雨はやさしく嘘をつく

黒崎優依音

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第七章 認め合う絆

白いリボンに刻む名

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sideルアルク



リシェリアの寝顔を見つめていると、ルアルクの胸の奥で懐かしい記憶が疼いた。



祖父を亡くしたばかりのユリカは、泣いてばかりで、笑うこともほとんどなかった。

どうにか元気づけたくて、幼い彼は拙い手つきで白いレースのリボンを結わえ、彼女に差し出した。



「……これ、君に似合うと思って」



受け取ったユリカは、少し驚いたように目を見開き――やがて、かすかに笑った。

「ありがとう」



涙に濡れた頬に浮かんだその笑顔は、何よりも眩しかった。



――その瞬間、九歳のルアルクは完全に恋に落ちた。

胸の奥が焼けつくように熱くなり、この笑顔を守りたい、もう一度見たい、できることなら自分だけに向けてほしい――そう願わずにはいられなかった。



時が過ぎても、その想いは揺らがなかった。

一緒にはいられなかった。

けれど彼女が、自分に似た娘を愛し、育ててくれている。

その事実だけが、彼をかろうじて救っていた。









翌朝。

シェイに呼ばれ、ルアルクは彼の私室を訪れた。



扉を開いた瞬間、眉がわずかに寄る。

整然とした部屋を思い浮かべていたのに、そこにあったのは机いっぱいに広げられた論文、古びた魔術具、解体しかけの魔法石。

そして隅に放り出された剣帯や制服。



「……これは、部屋……なのですか」

皮肉でも嫌味でもなく、本気の疑問が口をついた。



「研究室兼、寝室兼、倉庫。便利でしょう?」

黒髪をかきあげ、シェイは肩をすくめる。



「わざわざ来てくれてありがとう、ルーくん。

 ――君にしか頼めないことなんです」



差し出された一束の論文。

表紙には『母体保護のための結界魔法』と記されていた。

ルアルクは紙をめくり、すぐに補正すべき箇所を見つける。



「……ほとんど完成していますね。ここを少し整えれば、形になる」



さらりと余白に筆を走らせると、シェイは目を見張った。



「……白ではない僕の論文を、そこまで正確に直せるなんて」

「驚いているのは僕の方です。白を持たないあなたが、ここまで理解していたことに」



短い沈黙。

やがてシェイは、真剣な声で告げた。



「……実は、この魔法を応用したことがあります。

 ユリカさんとリシェリアを守った時に。

 特にリシェリアのときは――彼女自身の白を借りて」



ルアルクは一瞬、言葉を失った。



「……他人の魔力を、それも性質の違うものを……?

 やはり、普通じゃない」



その声音には非難はなく、ただ驚きと深い敬意があった。



「その“普通じゃなさ”があったからこそ、彼女たちは守られた。

 ……ありがとう」



シェイはふっと笑い、目を伏せた。

「結果だけを見れば、そういうことです」



ルアルクは小さく息を吐き、口元を和らげた。



「やはり、あなたと話すと落ち着かないな。

 常識が次々ひっくり返される」

「僕からすれば、白を自在に操れるあなたこそ羨ましい。

 ……互いに無いものを欲しがるのでしょう」



互いに笑みを交わし――そして、ルアルクは静かに言った。



「……僕一人では、守りきれないかもしれない」

「なら、僕が隣に立ちます。

 ユリカさんとリシェリアを、共に守りましょう」



ふたりの手が固く結ばれる。



「敵に回すと怖いあなたが、味方でいてくれるのなら心強い」

「それはこちらの台詞です」



その言葉に、かすかな安堵が生まれる。



しかしシェイは続けた。



「――ルーくん。どちらにしても、教会にはいずれ漏れます。

 ならばこちらから先に動くしかありません。

 公に認めてしまうのです。君の口から」



ルアルクは目を閉じ、長く息を吐いた。



「……分かりました」



声は静かだったが、拳は震えていた。



避けたい相手に会わねばならないと知りながらも、父として逃げるわけにはいかなかった。









重厚な扉を押し開けると、冷たい香の煙が立ちこめた。

高座に座る男が、氷のような瞳で息子を見下ろす。



「……なんだ。今度はまたしくじったか、この恥さらしが」



その言葉に、幼い日の記憶が胸をよぎる。



”恥をかかせるな”と、繰り返し受けた叱責の声。



突き放す瞳。



呼ばれたことのない自分の名。



慣れているはずなのに、心臓がきしむ。



それでも、ルアルクは頭を垂れた。



「――子を、認知したいのです」



「子だと」



「はい。白い魔力を持っています」

どの程度の白かは告げない。ただ、それだけを伝えた。



短い沈黙ののち、男の口元が冷たく歪む。

「……白か。ならば利用のしようはある」



血を受け継いだ孫の話を前にしても、愛情の気配は微塵もない。

ただ利益を量る眼差しが、鋭く突き刺さる。



「認知は教会の場で行え。証人を立て、式を整えよ」



ルアルクは拳を強く握りしめ、静かに頷いた。



「……承知しました」



背を向けたとき、低い命令が落ちる。

「――裏を取れ。どの程度の白か、必ず知れ」



従者が一礼し、影に消える。

ルアルクは振り返らず、重い扉を閉めた。



胸の奥に残るのは、冷たく重い痛み。

だが――父としての決意だけは揺らがなかった。





sideユリカ



その夜。

ランプのやわらかな光が揺れるリビングで、ユリカは膝に乗せた娘の銀の髪を梳き、白いレースのリボンを丁寧に結んだ。



――あの日、幼いルアルクが彼女に差し出した、あのリボンを。



「お母様、きらきらしてる!」

「本当に……似合っているわ」

「うん、かわいいね」



ルアルクがさらりと娘の頭を撫でる。

藍の瞳を瞬かせ、くすぐったそうに受けるリシェリアに、ユリカの口元がやわらかくほどけた。



この日常が、永遠に続けばいい。



けれど胸の奥では、シェイの言葉が重く響いていた。



(この子は守れる――でも、きっと教会に“純白”を持つと気づかれる)



抱き締めた腕が、ほんの少し強張る。

その気配を察したのか、ルアルクがそっと膝をついた。

床板が低く鳴り、空気が静まる。



「リシェリア。

 君を――正式に、僕の娘として認める」



小さな顔が上がり、藍の瞳がまんまるになる。ユリカは驚きに息を呑んだ。



「どんなに教会が何を言おうと、僕は君を手放さない。

 ――僕の名に、君を刻む」



言葉には震えが混じったが、迷いはない。

リシェリアは意味まではわからず、それでも「お父様!」と笑って両腕を伸ばした。



その声に、ルアルクの目から涙が一筋、零れ落ちる。

ユリカの目にも、安堵と恐れと祈りが一度に満ちた光が浮かんだ。



ユリカは唇を噛み、視線を落とす。



「ごめんなさい、ルアルク。

 あなたの立場を壊してしまう。

 こうなるのが怖くて、あなたに黙ってこの子を産んだのに……それでもこの子を、あなたの子を産みたかった」



言い終えた指先がかすかに震え、膝の上のスカートを握る。



ルアルクは一歩近づき、娘を片腕で抱え直すと、もう片方の手でユリカの手を包み、そっと力を抜かせた。

短く息を整え、静かに首を振る。



「謝らないで。僕はユリカとリシェリアに感謝しかない。

 僕の子どもを産んでくれて、ありがとう。

 一人でたくさん悩ませて、ごめん。

 僕が弱くて、きちんと支えられる器がなくて、君が僕を頼れなかった。

 もし責めがあるなら――それは全部、僕のせいだ」



ユリカは首を横に振る。

言葉にならない吐息のあと、涙が一粒、手の甲に落ちた。



それに気づいたルアルクは、彼女の指先に親指を重ね、落ち着かせるように一度だけ軽く圧をかける。

視線は揺れず、まっすぐ彼女へ。



「シェイさんにも、心から感謝してる。

 嫉妬しないと言ったら嘘になるけど、彼がいなかったら誰も救われなかった」



そこで小さく息を吐き、腕の中の小さな手を包み直した。



「……もう、手配は済ませた。

 明日、正式に公にする。

 それでも、君の気持ちを聞かずには進めたくなかった。

 僕はこの子を隠したくない。

 ――許してほしい」



ユリカの喉がきゅっと鳴り、視線が合う。

ルアルクは一拍置いて膝を落とし、視線の高さを彼女に合わせた。



「――僕に、この子の父親としての責任を取らせてほしい」



その宣言に合わせて、ユリカの肩から力がふっと抜ける。

彼女は自分の手をそっと押さえ、震えが収まっていくのを確かめるように小さく頷いた。



その時、扉がそっと開いた。



「……お邪魔しましたか」



黒髪の青年が立っていた。

シェイの穏やかな眼差しに触れ、こわばりがわずかに解ける。



「大丈夫です。僕が必ず守ります」



その声音は静かに、しかし揺るぎない。

ルアルクは黙って頷き、娘の小さな手を包んだ。



「……彼女は、僕のすべてだ」



ルアルクの囁きに、シェイは短く目を伏せ、わずかに会釈する。

ユリカは小さく息を吐き、呼吸をもう一度整えた。



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