」小さな希望を持つレティシア。だけどなぜかいきなり離縁をされてしまって⋯⋯?
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
【完結・おまけ追加】期間限定の妻は夫にとろっとろに蕩けさせられて大変困惑しております
紬あおい
恋愛
病弱な妹リリスの代わりに嫁いだミルゼは、夫のラディアスと期間限定の夫婦となる。
二年後にはリリスと交代しなければならない。
そんなミルゼを閨で蕩かすラディアス。
普段も優しい良き夫に困惑を隠せないミルゼだった…
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる