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中編(アンドリュー視点)
しおりを挟むソフィアと出会ったのは、パブリックスクールでの初めての夏季休暇で、学友であるソフィアの兄のサイモンに、カントリーハウスに遊びに来ないかと誘われたのが最初だった。
まだ7才になったばかりのソフィアは、色白な肌に、艶やかな黒髪、ヘーゼルの瞳の愛らしい少女だった。
おしゃまな6才の妹のルイーゼと、社交的な9才の姉のシャーロットの間で、控えめにいつもいるけれど、気を許すと花が綻ぶ様に笑ってくれるソフィアを、妹の様に大切に思っていた。
それは、ソフィアが15才の時だ。大学の夏季休暇中に、いつもの様にエジャートン家に訪問した際、ルイーゼとソフィアとシャーロットに、ちょっとした手土産を持って行った。何の気無しに買った物だったけれど、渡した時のソフィアの笑顔を見て、胸を掴まれる様な衝撃があり、それからはソフィアを見ると、愛しさが込み上げると共に、どうしようも無い衝動に駆られるようになってしまった。
「アンドリュー兄様」と慕ってくるソフィアに、紛れもない親愛の情を抱きながらも、邪な思いが芽生えてしまい、真っ直ぐにソフィアの顔を見れなくなった私の、苦悩の日々が始まったのである。
ソフィアがデビュタントの日を迎えるまでは、ソフィアに対してよそよそしい態度を取ってしまいながらも、家族やごく親しい人とのみ過ごす典型的な令嬢で、ソフィアがまだ誰のものにもならないと、安心していた自分がいた。
ソフィアが17才のデビュタントの年は、本当に大変だった。少女の様な心で、瑞々しい可憐な容姿に加え、早熟な身体のソフィアが社交界に出れば、飢えた狼の格好の餌食になるのは明らかだった。
ソフィアのご両親は、このシーズンで本腰を入れていたのは姉のシャーロットだったので、ソフィアは顔見せくらいのつもりだったのだろうが、独身の男たち(既婚者もいたが)の食いつき様は酷かった。
ご両親はシャーロットについている事が多かったため、ソフィアには兄のサイモンか、親戚の女性がついていたが、サイモンや女性一人では、群がる男達を捌くのに苦労していたので、ソフィアに気づかれないよう、男達を牽制する役を仰せ使っていた。
影ながらソフィアの盾になり、ソフィアにとって初めてのシーズンの社交界を無事終えた時は、心から安堵した。
18才になったソフィアは益々美しくなっていた。
艶やか黒髪と真っ白な肌のコントラスト。熟れた桃の様に薄らとピンク色に肌は色づいていて、瑞々しさも感じさせ、神秘的なヘーゼルの瞳で見つめられれば落ちない男はいない。
今年のシーズンは、末娘のルイーゼのデビュタントの年で、可憐に見えて、中々に強かなルイーゼは、ハイクラスの男と婚約すると宣言していた。
ソフィアのご両親は、今年のシーズンはソフィアの婚約者を探す事に本腰を入れていたので、去年よりもシビアな目で、男達を振り落とさなければいけないと使命感に燃えていた。
エジャートン家とは仲良くさせてもらっていたが、ソフィアの家は由緒正しい伯爵家で、男爵家の次男に過ぎない自分は、ソフィアには相応しくないと思っていた。
ソフィアが手に入らないのであれば、せめてソフィアが幸せになれる相手に、ソフィアの綻ぶ様な笑顔を守れる相手に出逢えますようにと、心の底から願っていた。
ソフィアが私に対しては、純粋に兄の様に慕ってくれているのは分かっていたので、私の勝手な欲望を見せつけ、ソフィアの落胆する姿を見る事だけは避けたかった。一人の男として愛される事は無くても、家族の様な親愛の情で繋がっていれば良いと、その時の私は本気で思っていた。
ソフィアが、多くの男に対して抱いている感情もなんとなくだけれど感じていたので、余計に、それらの男と同様に、軽蔑の目で見られる事をひどく恐れていた。
今日の夜会では、結婚相手に丁度良い独身男性が多く参加するというので、参加人数も多く、ホールはかなり混み合っていた。
ソフィアにはご両親がしっかりと付き添っていたので、サイモンに二つ返事で了承をもらい、ルイーゼをダンスに誘う。
ルイーゼは、金髪でグリーンの瞳の妖精の様な外見とは裏腹に、現実的で賢い娘だ。
「最初に踊ったのは、子爵家の方で、跡取りだし、裕福なお家なんだけれど、お母様の癖がかなり強いの。二人目は背が高くて素敵な見た目だったけど、伯爵家の三男で士官になられるみたい。将校の妻って、どんな感じなのかしら」
と今日の成果を、流れる様に細かく教えてくれる。ダンスが終わり、ルイーゼが耳元で呟く。
「お姉さまが限界みたい。お兄様に連れて帰ってくれる様にお願いしてくれないかしら? なんだったら、アンドリュー兄様が連れて帰って下さっても良いのだけれど」
と、その妖精の様な見た目で、ニヤリと微笑む。近くにいた男が見惚れているので、周りには可憐な微笑みに見えているのだろう。
「分かったよ。サイモンに伝えておく。教えてくれてありがとう、ルイーゼ」
ルイーゼは聡いので、私の気持ちに気がついていて、時々この様に揶揄ってくるが、いつもの様にかわして、サイモンを探した。
ソフィアが外へ出て行く姿を見つけたが、喋っていた男友達を振り解けず、一緒にテラスへと移動する。ソフィアが一人でいる所を、男に目敏く見つけられ、怖い思いをさせてしまった上に、ソフィアに絶対に聞かせたくない話まで耳に入れてしまった。
ソフィアをこれ以上、他の男の目に晒す事に耐えられなくなり、早く家に帰したくて気が急いてしまい、図らずも馬車で二人きりになってしまった。
「一人の男性として、アンドリュー兄様が、大好きなの」
ソフィアが発した言葉を思い返し、あれは夢だったんじゃないかと思う。
軽率にも、ソフィアに口づけてしまい、必死に理性でそれ以上はいけないと抑えつけた。けれど、ソフィアからの口づけで、一瞬で箍が外れ、思わず深く口づけてしまう。
ソフィアに相応しくない自分は、決して触れてはいけないと言い聞かせ続けていたというのに。
今日の夜会で、ソフィアに目をつけた男が沢山いるだろう。その中の誰かとソフィアが一緒になる事を想像し、どうしようもない焦燥感と嫉妬心に駆られる。
―――ソフィアを、誰にも渡したくない。
これ以上ないくらい強い思いが、自分の胸に刻み込まれてしまう。ソフィアの綻ぶ様な笑顔が頭に浮かび、あの、胸を掴まれる様な感覚を思い出す。
結婚相手にお前は相応しくないと、エジャートン家から追い出される覚悟で、明日の朝、ソフィアの家に訪問し、求婚することを心に決めた。
昂る気持ちを抑えられず、結局一睡もできないまま朝になり、訪問しても良い時間まで、まんじりともせず待つ。待ちきれずに、ギリギリ訪問するのに失礼にならない時間に、ソフィアの家に赴いた。
けれど、ソフィアは、昨日の疲れもあったのか、まだ眠っている様だった。客間に案内され、心ここにあらずの状態で、サイモンと世間話をしながらソフィアが起きるのを待っていた。
うちで昼食を食べて行くかい? とサイモンに誘われたタイミングで、扉を叩く音がする。
「誰かな?」
「……ソフィアです」
と、遠慮がちなソフィアの声が聞こえる。
メイドが扉を開け、柔らかなデイドレスを着たソフィアが現れる。
「……アンドリュー兄様、お待たせしてしまって、ごめんなさい」
頬を赤らめ、目を伏せたソフィアが、愛らしくて堪らなくて、目が離せなくなってしまう。
そんな、僕達の様子を見て、サイモンが訝しげな顔をする。
「……昨日、何かあったな?」
「っ、な、何もないわ、お兄様っ」
ソフィアが、慌てて首を振って、否定する。
「……今日は、ソフィアに求婚しに来たんだ」
「えっ」
ソフィアが驚いた声を上げる。
「……やっと決心したのか?」
サイモンが何故か嬉しそうに言う。
「ソフィアと話すか?」
「……ああ、良いかな?」
「私は席を外すよ。扉は開けておけよ?」
「ああ、もちろん……ありがとう、サイモン」
サイモンが、メイドを連れて、部屋を出て行く。
ソフィアの手を取り、二人でソファに腰掛ける。
「……アンドリュー兄様、求婚って?」
ソフィアが顔を真っ赤にして、おろおろとしながら聞かれてしまう。
「突然で、驚かせてしまったね。……私は、男爵家の次男で爵位が無い。実家だって、ソフィアの家よりも家格が劣ってしまう……それで、ずっと、自分がソフィアの結婚相手になるなんて、考えられなかったんだ」
「……アンドリュー兄様」
「でも昨日、ソフィアが自分の気持ちを話してくれて、誰か自分ではない男が、ずっとソフィアの側にいるなんて、耐えられなくなってしまった……ソフィアに相応しい相手が見つかって、幸せになって欲しい。本心からそう思っていたのに……こんな、自分勝手な男でも、ソフィアの側にいる事を、許してくれるかい?」
「……私は、アンドリュー兄様といると、心が温かくなるの。こんな気持ちになるのは、アンドリュー兄様しかいないわ」
「……ソフィア、僕と結婚して欲しい」
「……嬉しい……、求婚をお受けします」
真剣な顔で話していたソフィアが、柔らかく微笑む。あの時と同じように、胸が掴まれる様な感覚に襲われる。気がついたら、ソフィアを強く抱きしめていた。
コンコン、と扉を叩く音がする。
「……アンドリュー、悪いが、今日はそこまでにしておけよ?……ソフィア、アンドリューの気持ちをちゃんと聞けたかい?」
「……ええ、お兄様」
ソフィアが微笑んで答える。
「じゃあ、父と母の所に行かないとな」
と、サイモンがニヤッと笑い、先頭に立ち居間へと連れて行かれる。
「あら、サイモン。アンドリューに、ソフィアまで揃って、どうしたのかしら?」
刺繍をしていた、エジャートン夫人が顔を上げる。
「アンドリューが、話があるらしい」
「まあ、何かしら?」
ルイーゼが、興味津々にこちらを向き、新聞を読んでいたエジャートン伯爵も、こちらに視線を向ける。
この部屋にいる、皆の視線を一身に集め、ソフィアに見守られながら口を開いた。
「……今日は、ソフィアに求婚するために伺いました」
「まあ! そうだったの?! アンドリュー、それならそうと、早く言ってちょうだい!!」
「……申し訳ありません。ソフィアの気持ちを、ちゃんと確かめてから、お伝えしたかったので……」
「……ソフィアは、なんと?」
エジャートン伯爵が、静かに口を開く。
「……私は、アンドリュー兄様が好きなの。ずっと一緒にいたいわ……、だから、求婚をお受けしました」
「まあ! そうだったの? ソフィアも、そうなら早く言ってちょうだいな!!」
サイモンとルイーゼが、ニヤニヤとしか形容しようがない同じ顔で、私とソフィアを見ている。
「式はいつにするの? ドレスは? ああ、大変!! 考えることが沢山ね。忙しくなるわ!!」
と、エジャートン夫人が嬉しそうな表情で、そわそわとしだす。
「……私は、ご存知の通り、男爵家の次男で、爵位を持つことは出来ません。家も裕福では無く、ソフィアに相応しい相手ではないかもしれませんが……、自分の持っている力を全て使って、ソフィアを幸せにする覚悟です」
「……アンドリュー兄様」
緊張から、固く握りしめてしまっていた拳の上から、そっとソフィアの手が重ねられる。
「……そうね、結婚したら、毎日顔を合わせるんだもの。一緒にいたい相手かどうかが、とても大切よ? 苦労があったとしても、好きな相手となら生活を楽しめるはず……ねえ、あなた?」
「そうだな……、一緒に幸せになりたいと思える相手がいれば、お互いに踏ん張れる。私達だって色んな時があったからね。アンドリュー、君の誠実さを、我々はよく知っている。……どうしてもの時は、うちを頼りなさい」
「お父様、お母様……」
「……ありがとうございます」
お二人の言葉に胸が熱くなり、感謝の気持ちを込めて、深く頭を下げた。
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