雨はやさしく嘘をつく

黒崎優依音

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第八章 開かずの扉がひらくとき

赦しの手

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sideルアルク





リリは隣の自室へ荷物を取りに戻っていった。  

監視の目が廊下に張りついているせいか、扉が閉まった途端に室内は妙に静まり返る。  

ルアルクとシェイ、二人だけが残った。



ベッドの端に腰を下ろした二人。  

そこはかつてユリカが一夜を過ごした場所であり、ルアルクにとっても忘れられない記憶の残る部屋だった。  

その同じ場所に、今はシェイが並んで座っている――奇妙な違和感と、どうしようもない状況の切迫感が胸を満たす。





「……ルーくん、どうしよう」  

二人きりになった途端、シェイは静かに崩れた。  

握り込んだ拳は白く震えていた。  



ルアルクはその拳に視線を落とし、そっと手を重ねた。  

「シェイさん……怖いのは、僕も同じですから。  

 ……治癒してもいいですか」  



短い祈りを紡ぐと、白い光が彼の手を包む。  

固くこわばっていた指が、ひとつずつ緩んでいった。  



「……ありがとう、ルーくん。  

 ……15分だけ。

 弱音を吐いてもいいですか」  



掠れる声が落ちる。  

「もちろんです」  



二人はそのまま背を預け合い、やがて並んでベッドに横たわった。  

馴染んだリネンの肌触りが心を少し落ち着ける。  



ルアルクは頷き、しばらくは並んで沈黙していた。  

だがやがて、シェイは自分の胸の内を押し出すように言った。  



「……怖いんです。  

 ユリカさんもリシェも、もう戻らないんじゃないかって。  

 俺はずっと、大事な人を守れなかった。  

 ……また同じことを繰り返すのかと思うと……」  



その声は小さく震えていた。  

「……俺は、父親失格ですよね」  



ルアルクは目を伏せ、しばし考え込む。  

「……僕も、です。  

 リシェリアを守りたいのに、何度も危険に晒してしまった。  

 ……きっと、父親失格なんでしょう」  



言葉は重なり、二人は顔を見合わせる。  

そしてルアルクがゆっくりと視線を上げた。  



「でも、本当に失格になるかどうかはこれからで決まります。  

 一緒に立ち向かいましょう。  

 ……今までずっと一人でした。だからこそ、僕は心強い。  

 シェイさん、できることからやりましょう」  



「……そうですね」  

弱々しいながらも、そこには虚勢ではない素直な声があった。  



見上げれば白い天井。  

しばらく無言のまま、互いの鼓動だけが静けさの中で重なった。  



沈黙を破ったのは、シェイのかすかな笑いだった。  



「……これ、誰かに見られたら完全に誤解されますね」  



「っ……!」  

ルアルクは思わず顔をそむけた。  

頬が熱くなる。  



横でシェイが肩を震わせている気配がした。  



少しの間を置いて、さらに小さな声が落ちる。  

「それに……ユリカさんも、この天井を見たんでしょう?」  



「――っ!」  

ルアルクは返す言葉を失い、耳まで真っ赤に染まった。  



「……茶化せるくらいには、元気になったってことです」  

まだ瞳にいつもの力はないが、それでも前を向こうとする顔で、シェイは小さく笑った。  



――そのとき。  



唐突な扉が開く音に、ルアルクは慌てて身を起こした。  

体勢を崩してシェイの肩に手をついたまま振り返ると、荷物を抱えたリリが立っていた。  



「……あんたたち、何寝てるの」  

その声には、いつもの軽口も笑いもなかった。  

「ちゃんと準備したんでしょうね?」  



ルアルクは息をのむ。  

リリの目は赤く、わずかに潤んでいる。  

強気な口ぶりの奥で、不安が限界まで膨れあがっているのが痛いほど伝わった。  



「……リリ」  

思わず名を呼び、言葉を探す。  

「君のせいじゃない。……教えてくれてありがとう」  



リリは小さく首を横に振り、唇を噛んだ。  

「……早く行こう。ユリカとリシェが、待ってる」  



それ以上は何も言わず、荷を抱きしめるようにして背を向ける。  

その震える肩を見つめながら、ルアルクは拳を握った。  

絶対に取り戻す――彼女の不安ごと、すべてを。  



遠くで鐘の音が鳴る。  

二人は同時に身を起こし、互いに頷き合った。  

まだ何も解決してはいない。だが確かに、共に進む力を取り戻したのだった。  











リリの声に背中を押されるように、三人は部屋を後にした。  

廊下には監視の神官が立ち並び、冷たい視線が突き刺さる。  

疑いが晴れるまでは行動を制限される――それが現実だった。  



シェイは歩を進めながら、静かに言葉を落とした。  

「……このまま教会に残るのは危険です。僕の家を拠点にしましょう」  



ルアルクは頷く。  

「ええ。ここでは情報も遮られる。……外に出て動かなければ」  



リリは両腕で荷を抱きしめながら、俯いて歩いていた。  

普段なら軽口を叩く彼女が、一言も声を発さない。  

その沈黙が三人の胸に重くのしかかる。  



扉を抜け、石畳の外気に触れると、リリが小さく震えた。  

ルアルクはそっと歩み寄り、彼女の荷物を半分受け取る。  

「……大丈夫。必ず取り戻します。僕たちで」  



一瞬だけリリの瞳が揺れ、そして小さく頷いた。  



三人は人目を避けるようにして夜の街を抜け、やがてシェイの家の灯りを目にした。  

かつては長く静寂に包まれていたその家も、今ではユリカとリシェを迎え、リリやルアルクも訪れる賑やかな場所となっている。  



だが今夜ばかりは、戦いの拠点としての顔を持っていた。  



「……ここからです」  

シェイの低い声に、二人は頷いた。  

ユリカとリシェリアを取り戻すための戦いは、もう始まっているのだ。  





sideルアルク  



ランプの火がかすかに揺れる室内で、沈黙が落ちていた。  



作戦会議は思ったほどスムーズには進まなかった。  

リリに状況を聞き取った後、無理にでも休ませた。  



向かいに座るシェイは拳を握りしめ、爪が掌に食い込んでいる。  



(何か、僕にできることはないか――考えろ、考えるんだ)  



必死で頭を巡らせ、できそうなことをひとつ思いつく。  

ルアルクは、そっと紙と筆を手に取った。  





sideシェイ  



ランプの炎に共鳴するように、胸の中にじりじりとした焦燥感が燃えていた。  



同じように沈黙を守っていた目の前の栗色の髪の男が、何かを決意したように白い紙と筆を手に取る。  



「……もしよければ、教会の中を描いてみます」  

静かな声。  

「僕が囚われるなら、どこに閉じ込められるか……感覚ですけど、見当をつけられる気がします」  



シェイは目を細め、しばしルアルクを見つめ返した。  

「……いきなり信じるわけにはいきません」  

机に紙を押しやり、淡々と告げる。  

「では、まず“僕の家”を描いてください」  



ルアルクは一瞬きょとんとしたが、すぐに頷き、筆を走らせた。  

迷いのない線は真っすぐ整い、壁の厚みや窓の位置までも正確に落とし込まれていく。  

やがて現れたのは、比例の取れた家の全体図だった。  



「……ここが診察室で、この辺りに収納がありますよね」  

さらりと描き込むその手は几帳面で、普段シェイしか気づかない隠し棚の位置まで正しく記されていた。  



シェイは思わず絶句し、眉間に指を当てる。  



(……ユリカさん。あなたはやっぱり見る目がありますね)  



深く息を吐き、彼は頷いた。  

「……わかりました。続けてください」  



ルアルクは新しい紙に向かい、静かに筆を走らせた。  

「行ったことはありませんけど、外から見た窓の数と廊下の長さからすると……たぶん、こんな感じのはずです」  



几帳面な線が伸び、淡々と部屋や通路が描き込まれていく。  

まるで昔から知っていたかのように、整った全体図が姿を現した。  



シェイはその紙を見つめ、短く息を吐いた。  

「……これなら、現地で確かめる価値がありますね。  

 現地へ行けるように、疑いは僕が晴らします。  

 僕たちは二人で“父親”ですから。  

 あなただけに任せるわけにはいきません」  



その瞳に、かすかな光が戻りつつあった。  

青い瞳が静かに光を宿す。  

絶望の淵で、確かな希望が形を持ち始めていた。





sideルアルク



翌日、ルアルクはシェイと共に国家治安局――通称ガーディアン本部へ向かった。

初めて訪れる場の場違い感と、これからのことを考えると結んだ手が緊張で汗ばんだ。



(必ず、何かを見つけてこないと……)



教会側の見張りとして配置されているのだろう、見知った神官の姿も何人かそこに混ざっていた。



――ガーディアン……国家と教会がお互いににらみ合っているかのようだった。



シェイの案内で証拠が並ぶ部屋に入る。

たくさんの積み上げられた帳簿の中の一つに、自然と手が引き寄せられた。



焦げた帳簿の文字を追った瞬間、胃の奥から込み上げるような吐き気に襲われた。  

名も与えられず消えた子どもたち。冷たい記号の羅列。  



そして――母の存在を示す、初めて見る記録。  



そこには母ともう一つ、別の続柄が記載されていた。



胸がひっくり返るような衝撃に、視界が暗く揺れた。



ありえない。



――こんな事実、あっていいはずがない。



自分の血は、最初から穢れていたのかと強い焦燥が胸を襲う。



(……これが、僕の出自……?)  



紙の束から手を放し、自分の胸元を強く掴んだ。



視界が揺れ、喉が焼けるように詰まる。  

血の一滴まで汚れている気がした。  



「……僕は、ユリカを……汚したんだ」  

声はかすれて震えていた。  

「そのうえ……子どもまで……僕の血を……」  



胸の奥で嫌悪感と罪悪感が混じり合い、吐きそうになる。    



――その時、隣で紙の擦れる音がした。  

シェイが無言でルアルクの手放した帳簿を取り、二、三枚をめくる。  



指先が止まり、息をひとつ押し殺す。  



そこに書かれていた一文字を、彼も確かに見た。



だが声には出さなかった。

その真実を言葉にすれば、この青年をさらに抉るだけだから。



古い栞紐を静かに挟み直し、ぱたんと閉じた。  



「……今、僕も見ました」  

低い声が落ちる。  

青い瞳が、まっすぐこちらを射抜いた。  



「リシェリアは汚いですか?穢れていますか?――違うでしょう?  

 親の罪が子どもを穢すなんてこと、あってはならない。  

 そして“こうした記録”は、子の側ではなく『行為の側』に汚れがあると告げています。  

 知った上で言います。

 ルーくん、あなたは汚れていない」  



言葉が胸を突き、堰を切ったように涙がこぼれた。  

耐えられなくなり、気づけば彼はシェイの肩にすがっていた。  



シェイは一度だけ目を瞬かせ、観念したように息を吐く。  

そして子どもをあやすように、そっと頭を撫でた。  

その温もりにすがりつきながら、ルアルクはただ声を殺して泣いた。





暗い澱は、消えない。

だが――ここに居ていい、と言われた事実だけが、確かな温度で彼を支えた。





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